2011年1月31日月曜日

財政出動論8 財政赤字問題における長期と短期的観点

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 財政赤字を批判する視点として、政府の「無駄遣い論」が根強い。だが、大不況期には、こうした視点は木を見て森を見ない議論だ。
    国民のニーズや放漫財政によって財政規律が失われているという問題と、大(重)不況期の財政出動の意義は明確に分離して考えなければならない。


1 長期と短期……長期の視点で短期の財政出動を評価する愚
(1)需要不足がないと考える立場(長期派)について
   財政出動論は需要不足があると考える場合である。これに対して「需要不足はない」と考える有力な経済学派がある。「実物的景気循環理論」(RBC理論)を原理的に信じる学派で、新古典派経済学の中の「新しい古典派」の中核をなす派であり、小泉政権下で行われた「構造改革」の基礎をなした。

    この立場では、「需要不足はない」のだから、「使われずに余っている資金もない」。とすると、たしかに、そこで政府が国債を発行すれば、クラウディングアウトが生じて、金利が高騰する。
   仮に国債発行で資金調達しても、それは本来は民間で有効に使われるべき資金だったのだから、国債を発行しての財政出動には全く効果もないことになる(国債を発行しなかったら、民間が設備投資で使ったはずだからだ)。

    (拙著『重不況の経済学』101ページから)
実例をあげれば、ユージン・ファーマ1939ー。シカゴ大学教授。効率的市場仮説の提唱者)は、景気対策の資金が「国債発行を増やすことで調達されている。…政府債務が増えれば民間の投資に使われたはずの貯蓄が吸収される。結局のところ、遊休の資源がある状況でも、救済策と景気刺激で使われる資源が増加することはない。」と述べている。
"Fama/Frenh Forum"2009113日付けエッセイ("Bailouts and Stimulus Plans")。訳はスキデルスキー/山岡洋一訳[2010]『なにがケインズを復活させたのか?』8291ページを使用。

    これは、ファーマが「需要不足が存在しない」という前提で問題を考えているからだ。彼が考えるように、需要不足がないなら、需要不足対策を行う意味はないし、需要不足に対応して使われなかった余剰資金も存在しないから、間違いなく、国債発行はクラウディングアウトを引き起こす。行うべきは《長期の》構造改革ということになる。…(しかし、次項で述べるように、日本では、これほど巨額の国債発行を続けてきたにもかかわらず、ファーマが言うようなことは全く生じていない。)
    注》ファーマは「遊休の資源がある状況でも」と言っているから、需要不足がないとは言って
          いないように見えるかもしれない。ところが彼は「民間の投資に使われたはずの貯蓄が」と
          言っている。消費に使われなかった資金(→貯蓄)が「民間の投資に使われる」と彼が考え
          ているのであれば、消費の減少を補う資需要の増加によって、需要不足はなかったはずだ
         と彼は考えていることになる

(2)需要不足がないなんてあり得ない
    しかし需要不足がないということは、あり得ないように見える。そもそも、彼等の考えるとおりであるなら、とっくの昔にクラウディングアウトが生じ、金利が上昇して日本経済は今よりはるかに大変なことになっていたはずだ。
(また、繰り返しになるが、需要不足ではなく(彼等の言う)サプライサイドの原因で日本の長期停滞を説明する仮説がことごとく実証されなかったことは、拙著『重不況の経済学』第1章後段でも紹介した)。

    また、クラウディングアウトについては、日本だけでなく、今回の世界同時不況で、先進各国がこぞって大規模な財政出動が行っているが、そんなことはまったく発生していない(はずだ)。 その他どのような現象を考慮しても、需要不足が存在しないという理論は否定されていると考える。


2 政府の赤字問題は2つある
           ー需要不足対策としての財政赤字と財政規律としての財政赤字は異なるー
    通常、政府の赤字を批判する人たちは、政府が財政規律を失ったために赤字になっていると考えている。

    しかし、財政赤字の原因は3つある
    第1は、政府が国民のニーズに応えたり、政府の役割を果たすことで生じる財政赤字であり、第2は、この「財政出動論」のシリーズで考えている『需要の不足』を政府が補うという意味での財政赤字であり、第3は無駄遣いや非効率で生じる財政赤字である。
    第3は、効率化に努めればよい。(ただし、民主党の事業仕分けで明らかになったように、その効果は限定的であるかもしれない。)そこで、ここでは、第1《長期的問題》と第2《短期的問題》を考えよう。この2つはよく認識されないまま混同されている

(1)政府の役割と大きな政府・小さな政府《長期の問題》
   あらためて政府の役割を整理してみよう。「政府とは、そもそも市場だけでは供給が過少となってしまうサービスを供給するために置かれている」。
    供給が過少となる理由としては、例えば、サービスを受ける相手を特定できないために、対価を十分に徴収できないという場合がわかりやすいだろう。そうなれば、ニーズはあるのに、サービスは十分に行われなくなる。

    例えば、「生活道路」は高速道路とは異なって、道路の入り口が(家や店舗ごとに必要なために)無数にあるから、料金を徴収しようとしても徴収コストが高くなりすぎて実質的に徴収できない。つまり、市場的手法ではサービスを供給できないから、政府が個々人の受益とは無関係に税で徴収し、そのお金で生活道路というサービスを供給している。
    また、国土の防衛とか治安の維持の場合、費用を負担しない人がいるからといって、その人だけを除外して防衛とか治安維持はできない。結局、ただ乗りである。だから、政府が個々人の受益とは無関係に一律に税の負担を求め、それによってサービスを供給する。
   これらは公共経済学の問題であり、こうした「非排除性」や「非競合性」を持つサービスは、サービスの供給が過少になりやすいから、公共経済学では政府が提供すべきと考える。

