2011年8月26日金曜日

財政出動論20 米国の消費需要と医療制度

    拙著「重不況の経済学」(ちなみにアマゾン)は、日本の長期停滞を重要なテーマとしているが、これ(長期停滞)は短期の問題である。この本自体は基本的には短期の問題を扱っているのだが、この本の第2章、第5章はほぼすべてが、また第6章は過半が、さらに第4章もある程度は、長期の問題を扱っている。これは短期、長期の問題は相互に関連があるからだ。
    ここでは、この「長期」の問題のうちの先進国の需要の問題を考える。
                                                                                     ・・・《このブログ全体の目次》 
                                後段部分に若干記述追加23.8.30-31。権丈先生からの引用を後段注に追加23.10.24

1 先進工業国の需要不足仮説
   さて、拙著では「長期」に係わる仮説の一つとして、先進工業国では、様々な耐久消費財の普及率が上限に達する結果、耐久財の消費は更新需要が中心となるために需要不足が生じやすく、それは耐久財生産の設備投資の低下にも結びつき、結局、消費、設備投資の両面から、先進工業国では需要不足経済になりやすいと考えている。
(なお、これに対して開発途上国は様々な耐久財の普及率が低いために相対的に耐久財の需要が根強く、したがって、成長を続ける開発途上国は、常に需要圧力の強い経済(したがってかつての日本の高度成長期のように(?)常に供給不足気味の経済)となりやすいと考える)。

2 例外としてのアメリカ
    しかし、実は、先進工業国の中でも米国だけは、需要超過、供給過少経済なのであり(それは米国の貿易収支がコンスタントに赤字であることからも理解できるだろう・・・この点については財政出動論13《構造改革が必要なのは米国だ》でもふれた)、この仮説では例外となっていたのだ。次のグラフのように、米国の民間最終消費はGDPの7割を占めており、日本よりも10ポイント以上も高い。
    米国は製造業が競争力を失っているために設備投資が弱く、また政府の最終消費が小さい。だが、残る民間最終消費が根強いことは、米国経済が全体として長期にわたって貿易収支の赤字を続けてきていることで明らかだ。財(生産物)の需要が国内の供給力よりも強いから貿易収支が赤字になるのである。米国経済は、リーマンショックまでの過去20〜30年ほどは、消費を牽引力に、多少の変動を伴いつつも安定した成長を続けてきたのである。
        注)ただし、貿易赤字が大きいために、多少民間最終消費は大きく見えているかもしれない。
図1
                          データ出所:国連統計部 National Accounts Main Aggregates Database なおデータは2007年のもの

3 先進工業国の消費需要(まあ内需)対策
    こうしたことを受けて、(第6章では、先進工業国に必要な(長期的)経済政策の一つとして消費を拡大するいくつかの方策を提案しているが)、その中で、「需要の根強い米国には需要を刺激する制度があると考えられるから、それを研究すべきと書いている。

    そして、その具体的な例として、米国の税制や文化には住宅投資を促進する仕組みがあることを上げている。これは、結局、今次のリーマンショックに係わる世界同時不況の原因となったものでもあるのだが、うまくコントロールできれば、先進工業国でも消費(+住宅投資)需要をコンスタントに刺激することが可能だと考えられる。

4 米国の医療制度
    しかし、それだけでは、米国の強い需要を説明することは困難のように思っていたのである。巨額の軍事費もあるが、それは政府消費と固定資本形成に含まれれている。
・・・ということで、文化とか社会システムなどの影響かと思っていたのだが、今回もう一つ具体的な原因に気づいたので、ここでそれを掲げてみる。
   それは米国の特殊な(?)医療制度である。

    次の図2にみるように、米国の総医療費がGDPに占める比率は15.7%であり、日本の8%のほぼ2倍先進国の中で突出して(異常に)高い。これは、米国の公的医療制度は主に高齢者や貧困家庭しか対象にしておらず、それ以外が民間医療保険によっていることなど米国の医療制度の特殊性と係わっている可能性が強い。

    また、この米国の医療制度は、4千万人以上に上る無保険者を生み出している。我が国では、一応建前として、お金では治療レベルの差は生じない・・・違うのは、病室が豪華な個室〜6人部屋の違いとかの治療以外の待遇の差だけである。だが、米国では、お金の力が治療のレベル、そして生命を左右している。

   いずれにせよ、米国の医療制度の特殊性が、こうした膨大な医療費を生んでいると考えられる。その結果、米国民は、多大な医療費を負担している。

図2
データ出所:世銀  World Development Indicators 2010 なお、データは2007年のもの

    なお、「公的医療費以外の医療費」には、市販薬、紙おむつ、メガネや健康用品などが含まれている。米国以外の国々のそれの大半は、これらである。これに対して、米国の場合は大半が民間医療保険料の支払い治療の際の保険対象外部分の自己負担無保険者の治療費支払いなどである。
    ちなみに、これをみれば、図1で、支出項目で見た米国の政府最終消費が低い理由がわかるだろう。米国が『小さな政府』に見えるのは、米国の医療保険制度が国民全体をカバーしていないからなのだ。

