2011年2月20日日曜日

財政出動論13 構造改革が必要なのは米国だ

関連:財政出動論1〜9までの目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次
           財政出動論12《リカード公債中立命題》 財政出動論11《需要項目と大恐慌》
           23.9.11一部改訂(第3次産業の生産性と医療関連)

概要供給に問題がある経済について2つの整理をしています。第1は供給中心の新古典派経済学が、なぜ1970年代以降勢力を得たか。一つ目には、そこにはどのような米国経済の変化があったか。二つ目には経済学の研究手法の特徴の観点から整理しています。第2は、米国が実体経済では供給不足の経済であり、グローバル・インバランスを解消するためには、ドルの切り下げか(これは、まあ常識的ですが)、構造改革が必要であるということを述べました。・・・・・・・・・・・・

    構造改革論12(リカードの中立命題)の末尾近くの「注」で、ニューケインジアンの経済学やそのベースとなっているRBC理論(実物的景気循環理論)など主流派の経済学が、その本質において供給重視であることが原因で、世界同時不況を理論的に予測も理解もできないという主張をした。ここでは、それを少し敷衍してみよう。

1 不足の経済学
    最初に少しおさらいをしてみる。
(1)不足しているものが問題を左右する
    複雑で大きな問題には、それを左右する要因が多数ある。その中で影響力の大きい要因は、ボトルネックを作る要因だ。ボトルネックは、何かが不足しているために生じる
    例えば、何か製品を作るときに、不足している材料や生産要素《労働力や資本》は、その製品の生産量や生産スピード、生産性,品質、コスト、価格などを左右する。とすると、その製品の動向はその不足している材料などの動向を見ていれば予測しやすい
    このように、何らかの問題を説明する要因をピックアップしようとするときに、説明力の高い要因は不足するものに係わっている。

(2)経済成長を左右する供給側3要因=新古典派成長理論
   次に、上記の観点を踏まえて「経済成長」を考えよう。経済成長のために不足しているのが仮に資本であれば、資本が成長を制約している程度が高いから、資本中心の仮説は、経済成長をよく説明できるだろう。
    同様に、労働力が不足していれば労働力中心の成長仮説があり得る。さらに資本も労働力も足りている一方で、生産性上昇率の低下が大きければ、生産性を重視する仮説がよく経済成長を説明するだろう。

    しかし、現実の経済成長は、これら単独では必ずしもよく説明できない。そこでこの3つの要因を組み合わせれば、経済成長をよく説明できるのではないかと考えたのがロバート・ソロー(ノーベル経済学賞受賞者)である。ここで取り上げた資本、労働、生産性上昇率は、ソローに始まる『新古典派成長理論』が考える成長要因であり、この3要因さえ考えれば経済成長は説明できると考える。ちなみに、この理論は、RBC理論のベースでもある。

   注意すべきは、これらの3要因は、いずれも供給を制約する要因であることだ。新古典派経済学では、セイ法則に基づいて「供給が需要を決定する」と考えるので、これで成長のほぼすべてを説明できると彼らは考えるのである。

(3)供給に問題を抱える経済では供給中心の経済学がよくあてはまる
    しかし、(1)を思い起こせば、供給側の要因が経済成長をよく説明できるように見えるのは、たまたまサンプルとなった経済が「それらが不足している」経済状況にあったからではないかとも考えられる。

    実際に開発途上国では、国内資本の蓄積不足のために設備投資資金が不足がちであり、また教育の不足で能力の高い労働力が不足している場合がある。
    また、米国は1970年代以降、コンスタントに経常収支が赤字であり、多くの財やサービスを輸入してきた。これは財・サービスに関して供給が不足している経済であることを意味する。また、経常収支の赤字が続くことは、資本収支の黒字が続くことであり、それは海外から資本を導入し続けていることを意味する。米国経済は資本不足の経済でもあった
    こうした国々では、まさに供給側の要因の動向が経済成長を支配しているのである。こうした国を研究すれば、まさに供給制約に基づく経済学がその国の経済をよく説明できることになるのは当然だろう