   あるいは、日々の食事に困る人がいる場合に、これらの人たちは食事代を払えないから、民間ではサービスは採算に乗らない。しかし、こうならない人たちが安心して消費や労働が出来るように、セーフティネットとして必要であれば、こうしたサービスは市場ではなく政府が提供する必要がある。

    このように、民間では利用の対価を市場ベースでは徴収できないために政府の役割として行うべきサービスがある。
    しかし、そうしたサービスがたくさん必要だと考える立場と、少しでよいと考える立場の2つがあり、どちらに傾くかは政治的に決められるのである。
   より多くのサービスを政府に要求する立場が、一般的な認識でいえば大きな政府論である。こうした主張が強くなれば、政府財政は赤字になりやすい。逆が小さな政府論である。
    大きな政府論は、一般的に放漫財政になりやすく、財政赤字になりやすい。これには、財政規律が必要だ。

(2)需要不足を補うための財政出動《短期の問題》
   しかし、これとは別に、『財政出動論56B』で述べたように、一国経済の需要と供給のバランスからみて①民間消費、②民間設備投資、③住宅投資、④純輸出による需要の総和が一時的に供給を大きく下回り、回復の見込みがしばらく見込めない場合に、需要を補うという政府の役割がある。広い意味では、上記(1)で整理した『政府の役割』に含まれるが、『短期的な問題』であるということで、別に整理する必要がある。

    この「財政出動論」のシリーズで主張している『財政出動=財政赤字』論は、こうした需要不足対策としての『短期の』観点の主張であり、財政出動は一時的なものと考えるのである。この意味で、上記(1)のような恒常的に大きな政府を主張する立場とは異なる(詳しくは拙著『重不況の経済学』290〜295ページ参照)

   ところが、財政赤字を問題視する人たち、財政再建論者たちは長期的な政策である大きな政府論と、短期的な需要不足解消のための財政出動混同して批判している。
   これも、日本人と日本にとって不幸な状況である。

注》長期と短期については、財政出動論5を参照

2011年1月29日土曜日

財政出動論7 財政赤字・政府累積債務の持続可能性

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改訂経過26.6.19 後段の、国債消化資金として家計以外に企業部門の資金余剰を考慮すべきという問題に関連して、企業が設備投資を拡大した場合の国債消化問題について「」を追加。24.1.5 末尾に、金利上昇の際の利払増加問題について補足。24.3.2下段の部門別資金過不足グラフの説明に補足追加
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。

《概要》 政府の累積債務が、国内の個人金融資産額を超えない間は国債は消化できるが、それ以上では財政破綻するという説がナンセンスであることについて書いています。

1 導入
    1990年代冒頭のバブル崩壊以来、日本では巨額の財政赤字が長期に続き、リーマンショックを契機とした世界同時不況後はさらに財政赤字は大きくなっている。
    この結果、日本政府の累積債務残高も巨額に達している。これは、ギリシャ危機によって、あらためて注目された。

    また、世界同時不況対策として先進各国が大規模な財政出動を行った結果、各国の累積債務も(日本ほどではないが)巨額に上っている。この結果、2011年初頭現在、アイルランド、英国を始め、ヨーロッパ各国は財政の大規模な削減に向けて動き出している。

    米国においても、米国を含め世界の財政出動を主導したオバマ政権のローレンス・サマーズ(国家経済会議(NEC)委員長)やクリスティーナ・ローマー(大統領経済諮問委員会委員長)が相次いで退任するなど、財政出動の削減を求める動きが強まっている。

    (財政出動論5で述べた)「短期」の観点から見れば、こうした財政再建への転換は、橋本政権期の財政再建政策への転換財政出動論4参照)や、大恐慌期のルーズベルト政権による1936-37年の財政再建政策への転換のように新たな大不況をもたらし、その影響《それ以後の日本の長期停滞に道を開いたように》が恒常化する可能性が高い。

   また、こうした財政出動削減の影響は、金融緩和を続けている先進国からの大規模な投機資金流入によってすでにバブル化している開発途上国のバブル崩壊の時期と極めて近接して生じる可能性が強く、それは世界経済にリーマンショック以上の打撃を与える可能性が高い。

    そこで、問題となるのが、財政再建路線への転換論の背景にある、日本をはじめとする各国の巨大累積債務の持続可能性である。この問題については、拙著『重不況の経済学』の第3章の議論(一応の理論)を受けて第6章で整理しており、きちんと書くと1回では書ききれない。このため、ここでは、とりあえず問題を限定して、「政府累積債務が、個人金融資産額を超えるあたりで国債発行が困難になる」という議論について考えることにしよう。

2 政府の累積債務と個人金融資産の関係
   「 財政出動で政府累積債務が増加すると財政破綻に至る」という議論の中で、国内の個人金融資産額までは国債は消化できるがそれ以上になると破綻するという議論について、以下で考えてみよう。

(1)国内の個人金融資産額までは国債は消化できるがそれ以上では財政破綻という説
    日本の国債発行がこれまで円滑に行われてきたのは、日本の個人金融資産が巨額に上っており、それを使って国債が購入されているからだとする理解が根強い。

    例えば、相沢幸悦・中沢浩志『2012年、世界恐慌 ーソブリン・リスクの先を読む』では、「2010年2月の政府発表では、家計の純資産額は1063兆円で政府債務残高863兆円との差額はわずか200兆円まで接近している。このことは、単純な見方をすれば、あと200兆円しか国債を新規に発行できないということを意味している。』(118ページ)とある。
    このほかに大学の先生の書いた本でも同様の記述がある。例えば一橋大の小黒一正『2020年、日本が破滅する日』(2010)も、家計貯蓄と一般政府債務を比較している(P.25の図表4)。

