2011年2月15日火曜日

財政出動論12 財政出動とリカードの公債中立命題

関連:財政出動論1〜9までの目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次》
            財政出動論13《構造改革と米国》    財政出動論11《需要項目から大恐慌》

    財政出動に効果がないという理論的な根拠としては、マンデル=フレミング効果やリカードの公債中立命題がある。ここでは(「重不況の経済学」327—329頁あたりでふれたのだが)、改めてリカードの中立命題について「財政出動論の立場」から整理してみよう。

改訂 H23.3.2若干追加。H23.4.21再修正。H23.6.7、H23.7.28若干補足、H24.2.23補足
         なお、【財政出動論25(リカード中立命題と負担の次世代先送論)】の中段で、さらに本質的な
    「別の」観点からの「リカードの公債中立命題」の解釈を書いています。25.10.23
        さらにその後、これらの頁に関連して、次の頁を追加
      New Economic Thinking 13 世代会計と等価定理 
      New Economic Thinking3 リカード中立命題とマクロ的中立命題
     28.10.7 元に戻って、ここの頁の前段部分に注釈的にクルーグマンの中立命題の解釈を追加。

1 リカードの公債中立命題(等価定理)の既存の評価
    リカードの公債中立命題について、小林慶一郎氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)は、「第二回 財政出動論の根拠はどこにあったか」(2009.09.15)の中で、
「ニューケインジアンの理論のなかでは「財政出動は無意味だ」というのが暗黙の共通認識になっている のである。
    そのおもな理由は、現在の経済理論の枠組みのなかでは、財政出動の無効を主張する「リカードの中立性」命題に 対し有効に反駁できないからである。財政出動で政府がお金を使って国民の所得を増やしても、政府が使ったお金 は、将来、増税によって国民から取り上げられる。国民はそのことを見越しているので、財政出動をしても、国民 は将来の増税に備えて貯蓄を増やすため、消費や投資を減らしてしまう。結果として、財政政策が需要を拡大する効果は得られない。これが「リカードの中立性」である。
    この議論は非常に強力であるため、世界中のほとんどのマクロ経済学者は、(少なくともリーマンショックの前までは)財政出動を学術研究のテーマとして論じることはなかった。」
と述べている。

    これに対して、スティグリッツ(1943〜。2001年ノーベル経済学賞)は、「世情にうとい経済学者がよく持ち出し」…「全米の大学院で教えている”リカードの等価定理”…」については「まったくのナンセンス」(sheer nonsense)と評している(J.E.スティグリッツ[2010]『フリーフォール』徳間書店。115〜116頁)

     そもそもリカードの公債中立命題自体は、直ちに財政出動の無効を意味するものではない。それは、「財政出動の財源を、直接の増税によって調達する場合と国債発行によって調達する場合の(財政出動の)効果にほぼ違いがない」ということを示すのみである。この定義に止まる限り、この命題は「非常に強力」である。実は、筆者もこれは支持する(拙著「重不況の経済学」の中心的議論はこれと整合的なのである)・・・・・・このレベルの命題の帰結に関しては、下の2の③で小野善康氏の議論を紹介する中で取り上げている。

    それは、財政出動に「効果があるかどうか」に関しては中立である。増税と国債発行の効果には違いがないと言っているだけだからだ。財政出動に仮に効果があっても、この意味での中立命題と矛盾しないし、効果がなくても矛盾しない。つまり、リカードの中立命題のコア部分自体は、直ちに財政出動の無効を意味するわけではない。

    ところが、一般には、上記の小林氏のように「政府が使ったお金 は、将来、増税によって国民から取り上げられる。国民はそのことを見越しているので、財政出動をしても、国民 は将来の増税に備えて貯蓄を増やすため、消費や投資を減らしてしまう。」という論理がリカードの公債中立命題の帰結として主張されている。
    これこそ、スティグリッツがナンセンスとする議論だと考える。
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2016年10月7日追加
    また、2016年9月2日付けの『himaginaryの日記』のエントリ「リカーディアンとリカーディアンもどきとFTPL」 の中で、次のように、Nick Roweやクルーグマンの考えとして前者を(「リカーディアン」の観点として)、また後者の観点をクルーグマンが「リカーディアンもどき」と評していることを紹介している。

    「・・・これに反発したのがクルーグマンで、・・・それはリカードの中立命題の誤解釈によるものだ、と批判している。
    以前のエントリ*1で小生(=himarinary氏:
引用者注)は、巷間良く見られるリカードの中立命題の定義を
        『財政支出をすれば民間が将来の増税を予想して消費をその分だけ減らし、総需要
        は変化しない』
    (また)Nick Roweやクルーグマンの考えるリカードの中立命題の定義を

        『税金で賄われる財政支出と、借り入れで賄われる財政支出とは、等価である』
と対比させたことがあったが、
・・
・・クルーグマンは、ロバート・ルーカスなども唱える前者のような議論を、リカーディアン(Ricardian)ではなくリカーディアノイド/リカー ディアンもどき(Ricardianoid)だ、と揶揄している。」
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    ちなみに、「財政出動論3大恐慌期の金融政策の有効性」の中段より下の「3」で、バブル崩壊後の90年代の日本の金融政策に関して引用したアハーン(A. Ahearne)ら(2002)の論文《注》p.35でも、日本のバブル崩壊後の財政出動の効果に関して次のように整理している。
「公債の増加に関する懸念から消費が抑えられているとするリカード中立命題論者の議論は、日本の家計貯蓄率が90年代に低下していることで誤りであることが示された・・・実際に・・・初期90年代には収入の成長が低下しているにもかかわらず、消費支出は驚くほど維持されていた。」としている。
    また、続けて「90年代前半の長期金利の相当な下落を考えると・・・民間投資をクラウド・アウトしたと見ることも困難」であり、同様の理由で「円高に寄与したということもありそうもない」としている。
        注》いわゆるFed viewの有効性に関連して、バブル崩壊後の日本の金融政策に
             ついてしばしばバーナンキらFRB首脳に言及された論文:
Alan Ahearne, Joseph Gagnon, Jane Haltmaier, and Steve Kamin "Preventing Deflation: Lessons from Japan’s Experience in the 1990s" Board of Governors of the Federal Reserve System International Finance Discussion Papers Number 729 June 2002



