2013年10月31日木曜日

財政出動論24B 97年消費増税の影響を家電で見る

改訂履歴:24.11.15家電のグラフをわかりやすく加筆。25.11.4 細部補足。24.11.1 家電の月次のグラフと家計の貯蓄についてのグラフを追加。25.10.31 数カ所で微修正。

      財政出動論24C(消費増税に関する8つの問題と誤解)で、このページや財政出動論24をベースに、消費税増税に関する問題を簡単に6つにまとめました。

     財政出動論24(消費税増税の影響)では、97年の消費税増税が「住宅建設」と「四輪自動車国内販売」に与えた影響を見たが、ここでは、典型的な耐久消費財として「家電製品」への影響を見てみる。
    ・・・結論としては、影響は大きく、かつ明らかに原因は金融危機等ではない。
    なお、このグラフは、輸入を含めた国内販売を見ているので、国内企業の国内での競争力などは関係ない。つまり、家電製品の国内需要の変動をそのまま見ている。
        注)データは、経済産業省「生産動態統計調査」による。ここでいう「家庭用電
             気機器」とは、エアコン、扇風機、炊飯器、トースター、電気剃刀、電子レン
             ジ、冷蔵庫、掃除機、電気式暖房機具など一般的な家電製品を指す。
                 これに対して、この統計では、薄型テレビ、家庭用ビデオカメラ、カーナビ、
             カーオーディオ、デジカメなどは「民生用電子機器」に分類され、これには
             まれない
                 なお、ここでは、在庫変動は無視している。

1    このグラフから、つぎのようなことが言えると思う
      ① 97年の消費税増税を含む財政緊縮政策によって、家電製品に対する国内需
          要は0.4〜0.5兆円程度縮小し、その影響はおおむね恒久的である。

      ② 2000年代に入って需要はさらに縮小しているが、これは家計所得が伸び
          ていなこと、特に家電製品の主な購入層である若者の低所得化(非正規雇用
          割合の増加)によるものと思われる。

             長期不況下では(特に2000年代に入って)、企業のコストカットの主な
         源泉として、雇用の削減、正規社員の非正規労働者置き換えが進められたが、
         それによって、企業の製品を買ってくれる若者をはじめとする家計の所得が減
         少し、(そうした家計の予算制約で)製品需要が縮小したと考えられる。
             90年代初頭のバブル崩壊以後、労働分配率(=人件費/付加価値額)は、
         上昇を続けた(これは、企業が景気の回復を待ち続け、雇用を維持し続けたた
         めだ)。しかし、2000年前後を境に、企業は売上の回復(需要回復)をあ
         きらめ、縮小した国内需要に合わせて、余剰人員の削減に本格的に取り組みは
         じめたのである(リストラが盛んに行われた)。この結果、労働分配率は低下
         し次のグラフのように家計の資金余剰(貯蓄)は小さくなった(代わりに企
         業の内部留保が増加した)。家計は、家電製品など耐久消費財を買う余裕をな
         くしていったと考えられる。
             なお、このグラフから明らかなように、家計が消費税増税のショックに耐え
          る力の一つとして、家計の貯蓄(=資金余剰)を見ると、現在のその力は97
          年の増税当時の①から、②へと明確に低下している。現在、家計の新規貯蓄は、
          毎年10〜20兆円程度となっているが、今回の消費税増税で、このうち8兆
          が政府に吸い上げられることになる(初年度である14年度は、このうち5
          兆円程度とされる)。・・・・実際は、貯蓄をなるべく維持するために消費が削減
          されるだろう。
              今後の賃上げで家計の名目所得が3%程度伸びれば影響は小さいかもしれな
          いが、それ以下であれば、需要はその分減少し、その減少の大半は、住宅建設、
          自動車販売、耐久消費財の縮小として現れると考えられる。
            こうした家計の購買力低下は、所得の頭うちないしは低下によるもので、そ
        の原因は、合理化、効率化による人件費の抑制・縮小だ(もちろん、その原因
         は日本が長期停滞下にあり、そこからの脱却の見通しがないことによるもので、
         企業の合理化、効率化への取り組みは合理的と言わざるをえない)。
         
            しかし、一社や一業界のみが労働コストを削減して効率化するというなら問
         題はないが、業が一斉に労働コストの削減で効率化を進めようとすれば、
         家計部門全体の可処分所得が抑制され、それは企業の製品を買う家計部門全体
         予算を制約する。その結果、回り回って企業部門全体からみた需要は縮小す
         ることになる。まさに、タコが自分の手足を食べるのと同じ、共有地の悲劇
         いうわけだ
           ・・・ところが、マクロはミクロの延長としか考えない経済学に毒された、ある
         国では、が率先して全企業が合理化による生産性向上を進めるべき
         と旗をふっている。政府は自分の役割を理解していない。生産性向上は企業に
         まかせればよいのだ。

    このほかには、次のようなことが言える。
    ③ 消費税増税後の落ち込みの大きさはバブル崩壊時に匹敵すること(しかもバ
        ブル崩壊時とは異なり、回復していない)。
    ④ リーマンショックの影響はこれに比べれば軽微なこと。
    ⑤ 家電エコポイントの(一時的な)効果が明らかなこと。
    ⑥ 国内生産と国内販売(輸入品を含む)の関係を見ると、2000年度以前は、
        国内生産>国内販売で「輸出が超過」していたのに対して、それ以後は逆転し
        て「輸入が超過」するようになったこと。

2 明らかにこれには、東アジア通貨危機や国内金融危機の影響はない

    消費税増税後の消費等の落ち込みについては、 財政出動論24でふれたように、97年7月の東アジア通貨危機、同年11月の国内金融危機の影響を主張する人達がいる。これについては、消費税増税の影響が最も集中的に現れる住宅建設でそうした影響がみられないことなどを財政出動論24で述べた。
    ここでは同じ問題を家電製品で見てみよう。