    これ以上の主張もあるし(トンデモ本?)、もう少しマイルドな主張もある。

    例えば、榊原英資『フレンチ・パラドックス』では、次のように説明されている。
    「日本の家計の貯蓄残高、つまり、金融資産は、およそ1400兆円から1500兆円の間といわれています。一方で、国債の残高は、短期の借入金まで入れても860兆円から870兆円です。・・・ですから、バランスシート上はまだ500兆円ほどの債権超過なのです。・・・・これまで国債が市場で消化されているということは、市中に国債を買い求める需要があるということです。・・・現在の日本経済の問題は民間の需要が足りないということです。民需が弱いときは財政で補うのです。そして民需が弱いときは、国債は売れるのです。」
    これは、結論の『民需が弱いときは、国債は売れる』は妥当だが、それに至る説明は、誤解を招くように思える。

(2)国債消化資金としてはストックである個人金融資産が使われるわけではない
    特に『2012年、世界恐慌』の議論が、常識的におかしいことは明らかだろう。

    同書の言う、家計の純資産1063兆円は、すでに銀行に預けられたり、株式や不動産に投資されたりしている。預かった銀行も、それを運用するために企業の設備投資に融資したり国債や社債を買っている
    仮に、国の新発国債を買うために、こうした家計の金融資産を使うとしたら、銀行はどこかの企業への融資を引き上げたり社債を売却する必要があるし、株式市場や不動産市場からも資金が引き揚げられることになる。これこそクラウディングアウトである。

    特に、昨年度や今年度予算では、一般会計の赤字額は数十兆円に達している。こうしたGDPの1割にも達する巨額の資金が資産市場から引き揚げられたら、あちこちの市場で暴落が生じているはずだ。しかし、そんな気配はない。つまり、これらは国債消化の原資ではないのである。

    そもそも、こうした資金は、すでに使われ様々な資産市場に配分されているのである。だから、新発国債を買う資金は、こうした資金が使われるのではないことは明らかだ

(3)国債消化資金は、不況下では実体経済の活動のフローの中で毎年発生する
    では、どのようなお金が国債の消化に使われるのだろうか。日本は恒常的に財政赤字で毎年巨額の国債を発行しているのだから、その資金は、毎年発生しているのでなければならない。つまり、毎年のフローで考えなければならない。

   簡単に言えば、 それは、「実体経済の需要不足額に相当する資金」なのである。実体経済で需要不足があれば、それに対応する額の資金は(需要の対価としては)使われなかったのだから、そのお金は貯蓄などとして毎年新たに金融資産のストックに積み上げられることになるのである。

    アバウトに、それは毎年のGDPギャップ分である(定義からして厳密には違うが、アバウトにその程度と考えればよい)。

(4)補足:不況下では、毎年需要不足分に相当する「金融資産」が増加する
    これを理解するために、実体経済で資金がどのように循環しているかを見てみよう。
    簡単に考えるために、企業は1社、家計は1つの経済で、政府はないものとしよう。まず企業が100万円の生産物を生産するとしよう。企業は、その生産のために、家計に労働の対価として賃金を支払い、生産のための資金を借りている場合は家計に利子を払い、企業の株主である家計に配当金を支払う。

注》なお、企業が複数の場合に考える問題になるが、その場合には
    企業は他の企業から原材料や中間製品を仕入れることができる。
    この仕入れで他企業に支払われたお金は、自社の従業員や株主な
    どには支払われない。しかし、中間製品を売った側の企業は代価
    を受け取り、その代価の全額を、結局、従業員や株主などにコス
    トとして支払うことになる。
        結局、1つの経済の中のすべての企業を合算して考えると、す
    べての企業は、その従業員や株主などに、その経済で生産された
    生産物の価値に相当する額(=付加価値額)のコストを支払って
    いるのである。・・・企業が1社の場合と同様である。

    つまり、企業は100万円の価値のある生産物を生産するのに、そのコストとして家計に対して100万円を支払う(実は、企業の「内部留保」があるが、ここでは簡単化のために省略している)。家計は、企業が生産した生産物が大好きだし、必要なので、受け取った100万円を使って企業が生産した100万円の生産物を購入する。すると、企業は100万円の収入を得て、丸く納まる。

    これをみると、「供給によって需要が規定されている」ことがわかるだろう。これが、セイ法則である。現実に合わせて、以上の単純なモデルに政府を加えたり、設備投資を加えたり、貿易を加えたりしても、複雑にはなるが、基本的には変わらず成立する。

    では、このモデルに設備投資を加えてみよう。家計は、企業が生産した生産物の全部を買わずに一部を貯蓄する。するとその分、生産物は売れ残る。しかし、企業には、そもそも生産設備が必要であり、巨額の資金がいる。そこで、企業は、家計の貯蓄を金融機関から借りて設備投資を行う。その設備は、企業が生産し供給する生産物で構成されている。設備投資でも他の企業が生産した財が購入される。これは、売る側の企業にとっては家計が消費財を買うのと同じである。最初の単純なモデルに比べて、生産物が消費財と生産財に分かれただけで、資金の回転は変わらない。つまり、セイ法則が成り立つ。

   そこで本題に戻ろう。家計が貯蓄したお金があれば、企業は必ずその全額を金融機関から借りて設備投資を行うならよい。しかし、例えば需要の見通しに不安があると、企業は貯蓄の全額は借りないことがある。そうなると、残ったお金は、銀行の金庫に残るか、実体経済の生産物の需要にはならない『資産投資』に使われることになる。それが、まさに、実体経済とは分離した「金融資産の増加」になるのである(増加にならない分もあるが、それは貨幣の流通速度の低下として現れる)。

    そして、その分の資金は、「実体経済の生産物」の需要(土地などの資産は実体経済の生産物ではないことに注意)にはならないから、実体経済では需要不足が生じる。逆に言えば、「需要不足が生じているところでは、常に新たな金融資産の増加、積み増しが生じている」。それを政府が国債発行で借り入れて、需要を補うのが政府の役割だと考える。