2 現実には、なぜリカードの中立命題による財政出動無効論が成り立たないと考えるか
   そもそも、こうした財政出動の『理論的』無効の主張にもかかわらず、「財政出動に効果がある」ことは広く知られている。まさにスティグリッツが「世情にうとい経済学者がよく持ち出し」と言っているように、この主張が現実の経済で「完全には」成り立たないことは事実が証明している(ただし、部分的に成り立つかもしれないことまでは否定しない)。
 以下、いくつかの仮定条件の下での思考実験としてではなく、財政出動の無効が現実に成立していると主張する立場に関して疑問点をいくつかあげてみよう。

(1)成り立たない理由として従来からあるもの
    現実に「リカードの中立命題による財政出動無効論」(以下『中立命題論B』ということにする)が成り立たない理由として、簡単な理由を2、3挙げよう。

    第1に、国民は経済学者が考えるほど賢くないので、《錯誤のため》財政出動で増えた所得を使ってしまうというのがある。

    第2に、金持ちにはこれが当てはまるが、一般大衆には当てはまらないという議論がありうる。つまり、増税に備えて貯蓄しておかないと払えないほどの(巨額の税金を払わなければならないレベルの)金持ちには当てはまるが、一般大衆は、日々の生活に追われているから、将来の増税の心配まではできないということがあるだろう(特に、貧しいために消費性向が高く、収入を消費に使い切ってしまう、いわゆる「流動性制約家計」は日本でも2割前後を占める)。
           注》これは、意外に重要かもしれない。極端に貧富の差が大きいとき、貧しい層の所得が生存可能なぎりぎり
                の水準であったり下回ったりする場合、例えば、そうした人びとが予算制約の中で行う行動は、経済学が想
                定する合理的行動とは、異なったものになる可能性がある。例えば、暴動、略奪などだ。あるいは、そこま
                でではなくても、経済学的に合理的とは言えない行動が取られる可能性が高い。そうした人びとの割合が高
               い社会は、経済的に非合理な行動、非経済的行動が選択される確率が高いように思える。


(2)中立命題論Bの前提そのものに問題があること
    続いて、もう少し「本質的な」理由を挙げてみよう。①これが「成長のない経済」の仮定に依存していること。②「貯蓄」の扱いに問題があることの2点である。

 ① 中立命題論B自体が「成長のない経済」の仮定に依存していること。
   重要だと考える点は、この中立命題論B自体の成立は、実質的に「成長のない経済」を前提としていることだ。(長期停滞下の日本のように)成長がなければ、たしかに公債で借り入れして財政出動したとしても、公債の償還時には、増税によって償還資金をまかなう必要がある。とすれば、単純にこの中立命題論Bは成立するとしてよいかもしれない(もっとも、上記の錯誤等の影響は小さくない)。
   しかし、財政出動によって経済が成長し、国の経済規模が大きくなれば、税の自然増収で償還資金を得ることが出来る《例えば、財政出動論11の図5、図6参照》。

        注》なお、不況からの回復時の自然増収については、財務省が使う
            「税収弾性値」に問題があることは、「財政出動論5《交わらな
            ない短期と長期》」の中段あたりで述べた。》

    ここで「成長」を持ち出すことは、一見反則的な議論にみえるかもしれない。「成長がない」という条件は、単に問題を単純化するための仮定に過ぎない・・・・・・つまり検討の枠組みの外にある問題のようにみえるからだ。
    だが、そうではない。「成長」という条件は、この中立命題論B成立の根幹、本質に係わっている。それは、中立命題論B成立のメカニズムが起動するための本質的条件(仮定)になっているのである。
    そもそも、中立命題論Bは、家計が将来の国債償還をまかなうための増税を予測し、将来の(増税による)支出増を考慮して現在の消費や貯蓄行動を最適化するはずということを前提にしている。その結果、将来の増税に充てるために現在の所得を取り置く(貯蓄する)という家計の行動が生じ、家計は現在の消費を十分に増やさない(したがって、財政出動の効果はない)というのである。
    ところが、経済成長があり、それによって将来の所得が、将来の増税をまかなう以上に増えると家計が予想していれば、家計は現在の消費を削る必要はないと考えるのが自然だろう。
    成長がない場合は、確かに将来の生活費や必要経費を削って(つまり、現在よりも生活水準を低下させて)税を払うことになるが、成長で所得が増えればその必要はない。増える所得の一部を増税にあてれば済むからだ。こうした認識は、明らかに家計の行動に影響を与えるだろう。
    これに関連して、成長に伴う税の「自然増収」は例えば「増税」ではないかと思うかもしれない。確かにGDPに占める税負担の比率は少し上昇する場合がありうる。しかし、所得が増加し、増加した所得の一部が納税の増加に回されるに過ぎないなら、納税した後でも可処分所得は増えている。家計は、増税であるかどうかではなく、可処分所得がどうなるかで判断するはずだ。

   以上のように、成長があれば、税金を払っても納税後の所得は今より増えるのだから、今の生活費や消費を削ってまで「将来の増税への備えのために貯蓄する」理由はまったくない。これは明らかに、公債中立命題論Bが想定するメカニズムとは異なる家計(人々)の行動を生む。実際、われわれは「経済は成長するものだ」と考えている。したがって、仮にこのリカードの公債中立命題が「停滞する経済」では成立する余地があるとしても、「成長する経済」では、これは成立しないと言えるだろう。

        注》もっとも、20年不況の中で生きてきた我々は、徐々に、経済は成長しない
             ものだという考え方に慣れてきているのかもしれない。この意味で、まさに、
             日本という特殊な国では、中立命題論が成立する条件が揃いつつあると言え
             るかもしれない。それが日本の長期停滞の原因を再生産しているともいえる
             のだ。残念であり皮肉なことだが・・・・。

    「成長する」という条件は、合理的な経済主体の行動を変え、この中立命題論Bが機能するための本質的メカニズムを異なるものにしてしまうことになる。
    したがって、『成長がない』という仮定で仮にこの中立命題論Bが成立するとしても、それを「成長がある」経済に拡張して適用することはできない。成長があるかないかは、この中立命題論Bが成立するメカニズムの根幹に係わっているからだ。

    ② 「貯蓄」問題
    さて、そもそも、この中立命題に基づく財政出動無効論(中立命題論B)では、家計などが将来の増税に備えて「貯蓄」を増やすから、需要は増えないのだともいう。この「貯蓄」とはなんだろうか。この議論は、新古典派体系と整合性があるのだろうか。
    新古典派体系では、通常、貯蓄されたお金は、金融機関などの貯蓄運用機関を通じて、設備投資等に貸し出され、それが需要となって、セイ法則が成り立つと考えられているのではないだろうか。
        注)新しい古典派の代表といえるRBC理論や、そのRBC理論に基礎を置くニューケインジアン・モデル
             では、財市場の均衡条件として、生産は《民間消費+民間投資+政府投資・消費》の合計に一致すると仮
             定されている(=セイ法則の完全成立)。これは、貯蓄は金融機関からの貸出や社債への投資を通じた民
             間投資(と国債購入を通じた政府投資・消費)によって使い切られると仮定されていることを意味する。
             (もっとも、ニューケインジアンモデルでは、それに「価格の硬直性」などを導入することで、均衡から
             の乖離をもたらす力が生じ、それによって経済変動が生ずると考える。)