(1)銀行の融資縮小(貸し渋り)の影響はない
    まず、これらの家電製品は、価格帯としては、数千円〜数十万円程度で、自動車に比べて10分の1程度である。したがって、これらを購入するために、わざわざ審査を受けて金融機関から融資を受ける家計はわずかだろう。カードでの購入は少なくないだろうが、この場合は、普通は購入1件毎に一々審査を受けることはない。
    つまり、一つ目のグラフで見た家電製品需要の落ち込みには、金融危機等に伴う銀行融資の縮小や貸し渋りなどの影響はまったくないと言える。家電製品購入の落ち込みは、それとは別の原因による消費者自身の判断によるものだ。

(2)消費マインドの低下は疑問
    もちろん、不景気を肌で感じ、将来に備えて消費を節約するということはあり得ることではある。消費マインドの低下というわけだ。
    しかし、それが「90年代初頭のバブル崩壊」と同レベル以上の家電消費縮小の原因だとはとても思えない。これは、金融危機や通貨危機以上に消費者心理に大きな影響を与えたはずのリーマンショックが実際に国内需要に与えた影響が(一番上のグラフを見ても明らかなように)極めて軽微であることをみれば明らかだろう。

(3)月次の変動を見ても
    また、このことは、民生用電気機械の97年の毎月の生産動向を示す次のグラフでも明らかだ。これを見ると、生産はほぼ一直線に低下しているのだ。したがって東アジア通貨危機原因説、国内金融危機原因説つまり「消費増税後、消費は一旦回復したが、その後の7月の東アジア通貨危機や11月の国内金融危機が原因で消費が落ち込んだのだ」という説は成立しないように思える
    参考までに、この民生用電気機械を含む「電気機械工業」全体の生産指数の変動も示したが、これには生産の低下が見られない。これは、電気機械工業全体では、産業用機器のウエイトが極めて高いからだ(7割以上)。つまり、この時点では、設備投資などの産業用需要は東アジア通貨危機や国内金融危機の影響をほぼ受けていないのである。設備投資が急減したのは98年に入ってからである。
    明らかに、企業より先に家計が通貨危機や金融危機などの将来の影響を予想して行動を変化させることはあり得ない。通常なら、7月の東アジア通貨危機や11月の国内金融危機などのショックの影響はまず企業が認識して、それが企業の設備投資や雇用削減を引き起こし、それが雇用不安を通じて消費に波及したはずである。ところが現実は、この順序とは全く逆にまず消費が縮小し、ついで設備投資が縮小していったのである。東アジア通貨危機、国内金融危機原因説は、事実に反する。
     すなわち、消費急減の原因は、やはり4月の消費税増税だと考えるのが自然である。(穏当な理解は、消費税増税が消費の縮小をもたらし、それが企業の設備投資に影響する一方、東アジア通貨危機や国内金融危機が金融面からも設備投資縮小の要因となり、両者が重なったことで強い不況が生じたというところかもしれない。しかし、消費税の影響がなく需要が根強ければ、金融危機等の影響は速やかに解消しただろう。)
注)データの出所は、一つ目のグラフと同じ。
《補足》なお、当時は(95年に)はじめて使いものになるWindows(Windows95)が発売され、一挙にインターネットが普及し始めた時期である(それまではMS−DOS、Windowsパソコンによるインターネット利用は一般の利用者にとって技術的にハードルが高かった)。また、この時期は携帯電話の急速な普及が進んだ時期でもあった。
    当時、こうしたネットワーク環境が急速に普及しつつあったことで、関連のパソコン等や携帯電話需要が高まり、これらが消費を下支えした。
   これらの電子機器は、始めのグラフの注でも述べたように、家電(民生用電気機械)には含まれていない。これらの動向を各月の変化で見ると、必ずしも97年を通じて需要は減少しておらず、どちらかというと、プラス側に需要を下支えする役割を果たした。そのしわ寄せが、住宅、自動車、家電製品などの(民生用電子機器、通信機器以外)耐久消費財に現れたと考えられる。
・・・今回2014年の消費税増税では、こうした需要を支える強い魅力のある製品が存在していないのも心配である。

3 消費税増税の影響は耐久消費財に集中する(財政出動論24からの再掲)

   財政出動論24で述べたように、家計の可処分所得が(増税などで)減少した場合、通常は家計は、圧縮が困難な食材や消耗品などの日常生活用品(最寄品)の消費はほぼ変えず、圧縮できなかった分を住宅、自動車などの耐久消費財消費の圧縮でカバーする
    これは、耐久財等は1度買えば何年でも使えるからだ。単に、今年買い換えようと思っていた買い換えの時期を1年か2年先延ばしすればよいのだ
   そして、可処分所得の縮小が恒久的(消費税増税は、それ以後毎年恒久的に家計の可処分所得を縮小させる)であり、さらにその後、賃金のベアなどもほとんどなかったから、家計の所得は伸びていない)なら、その先延ばしは、長くなったまま短くなることはなく、需要縮小は恒久的となる。

    家計にとって、同じモノを少し長く使い続けることで不都合はほとんどない。しかし、企業に取っては死活問題だ。そして、それはその後の設備投資抑制や雇用の縮小などにさらに反映され、ますます需要は縮小していくことになった。

2013年10月23日水曜日

財出28 新著『日本国債のパラドックス・・』紹介Ver.2

                                                                                                      → 紹介ver.1 アマゾン
修正:25.12.27 前書き部分の内容を増補修正。25.10.28 「4」に「(2)理論が現実を説明できないとき」を挿入。

    新拙著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学(新評論、2013年10月10日刊)は、以下のような点を目指しています。
    ノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマンは「日本国債の空売りは『未亡人製造機(これをやったために破産して自殺に追い込まれる人を多数出したということ)といわれるほどで、かずかずのヘッジファンドが犠牲になってきた。(クルーグマン(2013)『そして日本経済が世界の希望になる』63ページ)と述べていますが、ヘッジファンドや経済学者、エコノミストの常識からすれば、日本国債(発行残高が極めて巨額に達し、しかもそれが毎年急速に増加しています)は極めて不安定で、ちょっとした投機で暴落するはずだと考えられてきました。・・・国債暴落を煽る本も毎年のように出版されているようです。また、今は大丈夫だが、発行残高が個人金融資産総額を超えると財政破綻するという説については財政赤字・政府累積債務の持続可能性参照