    このように景気後退期などの需要不足下では、資金が「余剰」状態になっていることを貨幣流通速度に着目して整理したのが、「財政出動論22 貨幣流通速度と不況期資金余剰」である。その余剰資金が債券市場(国債市場を含む)に流入しているのである。

   政府が景気対策のための財政出動が必要だと考えるような状況では、(少なくとも需要不足が生じている限り)需要不足に相当する金融資産が新たに発生しているのだから、財政出動の資金が枯渇することはあり得ないのである。

注》なお、実は標準的な経済学の理論では、このようには考えない。
     企業はどん欲な存在で、資金が手に入りさえすれば、収益を最大化
     するために(収益最大化原理)、それを使って必ず設備投資を最大限
     に行うと考えるからだ。だから、仮に設備投資が不足しているなら、
     それは金融機関・金融システムという資金の供給側に問題がある
     える。しかし、そうではない。実体経済側(企業)には設備投資を
     ない独自の理由がある

        そもそも、企業は常に収益最大化だけを目標としているわけでは
     ない。仮に過剰な投資を行い生産設備が過剰となれば、企業は借入
     金の返済に窮し倒産の危機に直面する。過剰な投資のリスクは過小
     な投資のリスクに比べて断然大きく、破壊的である。過少な投資と
     過剰な投資のリスクは非対称なのだ。環境次第で、企業は、収益最
     大化よりもリスク最小化を重視する場合がある。具体的には、今回
     のような重不況下である。

         金融を重視する立場では、金融機関が信用創造をすれば資金はい
     くらでも供給できるから、ここで述べているような資金循環の議論
      は、理念的なものであって現実には合わないと考えがちだ。しかし、
      いくら金融機関が信用創造しても、実体経済側で資金需要がなけれ
      、金融側の信用創造などの機能に意味はない。金融機関の信用創
      造に意味があるのは、景気が過熱気味のときだけ、中央銀行が引き
      締め政策をとっているときだけだ。

          実体経済の企業に資金需要がなかった例を一つあげよう。次の図
      は貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(東洋経済新報社、2005)
       p.58からの引用である。これをみると製造業の大企業では、1980
       年代を通じて、売上高に占める銀行借入の比率が低下している。
           一方で、製造業の中小企業、中堅企業は極めて安定している。
       銀行の行動としては、安定したリスクの小さい大企業に貸付を行う
       のが当然だから、銀行が貸出先を選別したとしたら、中小企業を削
       減して大企業に貸出先が集中したはずだ。ところが、逆だから、こ
       れが銀行自身の選択の結果生じた現象ではないことは明らかだ。
            つまり、製造業の大企業は、バブルの形成に至るこの時期に、
        自らの判断で継続的に銀行からの借り入れを削減したのである。
            その結果、銀行は、貸出先の確保に窮し、その結果不動産関連
        投資にのめり込み、それがバブル形成の一因をなしたと考えられ
        る。


(元に戻ると)
    つまり、不況で需要不足の経済であれば需要として使われなかった分だけの金額が毎年「金融資産として」増加するのである。そして、その資金は、運用先を常に探しているから、その資金によって新発国債がファイナンスされるだけである。

   だから、これまで長年、政府の累積債務が増えて国債発行が増え過ぎて国債が売れなくなってしまい「政府が破綻する」とか未曾有の「高金利」時代が来るといったまことしやかな予言が繰り返し行われてきたが、それが一向に実現しなかったのも当然である。

    こうした議論は、経済についての初歩的な知識を欠いているために生じる誤解である。マスコミ、政府や財務省内の一部の財政再建至上派もこれに連なっている。

(5)金融資産の増加状況
    下のグラフ(拙著『重不況の経済学』189ページから)のように、GDP成長率以上に金融資産が増えているが、それは、アバウトには、こうした不況でモノが売れない分の資金が積み上がっているのである(もう一つ、各国の金融緩和政策の影響もある)。


    仮に、金融緩和で設備投資が増えているなら、償却資産などの『実物資産』も、金融資産と同レベルの成長をしているはずである。ところが、実物資産の伸びは「GDPの伸びと同じ」であり(例えば「通商白書2008」13ページ)、金融資産のみが高い伸びを示しているのである(こうした状況と『新古典派成長理論』との関係(問題)については拙著『重不況の経済学』188〜192ページ参照)

    しかし、近年は日本の「家計の金融資産は増えていない」と言われるかもしれない。だが、その代わりに「企業の金融資産が増えている」《下の図参照》。「家計の」金融資産が増えていないのは、分配の問題であって、不況のために金融資産が増えていることに変わりはないのである。


   このグラフは、拙著『重不況の経済学』50ページから持ってきた図であるが、少し説明しておこう。この図は、部門別の(毎年の)資金の過不足を示している。つまり、これは、フローの貯蓄とその貸出先を示している。上側(プラス側)が資金余剰(つまり貯蓄超過)部門であり、下側(マイナス側)が資金不足部門である。
    当然、国のトータルとして過不足はゼロにならなければならないから、全てを足すとゼロになるようになっている。毎年貯蓄が超過する部門がある一方で、毎年、資金不足で借りている部門がある。こうした毎年のフローが積み重なって(上の方で出てきた)ストックの個人金融資産残高や政府の負債残高になっている。
    このグラフは、例えば、国債を消化する資金の出所がどこかを明確に示しているのである。

    個別に見ると、ピンクは家計部門である。家計は、コンスタントにプラスであるが、2000年以降は顕著にプラスが縮小している(右下向きの青矢印)。たしかに、家計の金融資産の増加は止まるはずである。

    一方、緑のチェックは一般企業(非金融法人企業部門)である。これは、1993年当たりから顕著にマイナスが縮小して(これは、企業が資金を借りずに借入金の返済を続けている状況を示している)、特に1998年以降はプラスに転じている(上向きの青矢印)。
    通常の経済では、企業部門は常に資金不足であり、資金余剰側の家計の貯蓄を金融機関などを通じて借りて事業活動を行う。ところが、1998年以降は、企業が貯蓄《内部留保の積み増し》をしているという異常な状態にある。いずれにせよ、家計の金融資産の増加の代わりに、企業の金融資産が増加しているのである。

