2011年2月23日水曜日

財政出動論14 インタゲと国債利払い

関連:財政出動論1〜9など目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次
                                                                 23.10.19一部更新(税収弾性値について注追加)

    経営コンサルタント小宮一慶さんの『日本経済はこのままでは預金封鎖になってしまう』を読みはじめた。通勤時間40分くらいでほぼ60〜70頁は読めるほどの内容だ(・・・これぐらいにしないと売れないものか)。

    この方とは考え方も違うし、預金封鎖になる理由があるとも思わない。(僭越にも)木を見て森が見えていない、マクロがわかっていないのではと思いつつ読んでいたのだが・・・・

   この本のインフレターゲット政策を批判する部分にぶつかり、たしかにインタゲには若干の問題があるかと思わざるを得ない部分もないではないと思った。(以下、雑な議論だが)。

1 小宮氏の主張と当初の私の試行錯誤
(1)小宮氏のインタゲ問題説
    小宮氏は、通常の国では、インタゲに効果があるかもしれないが、巨額の累積債務を抱える日本では、インタゲによる物価上昇は、利払い費が増加するために財政破綻を招く可能性が高いという。
    すなわち、仮にインタゲで物価上昇率が2%に上昇し、期待インフレ率が2%に上昇したとすると、国債の利子もその分上昇し、国債約1000兆円の利払い費は20兆円増えてしまう。これは財政破綻につながり、国債の暴落から経済は危機を迎えるという。

(2)反論の一つとして、名目GDP成長による税収増加説
    これに対しては、いくつかの反論が考えられる。例えば、利払いの利率上昇は、借換えの際に発行する新しい国債で実現されるのだから、利払費の上昇は一挙に生じるのではなく、時間がかかるのである。その間に税収が増加するという主張がありうる。

    しかし、物価上昇率2%と同率で名目GDPも拡大する場合、(財務省の使う税収弾性値1.1ではなく)2000年代景気回復期の税収増加実績を踏まえた4.0財政出動論5《交わらない短期と中期》の中段2の(3)参照)を使っても、現在の税収水準が仮に50兆円なら、名目GDP2%の成長では、税収は毎年4兆円(=50兆円×2(%)×4.0)しか伸びない。これで、20兆円の利払い増加をまかえる水準に達するには、5年間(5年×4兆円=20兆円)待つ必要がある。
    注》税収弾性値については、ここまで、拙著『重不況の経済学』で行ったごく「ア
        バウトな試算」結果の「4.0」を使ってきたが、23.10.17に内閣府の「経済成長
        と財政健全化に関する研究報告書」が出され(財政出動論5《交わらない短期と中期》
                  の中段2の(3)の注参照))、そこでは、2001~2009年の平均値として「3.13」が
         提示されている。したがって、ここでの4.0は、まあとりあえず3.1に置き換
         えて読んでいただきたい。


    これは結構ぎりぎりなのではないだろうか。しかも毎年の税収増加のほぼ全額が既発債分の利払費に消えてしまうのだ。

2 問題は実質成長が実現するかどうかだ=インタゲ派の考え(?)
    上記の議論では、実質GDPの成長がないとしている。しかし、これをインタゲ政策によって、例えば年率1%の実質GDP成長が実現するとしてみよう。名目成長は3%(=物価2%+実質1%)になる。すると、上記の枠組みでは毎年の税収増加は6兆円となる。
    だから、まかなえると考えるわけだ。
    しかし、(物価上昇が実質GDPの上昇につながるという仮説は必ずしも大方の承認を得ていないようにみえるのだが、仮にこの仮説が正しいとしても)物価上昇が実質GDPの成長につながるまでには明らかにタイムラグがある。これは少なくとも1年以上、多分2,3年はかかるのではないだろうか。この間利払い費は増加し続けるはずだ。このラグ分は、結構、不安にさせるものではある。

3 であるなら、当初は物価上昇無しに実質成長すればよいのだ
    たしかに日本のような巨額の累積債務がある国では、小宮氏が言うように、物価上昇だけでは問題は解決しないわけだ。巨額の累積債務がある国では、実質成長率の高さが重要になる。

  逆に、 物価上昇なしにGDP成長が行われれば(名目成長率=実質成長率だから)利払い費の増加無しで税収が増加する。
   内閣府によれば、昨年10〜12月期のGDPギャップは、年換算で20兆円だという。つまり、少なくともこの20兆円分は物価上昇無しでGDP成長が可能なのだ。20兆円は日本のGDP約500兆円の4%なので、これに税収弾性値4.0をかけると、税収は16%増加することがわかる。上記の計算と同様の枠組みでは8兆円ほどは物価上昇無しで税収増加が可能だ。これがそれ以後の「下駄」になる
    その後は、物価上昇+実質成長による税収増加が利払い費問題を解決してくれるだろう。