   
しかし、それにもかかわらず、長期にわたって発行金利が世界的に見て極めて低いなど、日本国債の発行は極めて安定しており、投機的な攻撃に対しても安定しているように見えます(もちろん、これについては、政府や日銀の必死の対策があってかろうじて維持されているのだという見方もあります。しかし、本当に不安定なら、政府や中央銀行の力だけでは抑えられないと考えます)
    本書では、これを「日本国債のパラドックス」と捉え、原因を検討していきます。本書のタイトルは、こうした日本国債が安定している条件を解明しようとする当初の意図を反映しています。
    検討の結果として本書では、日本国債安定の原因が、日銀の金融緩和政策等だけではなく、重い不況下の経済の本質的メカニズム(ワルラス法則)に係わることを示します。   

    そして、こうした検討から同時に(そうした観点と問題意識から出発して)、下記に示すような「様々な問題」が、現代マクロ経済学でこれまで軽視されてきた、単純な一つの観点(ワルラス法則を市場間の資金移動(資金循環)で見るという観点)に基づいた、たった一つの単純なメカニズム(注)で整合的に説明できること、また、そのメカニズムはワルラス法則を満たすことを示します。
    リーマンショックを受けて、従来の経済学には何らかの問題があったという見方が生じましたが、本書の結果は、こうした意味で、経済学に新しい視点と枠組みを追加するものになる可能性があると考えています。

    本の概略:グラフ36枚、表5枚で、数式はあっても加減乗除しか使っていません。したがって、特別な予備知識は不要です。

    注)たった一つの単純なメカニズム(=本書の基本メカニズム)
             財・サービス市場で需要不足が存在するときは、その需要(有効需要)として
         使われなかった資金が、債券市場等に流入し、債券市場等では(財・サービス市
         場の需要不足と同規模の)超過需要が生ずるという極めて常識的なメカニズムで
         す(これは、ワルラス法則を市場間の資金移動で捉えたものです)。
             このとき、財・サービス市場の需要不足を受けて企業は設備投資を抑制するた
         め、貨幣・債券市場では(特に重不況下では金利が低下しても)社債の発行や民
         間貸出は低迷します。したがって、このとき、資金は余剰化して金融市場に滞留
         します(【財政出動論22】(貨幣流通速度と不況期資金余剰)参照)。
             社債の発行も銀行の融資も低迷しますから、残る国債の需要が上昇することに
         なります。この状況は、不況が続く限り継続します。この結果、市場の利は
         額の国債発行にもかかわらず低位で安定します
             これは、ワルラス法則を市場間の資金循環で整理することで容易に導くことが
         できます。
             そして、このメカニズムは、既存経済学のマンデル=フレミング・モデル、財
         政出動によるクラウディング・アウト、「日本国 債のパラドックス」、リカード
        の公債中立命非ケインズ効果・拡張的緊縮論等々の数々のissueを破壊します
         (ある条件下(つまり重い不況下)でですが)。
            また、このメカニズムは、財・サービス市場の需要不足と超過需要を連続的に
        取り扱う(つまり、需要の経済学と供給の経済学を統合した)「新しい経済学」
        のベースとなる可能性があるものと考えています。

    以下では、読んでいただきたい方別に 整理してみます。

1 日本や米国等の「財政の持続可能性」に関心がある方

    (具体的には)①国債の発行金利/利回りの今後の動向に関心がある方、②長期金利の今後の動向に関心のある方(①と同様ですが)、③国債に対する投機の危険性に関心がある方、④国債の格付けに係わっている方、⑤財政再建のための増税と緊縮財政に直面している国の国民(財政再建と消費税増税を控える日本、未だ強い緊縮財政下にあるヨーロッパ諸国財政の崖・連邦政府債務上限問題を抱える米国など)・・・もちろん、すべての疑問に答えるものではないです。

◎本書のタイトルから『日本国債のパラドックス』
     ポール・クルーグマンは近著で、日本国債に関して「投機的な動きを懸念する人もいるが、日本国債の空売りは「未亡人製造機」(これをやったために破産して自殺に追い込まれる人を多数出したということ)といわれるほどで、かずかずのヘッジファンドが犠牲になってきた。」(『そして日本経済が世界の希望になる』(PHP研究所、2013年10月2日刊)63ページ)と述べています。

   このように世界最高水準の巨額の累積債務を抱える日本政府が、毎年数十兆円という巨額の新発国債を発行しているにもかかわわらず、日本国債の発行金利・利回りが極めて低く、安定的に消化されています(=「日本国債のパラドックス)が、その理由としては、一般に①政府・日銀が金融政策等で人為的に抑え込んでいる②国民の個人金融資産が巨額であり、それを使って国内で消化されているため、という2点がおおむねの通説となっていると言えます(なお、このうち②については、すでに【財政出動論7】(政府累積債務の持続可能性)のページで否定的に整理しています)。
    残る ①は、一方では金融政策次第で市場はいかようにもコントロールできるという、金融政策万能論信仰の論拠ともなり、一方では極めて危ういバランスの上でかろうじて国債が消化されているのだろうから、ちょっとしたことでバランスが崩れると財政が破綻するという切迫した危機感の原因にもなっています。後者は消費税増税の重要な説得材料にもなりました。

    しかし、本書では、①、②とも誤っていることを示します。論拠は、上の「(注)」の基本メカニズムです。

2 「財政出動の有効性」に関心がある方
    (具体的には)①財政出動によるクラウディング・アウト、②マンデル=フレミング・モデル、③リカード公債中立命題(等価定理)、④ゼロ金利下の高い財政乗数などに関心がある方

(1)クラウディング・アウト、マンデル=フレミング・モデル
    上記のうち、①と②は、政府の財政出動のための国債発行で資金需要が増加することで引き起こされる変化が、財政出動の効果を相殺するとされるものです。
    ①は、国債発行が民間企業の資金調達を阻害し、それによって民間設備投資が抑制される影響が、財政出動の効果を相殺するというもの、②は、変動相場制下では、国債発行による資金需要の上昇に応じて海外から資金が流入しますが、その際に生じる自国通貨高で輸出が打撃を受け、財政出動による内需増加の効果を相殺するというものです。
    しかし、日本の長期停滞の場合、実証的には①や②の現象が生じなかったということについて幅広い合意があります。生じなかったのは何らかの別の要因が働いたためでしょうか?