  さて、2の(1)で、相沢幸悦・中沢浩志両氏、小黒一正先生、榊原英資先生の議論を取り上げたが、それらの議論ではいずれも「家計(個人)金融資産と政府債務を比較している。なぜ先生方は「家計」の金融資産だけを問題にしているのだろうか。
    実は、これは1997年までは理由がある。なぜなら、それまでは企業部門は「資金不足部門」であり、政府部門と同様、もっぱら資金余剰部門である家計の貯蓄(金融資産)に依存する立場であり政府と競合する立場だったからだ。だから、家計の金融資産と政府の赤字や累積債務を比較することには多少の意味があった。
    だが、1998年以降は、企業が資金余剰部門に転換している。企業部門は家計と同じというかむしろ家計よりも大きな余剰部門になっている。これは企業部門は、それまでの家計部門と同様、政府に資金を供給する立場になったことを意味する。にもかかわらず、これらの先生方の議論は、企業が資金不足部門であるという古い認識のままなのだ。それで、あいかわらず家計の金融資産だけを基準に考えているのだ。
    つまり、1998年以降は、企業部門の貯蓄を家計の貯蓄に加算して議論すべきなのだ。
            注)しかし、考慮すべき問題として、景気回復を予想して企業が設備投資を拡
                大した場合企業の資金余剰が急減して、国債消化資金が不足する危惧をも
                れるという点もある。例えば、上の図10で05年→06年には、企業の
                資金余剰は急減している。
                    なお、この06年の急減の原因は、当時の輸出好調で輸出財生産企業が設
                備投資を拡大したことにあると考えられる(これ については、「財政出動論
               17 財政出動と抑制の30年史概観」の2(純輸出)項中の「注」で、当時
                の輸出財生産企業の設備投資拡大にふれている)。
                    このように企業の資金過不足は不安定である。したがって、その急変動に
               応じて政府の財政赤字が縮小できないなら、国債の消化資金として、企業の
               資金余剰を考慮すべきではないかもしれない。
                   しかし、上の図10の06年の一般政府の資金過不足をみれば明 らかなよ
               うに、企業の資金余剰の縮小にともなって、政府の資金不足も急減している
                これは、景気の回復に伴って税収等が急回復し、不況のために必要だった財
                政支出も減少したからだ。
                    このことからも、政府財政の赤字が、放漫財政ではなく、不況という経済
                状況に大きく左右されていることがわかるだろう。だから、企業が設備投資
                を増やして資金不足部門に転換していけば(それが正常な姿)、政府の赤字
                も好転して国債発行額が縮小して、国債消化問題は生じない。仮に税収のタ
                イムラグなどで、一時的に消化に問題があれば(おそらくないだろうが)、
                それこそ日銀が一時的に買えばよい。
                    財務省は、名目GDP成長率に対して、どの程度税収が伸びるかを示す
                収弾性値に長期の値1.1を使っているが、景気回復期には、それをはるか
                に超える税収の増加が見られる。例えば、アベノミクスで景気が回復した
                13年度は3.6だった。不況からの回復期には、通常3〜4程度が観察さ
                れている。(税収弾性値については、拙著『日本国債のパラドックスと財政
                出動の経済学』256〜259頁参照。また、「財政出動論5 交わらない「短期」
               と「長期」の視点」でも、後段の2(3)の注で税収弾性値にふれている。)

    そもそも、フローで議論すべきものをストックで議論している点で既におかしい(確かにフローの累積がストックではあるのだが)。そして、そのストック(家計の金融資産)の伸びをどう予測しているかというと、小黒先生の議論に見えるように、過去のトレンドを将来に単純に伸ばし(外挿し)ているだけだ。この思考は、金融資産の変化のメカニズムに関する視点を欠いている。つまり、貯蓄(金融資産)の変動はここではまったく外生的に捉えられている。経済にとって貯蓄が外生的ということがあり得ないことは明らかだろうに(もっとも、小黒先生の本では、この話の項の次の項ではあらためて、不況と資金需給の問題を取り上げている。しかし、本来、それは別に扱われるべき問題ではない)。

    少なくとも、こうした議論には、マクロの視点が全く欠けているというしかない。

    ・・・ついでに、一般政府(橙色の菱形)を見てみよう。80年代後半から90年代初頭まではプラスであるが、バブル崩壊後の景気対策のために90年代以降はマイナス(赤字)となり、毎年資金を借り入れていることがわかる。特に98年以降はマイナス幅が拡大している(マイナス領域の右下向き青矢印)。これは財政出動論4で整理した橋本財政再建の影響問題と整合的である。2006年以降は縮小しているが、これは米国バブルによる外需の好調によって企業の業績が回復し税収が増加したためである。

    最後に、海外(紫の斜線)を見ると常にマイナスである。これは、経常収支の黒字(その裏返しで必ず同額の「資本収支赤字+外貨準備増減の増」となる)で資金が流出していること(=海外に対する債権の増大)を示している。

   このように、1990年代以降、企業は「設備投資せず」ひたすら「借入金の返済」を続け、それが終わってから(2000年代以降?)も、資金が余っているにもかかわらず内部留保の蓄積に努め、やはり設備投資は最小限に抑えているのである。いくら金利が低くても「国内需要増加の見通しがない」のだから、これは当然だろう。需要の伸びが見えないのに巨額の設備投資を行う経営者は失格である。

   そして、家計と企業が貯蓄を増やした結果として、GDPに係わる生産物に対する需要は不足しているから、それをカバーするために、政府は、家計や企業が新たに増やした貯蓄に対して国債を発行して借り入れ、財政赤字による財政出動によって、かろうじて日本全体として不足している最小限の需要を維持しているのである。