5 米国家計の消費支出に占める医療費
    これを家計の消費支出で見たのが次の図3である。この図のように、米国の家計は、医療費として消費支出の約2割《日本の約5倍》をコンスタントに支出している。

    医療費は、直接、間接に生命に係わるものだから、耐久消費財のように不要不急のものとして支出を抑えることはできない。実際、お金がなくてぎりぎりまで医療を受けないというような例も少なくないようだが、様々な支出項目の中での優先順位は極めて高いはずである。医療費が大きい分、他の項目を節約しているとしても、常に医療費は、消費に対して圧力となっている。

    発病やけがは突発的であることも多いから、安くてよい病院を選んでいるひまもない。また、加入している民間保険が指定している医療機関で治療を受けなければならない。さらに、その際には保険の負担対象外部分(契約している民間保険毎に保険負担の対象が異なるし、査定もあるのが普通のようだ。高額な掛け金の保険であれば安心だが、一般家庭ではそうもいかない)は有無を言わさず家計が直接支払うことになってしまう。医療費は、計画的には抑制できない部分が大きい。計画的な抑制を行うとしたら、それは保険料の安い医療保険を選択するということになるが、それはカバーする疾病の範囲が狭いのが普通だ。

    突発的だから、日常的には、保険料以外は考えずに他の消費を行っていて、医療が必要となると、医療保険の対象外部分が通常の支出の上に有無を言わさず上乗せされる。これは、特に4千万人超と言われる無保険者の場合に典型的だ。彼等は、現実の生活費に追われ、未来に対する備えとしての医療保険料には回せる資金がない状態で消費をしている《消費性向が高い》。また、無保険者に準じて保険対象範囲の狭い安い医療保険に加入している人々もこれに準ずる。彼等も、病気、けがになれば、否応なく医療費の支払いに直面する
             注)米国では虫垂炎手術は、ニューヨークでは243万円、ロサンゼルスで194万円(2000年AIU調べ。1ドル105円換算)
                   だという。なお、虫垂炎の手術は、他の国では少なくとも4,5日の入院が普通だが、米国では、ベッドの回転率を高める
                  ために、平均1日入院で退院させてしまう。
図3
データ出所:国連統計部 Statistical Yearbook, Fifty-third issue
 なおデータの年次は、日、伊、仏が2007、加、独、米が2006、英が2005のもの

6 米国の消費構造とサービス業の生産性その他
    ① 消費水準
    こうした必須性・突発性があり節約が困難な医療費支出が常に家計支出を押し上げており、米国の消費の水準が高い原因になっていると考えられる。

    ② 輸入の活用
    また、この結果、食品・飲料・たばこ等、住居・水道・光熱費関係の支出が圧縮されており、こうした分野の多くで海外からの低廉な輸入品が活用されている可能性が強い。ドル高政策による輸入促進は、こうした現状に対する政策としても合理的である部分がある。
            注)もちろん、ドル高政策は、金融立国にも不可欠でもある。

    ③ 米国の第3次産業の生産性の高さ
   次に、医療費の突出は、米国の民間消費支出の中で「サービス」分野の割合を大きくしている。米国は、我が国に比べて第3次産業の「生産性」が高いが、これは、米国では第3次産業に占める医療分野の割合が非常に高いことが影響している可能性が高い。生命や激しい苦痛にかかわる費用は、現実に値切ることは難しいからだ。これが高付加価値を生み、米国の第3次産業の生産性を高くしていると考えられる。
           注)もちろん、金融分野のウエイトが高いというのもあるだろうし、商業では、サービスの徹底した切り詰めというのもあ
                るだろう。なお、米国の第3次産業の生産性の高さについては、《財政出動論13(構造改革が必要なのは米国だ)》で
                 一旦整理している。