    そうではありません。こうした実証結果は、上の「(注)」の基本メカニズムを考えれば、ごく当然のことです。重不況下の日本経済で財・サービス市場で使われなかった巨額の資金が金融市場(貨幣市場、債券市場)に流入して、金融市場には資金が有り余っているのですから、金利が上昇するはずもなく、海外の資金を借りるような資金需要があるはずもなく、むしろ海外へ資金を吐き出しているのです(=資本収支赤字(=経常収支黒字))。

(2)リカード公債中立命題(等価定理)
    次は③ですが、これについては【財政出動論25】(負担の次世代先送り論)の中段あたりで評価しています。本書では、そこで述べた観点を上記の「(注)」の基本メカニズムと整合的な形で位置づけ説明しています(・・・なお、財政出動論25に加えて【財政出動論12】(リカードの公債中立命題)も参照下さい。こちらは観点がすこし違いますが、同様に否定的に整理しています)。

(3)ゼロ金利下の高い「財政乗数」
    これについては、【財政出動論23】(リーマン後4年間の財政金融政策)の末尾で触れていますが、こうなる理由は(1)から明らかでしょう。
   これは、好況期の観点で単純に不況特に重不況を扱うことはできないということでもあります。原因は、上記の「(注)」の基本メカニズムにあります。

3 リーマン後の世界同時不況を踏まえた「新しい経済学」に関心がある方
(1)背景
    これについては、現代マクロ経済学に関する【財出27補】(『日本国債のパラ‥』 序章の冒頭部分)を参照下さい。ここでは、主にリーマン・ショック発生当初に現代マクロ経済学自体が受けた大きなショックを紹介しています(アイケングリーンの発言を除く)

    当時のショックは薄らぎつつあり、現在は一見なにごともなかったかのように時間は流れています。しかし、ショック直後に考えられていたよりも、さらに問題は大きかったことも次第に明らかになりつつあります。

    2012年のNHKのインタビューで、J.E.スティグリッツ(コロンビア大学教授、2001年ノーベル経済学賞受賞者)は「この危機が始まった時、全てのアメリカ人が『我々は日本の二の舞にはならない』と言っていた。・・・それで、我々はどうなった。日本の二の舞になっている。」と述べています。これに【財出27補】のアイケングリーンの発言も加わります。
    出所:道草  http://econdays.net/?p=7140 原文:NHK Biz 番組サイトの飯田キャスターブログ (7/31/2012 Joseph Stiglitz, Professor at Columbia University)  http://www.nhk.or.jp/bizplus-blog/100/128979.html#more

    以上は、現代マクロ経済学が、①危機を生み出した市場の歪みをコントロールできず(あるいは歪みの発生とその巨大化を認識できず)、②危機の発生とそのショックに伴う経済変動に対応できなかったというだけでなく、③危機が収束した後の経済のリカバリー局面でも十分に機能しなかったことを意味します。

(2)枠組みの問題・・・セイ法則ベースからワルラス法則ベースへの転換
                                  ・・(供給中心の経済学)から(供給と需要を等価に扱える経済学)へ
    現代マクロ経済学は、セイ法則が常時成り立つ「基本モデル」を核に構築されています。基本モデルは長期(一般均衡状態の経済)を扱います。しかし、ほとんどの経済学者は、短期的にはセイ法則が破れ一時的に需要不足が生じることを認めます。
    セイ法則が破れた状態では、基本モデルの説明力は低下しますから、そうした短期の経済と基本モデルの乖離を埋める補完モデルが次々に追加されてきました。ニューケインジアンで言えば、価格や賃金の硬直性による説明プロセスなどを入れるわけです。
    現代マクロ経済学の発展とは、こうした基本モデルと現実の経済の短期変動との乖離を説明する付加的な補完モデルを開発し付加する研究史だったと言えます(こうした付加的な補完モデルは、基本モデルから導かれたものではないという意味も含めて、基本的にはアドホックなものだと言えると思います)。
    しかし、現代マクロ経済学のこうした様々なモデルには、多くの場合、財・サービス市場での需要不足は組み込まれていますが、その需要不足が、市場間の資金移動をもたらし、それによって、その影響が市場間を波及していくというメカニズムは折り込まれていません
    それはおそらく、基本モデルが、セイ法則に破れがないことを前提にしているために、セイ法則が破れた状態について十分な検討が行われることがなかったためだと考えます。そして、この部分を十分に検討しないまま、その上に精緻な体系が組み上げられてしまったのです。

    こうして、現代マクロ経済学は、セイ法則の常時成立を前提とする「基本モデルが長期を」説明し、「短期の景気変動と基本モデルの間の乖離を、アドホックに追加される付加的補完的なサブモデルが」説明するという枠組みで発展してきたのです(しかし、その付加的な補完モデルには、財市場の需要不足に伴う市場間の資金移動という経路は組み込まれていません)。そして、こうした枠組みは今回のリーマン・ショックで、限界に達していることが明らかになったと考えます。

    これ対して、本書の観点は、セイ法則ではなく、上記「注1」の基本メカニズムに係わるワルラス法則を前提として、「長期だけでなく短期をも」一つの基本モデルで説明するものです。
    これは、長期と短期を統一するだけでなく、供給中心の経済学(新古典派系)と需要中心の経済学(ケインズ系)を統合する統一理論の可能性を持つものと考えています。