    つまり、1970年代以降、米国で、需要不足に着目するケインズ経済学が勢力を失い、新古典派経済学が勢力を拡大してきたのは、米国がその頃から「供給不足国」になったためである可能性が強い。

(4)需要不足の経済では、供給中心の経済学は有効性を失う
    一方、多くはないが、資本や労働力が余っている経済もある。例えば、現在の日本は、設備資金需要がないから資本過剰といえる。また、高い失業率に見るように労働力も過剰である。生産性上昇率はどうかと聞かれるかもしれない。しかし、資本も労働も余っているなら、成長するためには、生産性上昇の前に、まずは資本と労働を有効活用するのが先のはずである。

    また、1930年代の世界大恐慌や今回の世界同時不況のように明らかな需要不足下では、当然に供給力は過剰である。そこでは資本、労働力が余っている。供給力が余っているなら生産性上昇率も「余っている」のだと考えるべきだ。

    このように需要が不足し供給が過剰な経済では、供給不足を前提とする新古典派経済学や、供給に引きずられているニューケインジアンの経済学が有効性を失うのは当然だろう。

    需要が不足する状況では、需要がボトルネックとなり、需要に着目しなければ、経済の状況をよく説明することはできない。したがって、需要不足下の経済では、需要不足を中心とする経済学が重要になる。それは、まさに(ニューケインジアンではなく)「オールド」ケインジアンの経済学である。

これまでこの位置にあった「(5)経済学の手法の問題点=自然科学とは異なる研究態度」の内容は、新しい財政出動論18 現代経済学の手法と自然科学の比較に移動しました。)

2 構造改革は日本ではなく、米国にこそ必要だ    1の議論は(少し本題からそれた部分もあるが)「供給に問題がある(供給が不足している)国」と「需要に問題がある(需要が不足している)国」は、分けて議論すべきという意味である。

(1)供給に問題のある国・状況=米国、ギリシャ、開発途上国
    供給に問題がある国を、単純に「国内需要に対して国内供給が不足している国や経済」と定義して考えよう。

《米国》
    まず、この問題を米国で見てみることにする。米国は、1970年代以来、長期にわたって貿易収支,経常収支が赤字である。これは、国内の需要に対して国内の供給力が不足していると考えるのが自然だ。こうした経済では、供給側を改善すれば経済は成長する。供給側を改善するとは生産性向上であり、資本の導入であり、労働力の増加である
   つまるところ、これは新古典派成長理論の資本、労働、生産性上昇率の3要因が、経済成長をよく説明する経済であるということになるわけだ。

(■米国の現状 =供給不足の経済)
    米国は、これまでどのように対応してきて、その結果はどうなっているのだろうか。
    まず第一は「資本不足」問題である。
    資本収支が黒字(=他国からの借り入れ超過)なのだから、当然、国内経済は資金不足なのである。つまり米国は資本不足、資本制約のある経済だから、金融政策に効果がある経済ということになる。フリードマンのマネタリズムが一時勢力を得たのも当然であろう。
    また、政府財政も赤字を続けてきた。したがって、政府赤字のファイナンスのために発行される国債で金利上昇などのクラウディングアウトを生じさせないためには、資本の流入が不可欠であり、そのためには国内の高金利政策、ドル高政策が必要になる。このようにして、米国は資本の導入、つまり資本収支の継続的黒字《注》を続けてきている。

    注》もっとも、経常収支が赤字であるなら、自動的に資本収支は黒字に
        ならざるを得ないのである・・・・。しかし、資本収支が黒字になる
        ためには(=資本収支が黒字になり、経常収支が赤字を続けられるに
        は)、その国の経済、あるいは通貨が『信用』されていなければなら
        ない。米国の通貨はドルである。これは基軸通貨であり、広範囲の国
        々に通用し安全性が高い。これがギリシャや開発途上国などとは違う
        ところである。

