《北陸は雪です(2011.1.17)。財政出動の持続可能性問題(少なくとも累積債務が個人金融資産を超えると破綻という説はナンセンス)を「財政出動論7」に書きました(1/25)》
《主な修正》
《橋本財政改革後の財政赤字に関して、税制改正の影響の考察を末尾5に追加(3/20)》《中段に、グラフ2つで90年代末の金融危機の影響の検討を挿入(6/17)》《表の整理など字句の修正(8/31)》《家計消費の影響に関して項目「4」を追加挿入(10/21)、修正(10/24)》
《景気対策としての公共事業から減税や給付金等へのシフトが景気対策の効果を弱め、財政赤字を招来した点について、末尾に第「6」項を追加修正(10/26)》
《この4の概要》橋本財政改革が財政赤字の水準をかえって拡大したこと。また、それから逆に財政出動の影響の大きさを付言しています・・・・・
1 アメリカの1930年代大恐慌期中のルーズベルトによる財政再建路線への転換
財政出動論3の図4(下図、ここでは図1とする)を見ると、1930年からの落ち込みの底は1933年である。その底から1936年にかけて、ニューディール政策(あるいは金融緩和)の実施などの結果、GNPは一応回復の道筋をたどった。ところが、それを見たルーズベルトは、1937年には財政再建政策に転換し財政出動等を絞ってしまった。財政再建路線への転換である。しかし、それによって米経済は再度大不況となり、ルーズベルト政権は、再び財政出動路線への転換を余儀なくされることになった。
この流れからみると、財政出動と金融緩和(のセット)を継続すべき期間は、こうした大恐慌レベルの不況《注》に関する限り「3年では短すぎる」のではないだろうか。
注》拙著「重不況の経済学」では、こうした(流動性の罠が生じうるような)レベルの不況を『重不況』と定義し、日本の90年代冒頭のバブル崩壊後の長期停滞もこれに含めている。
図1
2 日本の平成大不況期の橋本財政改革による財政再建路線への転換の影響
これを日本の90年代の平成大不況で見てみよう。日本の90年代初頭のバブル崩壊後の回復過程で、1997年には、橋本政権下で(消費税増税などの)財政再建路線への転換が行われた。つまり、大恐慌期のルーズベルトと同様に、日本の平成大不況でも同じ財政再建路線への政策転換が行われたのである。
ただし、日本の 90年代冒頭のバブル崩壊では、米国の大恐慌(図1)のようにはGDPが落ち込まなかったために、恐慌の底が見えない。これは、当時の自民党政権による大規模な財政出動の効果でGDPの落ち込みがほとんどなかったためである。
そこで、次のグラフ(図2)で「財政赤字が最大となった年」を見ると1995年である。財政赤字は、短期的には、通常①税収の減少と、②景気対策のための財政出動によって生じるから、赤字額の大きさは「おおむね」不況の大きさに比例する。これから、アバウトに財政赤字最大年の1995年を底とみると、大不況の底から橋本財政再建路線への転換は2年目で行われたことになる。これは、明らかに過早な財政再建路線への政策転換だったと考えられる。
図2
注)なお、筆者の主張は必ずしも原田さんの主張とは一致していないかもしれません。図を引用(・加筆)しただけの関係です。
その結果、日本はあらためて大不況に突入し、1998年には、税収の落ち込みと、大規模な景気対策が必要になり、それまでの赤字水準を遙かに上回る巨額の財政赤字となった。
それだけでなく、それ以後、日本の財政は継続的に1990年代の水準を上回る巨額の赤字を続けざるを得なくなったのである(図2の赤点線に見るような赤字水準の変化)。
その後、小泉政権が成立してからも、2001年の「骨太の方針」などで赤字国債30兆円枠を目標に歳出の抑制に努めたはずが、橋本改革以前の水準を遙かに上回る財政赤字が続いたのである。…注)
注)その後、米国等の住宅バブルを背景とした「過剰消費」に向けて中国をはじめ東アジア各国の対米
輸出が急増し、これに応じて日本からの東アジア各国への輸出が増加して景気が回復した2005、2006
年にはじめて財政赤字の水準が改善されている。
橋本政権による財政再建政策によって、それ以後の政府の財政赤字「水準」は明らかに拡大したのである(まったく逆説的なことだが)。
また、2011年には、日本だけでなく、英国をはじめとするヨーロッパを中心に財政再建路線への転換が本格的にスタートしている。これは、まさに橋本改革を契機とした「日本型の長期不況」を世界に定着させる可能性が強いと考えている(います)。
・・・正直、今の管民主党政権の財政再建路線指向は心配です。
3 90年代末の金融危機の影響について 23.6.17追加修正