    ④ 自由競争になじまない医療分野
    米国の医療制度は、他の国よりも市場の競争性が高いとされるが、こうした状況を見ると、医療のような情報の非対称性の高い分野、かつ生命の危急にも係わり、治療ニーズの発生が家計から見ると間欠的かつ突発的なことが多く、その際にサービス分野の選択も自ら決定できない(脳腫瘍なのに消化器内科にかかるわけにはいかない。つまり代替性が弱い。)場合が多いし、危急の際に医療機関を選ぶ時間もない場合が多く《注》、加入している民間医療保険が指定する病院の利用が義務となるといった、利用者側の選択肢が狭い特殊なサービス分野(医療サービス)は、単純な市場競争にはなじまない可能性が強い。
        注)例えば、利用者側が医療機関や担当医師の能力について十分な情報を持ちにく
            いこと(情報の非対称性)、突発的で危急の場合には医療機関や医師を自由に選
            択できないことなどは、市場競争を制約するため、自由競争市場では供給側が有
            利になる。米国の総医療費の突出の原因は、こうした自由競争制度が根本にある
            可能性が強い
                注の注)以下は慶應義塾大商学部の権丈教授の「勿凝学問 372pp.4-5 から
                        ・・・「医療経済学研究者の間では、そもそも医療サービス市場には、市場
                        理の大前提となっている、供給者の行動から独立した消費者の需要曲線
                        存在しないという主張が有力だからです。 実は新古典派を含めて、大 
                        医療経済学研究者が支持している「医師誘発需要理論(仮説)」は、原
                        には医療サー ビスの需要曲線の存在を否定するものです。1999年に
            ランダ・ロッテルダムで開かれた国際医療経済学会(iHEA)第 2 回 世界
            のハイライトとなった、「(医療の)需要曲線は廃棄されるべ きか?」
            セッションでは、・・しか意外なことに、需要曲線の擁護派(新古典派)
                        最後には需要曲線に基づいて現実の政策決定をするこ とはできいこ
                        とを認めました。         23.10.24追加  24.1.17リンク修復ほか
                この結果生じた高額の医療費は、低所得層の選択を限定し、それは、さらにこ
            の分野の市場の自由な競争を阻害している。

2011年8月10日水曜日

財政出動論19 流動性の罠と資金需給、国債金利

 ここでは、『流動性の罠』と資金需給の関係を考え、それに基づいて、流動性の罠の下(あるいはそれに準ずる重不況下)での国債消化資金の問題を考える。
    23.8.26字句修正              ・・・《このブログ全体の目次》

1 流動性の罠

(1)流動性の罠とは
    近年の景気対策は、財政政策の有効性を否定する立場や政府の累積債務を心配する立場から、金融政策が重視されている。これは、金融緩和によって利子率を下げ(つまり投資する際の資金コストを引き下げ)、設備投資や住宅投資を刺激するという政策だ。

    しかし、利子率引き下げの効果が十分でないまま金利を政策的に下げ続けると、(名目金利はゼロ以下にはならないので)ついには金利引き下げの限界に達する。となると、金融政策は有効性を失う。これが「流動性の罠」である。

    このとき、債券保有で受け取る名目利子率はほぼゼロであるから、債券保有と貨幣保有の差がほとんどなくなり「投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する。(すると)マネーサプライをいくら増やしても、もはや金利は引き下がらず、民間投資や消費を刺激することが出来なくなるため、将来への期待に対する働きかけを除いて通常の金融政策は効力を喪失する反面、クラウディングアウトは発生せず、財政政策の有効性は高まる」というwikipedia)。

(2)流動性の罠の理解
 「投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する」とは、貨幣供給の増加によって利子率がわずかに低下するだけで貨幣需要が大きく(無限に)増大することを意味する。
 しかし、これは状況を説明はしているが、メカニズムの説明には不十分に見えるかもしれない。少しわかりにくいので、もう少し考えてみよう。資金の供給サイドと資金の需要側の2つの視点から考えよう。

 ① (通常の)資金の供給サイドから
 利子率が低下し続け、ある限度を超えて低くなる場合を考えよう。そもそも、お金を貸出・投資する側は、2つのマイナスを負担する必要がある。第1は、お金が必要なときにいつでも使えない不便である。第2は、貸したり投資したりしたお金が返ってこないかもしれないというリスク(貸倒れリスク)である。

 利子は、こうした2つ(不便やリスク)を引き受ける代償・代価として受け取れるのだと考えよう。お金を運用する経済主体は、このように、第1と第2の大きさ利子率の高さを比較考量して、投資・貸出を決定する。・・・利子率が十分高ければ、お金を積極的に貸したり投資したりするインセンティブが強まるが、低ければ、それは低下する。
 そこで、お金が「返ってこないリスク」と利子率の大きさを比較する(つまり)と、利子率の低下にしたがって、利子率よりも「貸倒れリスク」等に耐えなければならない負担の方が大きいと考える人(経済主体)が増加していくだろう。

 この結果、債券を持つリスクの方が高いと感じる経済主体が増えると、そうした人たちは他の経済主体に貸して(債券として保有し)利子を受け取るよりも、貨幣のまま保有しようとするようになり、いくら貨幣供給を増やしても、お金は貨幣のまま退蔵され(貨幣需要の増大である)、貸出は増えないことになる。

 以上から、流動性の罠の原因は次の2つだと考えることができるだろう。

《利子率の低下》
 第一は、「利子率の低下である。それによって得られる利子が低くなり、貸し手は、その利子率は貸倒れリスク等に見合わないと考えるために、貨幣のままでの保有が増える。