3 政府の累積債務の上昇で外貨への資金シフトが生じ、財政破綻するという主張

    もう一つ、政府の累積債務が一定水準を超えると、外貨への資金シフトが生じて長期金利が上昇し始め、それによって利払い負担が増えて財政が破綻するという説もある。

    例えば、2011年1月22日付け日経「大磯小磯」では、
「日本政府の財政赤字や、その累積額である政府債務残高は、今や財政危機に陥ったギリシャやアイルランド以上に悪化している。日本政府の債務の大部分は日本の家計や金融機関に保有されている。これまでは経常収支の黒字により円高が続いてきたため、日本の国債や預金から外貨への資金シフトは限られ、国債金利も1%台前半と低い水準が維持できた。しかし、政府の総債務がGDP比200%を超え、政府が保有する金融資産を控除した純債務もGDP比100%台になると、長期金利が上昇し始めるのは時間の問題だ。そうなれば、利払い負担の急増で財政は破綻する。」

    この議論の問題は、「外貨への資金シフト」が生じるということは、資本収支が赤字を拡大するということ(または「外貨準備増減」が増加しなければならない)であり、そのためには「経常収支の黒字が拡大しなければならない」ことだ。

    これが実現する条件としては、日本経済が奇跡的なレベルで輸出競争力を強化するか大幅な円安が実現するかのどちらかが実現する必要がある。とすると、因果関係的には、日本国債にかかるソブリンリスクの増大を受けて外貨への資金シフトが生じ、円安が実現することになるのかもしれない。

    しかし、それは同時に国内産業の輸出競争力が大幅に強化されるということであり、国内の生産が大幅に拡大するから、税収も大幅に増えることになる。

    そうなると、政府は新発国債の発行額を大幅に縮小できるから、国内の資金不足は生じない。一見して、新発国債発行必要額と国内から国債への資金供給のバランスがうまく一致しないように見えるかもしれないが、政府の財政出動額を、国内の需要不足額に対応してコントロールしようとしているなら、これはごく自然に一致しバランスする。

    なお、実はそもそも、この議論の出発点であるソブリンリスクは、上記の2で見たように発生しようがないのである。問題は投機筋だけである。投機対策をしっかりできれば問題はないのである。
(より詳しい説明は、拙著『重不況の経済学』の3章と5章を参照)


4 需要不足が解消した場合にどうなるか
    以上のように、需要不足があることを認めるなら、「需要不足が存在する限り国債による資金調達は可能」なのである。

    だが、もちろん微妙な問題はある。それは、需要不足が解消した場合だ。
    需要不足が解消すれば、需要不足解消のために必要な(財政出動のための)新たな国債発行は不要になる

    しかし、過去の財政出動のために発行した既発国債はただちに償還はできないから、借り換えが必要になる。借り換え時に金利は高くなるから、利払い費が増加する。 つまり、借換債発行時の発行コストは高くなる

    これをどのような方法で負担していくかは慎重な検討が必要である。ただし、おそらく、それは、基本的には、景気回復による税収増加によってまかなうことが可能だと考える。景気回復による税収増加は、財務省が主張しているよりもはるかに大きいからだ。
      補足》なお、税収については、利子課税があるので、金利の上昇で税収も確実に
              増加する。このため、やはり問題はないようだ。
              ・・・『財政運営の死に至る病と希望』(「経済を良くするって、どうすれば」
               さんのブログ)参照

    ただし、注意すべきは、投機筋の動きである。だから、慎重な運営に努めることは重要だ。


===
◎最後に、もし、この内容に係わる何かについて(特にペーパーに)書かれる場合は、参照文献として拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論、2013)を上げていていたければ幸甚です(なお、このページだけでなく、このブログの「New Economic Thinking(新しい経済学)シリーズ」に書かれていることは、ほぼこの本に書かれています。また、「財政出動論シリーズ」に書かれていることの大半も同様です)。

2011年1月28日金曜日

財政出動論6B 需要不足対策の評価

        重不況の経済学    公共事業     ・・・その他《このブログ全体の目次

《概要》様々な需要不足対策の評価を整理しています。
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。

    旧の「財政出動論6」は長すぎたので、後半を分離して、ここに「財政出動論6B」として独立させました。

    日本の長期停滞からの脱却対策として、インフレターゲット、円安、輸出競争力、金利、量的緩和、減税、公共投資、福祉拡大策などが俎上に昇っているが、にぎやかな議論にとらわれると問題が見えにくい。
    財政出動論5を受けて、少しばかり基本的な整理として、こうしたさまざまな景気対策がどのようなプロセスで効果を生じるかを考え、それに基づいて、どのような対策が有効かを評価する視点を「念のため」整理(おさらい)しておこう。
財政出動論6から続く→

1 需要の構成
   ・・・ では、その「企業のその時点の生産物に対する『需要』」はどのような項目で構成されているだろうか。(財政出動論5でもふれたが)大きなところでは
①民間消費……………………消費財・サービスに対する需要
②民間設備投資………………製造設備など生産財に対する需要
③住宅投資……………………住宅建設・建設資材に対する需要
④純輸出(=輸出ー輸入)…様々な輸出製品に対する需要
⑤政府消費・投資……………消費財や建設サービス・建設資材に対する需要
である。言うまでもなく、これらには、土地や株式などの資産投資は含まれていない。
    また、重要な点として、第一に、ここでは政府消費・投資が他の項目と等価に並んでいることに注目して欲しい。第二に、純輸出が同様に他の需要項目と等価に並んでいることも再確認して欲しい。

    短期的視点に立つなら、不況の原因①〜⑤が小さくなることだ。各項目が主に何によって影響されるかによって対策も異なる。

2 各需要項目の変動メカニズムとそれを動かす方策
(1)民間消費
    ①の民間消費は5項目の中ではもっとも安定していて、景気に遅行して変動することが多い。消費文化など「文化」にも係わる。また、一旦変化するとなかなか元に戻らないという問題もある。それは文化に規定されることも多いからだ。