なお、この時期には、政策金利は低水準で変動はほとんどなかったし、為替レートは円安方向へ動いていて海外的要因も考えられない(実質GDP成長率への寄与度で見る限り、97〜2000年の間、外需(純輸出)の寄与はプラスを維持していた)。
注)成長率に対する外需等の寄与度は、下のページの「図1」参照
また、当時、ちょうど東アジア経済危機があった。しかし、同様のメキシコなど中南米危機やロシアなどの危機に際して、(それら新興国に融資していた欧米の金融機関を通じて)欧米各国経済が、日本ほどの大不況に見舞われてはいないことを見ると、東アジア危機の日本経済への影響は(少なくとも)小さかったはずだ。
次に、1997年後半以降に顕在化した国内金融危機の影響を見てみよう。この時期、BIS規制の一環として保有有価証券などの相場変動リスクの組み入れが1998年3月末から適用になったことなども背景に金融機関が不良債権の処理に追われ、金融機関側の貸し渋りが発生したと言われている。実際、この時期には、短期間ではあるが、日銀短観の貸出態度DIが急低下している(99年には回復)。実際に、そうした影響を受けた企業は中小企業を中心に少なくなかったかもしれない。
しかし、日本経済全体として現実の企業の銀行借入の状況を見ると、貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(2005)の次のグラフのように、この時期に企業の銀行借入が急減したという事実はまったく見られない。にもかかわらず企業の設備投資は急減している。つまり、この時期の設備投資の急減の原因が、金融危機に伴う銀行の貸し渋りにあったようには見えない。
注)この時期だけでなく「バブル崩壊後は」全般に、銀行借入の伸び率と設備投資の伸び率の間には
相関がほとんどない。素直に読めば、むしろ、銀行借入の伸びは設備投資の伸びに遅行しているよ
うに見える。
しかも、次の部門別資金過不足のグラフを見ると、非金融法人企業(=一般企業のこと)は、97年までの「資金不足」(これが正常)状態から一転して、98年には「資金余剰」に(劇的に)転換している。この転換のタイミングは、上のグラフの設備投資急減の時期とぴたり一致している。企業は、潤沢な資金を持ちながら、設備投資を抑制したのである。その結果として、一般企業部門は資金余剰に転換したわけである。
このことから、この時期の設備投資減少の原因は、資金上の問題(したがって概ね「金融危機問題」)でないことは明らかであるようにに見える。
出所:2009年版経済財政白書
以上のような各点を踏まえると、1998年の急激な大不況の原因が財政政策の財政再建路線への急速な転換(つまり「財政出動の急激な抑制」)にあったことは明らかに思える。………これも逆説的にだが、財政出動の重要性をある程度証明したことになる。
4 橋本財政改革時の消費税の影響に関するCashin and Unayama(2010)論文等の評価について
・・・・・・・・・・ 23.10.21追加挿入、23.10.24修正
平成23年10月18日付け日本経済新聞「経済教室」の宇南山先生の論説は、1997年4月の消費税引き上げの影響が軽微だったというCashin and Unayama(2010)論文を元に今後の消費税等増税の経済への影響を低く見積もるものとなっている。また、この論文は内閣府レポートの立論でも重要な役割を果たしている。以下では、これを踏まえて、増税が経済に与える影響が小さいかどうかという観点から改めて検討してみよう。
注)以下では、「Cashin and Unayama(2010)」と「内閣府レポート」は次を指すものとします。
Cashin and Unayama(2010)・・・Cashin,D. and Unayama,T.(2010)"The Intertemporal Substitution and Income Effects of a VAT Rate Increase: Evidence from Japan" RIETI Discussion Paper Series 11-E-045 (April 2011)
内閣府レポート・・・内閣府(20111)『社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書』(平成23年5月30日)
(1)増税の家計消費への影響は増税の影響のすべてではない
Cashin and Unayama(2010)論文では、家計調査を元に1世帯当たりの家計消費への影響を算定し、それに全国の世帯数を乗じて、影響が極めて小さいという結論を導いている。しかし、増税の影響の経路が他にもいくつもあるなら、この家計消費のルートが小さいことを証明しても、増税の影響が小さいことを証明したことにはならない。