《リスク要因》
 第二は、「リスクの増大という環境変化である。経済が不況となり、お金を貸す相手の売上が平均的に不振となったり、売上の回収リスクが高まったり、さらにはそれに伴って倒産の確率が高まったりで、不況下では貸倒れリスクが全般的に(平均的に)上昇する。このときには、利子率がゼロ近傍というほど低くなくても、貨幣選好が上昇する。この結果、投資の利子弾力性が低下し(利子率が下がっても以前ほど投資が増えないようになり)、金融緩和政策の景気刺激効果は(小さく)なってしまう。

 なお、ここで第一の原因と第二の原因の関係を見ると、(第二の原因の)リスク増大の認識が、国債などの安全資産(元々金利が低い)に対する需要を増やし、それはますます安全資産の利子率を引き下げる(これは利子率《=魅力》が低くなっても買ってもらえるということだから、安全資産側の価値・価格が高くなるということ)という関係があることがわかる。そして、その結果として(第一の原因に係わる)長期金利の低下が生じるという因果関係が見られる。
 貸倒れリスクが増大すると(利子を下げてもなかなか投資が増えない・・・つまり投資の利子弾力性が低下するから)、金利を引下げる政策をとっても、投資は盛り上がらなくなる。そして、利子率引下げによる投資促進効果は順次低下して、利子率の引下げに投資が反応しなくなり、ついには、引き下げの限度に達してしまう(これが、流動性の罠というわけである)。
 以上のように「第二(リスク増大)→第一(金利低下)」という因果関係があるのに対して、逆の方向の「(第一の)長期金利の低下が(第二の)リスク増大の認識を引き起こす」という因果関係は通常は考えにくい

 このように考えると(資金の供給側から見れば)、流動性の罠の本質的な原因は、リスクの増大」にあるのであり、名目利子率の低下やその非負制約といった問題は2次的要因ないしは技術的な要因なのである。したがって、非負制約を解消するための負の名目利子率や税などの対策論は、流動性の罠という状況の根本的な解決策ではあり得ないもっとも、効果はないとも言えない。ただし、その効果は流動性の罠にかかる人々のリスク認識の強さに依存する。不況の程度が大きいときや、長期にわたって停滞が続いている場合のように、企業や家計のリスク重視の姿勢が強いときには、そうした政策はよほど徹底的な者でない限り効かないだろう。

 ② 資金の需要サイドから
 ①は、貸出側だけをみていて、流動性の罠の説明は通常はこれで終わりだ。というのは、経済学では、基本的に、金融機関以外の一般企業は常に収益最大化を追究する存在であると仮定されているからだ(収益最大化原理)。この収益最大化のために、「企業には常に強い投資意欲があり、資金需要も常に高い」と考えられている。だから、企業の投資の変動を規定するのは資金を貸し出したり投資したりする側の金融機関や投資家側の考え方・態度だと考えられている。しかし、これは仮定である。
 この、企業が収益最大化を常に追究する存在だとの仮定は、経済学者には当然のことだと考えられ、仮定にすぎないということさえ忘れられている

 だが、一般企業も金融機関や投資家と同様に独自の経営判断を行い、自ら投資を抑制することは当然あり得ることだ。巨額の投資を行ったにもかかわらず、売上が予想を下回れば倒産の危機に直面する。企業の経営判断が慎重であるのは当然だろう。そして、実際問題として、それは判断時点での景気の見通しに大きく左右される。

 《利子率は投資判断メカニズムの一要素にすぎない》
 具体的には、企業は、どのように投資判断を行うだろうか。それは(企業が合理的に判断を行うなら)、その投資に基づいて生じる一定期間内の総収入から、その投資に係わる総コストを差し引いたものがプラスかどうかが基準となるだろう。つまり、企業の設備投資の決定は、当該投資によって得られる「総収入ー総コスト」を見て、「総収入ー総コスト>0」の場合に投資が決定されると考えられる。
 ここで、総収入は、想定する一定期間内の収入見通しの合計である。しかし、これは、未来の収入なので、確定値ではない。既存の様々な情報を組み合わせて予測される期待値である。一方、総コストは、初期投資に加えて、想定する期間内に使われる運営費(ランニングコスト)を含む。
 こうした観点からすれば、利子率は、その総コストの一部である資金調達コストであり、総コストの一部に過ぎない。
 しかし、総収入や利子率以外の様々なコスト要因は企業毎の個別事情によって左右されるから、多数の個別企業を集約した一国経済で見ると、通常は(特に軽微な景気変動下では)互いに相殺され全体に影響を及ぼさない。
 このために、軽微な景気変動下では、「利子率」の変動が、多様な企業の投資判断に斉一的な影響を与えるために、「利子率」があたかもすべてを決定しているように見える(しかし、それは軽微な景気変動下では他の要因が互いに相殺されているために過ぎない)。