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「新しい経済学」放談編
    あなたが、20年後のノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞)を狙っているなら、この本を読んでおくことをお勧めします。・・・少なくとも「異説」を知っておくことは重要です・・・異説が正しいこともありますし、異説と従来の説の中間に真理があるかもしれませんし、従来の説に準拠していくにしても異なる説を頭に持っていることがあなたの研究に新しい観点を与え、それがあなたに強力なアドバンテージを与えてくれるかもしれません。(・・・以下、文体を変えます)

(1)あなたは天動説に一生を捧げますか?
    天動説については、今日では誰もが(少なくとも日本では)荒唐無稽と考えている。現代人は、コペルニクスがはじめて地動説が唱えたとき、優劣はすでに明確だったはずで、それが受け入れられなかったのは当時の天文学者たちが古い考えにとらわれていたからだろうと思いがちだ。
    だが、ガリレオ・ガリレイが、コペルニクスの地動説を支持していることを明らかにした当時、天体運行の予測精度において、コペルニクスの地動説と天動説はほぼ差がなかった。また、地球が太陽の周りを回っていれば地球の位置の変化によって地球から見た恒星の位置に季節による変化(年周視差という)が観測されるはずだったが、当時の観測技術では観測されなかった(実際のところ、当時の人々は宇宙の大きさを著しく小さく評価していた。・・・いずれにしても)。こうした実証結果を見ても、地動説よりも天動説は「実証的に」優位にあった。また、理論的にも、コペルニクスの地動説は、天動説と同様に周転円だらけであり、天動説に比べて簡明でもシンプルでもなく、理論的に美しくもなかった。
        注)図の火星を例に天動説の導円と周転円の関係を説明すると、火星は周転円上
            を回転している。その周転円の中心は、導円に沿って地球の回りを回転してい
            ると考える。すると、地球から見た惑星の順行、逆行などが説明可能になる。

    原因は、コペルニクスの地動説では、天動説と同様に、天体の軌道として円軌道が前提とされていたからだ。そもそも天動説の説明力が十分でなかった原因は、この円軌道の仮定の誤りにあった(実際は楕円軌道だったのである)。これによる観測結果との乖離を説明するために、周転円、副周転円副々周転円、さらに導円の中心が一定のサイクルで変動するエカントというメカニズムを導入するなどといった天文学上の発展がなされていた。・・・エカントはまさに楕円軌道を近似するようなメカニズムである。・・・まあ、まさに現代マクロ経済学における(基本モデルが説明できないところを補完する)様々な付加的なサブモデルの追加と同じである(・・・もっとも、このこと自体はどのような理論体系にもあることではある)

    一方のコペルニクスの地動説も円軌道を前提としていたから、予測の精度が天動説と変わらなかったのも当然である。ガリレイの後半生には、ケプラーが惑星軌道の楕円軌道論を提示していたが、ガリレイは「悪魔の仕業」として楕円軌道を拒否している。
    しかし、結局、天動説に対する地動説の勝利は、ケプラーの楕円軌道による地動説(の観測結果との高精度の一致)によって現実化していったのである。

(2)理論が現実を説明できないとき
    理論が現実を説明できないとき、科学者の対応は2つである。一つは、理論の前提(条件、仮定)を見直すことだ。もう一つは、元の(基本)理論をそのままに、説明できない部分だけを説明するための新たなサブモデルを追加することである。

    天動説では、後者がとられ、星が地球の周りを回っている基本理論はそのままに、周転円やエカントといったサブモデルを追加することで、天文学は複雑さを深めつつ発展していると天文学者たちは信じていた。まさに高度な天文学が発展しつつあり、天文現象を必ずしも精確に説明できないのは、天文現象はさらに複雑なのだと考えられ、天文学の精度を高めて行くには、さらに周転円や副周転円、副々周転円を重ね、あるいはさらに未知のアイディアによるサブモデルを追加(複雑化)することによって可能になるだろうと予想されていた。

    これに対して、コペルニクス、ガリレイは、地球の周りを星が回るという最も基礎的な仮定を太陽の周りを地球も回るという地動説の考え方を導入し、ケプラーは、それらの軌道が円軌道ではなく楕円軌道であるという解釈を導入した。
    
    こうして、①地動説の視点楕円軌道というたった2つの単純な新しい観点(事実)の導入だけで、「複雑」に見えた星の運行が単純に理解できることが示された。この結果、すべての周転円やエカントなどの天動説(及びコペルニクスの地動説)のサブモデルは無用になったしそうした理論的な発展に貢献した天文学者たちの業績の評価は霧散した

    こうした「高度に複雑な」現象は高度に複雑な理論モデルを複雑精緻化することで解明されるという科学的な信念は、科学史の上で、しばしば基礎的な仮定や前提条件を「新しい仮定や条件に」単純に置き換えた理論や観点によって覆されてきた。

    地動説、ニュートン力学、相対性理論、量子力学、大陸移動説、分子生物学などはそうした例である。

   比較的最近の例として分子生物学を取り上げれば、生物学者の、生命現象は複雑かつ高度な営みであり単純な理解は誤っているという信念は、第2次大戦までは確固としたものだったが、戦後には決定的に覆された。こうした生命現象が複雑高度な営みだという信念に対して、ワトソン=クリックDNAの構造を解明し、遺伝の仕組みがわずか4種類の塩基の組み合わせで(単純に)実現されていることを明らかにした。

    また、医薬品の開発に革命的な変化をもたらしつつある・・・DNAの構造解析を高速自動化するシーケンサーなどは、米国で開発されたことになっているが、そのアイディアを出し、基礎的技術を開発したのは日本の研究者と企業だった。ところが、当時、それに研究開発費を出していた科学技術庁(現文科省)の担当の1技官が生命現象複雑論者で、(感情的な?)行き違いもあって、今後、一切こうした『無駄な」研究に資金を出すことは一切しないと宣言するに至り、研究は頓挫してしまった。それを米国が引き継いだのである。