    第二は、「労働力」に関しては移民の受け入れである。メキシコなどからの不法移民も多い。

    第三は、「生産性上昇率」である。米国は、一般に高いと思われている。しかし、生産性が高いなら、国際競争力が高いはずだが、貿易収支、経常収支とも赤字が大きい。これは、実体経済に競争力がないことを意味する !
    日本の「国際競争力」が低く、米国よりも低いことは、しばしば問題になっている。だが、この『国際競争力』がその国の経済界の主観的・情緒的な雰囲気に影響されるものであり、必ずしも信頼できないことは、国際競争力のための調査に回答した経験を述べた 現 双日総研副所長の吉崎達彦氏の「溜池通信」vol.156「特集:日本の国際競争力を考える」を見ればわかるだろう。
    客観的に見れば、米国の実体経済に競争力がなく、生産性上昇率が十分でないことは明らかだ。

(■米国の選択肢 =構造改革?)
   では、リーマンショック後の状況を見て明らかなように、これらに持続性がない場合にどうすべきかである。方向は2つある。

    第一は、ドル切り下げである。国全体の国際競争力などというものは、本質的には為替レートの変化で簡単に変わってしまうものである。

    なぜ、これまで米国の貿易収支がコンスタントに赤字だったかといえば、ドルが常に高かったからだ。特に1990年代後半にはゴールドマン・サックスのCEOから財務長官となったR.ルービンが、ドル高政策で米国製造業に最終的な止めをさすと同時に、米国を帝国とも言われる金融立国に導いている。
    ここで採用された政策は、資本収支の黒字を維持するために、積極的にドル高すなわち経常収支の赤字を許容する政策を意味する。これによって、経常収支の赤字と資本収支の黒字が強化されたのである。そして、この結果、中国などの開発途上国は、米国に貿易摩擦の不安なく輸出を拡大できるようになった2000年代の日本もその恩恵を受けたのである。
   当然、米国内の製造業はさらに価格競争力を失った。そのかわりに、米国金融業界は流入する資金によって活況を呈し,金融立国が実現したのである。
    しかし、それが今回のバブルを生み、世界同時不況を生んだのであるが・・・。

    仮にドル切り下げによって安いドルが実現すると、経常収支の赤字は縮小し、その裏返しで資本収支の黒字も縮小する。開発途上国から米国への輸出は減少し、米国への資金の流入は縮小し、米国内では低金利が実現するから、金融業界はしぼむが、競争力を回復した製造業は拡大し、グローバル・インバランスは縮小する。

    だが、米国の金融業界は政治力が強い。彼らが、これを許容するかどうかである。

   第二は、構造改革である。ドルの切り下げを許容できない、あるいはそれが実現しないとしたら、供給力に問題がある経済の対策は、『構造改革』しかない。日本ではなく、米国こそ構造改革が必要なのであるその必要性は、貿易収支の巨額の赤字が示している。

(■米国の第3次産業生産性が高いのは理由がある)
    米国は生産性が高いと思われがちだが、それは軍需産業など政府の巨額の赤字によって支えられている部分がある。政府活動の効率性も決して高いようには見えない。

    米国は第3次産業の生産性も生産性上昇率も高い。日本は第2次産業は高いのに第3次産業が低い。こうしたことから、日本の第3次産業は(「ボーモルの病」の観点から)生産性向上が不可欠だと主張される。
    しかし、第2次産業と第3次産業の生産性(上昇率)はトレードオフの関係にある可能性が強い。
    米国の第3次産業の高生産性(上昇率)は、第1に、米金融業界の巨額の報酬や利益を許すような独占性とドル高政策によって支えられている部分がある。

    第2に、商業分野を見ると、米国の国内流通業は、開発途上国の安い製品を輸入することで、輸入価格と国内価格との差額から高い付加価値を得ている部分がある。いわば、米国ではユニクロが普通なのだ。これは、労働力の安い製品を海外で生産させ、メーカーとして自社ブランドで販売している『製造業』についても同様だ。