《売上見通しの斉一的低下》
 ところが、特に、大恐慌や日本の長期停滞といった「重不況」下では、総収入の予測の重要な根拠の一つとなる売上の将来見通しが多数の企業で斉一的に低下する。それまでは企業ごとに様々だったものが斉一的に低下するために、この変化は「相殺されない」。したがって、これが突如、企業の投資決定の要因として重要になり、「利子率」の影響力は吹っ飛んでしまう。これが、利子率引下げの設備投資刺激効果を低め(つまり、投資の利子弾力性を低下させ)、その結果として、流動性の罠という状況が生じると考えられる。
 こうした観点から見れば、流動性の罠とは、利子率の影響力が低下している状態であるというだけでなく、むしろ投資変動の重要な原因が利子率から他の要因(売上の将来見通し)に変化(移行)していることを示す。

 《リスク最小化原理》
 一方、企業が売上の将来見通しを行う際の判断の基準も変化する可能性が高い。重い不況(重不況)下では、企業は、リスクをより重視するようになると考えられる。
 これは、経済学の常識である企業の収益最大化志向(「収益最大化原理」)と対立する、もう一つのメカニズムが存在することを意味する。すなわち、リスク最少化志向(『リスク最少化原理』)である。軽微な景気変動下では、この2つの原理のうち収益最大化原理が優越しているが、一旦重不況になると、企業はリスク最少化を斉一的に重視するようになり、同一の売上見通しに対しても、よりリスクの最小化を重視するようになる。その結果、重不況下にある国の企業は斉一的に投資を抑制し続けるようになる。
  注)以上は、拙著『重不況の経済学』第3章(第1節の後半)で述べていることだ。
   ただし、そこでは「流動性の罠」と絡めた説明は行っていない。

(3)「流動性の罠」下で新たに重要となる要因は「流動性の罠」の枠組みの外にある
 『流動性の罠」への対処方法を理解するには、その状況下で経済がどのような要因に支配されているかを知る必要がある。
 問題は、流動性の罠も、IS−LMモデルも十分に有効な枠組みとは言えないことだ。
ケインズの「流動性の罠」は、利子率が重要な要因だとする観点から、名目利子率を操作する金融政策が効かないという衝撃的な状況の可能性を説明しているだけである(言い換えると、それは、その状況下では単に利子率が「効かないということ」を説明しているだけである)。そして、それは、その後のケインズ経済学発展の基礎となったIS−LMモデルでも同様である。IS−LMモデルも利子率に大きく依存しているのである。

 重要な点は、『流動性の罠』の状況では、利子率が要因として影響を失う一方で、別の要因が経済変動を説明する要因として影響力を増していること。そして、流動性の罠やIS−LMモデルでは、その新たに重要となった要因について、わずかに推測する程度のことしか言えないということである。それは、その『別の要因』がそれらのモデルの枠外にあるから。・・・「流動性の罠」やIS−LMモデルは、それが利子率に多くを依存しているために、「その」状況の理解の枠組みとしては一定の限界がある

2 流動性の罠と国債金利の低下

《欧米日各国の財政不安にもかかわらず資金は国債に集中》
    平成23年8月3日付け日経の一面トップは、「長期金利、日米独で低下、財政不安でも国債に資金、世界経済の減速懸念という見出しの記事であり、記事(のリード)は「深刻な債務問題を抱えているにもかかわらず、日米独の国債が買われ、長期金利が急低下している。市場が世界経済の減速懸念を強めているためで、いずれも昨年11月の水準に下がった。株式などに投資されていたリスク資金が急速に縮小し、投資家の安全志向が強まっている。」で始まる。こうした状況は、8月5日のS&Pによる米国債格付け引下げ後も変わっていない。・・・23.8.10時点。

 この記事は『国債』がターゲットになっており、資金がリスクの低い国債に流れ込んでいるために、長期金利(国債金利)が低下しているとの解釈を伝えているわけだ。

 資金運用者からみた「リスク」の高さを、高い順に見ると(条件次第で前後するかもしれないが)、おおむね「株式>社債・融資>(預金)>国債>現金貨幣」くらいの順だろう。上記記事が伝える現象は、市場のリスク懸念の増大の結果、様々な資金が全般に(この行列の中で)左側から右側方向へ移動していることを示している。

    こうした変動のメカニズムは、1の(2)で見た『流動性の罠』とリスクの関係に係わるメカニズムに強い関連があるように見える。
    すなわち、流動性の罠の下ないしはそれに準ずる状況下では、企業のリスク最少化志向の強まりと共に、投資が抑制される。すると、この投資抑制によって資金は余剰となる。余剰となった資金は、リスク最少化志向の影響により、よりリスクの小さい資産に移動する。それがリスクの低い国債金利の低下を生むと考えられるのである。