    こうした問題は、経済学にもあると思う。
    今年ノーベル経済学賞を受賞したハンセンは、タイム誌のインタビューで次のように語っている。・・・以下、「himaginaryの日記」(2013-10-27 「タイム誌のハンセンインタビュー」 
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20131027/TIME_Hansen_interviewから

金融危機は我々の知識の穴を幾つか明らかにしました。金融市場の混乱がマクロ経済にどのように波及するか、あるいは逆方向の波及はどうなのか、という点について我々が理解していない基本的な事柄が幾つかあります。・・・私が聞いた議論の中には、これは複雑な問題なので、複雑な解決法が必要とされる、というものがあります私はそれとは反対の立場です。非常に複雑な問題であり、かつ、我々が分かっていない事柄が数多くあるが故に、 最善の方法は簡明さと透明性を旨に取り組むことであり・・・」

    本書の視点は、このハンセンの視点を実現するもの(その視点に基づく1つの試案)である。

(3)現象をよく説明できる仮説にも荒唐無稽のものは少なくない
    さて、(1)のエピソードは何を意味するだろうか。もっとも重要な教訓は、荒唐無稽の誤った学説でも、高い精度で現実を説明できることは珍しくないということである。
    ミルトン・フリードマンは、仮説の基礎的仮定が現実離れしていても、それに基づいて組み立てられた仮説が現実をよく説明し、仮説モデルの予測力が高ければよいと述べている。しかし、その基準で、現在も天動説が正しいと考えられていれば、人類は宇宙飛行はできなかったのである。荒唐無稽でも説明力が高い理論仮説はいくらでもあるのだ。

    コペルニクス、ガリレイらの地動説は、天体の軌道予測という分野では、天動説をしのぐことはできなかった。では、彼らの勝利は「結果オーライの偶然」の幸運に過ぎなかったのだろうか。・・・そうではない。
    ガリレイは、人類ではじめて望遠鏡を使って天体観測を行い、木星の4つの衛星(今日でもガリレオ衛星と呼ばれている)を発見している。また、金星に月と同じように満ち欠けがあり、金星の大きさが変化することを発見している。
    金星の見える大きさの変化は、地動説では、地球と金星それぞれの公転軌道上で双方の位置が(季節的に)接近したり離れたりすることで説明できるが、天動説では金星は地球の周りを円軌道で回っており、地球と金星の距離は一定だから、別の説明メカニズムが必要になる。また金星の満ち欠けも、従来の天動説では適切に説明ができなかった。
    しかし、当時の天文学者たちは、より定量的な「惑星軌道」分野の精度のみを重視して、金星などの「定性的」な変化の説明を重視しなかったため、ガリレイらの主張は、当時の天文学界を動かさなかった。
        注)天文学界を動かしたのは、ケプラーの楕円軌道による地動説である。ケプラー、
            の説は、主戦場たる惑星軌道の分野で、天動説よりもはるかに精確に予測できた
            のである。
    だが、惑星軌道の予測を「主戦場」とし、金星の満ち欠けや大きさの変化という定性的な実証観測を軽視するという観点は、科学的ではない。確かに、人は、データの蓄積もある定量的な部分で評価しがちである。それは結局、既存の仮説側の土俵での勝負になる。したがって、既存の仮説は常に有利である。これは、「経済学者は、街灯のないところで落としたコインを明るい街灯の下でだけ探している」という話と似たような話ではないだろうか。
    しかし、それでは真理に近づくのに時間がかかりすぎるし、その間、優秀な多くの人材の頭脳が無意味な研究に浪費されてしまう。

(4)「説明範囲の広さ」
    以上の話の教訓として、仮説が正しいかどうかを判定する基準として、その仮説モデルの説明力、予測能力が高いかどうかというフリードマンの基準だけでは十分ではないと考えられる。
    新しい判定基準の提案として「説明の範囲が広いか」どうかが問われるべきだと考える。天動説とコペルニクス、ガリレイの地動説は、天体軌道の予測という分野では説明力、予測能力に優劣はなかったが、地動説が金星などの観測結果を整合的に説明できたのに対して、天動説は出来なかった。これは「説明範囲が広いかどうかが重要な判断基準になり得ることを意味する。
    フリードマン自身も述べているように、ある現象を説明できる仮説は無数にある。しかし、説明対象の範囲を広くするほど、説明力を失う仮説が急速に増加し、脱落していく。逆に、説明範囲の広い仮説ほど「正しい」蓋然性が高くなる。したがって、説明力が高いかどうかに加えて、説明範囲が広いかどうかが常に問われるべきである。狭い範囲でのみ説明力が高い仮説の説明力は、ほぼ疑似相関と考えて差し支えないだろう。
    天動説は説明範囲が狭く、誤っていたのに対して、地動説は説明範囲が広く、正しかったのである。ケインズ的に言えば、ガリレイは「アバウトに正しかった」のであり、それは説明範囲の広さが保証していたと考える。

   現代マクロ経済学の仮説モデルは、リーマン・ショックによって無力さを示した。簡単に言えば、「説明範囲が狭い」ことが露呈したと考える
    【財出27補】(新著『日本国債のパラ‥』 序章の冒頭部分)から引用すると、
「カーメン・ラインハート(メリーランド大学教授)とケネス・ロゴフ(ハーバード大学教授、元IMFチーフエコノミスト)は、世界同時不況危機について、『統計的にみて「正常な」経済成長の期間を基準にした標準的なマクロ経済モデルは、本書を執筆中もアメリカと世界に影響をおよぼしている強烈なショックを分析するのには、ほとんど役に立たないと考えられる」と述べている」(ラインハート=ロゴフ[二〇一一]『国家は破綻する 金融危機の800年』日経BP社。328ページ)。
「統計的にみて『正常な』経済成長の期間を基準にした」の意味は、「・・・新たに起きた危機をごく狭い視界で捉えるという好ましからぬ傾向を示す。すなわち、限られた時期の狭い範囲から抽出した標準的なデータセットに基づいて、判断を下そうとする」(前掲書5ページ)から理解できよう。」