まず、ここでの立場を明らかにすると、私は「増税した額」と同額を同時に政府が支出するなら、マクロでは影響はないと考えている。増税そのものに問題があるのではなく、増税の一方で、その全額を政府が使わないときに経済にマイナスの影響があると考える。もっとも、ミクロには増税の対象となる税目などによって経済には別途影響があるが、ここではマクロ的な影響だけを考える。
さて、経済には、経済全体としてみると、生産額、分配額、支出額の三面が等しいという三面等価の原則がある。つまり、生産額 = 分配額=支出額だ。このうち支出をみると、
支出 = 消費+貯蓄=消費+投資+政府(政府支出ー税)+純輸出(輸出ー輸入)
が成り立っている。ここで、左辺の「支出」(総額)は「生産」(総額)と一致するから、右辺の各項目は、生産側から見た需要でもある。
右辺の消費、投資、政府、純輸出の変動は、それぞれ総需要への影響の観点からみれば、等価である(もっとも、ミクロでみれば、影響は異なる)。政府支出の変動は、総需要に消費の変動と同様の影響を与える。政府の資金吸収が超過すれば、総需要も減少する。
ここで、仮に純輸出に変動がないなら、政府支出の増加が小さい一方で税の増加が大きいときには(これは97年当時にほぼ適合する)、当然ながら政府セクターの需要が縮小することになる。(中央政府だけだが)96年度比で政府歳出の増加0.8兆円弱に対して、内閣府レポートでは家計負担(≒実質的な税)の増加は8.6兆円なので、政府セクターの需要の縮小への寄与分は、7.8兆円(=0.8―8.6)ということになる。また、さらに、国民経済計算ベースで見ると、97年度は96年度比で政府最終消費は0.6兆円の増加となったものの、公的固定資本形成は2.5兆円の減少であり、差引で1.9兆円の減少である。合計すると9.7兆円ということになる。
なお、97年分の消費税の企業から国への納付の時期は98年春である。
なお、97年分の消費税の企業から国への納付の時期は98年春である。
◎ このとき、三面等価が成り立つには、(上式では省略している)在庫投資の増加が必要ということになる。ここで在庫投資の増加=売れ残り=需要の減少である。
つまり、政府による資金の吸収超過の程度、純支出の減にしたがって需要全体が減少するわけである。それはさらに投資などの判断に影響を与え、翌期に設備投資の減少などとして現れることになる。
このように、増税や負担の増加あるいは政府歳出の抑制といった影響が具体化するには、半年程度の変動をみるだけでは不十分である。金融危機等が生じた97年末以降の経済の悪化の原因を金融危機や東アジア経済危機のみに求め、実質的に消費税増税を含む国民負担の増加や公共事業の縮小などの影響から除外するのはおかしい。
実際、97年度当時、企業は、政府セクターによる資金の吸収超過や公共投資の削減で右辺全体(総需要)が(10兆円弱)縮小することを予測し、それまで予想していた成長経路に基づく生産量や設備投資の調整を行うことになったと考えられる。
95、96年当時の経済界は、この不況が今日我々が見てきたような長期の停滞につながるという予想はしていなかったと考えられる。たしかに91年あたりから94年までの(当時のそれまでの経験からは)異常に長い不況が続いたが、95年に入ってようやく景気が回復し、以前の高い成長に戻るという強い期待があったのである。それが一挙に崩れたと考えられる。高い成長を前提に計画された設備投資が縮小するのは当然だったろう。
95、96年当時の経済界は、この不況が今日我々が見てきたような長期の停滞につながるという予想はしていなかったと考えられる。たしかに91年あたりから94年までの(当時のそれまでの経験からは)異常に長い不況が続いたが、95年に入ってようやく景気が回復し、以前の高い成長に戻るという強い期待があったのである。それが一挙に崩れたと考えられる。高い成長を前提に計画された設備投資が縮小するのは当然だったろう。
以上のようなマクロ的なプロセスで生じる影響は、Cashin and Unayama(2010)論文のようなミクロ的観点では捉えきれない経路で増税が経済に影響を与える部分があるという重要な例である。
◎ 例えば、Cashin and Unayama(2010)や内閣府のレポートでは、政府支出減少(1.9兆円)からの経路の影響はまったく考慮の外である。また、Cashin and Unayama(2010)論文は、家計の最終消費支出のみを扱っており、民間住宅投資の変動を考慮していない。たしかに96年度には駆け込み需要があったと考えられるが、97年度は実質で▲18.9%、98年度は▲10.6%と駆け込み需要の増加を大きく上回る率で住宅投資が縮小している。簡単に言えば、増税の影響を見るという視点では、視野がせまいということになる。