 《国債需要に対して国債の発行が少ないために国債の金利は低下する》
    このように、特に「重不況下」では、一般企業、金融機関(、家計)を問わず「収益最大化原理」の影響力が後退し、「リスク最少化原理」の影響力が優越するようになり、その結果として、資金は、(見通しの不確実な将来収入を低く見積もる結果)リスクの高い設備投資よりも、リスクの低い国債に流れると考えられるのである。そして、国債の供給(つまり国債増発額)が、国債の需要を下回るために国債価格は上昇(つまり国債金利は低下)することになる。言うまでもないことだが、国債金利の低下は、こうした状況下で、国債に対する需要が強いことを意味する。

3 不況、リスク最小化、国債消化資金の関係

 世界的に長期金利(国債金利と考えて良い)が低下しているが(日経)、これは、世界同時不況下でも、上記のメカニズムによって投資が抑制され(それは同時に総需要の不足を意味する)、そこで余った資金が、よりリスクの小さい国債等に流入しているために生じていると考えられる。
 安全資産方向へのシフトは、まずは国債に流入し、さらにリスク重視志向が強まればタンス預金(文字どおりの現金貨幣の保有)の増加に行き着くことになる。

 リスク最小化志向の視点これを見れば、それによって資金がリスク資産から安全資産に移動するということだが、他方、これを資金の過不足の視点で見れば、設備投資部門で過剰な資金(設備投資に使われない余剰資金)が流出し、それが国債部門で必要な国債消化資金になるというわけである。
 ちなみに、このような状況で、政府が財政出動の抑制を行えば、余剰資金は行き場を失い、それは貨幣流通速度の低下として現れることになると考えられる。

    では、そうした資金の安全資産つまり国債消化資金への流入は、民間経済活動にマイナスの影響を与えているのだろうか。・・・そうではない。日本の20年にわたる長期停滞下でも、クラウディングアウトの発生は報告されていない。流動性の罠ないしはそれに近い状態では、一般企業自身が設備投資を抑制しているのであるから、そもそも一般企業レベルで設備資金ニーズは低下しているのである。民間企業が資金不足になるわけではないのだ。
    注)実際、巨額の財政出動のあった時期を含む90年代から2000年代にかけて、一般に
        日本ではクラウディングアウトは観察されていない(例えば「景気循環学会・金森
        久雄編[2002]『ゼミナール 景気循環入門』東洋経済新報社」は、「90年代から
   2000年代初頭までは、「金利の上昇などのクラウディングアウト現象は起こってい
        ない」と述べている(217))。
            ちなみに、今回の世界同時不況では米国でも大規模な財政出動が行われたが、
        ウディングアウトは生じていないし、国債金利の上昇も生じていない
        (もっとも、大規模な金融緩和政策を取られていたということもあるのだが。)
            なお、本日(平成23年8月10日付け)のクルーグマンのブログ
                                                    "Dismal Thoughts" The Coscience of a Liberal でも・・・。

    こうした関係は偶然に生じていることではなくて、景気後退期(特に重不況期)には民間の資金ニーズは低下しているから、その低下の範囲で、国債発行による財政出動は常に可能なのである。
    逆に、国債で吸収した資金が政府の投資及び消費として使用され、民間設備投資の減少によって不足している総需要の維持に寄与するのであり、それは不可欠なことなのである。

  ・・・しかし、特に橋本財政改革期は、それが急激に抑制されたし(財政出動論4(橋本財政改革が生んだ恒常的な財政赤字)参照)、小泉構造改革期は、「急激な」財政出動抑制は行われなかったものの、プライマリーバランス論や国債30兆円目標などに基づいて恒常的に財政支出を抑制したため、景気の回復に伴う税収の増加は常にそのまま財政出動の削減(国債発行の縮減)に使われた。この結果、小泉構造改革期は、常に総需要の不足が続くことになったため、この時期の外需依存の景気回復は、長期にわたって「実感なき景気回復」に終わった。
                                ・・・(財政出動論17(財政出動と抑制の30年史概観)参照

2011年8月1日月曜日

財政出動論18 現代経済学と自然科学の手法比較

    この項は、「財政出動論13(構造改革が必要なのは米国だ)」(平成23年2月20日)の中に書いたものを(落ち着きが悪いこともあり)独立させたものである。
                         ・・・《このブログ全体の目次》
                                         23.8.5細々とした修正
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。


1 導入
 こうした問題を取り上げる理由は、今回の世界同時不況が現代マクロ経済学に与えた打撃に係わる。2008年ノーベル経済学賞受賞者の P.クルーグマンは、2009年の講義で過去30年間のマクロ経済学の大部分は「良く言っても見事なまでに無益で、悪く言えば積極的に害をもたらした」」と論じた。
  ・・英エコノミスト誌の記事から("What went wrong with economics" The Economist Jul 16th 2009)
 注1)この「過去30年のマクロ経済学」とは、新古典派経済学の中の「新しい古典派」、それを引き継ぐ
   (あるいそれに含まれる)RBC理論、さらにはそのRBC論に基礎を置くニューケインジアン
    経済学を指す。