    では、これら既存のモデルを拡張し、データの範囲を広げていけば、真理に近づくのだろうか。そうかもしれない。
    しかし、そうではないかもしれない。説明範囲が狭いモデルは誤っている蓋然性が高い。すなわち、天動説のように行き止まりの可能性があると考えるのが本書の立場だ

    これに対して、本書の枠組みは、地動説だと言いたいわけである。

2013年10月5日土曜日

財出27 新著『日本国債のパラドックス‥‥学』Ver.1

   2013年10月10日付けで新しい拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論)を出版しました。ここでは、その概要を書きます。

    なお、本書は、前著『重不況の経済学』が、大部であり、読みにくいとのご批判があったのを踏まえて、大幅に読みやすくしています(原稿は、昨年末に一旦完了したのですが、量の圧縮(本文400ページ余りから250ページ程度へ。なお、カットした分は別に出版したいと考えています)と、文章の見直しに、半年以上を費やしました)。
    また、使っている数式は加減乗除のレベルまでとなっています。

    以下、位置づけと概要です。 →→序章の冒頭(4頁弱)。 →紹介Ver.2

1 「消費税増税」との関連
     消費税増税の理由は、出発点では増大する社会保障費をまかなうというふれこみでしたが、直前期は、財政破綻、日本国債の信認問題に集中していました。
    すなわち、ここで増税できることを示しておかないと、ある日突然、政府の財政政策、日本国債の信認が失われ、金利が急騰して財政が破綻し、日本経済は大変なことになるという懸念ですね。もっともな心配です。
    しかし、本書では、こうした懸念は経済学的に誤っていることを示します。

2 日本国債のパラドックス
    ここで、本書の表題に含まれる「日本国債のパラドックス」ですが・・・、日本が90年代初頭以来、巨額の財政赤字を続け、その累積残高がGDP比で世界最大レベルに達しています。ところが、日本国債の発行金利や利回りは、世界でも最低水準にあります。
    従来の経済学では、政府の累積債務が大きくなるほど、政府財政に対する信認が失われ、それに対応して国債発行金利が高くなるはずです。ところが、巨額の累積債務を抱え、しかも一向にそれが縮小していく兆しがない日本の国債発行金利や国債利回りがほぼ世界最低の状態が続いています。これを「日本国債のパラドックス」とします

3 ワルラス法則と市場間の資金循環
    日本国債のパラドックスを解明するためには、経済学の基礎に戻る必要があります。問題は、現代経済学では、ワルラス法則の解釈があいまいなまま進んできている点にあると考えます。

(1)ワルラス法則とは
    ワルラス法則とは、すべての市場の超過需要を合計すると必ずゼロになるという法則です。これは、一種の会計式であり、恒等式です。
    ここで、すべての市場とは、財・サービス市場、貨幣市場、労働市場、債券市場、土地市場などです。さらに、財・サービス市場を冷蔵庫市場、テレビ市場、スマホ市場などと細分化しても同様です。
    また、「超過需要」とは、需要ー供給の差がゼロではなく、プラスになることです。つまり、ワルラス法則とは、ある市場で超過需要があるときには、他の市場では逆に、それを埋める規模で超過供給が生じていることを意味します。

    現代経済学では、財・サービス市場(以下、面倒なので省略して「財市場」と書きます)に需要不足があることを認めます。しかし、このことをワルラス法則で見ると問題 があります。

(2)ワルラス法則が機能するメカニズム(=市場間の資金移動
    何が問題かというと、この場合に、一般に、なぜワルラス法則が成立するかが考えられていないと思われるのです。ワルラス法則が恒等的に成り立つとするなら、市場Aで需要不足があるときには、どこか別の市場B(ないしは、B,C,Dなどの複数市場の合計)で、市場Aの需要不足の規模と等しいだけの超過需要が生じる必要があります。
    どうも大多数の経済学者は、これをとにかく理由無しに自動的に成り立つものと考えているようです。だとしたら、まるでオカルトです
    物々交換で考えれば明らかなように、もし、財市場で超過供給があったら、余った財を持っている財の供給者は、例えば財が自動車だとしたら、自動車という商品を例えば債券と交換するでしょう。それによって、債券市場では超過需要が生じたのです。これは、購買力が市場間を移動したのです。それによってワルラス法則が成立するのです。
    では、貨幣経済ではどうでしょうか。それは貨幣が市場間を移動することによってワルラス法則が成立すると考えるのが自然でしょう。
    つまり、財市場で需要不足があり不況のときには、財市場で使われなかった資金が貨幣市場や債券市場に流入しているのです。だから、重い不況下では、債券市場には潤沢な資金があふれています(注)。であれば、長期停滞下の日本国債が順調に消化されるのは当然でしょう。
    簡単なことのようですが、これによって「日本国債のパラドックス」以外にも多くの問題が単純に理解できるのです。

       注)現在の日本は、需給ギャップが(変動していますが)10〜20兆円
           とされています(もっとも、この算定には問題も大きいのですが、一応、
           そうだとして使います)。一方、政府の赤字が毎年50兆円程度です。
           つまり、民間のみで需給が均衡する経済と比較した日本経済の真の需給
           ギャップは、この2つを足した規模=60〜70兆円ということになり
           ます。 つまり、GDPの十数%という巨額の需要不足があるのです。
               したがって、これと同額の資金が、毎年、貨幣・債券市場に流入して
           いると考えられるのです。


    ワルラス法則からすれば、この規模の資金が財市場で使われず、毎年、貨幣・債券市場に流入しているのです。つまり、パラドックスはパラドックスではありません。

(3)現代マクロ経済学の各モデルのほとんどで、市場間の資金移動は考慮されていない
   ところが、経済学者には、こうした観点はないのです。財市場の需要不足は認めても、それが、他の市場(債券市場等)に与える影響が考慮されていないと思えるのです。この結果、本書の観点は、日本国債のパラドックスもそうですが、重い不況下での、マンデル=フレミングモデル、財政出動によるクラウディング・アウト、(また、以上の背景には、マクロ的な資金循環と予算制約に対する正確な理解が不足している問題があり、それを踏まえて)貨幣数量説・マネタリズムリカードの公債中立命題などについて、新たな解釈を示します。
    そして、これらの解釈は、リーマン・ショック後の世界同時不況で、財政乗数が従来考えられていたよりも高い数字が計測されていることと整合的です。
    こうした市場間の資金移動の影響は、(オールド)ケインジアンのIS/LMモデルですら(LM曲線の形を考えれば、ある程度は折り込むことは可能とも言えますが)折り込まれていませんし、ニューケインジアンのDSGEも同様です。