    この民間消費を拡大させる方策としては、まず減税エコポイント制度定額給付金のような政策が考えられる。それらの政策効果を見ると、減税や定額給付金などは、貯蓄に回されてしまえば、その分は需要の増加につながらない
    一方、エコポイント消費しなければ使えないので(これは大変重要)、その効果は高かったように見える。これらは財政政策だ。

   これらに関しては バラマキ批判もあるが、需要不足対策としてはそれぞれ有効性が高い。しかし、長期継続的に消費を刺激し続けるには十分な検討が必要だ。例えばエコポイントは、期限に限りがあるからこそ、駆け込み需要と前倒し需要で効果が生じたのである。無期限の政策だった場合には、効果は減ぜられたはずだ。

(2)民間設備投資
    ②の民間設備投資は変動が大きい項目である。多くの不況の原因はこの設備投資である。
    設備投資が減少する契機としては、第1に、金利上昇によって設備投資コストが上昇することがある。

    例えば、日本の高度成長時代は、景気が過熱して輸入が増え、経常収支が赤字になると外貨準備が不足するため《低成長時代になって経常黒字が定着したために、日本は高度成長時代からそうだったように思われがちだがそうではない。》政府日銀は金利を引き上げて景気を冷やそうとした。これを当時はたしか「国際収支の天井」と言っていた。

    当時は国内需要が旺盛だったので、まさに高度成長時代は、今と違って供給側の制約《国内の生産の伸びが十分でないために輸入が増える》が経済成長を規定していたのである。

    第2に、もう一つの設備投資の減少要因は、「需要の将来見通しの低下」である。需要が伸びない見通しがあるのに、企業が設備投資をするわけがない。これは、重い不況つまり重不況では非常に重要だと考える。

    第3に、設備投資資金の不足がある。例えば貸し渋り、貸しはがし問題である。これは金融システムに問題が発生したときに生じる。問題とは、例えば、自己資本に関する8%ルールのような規制の強化の影響もありうるし、今回の世界同時不況のような金融システムの実質的な崩壊もある。

    第4は、リチャード・クー氏が提唱した「バランスシート不況」である。バブルの崩壊などで、企業が(下落した)資産に対して過大な借入金を抱えるようになると、設備投資よりも借入金の返済が優先され、設備投資は長中期にわたって減少してしまう

    バランスシート不況と同様の考え方としては、大恐慌期の有力経済学者アーヴィング・フィッシャーが大恐慌からの回復が困難な理由として「負債デフレ」を取り上げている。クー氏との違いは、「資産価格」の下落を明確に指摘しておらず、単純にデフレによって(今風に言えば)実質金利が高くなる影響だけを(主に)指摘していることだ。これはメカニズム的にはかなり違う。

    民間設備投資を増加させる政策としては、2つの方向がある。
    第1は、需要見通しを高めることである。つまり「①〜⑤の需要の伸びが見込める状況を作る」ことだ。リフレ政策などはそれを意図したものだ(しかし、特に非常に重い不況(重不況)では、企業の予想は、なかなか十分な見通しに達しない)。

    第2は、設備投資のコストを引き下げることだ。そうすれば、投資採算性が向上するから、設備投資のメリットが出てくる。すべての企業の設備投資を一律に促進する対策として有効なのは、ご存じの「金利の引き下げ」である。在庫循環的な軽微な不況では、これには十分に効果がある。

    マイルドなインフレを引き起こして企業から見た実質金利を引き下げるというようなリフレ派の政策提案も、これに属する。さらに、先頃の企業減税論も、企業の利益にかかる税金を減らすことで、それを設備投資に使ってもらう、あるいは海外企業の進出を加速するというような説明がなされたから、これも設備投資需要の拡大を狙ったものということになる。

    しかし、金利がほとんどゼロになり、これ以上金利が下げられなくなるような流動性の罠が生じると、金利引き下げ政策の効果は見えなくなる。量的緩和などは、こうした状況下で取られている方策の一つだが、需要が伸びる見通しがない場合には設備投資は増えないと考えるべきだ。需要の伸びが見込めないのに設備投資を行う経営者は失格だ。

    いずれにしても、金利引き下げで設備投資コストが下がるといっても限度がある。これに対して「需要見通し」が収入を規定するのだから、需要見通しが低く、収入の伸びの予想が小さいかゼロなら、投資は行われないと考えるべきだ。つまり、金利などのコストよりも「需要の見通し」が優先する。
    日本国内で全体的な需要の伸び(=経済成長)の見通しがないなら、金利などのコスト面の対策の効果は大きくないだろう。

    いずれにせよ、①〜⑤の各項目の需要のどれでもよいから、増える見通し(=需要の伸びる見通し)さえあれば、その増える量に応じて設備投資は増大する。

    現在の問題で考えると、まず金融政策であるが、金利の引き下げはすでに限界に達して久しい。量的緩和政策も、2000年代の日本の実績で見れば必ずしも有効性が見られない。これには政策が不十分との反論があるかもしれないが、効果があったとされた大恐慌期の実績財政出動論3参照)で見ても、金融緩和政策自体の有効性はあまり見えない。

(3)住宅投資
    ③の住宅投資は、金利の影響が大きい。また、雇用不安の影響も大きい。
    この住宅投資を増加させる方策としては、まず「賃貸住宅」については、おおむね②に準ずる。これに対して「家計が直接行う住宅投資」では、「需要見通し」は関係がないので、金利などのコストに左右される程度が高くなる。また、資金調達面からは雇用不安の影響がある。