なお、景気拡張期では、消費と投資が増加し続けているので(資金は銀行の信用創造がカバーする)右辺の落ち込みはある程度消費や投資の増加でカバーされる(純輸出が増えても良い)。このため、増税の影響は小さい。
また、89年の消費税導入時は景気拡張期だったし、増税分を上回る政府歳出の増があった(決算ベースで3.3兆円の消費税増に対して、物品税の減税が2兆円余あり、歳出は4.5兆円の増加だった。したがって政府セクターだけで3兆円以上の需要増があった)。
補)世界同時不況という大きい例での話ではあるが、ロバート・ルーカスですら、「景気後退期に世間 にお金を流し込み、支出が落ち込み過ぎるのを防ぐのは不適切なことではなく、我々はまさにそれを実施したのです。」《注》とオバマ政権の大規模な財政出動を擁護している。これは明らかに財政出動と需要の関係を意識したものだろう。
注)(2003.9.24付けウォールストリート・ジャーナルのインタビュー記事)
訳は、次の「himaginaryの日記」2011年9月27日からです。
なお、ウォールストリート・ジャーナルの記事の原文は次のところにあります。
(2)その他
① Cashin and Unayama(2010)論文では、内閣府レポートにふれられている「携帯電話の普及」によるサービス消費の(恒久的)押し上げが控除されていないようにみえる。
② 内閣府レポートでは、2000年代の増税や海外の例が挙げられているが、景気後退期と景気上昇期の区別がされていない。これは、上記(1)で論じた点にも係わるが、増税の影響はかなり違うと考える。
5 1997〜1998の税収落ち込みの原因について 23.3.23追加修正
この時期の税収の落ち込みの原因として、「税制改正の影響」を見てみよう。
このために、政府の当初予算の税収見積もり(租税及び印紙税収入)と決算額(同)を比較してみる(下の表1参照)。それは、これが、橋本財政改革による消費税増税その他の税制改革やその他の国民負担変化の影響、公共事業の圧縮などの影響の政府の見積もりと、その改革が実際に経済に与えた影響の大きさの差を反映していると考えられるからだ。
ただし、当初予算の成立後も、政府の「見積もり」の修正は前年度の税収やその後の税収実績、経済動向をみながら年度中も随時行われ、その額は歳入の補正予算の形で随時修正されていくことになる。これを後で振り返ると、『歳入予算』は、その数回にわたる補正を累計した最終補正後の『予算』になっている。だから、この最終「予算」の数字と決算の数字を比較しても意味はない。あくまでも「当初予算」の税収見積もりと「決算」の税収を比較することで、はじめて、税制改正の影響の(当初の)予測値と実績値が比較できることになる。・・・注)
表1
24.5.29修正
以下23.4.2暫定修正後。
このうち平成11年度の税制改正は、『総合経済対策』の一環として行われたようだ。また、平成10年度には、当初予算後に、景気の落ち込みをみて『緊急経済対策』として4兆円程度の追加減税が行われたようだ。その結果としての▲9.1兆円だったということになる。
しかし、これらの減税の大半が、橋本財政改革後の景気の落ち込み対策として行われたのであれば、橋本財政改革の負の影響は、不況による税収の減少に加えて、これらの不況の景気対策としての減税による税収の減少を加えて考えるべきことになる。
注》予算関係の統計では、「予算」は、年度末の最終補正後の予算が計上されていること
が多い。予算補正は、その年度内の税収の動向を踏まえて順次行われるので、当初予算
の見積もりとは大きく乖離することが少なくない。このため、当初予算の見積もりは、
例えば、各年度当初予算に係わる「税制改正の要綱 租税及び収入予算の説明」などを
見る必要がある。これは次のページから(23.6.18リンク修正)
また、決算は、次から(23.6.18リンク修正)
なお、ここには「予算」の表もあるが、これは毎年度末に行われる「最終補正後の予
算」のため、ここでの比較には使えない。
6 景気対策としての公共投資の縮減と減税が日本の長期停滞と財政悪化に与えた影響
まだ、書き散らし状態、とりあえず、暫定的に追加・・・23.10.26
公共事業には、少し汚れたイメージもあるが、それを除いて、純経済的な効果という点だけをみれば、明らかに公共事業は景気対策として有効性が高いように思える。
(1)減税、給付金などソフトな景気対策