   仮に家計や企業は、将来の増税を想定して、増える収入を「貯蓄」の増加にまわすとしよう。すると、そのほとんどは、貯蓄運用機関に回されることになるのだ。
    ここで重要な点は、家計や企業は、たしかに『将来の増税に対する備えとして貯蓄』する動機はあるかもしれないが、金融機関などの貯蓄運用機関には「増税に備えた貯蓄」を行う動機はないことだ。むしろ、貯蓄運用機関は、それをできる限り有利に運用しなければ、預金者に金利を払うことが出来ないから、常に積極的に貸出や運用をしようとする。したがって、金融機関に貯蓄された資金は全額が貸出や投資に回されることになる。その結果は需要増加になってしまう。


    つまり、新古典派的には、需要は企業や家計の収入増加に応じて増加することになり、中立命題に基づく財政出動無効論(中立命題論B)は成立しないことになる(少なくとも、中立命題論Bが提示する「家計行動への影響を通じた財政出動無効論」は明らかに成立しないと言える)。
           注)実際、RBC理論やニューケインジアンのDSGEモデルに、財政出動ショックを与えると、少なくと
                も「財政出動が経済に(それがどんなものであれ)影響を与える」という結果はごくごく当たり前に導か
                れる。
           注)実は、ニューケインジアンモデルには、RBC理論が経済実態に合わない点を改善するために、家計に
               一定割合の非リカード家計(流動性制約家計)を導入した研究もある。非リカード家計は、収入(増加)
               の全額を消費に使い切ってしまう家計(貯蓄=0)であるから、この場合、そもそも中立命題論Bは成立
               しない(そうした家計の割合分に関してだが)。

◎ 以上で「中立命題論B」に対する新古典派的な(+ニューケインジアン的な)観点からの疑問は終了である。次に、こうした主流派的な観点に若干「ケインズ的な」観点を加えて、もう少し考えてみよう。

    ケインズは、収入のうちの一部がタンス預金になれば、その分が財の需要にはならないことを指摘した。そこで、問題は、将来の増税に備えて家計は「タンス預金」を増やすのかということになる。ところが、それは明らかに考えにくい。
    仮に貯蓄を増やすとしても、それは将来の増税への備え分なわけだから、スケジュールもある程度はっきりしている。とすれば、それまでは「金融機関に預けて」運用益を稼ごうとするのが普通だろう。それは、新古典派的には、金融機関を通じて設備投資に流れ、需要を増加させることになる。この場合は、やはり中立命題論は成立しない。

(補足:資金の供給増があっても設備投資が増加しない可能性について)
     以上のように、家計の貯蓄段階の原因では中立命題論Bは成立しないように見える。では、その先の金融機関から企業が借りて設備投資が増加するかという問題の部分ではどうだろうか。
     たしかに企業が独自に需要の見通しを行い、その見通しがいずれも低いなら、金融機関が貸すといっても、企業側が設備投資を行おうとしないから、企業は資金を借りず設備投資は増えない。しかし、家計の貯蓄増で低コストの資金(次の③参照)が供給される一方で、政府の財政出動で具体的な需要増があるなら、その需要増に向けて設備投資は増えると考えるのが自然だろう。
         注)ちなみに、お金が十分供給されれば、企業は、それを必ず全額借りて設備投資をするというのが標準的
             な経済学者の見方である。上記注のRBC理論やニューケインジアンモデルの「財市場の均衡条件」に
           「貯蓄」という項目が出てこないのは、そのこと(つまり貯蓄は必ずすべて設備投資等に使い切られると
             いうこと)を条件として仮定しているからでもある。したがって、そうした人たち(中立命題論Bの支持
             者たちも含まれる)に対しては、そもそも この補足や下の「(財政出動の方法による・・・)」のような検
             討の必要もない。

(財政出動の方法による効果の差について)
    ここで、例えば、政府の財政出動が「減税」や「一律の定額給付金」など家計の可処分所得を直接増加させる方法で行われる場合を考えよう。当然、家計は、その一部を貯蓄するが、平時であれば、上記のように、その貯蓄全額を企業が借りて設備投資するので、需要拡大効果は減ぜられない。
    ところが、現在のような重不況下で、家計が失業不安に怯えているときには、家計は消費を拡大するよりも貯蓄を拡大する可能性が高くなる。企業が、こうしたことを予想に折り込み、家計が十分に消費を拡大させないと予想すれば、企業は(家計の貯蓄増加で資金が潤沢であるにもかかわらず)設備投資を増やさないことになる。
    これは、一般に言われている中立命題論Bのルートとは異なるが、財政出動の効果を減ずる現象と言うことになる。

    しかし、政府の財政出動を「公共事業」や「政府消費」の拡大で行う場合、それは、直接、企業の収入を増加させ、その収入増加額のほぼ100%近くが、賃金、原材料費、中間財の仕入れコストなどとして他の経済主体に支払われる。その企業に原材料や中間財を供給した企業も受け取った代金を同様に、コストとして100%近く支出する。つまり、政府の財政出動の大きな割合が直接循環していくことになる。
     また、賃金を受け取る家計にとっても、仕事がないために失業の不安に怯えていたのが、仕事が現実に増加するのだから、仮に所得は増えなくても雇用不安は低下し消費支出にプラスに作用する。
(これに対して、上記のように、単なる減税や定額給付金には雇用不安を直接解消する効果はない。)

(3)調達資金問題
    次に、中立命題Bとは異なる問題を考えよう。これは、コアなリカードの中立命題に係わる。
    調達資金の問題は、小野善康氏が述べているもので、財政出動のための資金調達のために国債を発行すると、民間資金が吸収されるので、その分民間消費や投資が減少する。減少額は政府の財政出動額と同額なのだから、民間消費が減った分だけ財政出動が増えるに過ぎないので、財政出動の効果はないというものだ。

        注》上記(2)②までは、財政出動の結果、増えた収入を家計などがどう使う
            かに関する議論なのに対して、これは、財政出動のための資金調達に関する
            議論ということになる。