 実際、上記の注1でいう現代マクロ経済学者」たちは、この世界同時不況を理論的に予測できるモデルや枠組みを持っていなかったし、その対策を検討し有効な対策を提言するために使える理論的枠組みも持っていなかった。
 したがって、政策の現場では、これら現代マクロ経済学者たちが嘲笑の的としてきたIS−LMモデル(〜いわゆる「どマクロ」)が専ら使われたのである。

 ローレンス・サマーズ前米国家経済会議(NEC)委員長(現ハーバード大)は、2011年4月9日のコンファレンスにおいて「DSGEはホワイトハウスの危機への政策対応において何の役割も果たさなかった、と述べた。流動性の罠を取り込んだIS−LMだけが使用された。」(himaginary氏訳)と述べた。
  ・・・ブログhimaginaryの日記から(「サマーズ「DSGEモデルはまるで経済政策の役に立たなかった」」
    2011-04-10)・・・次の出典も同様。

 また「彼のさらに厳しい評価が示されたのは、マクロ経済学に健全なミクロ経済学の基礎付けをしようとした膨大な研究は、政策当局者としての彼にとっては基本的に役に立たなかった、というコメントにおいてであろう。」(himaginary氏訳)
  ( 原文はThe EconomistのMark Thomaによるブログから
                      ("What the economists knew"Free Exchange Apr 9th 2011
 注2)DSGEモデル(「動学的確率的一般均衡モデル」)は、RBC理論を原型としたミクロ経済学的
   付けのあるモデルに、様々な仮定を導入することによって時間的な変化を考慮した動学的分析を
   行うもの。 古典派(RBC理論)も、ニューケインジアンも専らこれを用いる。

 以下、現代マクロ経済学がなぜ、こうした状況に陥ってしまったかについて考える。

2 経済学の研究手法の問題点 = 自然科学とは異なる研究態度

    第二次大戦後、供給中心の経済学が主流となってきたのは、現実の経済をよく説明できると考えられたからだ。それは、第二次大戦後の各国が、主に供給に問題のある(したがって供給不足)経済だったからだ。
 特に1970年代以後の米国ギリシャ開発途上国では、供給にボトルネックがあるから、供給中心の経済学がよく当てはまったのである。サンプルの中にこうした国々が多ければ、研究サンプルの多くが「供給に問題を抱える国」になるから、供給中心の経済学の説明力が高いことになる。

 問題は経済学の研究手法に潜在する問題(研究対象の偏りが引き起こす問題)を、経済学者が理解していないことだ。

(「例外」をどのように扱うか=自然科学との違い)
    現代経済学の研究手法、特に実証の手法は、統計的手法が中心である。ところが、統計的手法では、例外的現象は「外れ値」としてネグられてしまう。こうした統計的な手法の影響が極めて高いため、現代経済学では、頻度の高い現象だけを集めてモデルが構築されることになる。
    まずは、例外的現象を含まない頻度の高い現象から作られたモデルが構築され、それは当然、頻度の高い現象から生ずるサンプルで統計的に実証されることになる。
    大恐慌など例外的現象が重要な問題の場合、そのモデルに基づいて、例外的現象が解釈されることになるが、当然その基本モデルでは解釈できない部分が出てくる。そこで、その解釈出来ない部分を説明するために、アドホックに(極端に言えば「その場限りに」)様々な要因を追加して解釈しようと試みることになる。戦後の現代マクロ経済学の歴史は、そうした基本モデルでは解釈出来ない現象を、様々な要因を追加することで解釈する試みの歴史と言える。
    今回の世界同時不況の経験でわかったことは、結局、そうした試みは有効ではなかった(少なくとも、全く十分ではなかった)ということなのである。

    実は、こうした経済学の研究の方向は自然科学の研究の方向とはほぼまったく異なる。例えば、ノーベル物理学賞の受賞研究はすべて「例外」の研究である。最近の例では、南部陽一郎氏のノーベル物理学賞受賞理由の一つは「自発的対象性の破れ」に関するものだが、これはまさに例外的現象であるし、小林・益川両氏のノーベル賞受賞対象となった理論もCP対称性の破れという例外的現象の説明にかかわっている。自然科学は「例外」と「特殊」な問題にほとんどの資源とエネルギーを注ぎ込み続けている。そして、それが豊穣な成果を次々に人類にもたらしてきたのである。

 自然科学で、なぜ「例外と特殊」の研究が重視されるかと言えば、例外や特殊な問題を説明できない理論体系は正しくないと考えられ、それらを説明できる新たな理論が追求されなければならないと考えられているからだ(ところが、現代のマクロ経済学はそうではない。単に例外は「例外」として無視されるのである)。そして、自然科学では、例外の発見を踏まえて、例外を包含した新たな理論体系の構築が目指される。自然科学は、こうしたプロセスで理論を発展させ続けてきている。