4 財政出動論
    問題は、どのようにして実質成長を実現するかである。私は、財政出動論13《構造改革が必要なのは米国》の頭の部分でふれたように)「不足するもの」が経済を規定すると考えるのが常識的で無理のない理解だと思っている。したがって、景気過熱で資金需要が強いときには(資金が不足している訳なので)金融引き締めに効果はあるが、資金が余っている今のような状況では、金融緩和政策の効果は背景に退く(つまり小さい)と考える。・・・もちろん、今のような状況では、金融緩和は不可欠だとは考えるのだが、景気を回復させるほどの力はないと考える。これは財政出動論3《大恐慌期の金融政策》などで述べたとおりだ。

    したがって、今の日本に不足しているのは需要であり財政出動論6同6B《需要不足対策の評価》でも見たように)需要項目(民間消費、民間設備投資、住宅投資、純輸出、政府消費・投資)の中で、政府が直接、確実に操作可能なのは、政府消費・投資だと考えている。
         注》財政出動の有効性については、財政出動1《有効性》同2《なぜ》
             で述べている。同3《橋本財政改革》でも、橋本財政改革の影響から逆
             説的にその有効性がわかる点についてふれている。
                 なお、財政赤字・政府累積債務の持続可能性については、財政出動論
             7《政府累積債務の持続可能性》などで述べた。

   つまり、このブログの主張(処方箋)は金融緩和を維持しながら、短期の大規模な財政出動が必要だと考えているわけである。もっとも、短期と言っても数年は必要である。・・・この主張は、たしかに今の世の中の世論の趨勢とはあまりにもかけ離れている・・・・。
                注》なお、景気対策に係わる「交わらない『短期』と『長期』の視点」
                    については、財政出動論5でふれた。
    しかし、今ヨーロッパでは、英国をはじめとして財政再建路線への転換財政出動を大きく抑制しはじめている。その影響は今年後半あたりには出てくるだろう。そうなれば、この「財政出動論」が無意味な主張かどうかが明らかになるわけだ(ここでの財政出動論の主張からすると、ヨーロッパは再度の大不況に見舞われることになるはずなのだが・・・・?)。
    
補足23.7.13
 利子には課税されており、インフレで利子率が上昇すれば税収が増加することが、上記では抜けてましたね。・・・(上記の「税収弾性値」の見積もりの中に折りこまれているとも言えるが)
    以下、「経済をよくするって、どうすれば」ブログ 23.7.13から
金融資産には課税がなされていて、金利が上昇することによって、支出と同時に、税収も増える・・・日銀の資金循環表を見ると、一般政府の純債務が560兆円なのに対し、家計の粗資産は1476兆円、民間非金融法人は 798兆円ある。したがって、20%の利子課税がなされているとすると、金利が1%上昇すれば、4.5兆円の税収増になる。 他方、一般政府の利払いは5.6兆円の増加だ。結局、ほとんどが税収増でカバーできる計算になる。もし、税率が25%に引き上げられるなら、金利上昇は、財政の好転要素にすらなる。」

2011年2月20日日曜日

財政出動論13 構造改革が必要なのは米国だ

関連:財政出動論1〜9までの目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次
           財政出動論12《リカード公債中立命題》 財政出動論11《需要項目と大恐慌》
           23.9.11一部改訂(第3次産業の生産性と医療関連)

概要供給に問題がある経済について2つの整理をしています。第1は供給中心の新古典派経済学が、なぜ1970年代以降勢力を得たか。一つ目には、そこにはどのような米国経済の変化があったか。二つ目には経済学の研究手法の特徴の観点から整理しています。第2は、米国が実体経済では供給不足の経済であり、グローバル・インバランスを解消するためには、ドルの切り下げか(これは、まあ常識的ですが)、構造改革が必要であるということを述べました。・・・・・・・・・・・・

    構造改革論12(リカードの中立命題)の末尾近くの「注」で、ニューケインジアンの経済学やそのベースとなっているRBC理論(実物的景気循環理論)など主流派の経済学が、その本質において供給重視であることが原因で、世界同時不況を理論的に予測も理解もできないという主張をした。ここでは、それを少し敷衍してみよう。

1 不足の経済学
    最初に少しおさらいをしてみる。
(1)不足しているものが問題を左右する
    複雑で大きな問題には、それを左右する要因が多数ある。その中で影響力の大きい要因は、ボトルネックを作る要因だ。ボトルネックは、何かが不足しているために生じる
    例えば、何か製品を作るときに、不足している材料や生産要素《労働力や資本》は、その製品の生産量や生産スピード、生産性,品質、コスト、価格などを左右する。とすると、その製品の動向はその不足している材料などの動向を見ていれば予測しやすい
    このように、何らかの問題を説明する要因をピックアップしようとするときに、説明力の高い要因は不足するものに係わっている。