    このストーリーの問題点は、国債で吸収されなければ、その資金は元々は民間で消費や投資に使われるはずだったと考えられていることだ。これは、公債発行によるクラウディングアウトの議論にかかわっている。

    しかし、そうした資金が消費や投資に使われていないからこそ、今の長期不況が生じていると考えるべきなのだ。その資金は貯蓄に回るが、貯蓄されても金融機関が代わりに「投資」するから、結局その資金も需要を作っているのだと考えるかもしれないが、そうではない。

    『投資』には、『設備投資』と土地や株式などの証券投資等の『資産投資』がある。証券投資が新発社債や新規発行株式を対象にし、それが直ちに発行した企業の設備投資になるならよいが、単に既発社債等に投資されているだけなら、それは単なる価格上昇(変動)に吸収されるに過ぎない。

    実際、新発債や新発株式の取引は、資産市場の取引のごくわずか(例えば、2007年の年間株式売買高は約750兆円だが、新規発行株式は2兆円ほどに止まる)でしかない。つまり、「設備投資」は、GDPの対象となる財の需要を作るが、「資産投資」のほとんどは、直接的には価格変動をもたらすだけで、GDPの対象となる財の需要にはならない。
    つまり、資産投資にカネが流れているなら、それは、直接には需要不足を解消しない。現在のような重い不況では、企業の売上げの将来見通しが低いために設備資金需要が小さい(拙著「重不況の経済学」では、そうした状態を『重不況』と呼んでいる)。設備投資に使われない資金は資産投資に投入されるが、それは需要を形成しない。
    それを政府が国債(公債)で吸収して、GDPの対象となる財の需要として支出するというのが財政出動論だ。
   小野氏の議論は、次の3の(2)項でも再度若干詳しく取り上げる。

3 彼等はなぜ財政出動で景気回復しないと考えるのか
    さて、   ここで注意したいのは、「リカードの中立命題が非常に強力だ」と主張する人々(以下「彼等」ということにする)は、財政出動によって、「経済成長が実現しない、あるいは景気回復はしない」と考えていることだ。

   「彼等」がなぜ財政出動では景気回復しないと考えるかと言えば、彼等(ニューケインジアン、新しい古典派)が、基本的には需要不足が存在しないと考えているためだ。

(1)彼等の基本的視点
    これは、ニュー・ケインジアンの理論が、新しい古典派の中心理論であるRBC理論(リアル・ビジネス・サイクル理論《実物的景気循環理論》)をベースにしているからだ。RBC理論は、セイ法則の成立を仮定している。つまり、需要と供給は常にバランスしていると考える。
    ニュー・ケインジアンは、このRBC理論をベースにして、それに「価格の粘着性」などを導入することでRBC理論が仮定する市場の完全性などが崩れ、一時的には需要不足が発生すると考える。
    しかし、ニューケインジアンは、そもそも基本的に新古典派経済学の系統に属し、新古典派(その中の新しい古典派、さらにその中のRBC理論)の理論を現実経済に当てはめるための「微調整」をおこなうために、最小限度の需要不足を認めるに過ぎない。その基本的な発想や思考は、供給を重視する「新古典派体系、RBC理論」の考え方や基礎的仮定に強く束縛されている。

(2)彼等の思考プロセス
    彼等は需要不足がないか一時的なものと考えるから、財政出動で埋めるべき需要不足は存在しないし、財政出動分は需要超過となるから、物価は上昇するし、財政出動のための公債(国債)の発行で、本来は民間の設備投資に使われるはずだった資金が国に取られて民間資金が不足し金利が上昇する(クラウディングアウト)から、民間活動は縮小し、大きな政府ができるだけだと考える。また、金利が上昇するから、海外から資金が流入して、自国通貨高(円高)となり輸出が減少して、財政出動の効果はないと考える(マンデル=フレミング効果)。

    この観点は、新古典派理論に(ニューケインジアンとは異なる)ケインズ的な観点を加味した「不況動学」を提唱する小野善康氏(管首相のブレーン。大阪大学教授)も同じだ。 以下は、拙著「重不況の経済学」328ー329頁のコピーである。

        「小野善康氏は・・・リカードの等価定理(公債の中立命題)を引いて、国債
        で資金を調達して公共事業を行っても、人々は国債償還のために将来増税され
        ると予期して消費を増やさないので、公共事業は無意味だという(小野[2007]
        『不況のメカニズム』75頁)。
            しかし、実証的には、公債による財政出動の効果は、ある程度認められてき
        ている。また、そもそも、リカードは、需要不足は存在し得ないという前提で
        考えていたのである。確かに、小野氏は、第3章の「はじめに」で紹介した
        ユージン・ファーマのように、セイ法則で需要不足は存在しないと考えている。
        小野氏と辻広雅文氏の対談で見てみよう。
        『(小野)・・・公共事業や失業手当として「政府があなたに100万円渡して
        も、経済全体では100万円増えているわけではないからだ。政府は自らおカネ
        を生み出せないので、誰かから100万円調達しなければならない。100万円もら
        ったあなたは消費するだろうが、100万円取られた誰かは消費を控えてしまう。
        ………再分配は起こるが、全体で見れば差し引きゼロで消費が増えるはずがな
        い。』(なお、小野[2007]にも同様の議論がある)
            ここでの小野氏の議論は、「100万円取られた誰か」は、取られなければ、
        その100万円を消費していたはずだということが前提になっている。そうだと
        すると、そもそも需要不足はないから、不況にはなっていないはずだ。とこ
        ろが、小野氏は政策的には需要不足対策を主張しているのだから、矛盾であ
        る。
            需要不足があるのは、誰かが消費していないからだ。その使われていない
        100万円を政府が税か国債で吸収して、代わりに支出することで需要不足を解
        消しようというのが財政出動の趣旨である。
            なお、小野氏の議論の背景には、「資産投資」と「設備投資」の混同があ
        るのかもしれない。貯蓄は、結局は、金融機関によって、全額が資産投資か
        設備投資のどちらかに振り向けられるため、一見、すべてが「使われている」
        ように見えるからだ。
            しかし、設備投資が機械設備などの「需要」を生むのに対して、土地や株
        式などの資産投資は、(特にその価格差分への投資は)資産価格の上昇を生
        むだけで、実体経済の需要は生まない。」