    持ち家政策は、米国の住宅バブルで見たように、持ち家に関する文化を変えることが出来、かつ政策次第では有効性が高い可能性がある(米国等の住宅バブルのようにならないことはもちろん大事である)。しかし、当面、国民は強い雇用不安の下にあるから、短期の対策としては、若干優先順位は落ちるかもしれない。しかし、少なくとも中長期的視点では十分考えるに値する重要な視点に見える。

(4)純輸出(=輸出—輸入)
    ④の純輸出は、為替レートの影響が大きい。例えば、戦前の世界大恐慌に係わる問題として「金本位制への復帰問題」があった。これは、復帰するかどうか、また復帰するとして「旧平価」で復帰するか「新平価」で復帰するかは、各国の大不況に大きな影響を与えた。

    一見わかりにくいが、これは実は単純に、復帰自体や復帰の方式が為替レートを左右する結果、旧平価での復帰は自国通貨高となり輸出が打撃を受けて「純輸出」が減少するという需要不足問題が発生したということなのである。

    さて、この純輸出を増加させる方策は、短期的な手法としては為替政策・自国通貨安(円安)政策がある。円安にするためには、海外からの資金が流入(流入するには円が買われなければならない。すると円高になる)しないように、低金利政策も必要になる。

   しかし、これには海外の経済状況が大きく影響する。例えば小泉政権末期の純輸出の急拡大による景気回復では、アメリカやヨーロッパでの住宅バブルによる消費拡大があった。ところが、現在の世界同時不況下では、先進国、準先進国は軒並み大きな需要の落ち込みがある。

    元気なのは、国際的な超金融緩和で資金が流入し続けている開発途上国だけである。まさにバブル化が進んでいる。しかし、これが崩壊せずに、いつまで続くかは不透明である。残る開発途上国のバブルが崩壊すれば、外需(純輸出)に依存する需要対策は機能しなくなってしまう。

注)日本の「国際競争力」という話もあるが、実は、純輸出を左右してい
    るのはほぼ為替レートと考えてよい。国レベルの国際競争力については余
    り意味がないのである。これについては、後日改めて整理しよう。

    現在の問題として考えると、開発途上国が活況である限り、これに依存する政策は進めるべきだろう。それに必要なのは円安政策である。
    しかし、現在は世界同時不況下で、世界的な需要は縮小している(もっとも、米国の景気回復の可能性があり、一方では新興国が成長してはいる)。

注》だが、(ここからは筆者の予測に過ぎないので割り引いて見
     て欲しいが)、中期的には、ヨーロッパ各国が財政再建路線に
     転換しつつあるために、2011年後半には大不況に陥る可能性が
     高いこと、また、開発途上国のバブル崩壊の時期が迫っている
     可能性が高いと考えている。
         こうなれば、米国の立ち直りも一時的なものに終わる可能性
     が高い。つまり、外需依存のための海外の需要は2011年後半以
     降急速に縮小する可能性が高いと考える。したがって、中期的
     に、この政策に頼り続けることは難しいと今のところ考えてい
     る。

(5)政府消費・投資
    ⑤の政府消費・投資の変動は、当然需要を左右する。これは「経済主体」としての政府の規模が大きいからだ。支出ベースで政府部門の規模を見ると、政府支出は日本経済の23%を占めている(もっとも、これはイギリスやドイツなどの割合よりも低い)。

    これに対して企業部門の支出は16.5%に過ぎない。残りは家計部門である。しかも政府(中央政府、地方団体、社会保障基金)は、中央政府の財政方針に大きな影響を受けるために、財政出動の規模の変動の側面だけを見れば財政的にはほとんど単一の主体といってよい。「橋本財政改革」のように、政府が「財政再建」などに取り組む意志決定をすれば、膨大な額の需要が減少し、その影響は、極めて大きくなる。

    財政出動のうちでも、特に政府が最終消費、投資を行う政策は、直接的に需要を作り出すのであり、それは速やかに経済の中に循環していくから、有効性が高い。

   すなわち、この政府消費・投資を増加させる方策は財政出動(=財政赤字)の拡大ということになる。また①を行うにも財政出動が必要になるし、②の企業減税も財政政策(財政出動)である(これは、このシリーズの課題なので、ここに書くには大きすぎる。この程度にとどめよう)。

    以上を踏まえて、現在取り得る需要対策を評価してみよう。
    金融政策については、金利を低めたり量的緩和で資金を借りやすくしても、企業が需要の見通しを低く判断していれば、それが設備投資につながることはない。これは、財政出動論3図1〜3のグラフに見るように、大恐慌期の金融緩和でも企業への貸出や社債投資がまったく増えていないことでもあきらかだ。仮に関連があるとしても、それには少なくとも数年のタイムラグがある。数年と言えば、実際には、別の原因の可能性があり、それが金融緩和の影響なのかどうかがわからないほどの長さだ。
    同様に、減税こども手当あるいはその他の定額交付金などは、需要不足対策としての効果だけを考えれば、少なくともその一部は貯蓄に回り、需要不足の解消につながる程度が低い。
    公共投資は、乗数の低下などが言われてきたが、それは、日本の長期停滞特有の問題が影響を及ぼしている可能性もあるし、少なくとも、減税などよりは遙かに効果が高い。

    法人税減税も、国内需要の伸びが見込めない状況では、それが設備投資に回る可能性はほぼゼロであり、需要対策としての効果は現状ではもっとも低い。

    逆に増税については、将来的な問題としては別だが、当面の需要不足下では、橋本政権下での消費税増税のように(財政出動論4の図2参照)最悪の選択である。

4 景気と需要
    以上のように、すべての短期的な景気対策は「需要の拡大」を実現するメカニズムに沿って行われている。したがって、上記3のように、どれが有効な景気対策であるかの評価も、このような需要の拡大《需要不足の解消》につながるメカニズムを考慮すれば比較的容易にできるはずだ
    ただし、その国を取り囲む経済状況次第で、有効な方策は異なる。