   これらは、いずれも「ドル高」政策に依存している。一方で、ドル高政策で、安いアジア製品の国内への流入で製造業は打撃を受けている。つまり、米国第3次産業の高生産性(上昇率)はドル高に依存しているのであり、第2次産業の犠牲の上に成り立っていると言える。この意味で2次産業の不振と3次産業の高生産性はトレードオフの関係にある。

    しかし、(当面、意図的なドル切り下げができなくても)今後は中期的にはドル安は避けられないから、こうした枠組みは次第に変質・是正を迫られるだろう。そうなれば、本当に『構造改革』が必要になる
           注)この後、もう一つ米国の第3次産業の生産性が高い理由に気づいた。それは、
                米国では、医療・保健分野がGDPに占める比率が異常に高い点(日本の2倍)
                である。これについては《財政出動論20(米国の消費需要と医療制度)
                で触れた。

《ギリシャ》
   では、ギリシャはどうだろうか。この国も近年は経常収支が赤字、政府財政も赤字だった。これは、景気対策のために安易に政府の支出を増やしてきたためだ。財政出動は短期の対策としてはあり得る。しかし、それを、(必要に応じて縮小可能な)公共事業ではなく、経常的な支出で増やしてきたのである。その結果、経済全体が「大きい政府」に依存する構造になったのである
    一方で、産業の生産性は上昇率が低くなり、国内供給は国内需要をまかなうことができず、輸入に依存するようになり、経常収支は赤字が続いてきた。そして、その赤字をファイナンスするため、資本収支は自動的に黒字になる。つまり、海外からの借入金が増加してきたのである。
    この構造は米国と基本的には同じである。しかし、米国が意図的なドル高政策をとってきたために製造業の競争力が低下し、その結果、供給側に問題が生じたのに対して、ギリシャのケースは少し異なる。
    ギリシャでは、政府が経常支出の赤字を続けたことで目先の経済が維持されたこと、それに満足して、ユーロ圏加入という国内産業の競争力に重大なインパクトを与える選択をしながら、国内産業の競争力強化対策を十分に行わなかったことで、実体経済の供給側の問題が放置された点に問題がある。

    最後に、ギリシャと米国の違いは、米国のドルが世界の基軸通貨となっているのに対し、ギリシャは独自の通貨を持たない点にある。したがって、ギリシャの選択肢は、供給側の競争力と供給力を高める『構造改革』しかない

《開発途上国》
    開発途上国の国民は、先進国の豊かな生活に憧れ、先進国の高度の製品を強く欲している。したがって、こうした国々では、(供給とは無関係の)「需要不足問題」が発生することはない。つまり、こうした国々の需要不足は、供給側の要因で発生することになる。まさに、理想的なセイ法則の成立があり、新古典派経済学がよく当てはまる
    新古典派経済学系の理論を「実証」する研究結果が出たときは、ほぼ、その研究対象に開発途上国(あるいは米国)が多く含まれている場合が多い
    以下、供給側の成長要因別に見てみよう。

(■資本)
    まず、開発途上国では、資本の蓄積が不十分である。このため、ボトルネック対策としての「資本の蓄積」または「海外資本の導入」の可否が成長を左右することになる。こうした国では、貧富の差の拡大は、資本の蓄積のためには有効なのである(しかし、政治体制は不安定化する。だから「独裁体制」が必要なのかもしれない)。一方、今日の開発途上国では、成長のための「海外資本」導入が広く行われるようになった。このためには、まず為替レートの安定が不可欠である。

       注》なお、日本が開発途上国だった頃(高度成長時代)は、日本は、
           海外投資を受け入れず、国内資本で成長をまかなおうとしたため、
           成長率が高くなっても、経常収支の赤字が一定水準を超えると、
           それを『景気過熱』と捉え、引き締め政策への転換が行われるの
           がパターンだった(当時、これを「国際収支の天井」と言った)。
           その結果、当然、不景気になるということが繰り返えされた
               ちなみに、日本の高度成長は、貿易黒字で実現したように思わ
           れがちだが、高度成長時代は、貿易黒字と赤字が交互に発生して
           おり、平均すると貿易収支はある程度バランスしていた。貿易黒
           字が恒常化、巨額化したのは、1980年代以降、つまり低成長時代
           になってからである。