4 需要不足があると考えると
   しかし、こうした彼等の予測・見通しはことごとく外れている。現実の日本経済は、次のように需要不足を考えた場合の予測に一致する。

    「需要不足があるなら」、その需要に使われない資金が有効に使われないまま残っているから(財政出動論7《赤字の持続可能性》参照)、政府が国債を発行しても、一向に資金不足にはならず、金利も上昇せず(クラウディングアウトは発生せず)、金利が上昇しないから海外から資金が流入することはないから自国通貨高にもならず、逆に低金利で海外への流出が増え、そのために円安となって輸出が増加したのがリーマンショックまでの日本経済である。

   すなわち彼等の理論は、まったく現実の経済を説明できなかったのに対して、需要不足を認めるとシンプルに経済の実態が理解できる。それは、たった一つ「需要不足がある」と考えるかどうかに係わっている。

    RBC理論やニューケインジアンの理論(DSGE(動学的確率的一般均衡)モデル)が抱える本質的問題は、それらが、供給を中心に考えることを基本とするモデルであるということである。そこでは、コペルニクス以前の天文学者が「地球」を中心とする天動説の体系で惑星運動を説明しようと理屈をこねくりまわしたように、「供給」を中心とする経済学体系で現実を説明するために、理屈を「こねくり回している」だけだと考える・・・・。
 注》例えば、ニューケインジアンが考える需要不足の原因すら、基本的に
       は供給側の問題だ。例えば生産物市場では、たとえば価格の硬直性があ
       るために、市場の価格調整ができず売れ残りが生ずると考えるのだが、
       価格に硬直性があるのは売り手が値下げしないからだ。また、労働市場
       では、賃金の下方硬直性が労働者の需要を減らすために失業が増加する
       と彼等は考えるのだが、賃金を下げないのは労働の供給側の労働者の問
       題だと彼等は考える。これらはすべて供給側の問題だ。
           もちろん、こうしたことは事実ではある。しかし、すべてではない。
       商品価格をいくら下げても消費者はいらないものは買わない場合がある。
       例えば重い不況下で多数の消費者が雇用不安に怯えているときだ。
           また、企業も、今の日本のように売上げ増加の見通しがないときには、
       いくら賃金が下がっても労働者を新たには雇用しない(長期不況や大不
       況下ではそうした消費者や企業の比率が高くなる・・・拙著『重不況の
       経済学』では、こうした「 比率」の変化を「『斉一性』の変動という概
       念で捉え、不況のメカニズムとして重視している)。
           これは、すべて(商品については消費者、労働については企業という)
       「需要側独自の原因」である。これらは、市場の価格調節機能を低下さ
       せてしまう。こうした《誰でも実感できる》観点が、RBC理論を中心
       とする新しい古典派やニューケインジアンの視点には抜けているのだ。
       『抜けた視点で』「供給側の論理だけで」現状を説明するために理屈を
       こねまわしているのである。

           こうした彼等の視点の背景には、「消費者は常に商品を欲しい存在で
       あるから、価格さえ下がれば必ず買うという仮定」(効用最大化原理)
       や、賃金さえ下がれば「企業は売上げ(収益)を最大化させるために、
       常に労働者の雇用を増やしたいものだという仮定」(収益最大化原理)
       がある。
           確かに、これらの仮定が正しいなら、問題は供給側だけにあることに
       
なる。新古典派経済学の体系は、こうした基礎的な仮定に基づいている。
           ところが、上記のように「需要側に独自の原因が存在する」としたら
       新古典派経済学は砂上の楼閣になってしまう。(つまり、これを認める
       と、体系そのものがひっくりかえってしまう。)
           これが、RBC理論やニューケインジアン理論に基づく現代の主流派
       マクロ経済学が、軽微な景気循環はなんとか理論的に説明できても、今
       回のような重い「世界同時不況」を理論的には予測できなかった理由の
       一つだと思うのだ・・。

    いずれにせよ、十分な規模の財政出動があれば、景気は回復し、経済成長

が行われるだろう。これは、財政出動論11《需要項目でみた大恐慌からの
回復》の末尾の図5、図6をみても明らかだと思うのだが。

2011年2月13日日曜日

財政出動論11 需要項目から大恐慌の回復要因を見る

関連:財政出動論1〜9目次と概要 財政出動論12(リカード中立命題)
         「重不況の経済学」                                ・・・《このブログ全体の目次》
    この頁をベースの一つとして新著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2、紹介ver.1、アマゾン))を出版しました。

    大恐慌からの米経済の回復要因については、財政出動論1《財政出動の有効性》、財政出動論2《なぜ財政出動論》で財政出動の有効性について、また、財政出動論4《橋本財政改革》でその補足を、さらに、財政出動論3《大恐慌期金融政策》で金融政策の有効性に対する疑問を整理した。ここでは、それを改めて統合し整理しよう。

1 1930年代大恐慌からの米経済の回復を需要項目側から整理
(1)需要項目別の変化状況
    米経済の回復を、財政出動論6B《需要不足対策の評価》の「需要項目別の需要不足対策」の観点から整理してみよう。すると、下の図1で1933年を底とする回復期の需要項目別の動向を見ると、「財政規模」の拡大がもっとも大きい。

(2)民間設備投資は?
    もっとも、この図では、民間設備投資の変化が小さいように見えるが、これは1929年からの落ち込みが大きすぎるためであり、1933年から34年への変化率は10から22へと2.2倍であり、実額で17億ドルから37億ドルへと20億ドルの増加である。これに対して連邦政府の支出は23億ドルから33億ドルへと10億ドルの増加にすぎない。これは民間設備投資の伸びが重要であることを意味するのだろうか?
    なお、純輸出が1933年,34年と伸びているが、実額では1億ドル(1933)から3億ドル(1934)程度であり、比較的寄与は小さいと考えられる。


(3)民間設備投資の増加に金融政策の寄与はない
    だが、この民間設備投資の増加と金融政策の関係を、財政出動論3《大恐慌期金融政策》の図1,2で見てみれば、このとき、金融機関から民間企業への「貸付」等は増加していないのだから、この設備投資の増加には金融政策は直接には関係していない。
    金融政策有効論者たちは、マネーサプライの増加と設備投資の増加の関係だけを見て《設備投資と金融機関の貸出に関係がないことを見落としたために》、金融緩和政策が設備投資を増加させたと見誤ったのである。
    設備投資増加の要因は、むしろ政府の財政出動(下の方でもふれるが、連邦政府の公共投資は大規模であり複数年度にまたがるため、支出ベース以上に発注規模が大きい)による牽引と、その増額への将来的期待があったと考える方が自然だ。
図1
  
                                                               データ出所:米Bureau of Economic Analysis
図2
                                                               データ出所:米Bureau of Economic Analysis