(4)セイ法則を基盤とした経済学体系からワルラス法則を基盤とした体系の可能性
    また、こうした観点は、以上の問題に止まらない可能性を持っています。
     現代マクロ経済学では、全市場の需給均衡(一般均衡)を前提とした(財市場でのセイ法則の成立を前提とする)基本モデルの上に建設されています。この基本モデルは、当然ながら、長期の需給均衡のみしか扱えません不況などの短期の経済が、この基本モデルと乖離する問題は、この基本モデルに、アドホックに付加される補完的サブモデルによる説明に依存しています。今日の経済学の研究とは、より適切に、基本モデルと経済現象の乖離を埋めるサブモデルの研究だと言えるのです。
    ところが、世界同時不況の「長期化」によって、基本モデルの出番はほとんどなく、経済の説明は、付加的でアドホックな補完的サブモデルだけに依存する状態が長く続いています。しかし、こうした付加的なモデルは、リーマンショックで、必ずしも有効ではないことが明らかになっています。このためもあって、新古典派体系全体が有効に機能していないと考えられるのです。

     これに対して、上記でみたようなワルラス法則を前提とする基本モデルは、付加的なモデルなしで需給均衡下(長期)と需要不足下(短期)の経済を一括して取り扱えるようになります。これは、需要の経済学(ケインズ系経済学)供給の経済学(新古典派系経済学)を統合するものでもあるということです。
    また、一般に、新古典派経済学が体系的で内部の整合性が高いのに対して、ケインズ経済学は各部分の整合性が低いというような評価がありますが、ここで提示する基本モデルをベースとする体系は、ケインズ的観点を、新古典派体系と同様に整合性の高い形に整理し直すことになります。
    その結果、この体系は、新古典派経済学を包含するものになると考えています(財市場で需要超過状態にあれば、新古典派モデルが近似的に有効になる)。(もっとも、逆に、新古典派的観点がケインズ的観点を包含すると考えても良いわけです)。
    以上は、基本モデルのベースをセイ法則からワルラス法則に切り替えることによって可能になります。

    以上の(3)(4)が正しければ、これは経済学のパラダイムを大きく転換させることになります。

4 財政再建と消費税増税
     財政再建とは歳入を増やし(増税)、歳出を減らす(財政緊縮)ことです。その影響を見るために、需要とはどのようなものかをみてみましょう。
     経済全体の需要は、概ね大きく次のように構成されています。

 需要=①民間消費+②民間設備投資+③政府消費・投資+④純輸出

    消費税増税は家計の予算に制約を与えるため、①を減少させ、財政再建は、政府支出を削減するため、③を減少させます。・・・以下略

5 本書の構成

    上記の1〜4で述べたことは、おおむね、次の目次では、第二編のメカニズム編で論じています。第一編の三つの重不況編では、世界同時不況過去の2つの「重不況」と比較しています。

序章 世界同時不況で明らかになった現代マクロ経済学の限界

第一編 三つの重不況
     第2章 世界同時不況:拡張的緊縮政策の結末
         第1節 世界同時不況の発生と経過
          第2節 世界同時不況下で取られた対策とその評価
    第3章 大恐慌:要因評価の変遷
        第1節 大恐慌の発生と経過
          第2節 サプライサイドの対策とその評価
          第3節 金融政策とその評価 
        第4節 財政出動とその評価
    第4章 日本の長期停滞:構造改革の結末
        第1節 長期停滞の発生と経過
          第2節 金融政策とその評価
          第3節 財政出動と外需による経済三〇年史

第二編 メカニズム
    第5章 増税から資金循環と予算制約へ
        第1節 橋本財政改革期の消費税増税(一九九七年)
        第2節 「増税」をマクロ資金循環と予算制約で考える
        第3節 「リカード公債中立命題」をマクロ資金循環と予算制約で考える
        第4節 「セイ法則」をマクロ資金循環と予算制約で考える
    第6章 セイ法則と不況期資金余剰・・・資金循環とセイ法則の破れ
        1節 どのような場合にセイ法則の破れが生ずるか
        第2節 貨幣流通速度で土地市場への資金流出をみる
        第3節 不況期の貨幣流通速度の低下でセイ法則の破れをみる
        第4節 不況期資金余剰の意義
    第7章 資金循環とワルラス法則・・・ワルラス法則と需要不足
        第1節 セイ法則とワルラス法則
        第2節 資金循環と資金配分でワルラス法則とセイ法則をみる
        第3節 資金循環から見たワルラス法則の果実・・・財政出動について
        第4節 需要不足と財市場からの資金流出を規定する原因とメカニズム
    第8章 マクロ循環制約とマクロ経済学の新たな方向
        第1節 リーマン・ショックの経験と現代マクロ経済学
        第2節 ワルラス法則と「漏出・還流モデル」

終章 重不況からの脱出:脱出手法の評価
        第1節 金融政策の出口リスクとバブル
        第2節 重不況下の資金循環
        第3節 資金循環で見た「海外」の特殊性・・・純輸出増加政策の限界
        第4節 財政出動による景気対策

補論
    補論1 マクロ循環制約と経済主体の資金配分行動に基づいてワルラス法則を導出
    補論2 財市場の重要性
    補論3 不足制約原理・・・・不足しているものが支配する
    補論4 説明範囲に関する原理・・‥説明範囲の広い仮説ほど正しい
    補論5 部門間の相互依存関係からセイ法則を見る
    補論6 景気回復過程における金利上昇と国債利払い