同じ景気対策として「減税」がある。しかし、これを景気対策としての効果という観点で見ると、減税で増えた可処分所得を国民や企業が消費や設備投資にどの程度使うかで景気対策としての効果が決まる。たとえば、仮に減税があったとしても、景気が停滞を続け市場が成長する見通しがなく、売上増加の見通しがないのに設備投資する企業経営者は失格である。また、景気停滞下で雇用不安のために将来の収入に不安があるときには、家計が消費を抑え貯蓄を増やすのは当然のことである。景気がよければ企業がそれを借りて設備投資を増やすが、すでに述べたように景気停滞下ではそうはならない。
減税では、お金は増えるが、それによって、企業の設備の稼働率が直ちに上昇するわけではない。稼働率が上がって忙しくなったわけではないから従業員の雇用不安が低下するわけもない。可処分所得が多少増えても、将来の見通しは不確定で不安なままである。だから、減税による可処分所得の増加分のかなりは消費を抑えることで貯蓄に回され、景気回復の効果は小さいと考えられる。
このように、景気対策として減税を行う場合、まさに景気が悪いほど、減税が消費を拡大したり、設備投資の拡大に貢献する程度は小さくなる。減税されて増えた可処分所得の半分とか3分の2が預金されて金融機関に集まるが、その多くは設備投資のために企業が借りてくれないまま金融機関に滞留し、貨幣の流通速度も低下する。もちろん、減税はやらないよりははるかにましである。しかし、効果は低い。
(2)政府の直接消費や公共事業による景気対策
これに対して、政府の「直接消費」や「公共事業」では、政府が企業に支払ったお金のほとんど100%が、従業員の給与、仕入れや原材料の代価として他の企業に支払われる。受け取った企業も、それをさらに自社の従業員給与や仕入れなどの費用として支払うという循環が生じる。つまり、政府支出の全額が、そのまま経済の中に分解され循環していく。
しかも、政府からの受注で各企業では生産設備等の稼働率が上昇し、従業員も具体的に仕事があることを実感する。そうした実感が、企業に設備投資を促し、家計の雇用不安を払拭し、消費を拡大させる。
このように政府の直接消費や公共事業(ハードな施策)と、減税や給付金のような可処分所得を直接増やすようなソフトな政策には、景気対策の効果に大きな差がある。
(3)90年代後半以降の「ハードからソフトへ」政策
ところが、1990年代後半以降、公共事業の見直しの機運の高まりが生じたのである。すなわち「コンクリートから人へ」「ハードからソフトへ」という変化である。
公共事業悪玉論や談合、癒着その他公共事業のマイナスの側面が大きな注目を浴び、さらに日本の公共事業費が先進国では突出して高いことなども公共事業の縮減の流れを後押しした。また、加えて、バブル崩壊後の財政出動に効果がないように見えたこともあって、日本では公共事業を絞る流れが大きく台頭してきた(・・・効果がなかった理由は、「バランスシート不況」などの影響が大きかった点にあると私は思っています)。
こうした変化の中で、政府は公共事業を縮減する方向に進み、そのかわりの景気対策としては、「減税」や「給付金」のような事業のウエイトを増やしてきた(また金融政策への依存が進んだ)。
次のグラフは、etsuyoshiさんが作成されたグラフで、「赤字国債」の推移を表している。
これを見ると、バブル崩壊後の1991〜93年度は赤字国債の発行がゼロになっている。一方で、この時期はバブル崩壊対策として大規模な財政出動が行われた時期に当たる。つまり、この時期の財政出動の内容は、公共事業であり、その資金は償還年限の長い(60年)「建設国債」でまかなわれたことがわかる。このために、赤字国債の発行は必要なかったのである。このときの景気対策は専ら公共事業だったわけである。
なお、公共事業は、一旦建設されるとそれを数十年にわたって使い続けることができることから、その建設費は、建設された道路などの公共施設が使われている期間で均等に分担することが適当である。ということで、「建設国債」の償還起源は60年とされている。・・・もっとも、今日では、建設国債と赤字国債の差はほとんどなくなっている。しかし、対象には差があるし、償還年限の長さには合理的な根拠がある。
(4)公共事業のかわりに減税政策が景気対策として行われたことが財政赤字拡大の原因
ところが、橋本デフレの対策としてとられた景気対策は、上記(3)のような公共事業縮減の考え方の下に、大規模な減税のウエイトが高くなったと考えられる。ところが、(1)でみたように、大規模な減税を行っても、景気対策の効果は小さく景気の回復が不十分である。その一方で、減税による(さらに、減税の景気対策としての効果が弱かったことで景気回復が不十分となり、税収が増えなかった)税収の減少によって、その後の財政赤字を拡大させてしまったように思える。そして、それは赤字国債の発行の激増を招いたように思う。
今からみればこれは不可避だったようにも思えるのですが・・・。