2 大恐慌期米国の連邦政府公共投資《増加》と州政府・市町村の公共投資変動
(1)連邦政府公共投資は一貫して増加
    公共投資の増加は、ルーズベルトの前のフーヴァー政権で既に計画され、起動されていた(その後の税収の急速な落ち込みに対応して、財政均衡を優先する方針が打ち出された)。1933年3月に大統領に就任したルーズベルトは、フーヴァー政権の財政均衡優先の方針を引き継がず、連邦公共投資を引き続き拡大した。

(2)大恐慌当初は、州政府・市町村による公共投資は縮小
   しかし、この間、州政府と市町村政府による公共投資は、税収の減少に対応して急速に減少した。連邦政府公共投資の増加は、これを補うものとなったが、十分でなかった。

(3)回復期の1934年以降は州政府・市町村の公共投資は増加
    1934年以降は、州政府・市町村の公共投資も急増しているが、これらの政府は通常、財政均衡が連邦政府以上に厳しく要求されているのであり、この急増は、連邦政府の強力な政策的支持によってはじめて可能になっていることに留意すべきである。

(4)大規模公共工事《=工期の長い工事》中心の連邦公共投資
    また、州政府や市町村の公共投資は、基本的には規模の小さなものが多いのに対して、連邦政府の公共投資は規模が大きく、工期が1年を超え2,3年にわたるものが多いのであり、(財政出動論1《財政出動の有効性》でも述べたように、受注企業は着工段階で「発注」総額全体を前提に人や資機材の手当を行うため)支出ベースで見る以上の効果があったと考える。・・・財政出動については支出ベースのデータしかないが、実際の影響は発注ベースを考慮しなければならない。
  
図3
                                      データ出所:米National Bureau of Economic Research : NBER Macrohistory Database

(5)フーヴァー政権とルーズベルト政権の支出水準の明らかな違い
    下の図4で連邦政府の支出全体の動きを月次でみると、ルーズベルト政権となってから、財政支出の水準はあきらかに変化していることがわかる。

    なお、当時の米国の会計年度は、前年7月から当年6月までであり、多くの年度で7月は年度当初のために支出が減少していることがわかる。1933年の7月から2,3か月は支出が落ちているが、これは政権移行期に伴うものと考えられる。(また、1936年6月の高い支出は、財政出動論2《なぜ財政出動論》で触れたように、当時大きな政治問題だった退役軍人年金一時金の一括支払いによるもの)。
図4
                  データ出所:米National Bureau of Economic Research : NBER Macrohistory Database

3 第2次大戦期の《ニューディールを色あせさせる》巨額の財政出動
    このように、ルーズベルトは(本来は財政均衡論者だったこともあり)悩みつつ財政出動を行ったのである(このため、ルーズベルトは1936年には財政再建に転換し1937に歳出を削減したため再度大不況へ)が、その後の第2次世界大戦は、それまでのレベルを超える大規模な財政出動を伴い、米国経済は完全雇用を達成したのである。
    今次の世界同時不況で、オバマ政権の1人目の大統領経済諮問委員長となった大恐慌研究の権威 クリスティーナ・ローマ—の「財政出動は規模が大きければ効く」という主張の理由は、以下の図(大恐慌期・ニューディール期の連邦政府の支出は、両大戦期の支出をみれば極めて小さい)を見ればよい。

    また、これをみれば、「財政出動の持続可能性」の議論が、どの程度の(小ささの?)ものかが理解できるだろう。・・・下の補足、図6に続く

図5

                データ出所:米National Bureau of Economic Research : NBER Macrohistory Database

    もっとも、財政赤字による政府の累積債務を比較すると、実は第2次大戦後の米国の累積債務は、GDP比で今の日本ほど悪くはない。だが、これは、次の図6をみれば明らかなように、当時の米国が政府の財政出動でGDPを大きく(2.5倍程度)成長させたことによるものだ。・・・仮に今の日本のようにGDPの名目成長がゼロだったなら、政府累積債務のGDP比は現在の日本の比ではなかっただろう。だが、米国は1990年代、2000年代の日本のように中途半端な財政出動ではなく、上記図5のように、極めて大規模な財政出動を行ったのである(戦争だったからとも言えるが)。
    また、この図6の第2次世界大戦期米国の名目GDPの急速な伸びが、金融政策によるものではなく、政府財政支出の急速な増加によるものであることも明らかだろう。(・・・23.8.5追記)
図6
                                                              データ出所:米Bureau of Economic Analysis

2011年2月3日木曜日

財政出動論10 目次(〜9)

・(あらためて)政府の負債償還能力は、政府自体の資産や負債の大きさではなく、一国経済の活力、成長力に依存していることについて述べています。

・政府の財政赤字の原因=①市場だけでは供給が過少となっているサービスの供給(どの程度供給すべきかで大きな政府と小さな政府論の対立=長期の問題)、②需要不足を補うための財政出動(短期の問題)という二つの問題が混同されていることを主張しています。・・・・・・・ちょっと整理不十分

・ 政府の累積債務が、国内の個人金融資産額を超えない間は国債は消化できるが、それ以上では財政破綻するという説がナンセンスであることについて書いています。

・様々な需要不足対策の評価を整理しています。

・さまざまな需要不足対策(短期の視点の景気対策)を評価する前提として、需要の意味・範囲を整理しています。・・・・・・・・

・リフレ派と反リフレ派がなかなか見解の合意に至らない原因と考えられる『短期』と『長期』の違いを整理しています。

・橋本財政改革が財政赤字の水準をかえって拡大したこと。また、それから逆に財政出動の影響の大きさを付言しています・・・・・

・大恐慌期の金融緩和政策と恐慌からの回復との間に因果関係が見られないことを、金融機関の資金運用先から明らかにしています・・・・

・大きな不況《重不況》からの回復対策としての財政出動を主張するという立場を表明するとともに、財政出動に有効性がないのではないかと私にしばらく考えさせた問題について、あらためて整理しなおします。・・・・

・「支出」ベースのデータに基づいて大恐慌期の財政出動に有効性がなかったとする見解について、実質的に経済活動に影響を与える「発注」ベースの視点が欠けている問題があることを指摘します。・・・・