    また、世界的に資本が過剰傾向にあるために、そうした資金が、成長の可能性のある開発途上国に過剰に流入して、開発途上国のバブルの原因となり、その崩壊によって、開発途上国経済が打撃を受けるという事態が、1970年代以降頻発するようになった(メキシコ危機、中南米危機、東アジア危機、ロシア危機など)。
    現在も世界同時不況下にある先進国で行き場を失った過剰資本が、運用先を求めて開発途上国に流入しており、近い将来に、どこかの開発途上国で同様の危機が生じる可能性が高い。・・・東アジア危機などに懲りて、短期資本の流入規制など、各国とも対策を強めているが・・・。

(■労働)
    開発途上国では、かつては、適切な教育を受けた労働力が不足していた。しかし、今日では、教育が改善されている。この結果、今では、労働力は成長のネックにはならない場合が多い。中国に見られるように、大量の労働力の供給が高い輸出競争力を支える国が多い。

(■生産性上昇率)
   開発途上国で、仮に海外資本の流入が十分であり、労働力の供給も十分なら、開発途上国は、まずは低コストのこれらの資源を使って成長するのが合理的だ。何も常に生産性上昇に頼る必要はないのだ。安く調達できるものを使うのが経営的には合理的なのだ。それらが利用され尽くされれば、そこではじめて生産性上昇率が重要になる。
    しかも、この生産性上昇は、今日、開発途上国にとってそれほど難しい問題ではなくなっている。先進国の資本と既存の生産システムを導入するだけで生産性は上昇していくからだ。

   以上のように、今日では、開発途上国の成長に必要な生産要素である(労働力は自前で創出するにしても)「資本と(生産性上昇に必要な)生産設備やノウハウ」は海外から導入することになる。したがって、経済成長を優先する開発途上国では、海外からの投資先として選ばれる国になることが大事になる。
    具体的には、投資の安全性、投資受け入れのための法制度などの整備が重要になる。そのためには、「グローバル・スタンダード」の受け入れが必要だ。つまり、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」に従う政策が選択されることになる。

注》なお、こうしたグローバル・スタンダードへの対応が必要なのは、資本
        の流入を必要としている開発途上国であって、日本のような資本過剰
         ではない

(2)需要に問題のある国 =構造改革などは最悪の選択
    需要に問題のある国は、長期停滞下の日本世界同時不況下の各国(米国も含む)先進国などだ。先進国は一般に需要不足になりやすいのである。

    こうした需要に問題のある国では、供給側の資本、労働、生産性上昇はボトルネックとはなっていないから、供給側を重視する経済学では、経済を有効に説明できないし、有効な対策も出てこない。
   また、供給が過剰なのに供給側を強化する政策は、 当然、需要不足を促進することになってしまう。構造改革などは最悪の選択である。対策としての優先順位も当然低くなる。

    先進国が需要不足になりやすい理由は、国民に欲しい物が行き渡っていて需要の大きな伸びが余り期待できず、そのために供給能力を増やすための設備投資が減少する傾向があるからだ。設備投資が少ない分総需要は減少する。

   先進国で需要不足になっていない国は、それを補償する仕組みを持っている場合が多い。例えば、北欧のように福祉カネをかける国々がある。また、米国は、住宅投資を促進することで消費需要を生み出す仕組みを持っている(もっとも、今回はそれが住宅バブルを引き起こし、その崩壊が世界同時不況の原因となった)。また米国では、「軍事費」への巨額財政支出や、連邦政府による「研究開発」資金の大規模な支出も需要を下支えしている。

    これに対して、日本では、政府予算中の研究費の抑制を始め、ピント外れの政策が一部マスコミなどの賞賛を浴びている。自分で自分の首を絞めているのである・・・。救いがたいとはこのことだと思うのだが・・・。