    ところが、統計的手法が中心の学問では、こうした方向には研究が進みにくい。例外の無視こそ統計の本質とも言えるからだ。経済学は、まさにこの統計的手法に束縛されている。経済学は、数学を多用しているために一見自然科学に近いように見えるが、実は、それは、この意味では疑似自然科学というしかない。

 経済学が統計的手法を中心とする限り、例外は排除されるか、結果的に無視される。
例えば、分析の対象が米国やギリシャや、開発途上国が中心であれば、それらは、いずれも「供給側に問題を抱える国々」だから、その中に二、三、需要に問題を抱える国が混じっていても、分析結果は、供給側の説明力が高い結果が出てきてしまう。「ほら、やっぱり供給側の要因の説明力が高いじゃないか」というわけである。

    あるいは、通常発生している景気変動は、ほとんどの場合、在庫変動程度の軽い変動である。であれば、そうしたデータが大多数を占める現状の統計分析には、ちょっと利子率を操作すれば、景気刺激に効果があるといった経済モデルが当てはまりがよい。だが、30年代「大恐慌」や今回の「世界同時不況」そしておそらくは日本のバブル崩壊後の長期停滞は、こうした軽い変動とは異なるメカニズムが働いている可能性があり、それに係わる要因も軽い景気変動とは異なっている可能性が強い。ところが、それらは、数十年に一度しか発生しないために、統計的には例外現象になってしまう。つまり、統計的には抽出できない現象なのである(実際、M.フリードマンは経済学が数学的手法に頼りすぎることを危惧し、自らは歴史的手法を重視していた)。

    現代マクロ経済学は、こうした大恐慌などを、専ら軽い景気変動を説明する彼らのモデルで十分説明できる(はず)と主張してきたし、統計的に「実証してきた」はずだった。だが、それは今回の世界同時不況で、役に立つようなレベルのものではないことが改めて明らかになったのである。

    経済学が発展していくためには、例外を排除する研究態度は修正されなければならない。

3 科学の進歩とは理論体系の統合=「大統一理論」の出現の積み重ね

    今の世界同時不況や日本の長期停滞の説明は、需要を重視するケインズ系の経済理論が妥当する可能性が高い。しかし、このように状況に応じて適用すべき理論体系を取り替えることで終わりだと考えるべきではない

    自然科学では、こうした例外的事象を契機に理論体系の統合が行われ、まったく新しい包括的な統一的な理論体系が出現してきたのである。それを「統一理論」という。
    例えば、ニュートン力学は、ケプラーによって発見された「惑星の軌道が太陽を中心とする円軌道ではなく楕円軌道だった」という現象を説明するために、当時はまったく別の現象と考えられていた「ガリレイの落体の法則」と、「ケプラーの惑星運動の法則」を統合することで出現した大「統一理論」なのである。
         注)落体の法則は放物線軌道であり、惑星運動の法則は楕円軌道なので、幾何学的に見るとまったく別のもの
              に見える。実際、当時は、まったく別の、異質の現象であり、異なるメカニズムと見られていた。
                  ニュートンは、これに距離の2乗に比例する「重力」概念を導入することで、まず惑星運動の楕円軌道を導
              き、次いで落体の法則の放物線軌道が、重力一定(地球表面上では、地球の中心との距離がほぼ一定)とい
              う条件下での重力法則の近似であることを明らかにした(落体の法則は正確には放物線軌道ではなく、楕円
              軌道で説明すべきで、放物線は近似にすぎない)。

    また、アインシュタインの一般相対性理論も、慣性力と重力を結びつけ統合した理論体系と言える。これも統一理論なのである。

    自然科学の発展メカニズムに従えば、経済学でも、供給不足下と需要不足下の経済を等しく扱える理論体系が生まれるべきなのである。それは、供給側だけのメカニズムで経済を捉える経済学(新古典派系)でも、需要側だけのメカニズムで経済を捉える経済学(ケインズ系?)でもなく、その双方のメカニズムを整合的に取り込んだ経済学理論になるはずだ。

    しかし、過去30年、現代マクロ経済学は、統一理論を志向するのではなく、一方の(需要側の)メカニズムを排除し、根本的にはすべてをサプライサイドで説明できるとする前提(方向)で研究が続けられ、まさに「天動説」の周転円に周転円を重ねるような研究が続けられてきた可能性があると考える。

 注)ニューケインジアンは、RBC理論に「需要不足」を導入したが、その需要不足の原因としては、主に
       「価格の硬直性」が考えられている。しかし、それは供給者側の価格設定の問題であるから、やはり結局は
       サプライサイドの問題を扱っているのである。

  (以上の議論の詳細は、拙著重不況の経済学の末尾の『補論 フリードマン対ガリレオ』参照)