2011年2月2日水曜日

財政出動論9 財政持続可能性と負債償還能力


《概要》(あらためて)政府の負債償還能力は、政府自体の資産や負債の大きさではなく、一国経済の活力、成長力に依存していることについて述べています。

1 長期的観点で短期的需要対策を評価してはならない
 財政赤字で蓄積される政府の累積債務が大きくなり、財政破綻を引き起こさないかどうかについては、「長期的には」(名目)成長率と(名目)金利の関係に関するドーマー条件と、財政収支に係わるプライマリーバランスの状況が、財政赤字の継続が最終的に財政破綻を引き起こすかどうかを決めることになるとされる。これは長期的観点で、財政赤字の継続性を評価するものだ。

 しかし、我々が「短期的」観点で経済停滞からの回復を企図するなら、そのために必要な、一時的な(短期的な)財政出動によって発生する財政赤字に関しては、そもそも、こうした長期的な観点からの評価はなじまない。

2 負債償還能力を決めるのは負債の規模ではなく「経済成長率」=ドーマー条件から
 もちろん、短期的な問題に関しても、長期的な視点を持ち続けることは重要だ。そこで、こうした長期の観点と短期的な財政出動の関係を整理してみよう。
ドーマー条件が成長率と金利の関係に注目するように、一国の財政を決定するのは、一国全体の経済規模の成長力である。

(1)企業では
 企業の負債償還能力が何を基準に量られるかと言えば、通常、それは当該企業の「収益力」(「売上収入を上げる力」)である。それを長期的に見れば、収益の成長率である。負債の償還が可能な収益ないしは収益の成長見通しがあれば、負債はどれだけ大きくても良い。問題は負債の額ではないのである。

(2)政府では
 同様に、政府の負債償還能力を決定するのは、一国経済全体の「担税力」であり、担税力とは経済規模に比例すると考えて良い(なお、償還能力を決定するのは政府の純資産などでもない)。担税力とは(企業と同様に)収入を得る力であり、政府は、その国の経済に負担能力さえあれば、必要な資金を強制的に徴収することができる権限を持つことに国民が合意している存在だからだ。
 そして、この担税力の変化を長期的に見れば、経済の成長率である。アバウトには、ここからドーマー条件が出てくる。ドーマー条件は、直接には累積債務の規模とは関係しない。

注》もっとも、累積債務が大きい中で、金利が上昇すれば、利払費が
 政府の負担を高める(累積債務の総額に対する利払費の割合は、累
 積債務の額にかかわらず一定だが、政府の財政規模と利払額の比率
 は累積債務の総額の規模によって変化する)から、それは累積債務
 の発散条件(≒財政破綻の条件)に影響を与えることになる。しかし、
 金利の上昇は、正常な経済状態では、金融政策と為替政策を誤らな
 ければ、経済成長率の上昇未満にコントロールできる。さもなけれ
 ば、まさに設備投資するよりも預金する方が効率が高くなる。……。
  ただし、投機には注意が必要だが。

注》もう一つの問題として、企業や国民が税負担を嫌って海外に逃げ
 出すということを主張する人たちがいる。
 しかし、仮に、そのために資金が流出するとすれば、円を売って
 ドルなどを買う必要があるから、明らかに円安になり、流出側は差
 損を被ることになる。
  また、流出が大きいほど円安が大きくなるため、日本に残る企業
 の国際競争力は大きく改善され、税収も増加する。
  さらに、円安になっても、日本の海外に対する債権債務は債権の
 方が多いのだから、ギリシャやアイルランドなどのように、日本が
 海外に対する債務償還に苦しむことはまったくない。むしろ、円安
 で海外債権の価値は国内的には上昇する。
  つまり、流出がある方がよいくらいなのだ。
  また、税負担を嫌って本社だけを海外に移転する企業や人が増え
 るかもしれない。それは、課税の対象を利益ではなく、事業活動自
 体に移行させればよい(外形標準課税)。

3 長期派と短期派
 もちろん、問題は、我が国政府に、企業で言う「負債の償還が可能な収益」があるかどうか、つまり、政府に当てはめれば「負債の増加に対応した担税規模の拡大」が実現可能かどうかである。

(1)長期派
 これに関して、日本の経済停滞の原因を長期的要因によると考える長期派は、需要不足があるとは考えないから、財政出動をいたずらに政府の累積債務を増やすだけのものと考える。

 長期派は需要不足がないか一時的なものと考え、一時的なものも自然に(自動的に)回復するはずだと考えるから、対策は供給力の効率化だけである。しかし、効率化は、それによる生産能力の拡大と、効率化のためのリストラを通じてさらに需要不足を強化するだろう。
 また、橋本財政改革(財政出動論4橋本財政改革の項参照)では、増税と財政出動の抑制によって財政赤字の解消を図ろうとしたが、逆に景気の決定的な悪化をもたらし、その対策の実施(公共事業と減税)により財政赤字の恒常的な拡大を招いた。
 このように橋本財政改革での財政出動の縮小が景気の決定的な悪化をもたらしたことをみれば、(逆に)確かにバブル崩壊後から橋本改革の時期までは民間の需要は不足していたのであり、バブル崩壊後〜橋本財政改革直前までの財政出動がなかったら総需要は大きく不足していたことがわかる。

(2)短期派
 一方、日本の経済停滞の原因が、需要不足のために、供給能力と需要との間に需給ギャップ(GDPギャップ)があると考える短期派は、政府の財政出動で、その需給ギャップを埋めることによって、高い成長軌道に復帰させることが出来ると考えるのである。それは、長期的にも財政再建につながると考えるのである。

2011年1月31日月曜日

財政出動論8 財政赤字問題における長期と短期的観点

             財政出動論目次                                           ・・・その他《このブログ全体の目次》

 財政赤字を批判する視点として、政府の「無駄遣い論」が根強い。だが、大不況期には、こうした視点は木を見て森を見ない議論だ。
    国民のニーズや放漫財政によって財政規律が失われているという問題と、大(重)不況期の財政出動の意義は明確に分離して考えなければならない。


1 長期と短期……長期の視点で短期の財政出動を評価する愚
(1)需要不足がないと考える立場(長期派)について
   財政出動論は需要不足があると考える場合である。これに対して「需要不足はない」と考える有力な経済学派がある。「実物的景気循環理論」(RBC理論)を原理的に信じる学派で、新古典派経済学の中の「新しい古典派」の中核をなす派であり、小泉政権下で行われた「構造改革」の基礎をなした。

    この立場では、「需要不足はない」のだから、「使われずに余っている資金もない」。とすると、たしかに、そこで政府が国債を発行すれば、クラウディングアウトが生じて、金利が高騰する。
   仮に国債発行で資金調達しても、それは本来は民間で有効に使われるべき資金だったのだから、国債を発行しての財政出動には全く効果もないことになる(国債を発行しなかったら、民間が設備投資で使ったはずだからだ)。

    (拙著『重不況の経済学』101ページから)
実例をあげれば、ユージン・ファーマ(1939ー。シカゴ大学教授。効率的市場仮説の提唱者)は、景気対策の資金が「国債発行を増やすことで調達されている。…政府債務が増えれば民間の投資に使われたはずの貯蓄が吸収される。結局のところ、遊休の資源がある状況でも、救済策と景気刺激で使われる資源が増加することはない。」と述べている。
"Fama/Frenh Forum"の2009年1月13日付けエッセイ("Bailouts and Stimulus Plans")。訳はスキデルスキー/山岡洋一訳[2010]『なにがケインズを復活させたのか?』82ー91ページを使用。

    これは、ファーマが「需要不足が存在しない」という前提で問題を考えているからだ。彼が考えるように、需要不足がないなら、需要不足対策を行う意味はないし、需要不足に対応して使われなかった余剰資金も存在しないから、間違いなく、国債発行はクラウディングアウトを引き起こす。行うべきは《長期の》構造改革ということになる。…(しかし、次項で述べるように、日本では、これほど巨額の国債発行を続けてきたにもかかわらず、ファーマが言うようなことは全く生じていない。)
    注》ファーマは「遊休の資源がある状況でも」と言っているから、需要不足がないとは言って
          いないように見えるかもしれない。ところが彼は「民間の投資に使われたはずの貯蓄が」と
          言っている。消費に使われなかった資金(→貯蓄)が「民間の投資に使われる」と彼が考え
          ているのであれば、消費の減少を補う投資需要の増加によって、需要不足はなかったはずだ
         と彼は考えていることになる。

(2)需要不足がないなんてあり得ない
    しかし、需要不足がないということは、あり得ないように見える。そもそも、彼等の考えるとおりであるなら、とっくの昔にクラウディングアウトが生じ、金利が上昇して日本経済は今よりはるかに大変なことになっていたはずだ。
(また、繰り返しになるが、需要不足ではなく(彼等の言う)サプライサイドの原因で日本の長期停滞を説明する仮説がことごとく実証されなかったことは、拙著『重不況の経済学』第1章後段でも紹介した)。

    また、クラウディングアウトについては、日本だけでなく、今回の世界同時不況で、先進各国がこぞって大規模な財政出動が行っているが、そんなことはまったく発生していない(はずだ)。 その他どのような現象を考慮しても、需要不足が存在しないという理論は否定されていると考える。


2 政府の赤字問題は2つある
           ー需要不足対策としての財政赤字と財政規律としての財政赤字は異なるー
    通常、政府の赤字を批判する人たちは、政府が財政規律を失ったために赤字になっていると考えている。

    しかし、財政赤字の原因は3つある。
    第1は、政府が国民のニーズに応えたり、政府の役割を果たすことで生じる財政赤字であり、第2は、この「財政出動論」のシリーズで考えている『需要の不足』を政府が補うという意味での財政赤字であり、第3は無駄遣いや非効率で生じる財政赤字である。
    第3は、効率化に努めればよい。(ただし、民主党の事業仕分けで明らかになったように、その効果は限定的であるかもしれない。)そこで、ここでは、第1《長期的問題》と第2《短期的問題》を考えよう。この2つはよく認識されないまま混同されている。

(1)政府の役割と大きな政府・小さな政府《長期の問題》
   あらためて政府の役割を整理してみよう。「政府とは、そもそも市場だけでは供給が過少となってしまうサービスを供給するために置かれている」。
    供給が過少となる理由としては、例えば、サービスを受ける相手を特定できないために、対価を十分に徴収できないという場合がわかりやすいだろう。そうなれば、ニーズはあるのに、サービスは十分に行われなくなる。

    例えば、「生活道路」は高速道路とは異なって、道路の入り口が(家や店舗ごとに必要なために)無数にあるから、料金を徴収しようとしても徴収コストが高くなりすぎて実質的に徴収できない。つまり、市場的手法ではサービスを供給できないから、政府が個々人の受益とは無関係に税で徴収し、そのお金で生活道路というサービスを供給している。
    また、国土の防衛とか治安の維持の場合、費用を負担しない人がいるからといって、その人だけを除外して防衛とか治安維持はできない。結局、ただ乗りである。だから、政府が個々人の受益とは無関係に一律に税の負担を求め、それによってサービスを供給する。
   これらは公共経済学の問題であり、こうした「非排除性」や「非競合性」を持つサービスは、サービスの供給が過少になりやすいから、公共経済学では政府が提供すべきと考える。

   あるいは、日々の食事に困る人がいる場合に、これらの人たちは食事代を払えないから、民間ではサービスは採算に乗らない。しかし、こうならない人たちが安心して消費や労働が出来るように、セーフティネットとして必要であれば、こうしたサービスは市場ではなく政府が提供する必要がある。

    このように、民間では利用の対価を市場ベースでは徴収できないために、政府の役割として行うべきサービスがある。
    しかし、そうしたサービスがたくさん必要だと考える立場と、少しでよいと考える立場の2つがあり、どちらに傾くかは政治的に決められるのである。
   より多くのサービスを政府に要求する立場が、一般的な認識でいえば大きな政府論である。こうした主張が強くなれば、政府財政は赤字になりやすい。逆が小さな政府論である。
    大きな政府論は、一般的に放漫財政になりやすく、財政赤字になりやすい。これには、財政規律が必要だ。

(2)需要不足を補うための財政出動《短期の問題》
   しかし、これとは別に、『財政出動論5や6B』で述べたように、一国経済の需要と供給のバランスからみて、①民間消費、②民間設備投資、③住宅投資、④純輸出による需要の総和が一時的に供給を大きく下回り、回復の見込みがしばらく見込めない場合に、需要を補うという政府の役割がある。広い意味では、上記(1)で整理した『政府の役割』に含まれるが、『短期的な問題』であるということで、別に整理する必要がある。

    この「財政出動論」のシリーズで主張している『財政出動=財政赤字』論は、こうした需要不足対策としての『短期の』観点の主張であり、財政出動は一時的なものと考えるのである。この意味で、上記(1)のような恒常的に大きな政府を主張する立場とは異なる。(詳しくは拙著『重不況の経済学』290〜295ページ参照)

   ところが、財政赤字を問題視する人たち、財政再建論者たちは、長期的な政策である大きな政府論と、短期的な需要不足解消のための財政出動を混同して批判している。
   これも、日本人と日本にとって不幸な状況である。

注》長期と短期については、財政出動論5を参照