(2)経済成長を左右する供給側3要因=新古典派成長理論
   次に、上記の観点を踏まえて「経済成長」を考えよう。経済成長のために不足しているのが仮に資本であれば、資本が成長を制約している程度が高いから、資本中心の仮説は、経済成長をよく説明できるだろう。
    同様に、労働力が不足していれば労働力中心の成長仮説があり得る。さらに資本も労働力も足りている一方で、生産性上昇率の低下が大きければ、生産性を重視する仮説がよく経済成長を説明するだろう。

    しかし、現実の経済成長は、これら単独では必ずしもよく説明できない。そこでこの3つの要因を組み合わせれば、経済成長をよく説明できるのではないかと考えたのがロバート・ソロー(ノーベル経済学賞受賞者)である。ここで取り上げた資本、労働、生産性上昇率は、ソローに始まる『新古典派成長理論』が考える成長要因であり、この3要因さえ考えれば経済成長は説明できると考える。ちなみに、この理論は、RBC理論のベースでもある。

   注意すべきは、これらの3要因は、いずれも供給を制約する要因であることだ。新古典派経済学では、セイ法則に基づいて「供給が需要を決定する」と考えるので、これで成長のほぼすべてを説明できると彼らは考えるのである。

(3)供給に問題を抱える経済では供給中心の経済学がよくあてはまる
    しかし、(1)を思い起こせば、供給側の要因が経済成長をよく説明できるように見えるのは、たまたまサンプルとなった経済が「それらが不足している」経済状況にあったからではないかとも考えられる。

    実際に開発途上国では、国内資本の蓄積不足のために設備投資資金が不足がちであり、また教育の不足で能力の高い労働力が不足している場合がある。
    また、米国は1970年代以降、コンスタントに経常収支が赤字であり、多くの財やサービスを輸入してきた。これは財・サービスに関して供給が不足している経済であることを意味する。また、経常収支の赤字が続くことは、資本収支の黒字が続くことであり、それは海外から資本を導入し続けていることを意味する。米国経済は資本不足の経済でもあった
    こうした国々では、まさに供給側の要因の動向が経済成長を支配しているのである。こうした国を研究すれば、まさに供給制約に基づく経済学がその国の経済をよく説明できることになるのは当然だろう

    つまり、1970年代以降、米国で、需要不足に着目するケインズ経済学が勢力を失い、新古典派経済学が勢力を拡大してきたのは、米国がその頃から「供給不足国」になったためである可能性が強い。

(4)需要不足の経済では、供給中心の経済学は有効性を失う
    一方、多くはないが、資本や労働力が余っている経済もある。例えば、現在の日本は、設備資金需要がないから資本過剰といえる。また、高い失業率に見るように労働力も過剰である。生産性上昇率はどうかと聞かれるかもしれない。しかし、資本も労働も余っているなら、成長するためには、生産性上昇の前に、まずは資本と労働を有効活用するのが先のはずである。

    また、1930年代の世界大恐慌や今回の世界同時不況のように明らかな需要不足下では、当然に供給力は過剰である。そこでは資本、労働力が余っている。供給力が余っているなら生産性上昇率も「余っている」のだと考えるべきだ。

    このように需要が不足し供給が過剰な経済では、供給不足を前提とする新古典派経済学や、供給に引きずられているニューケインジアンの経済学が有効性を失うのは当然だろう。

    需要が不足する状況では、需要がボトルネックとなり、需要に着目しなければ、経済の状況をよく説明することはできない。したがって、需要不足下の経済では、需要不足を中心とする経済学が重要になる。それは、まさに(ニューケインジアンではなく)「オールド」ケインジアンの経済学である。

これまでこの位置にあった「(5)経済学の手法の問題点=自然科学とは異なる研究態度」の内容は、新しい財政出動論18 現代経済学の手法と自然科学の比較に移動しました。)

2 構造改革は日本ではなく、米国にこそ必要だ    1の議論は(少し本題からそれた部分もあるが)「供給に問題がある(供給が不足している)国」と「需要に問題がある(需要が不足している)国」は、分けて議論すべきという意味である。

(1)供給に問題のある国・状況=米国、ギリシャ、開発途上国
    供給に問題がある国を、単純に「国内需要に対して国内供給が不足している国や経済」と定義して考えよう。

《米国》
    まず、この問題を米国で見てみることにする。米国は、1970年代以来、長期にわたって貿易収支,経常収支が赤字である。これは、国内の需要に対して国内の供給力が不足していると考えるのが自然だ。こうした経済では、供給側を改善すれば経済は成長する。供給側を改善するとは生産性向上であり、資本の導入であり、労働力の増加である
   つまるところ、これは新古典派成長理論の資本、労働、生産性上昇率の3要因が、経済成長をよく説明する経済であるということになるわけだ。

(■米国の現状 =供給不足の経済)
    米国は、これまでどのように対応してきて、その結果はどうなっているのだろうか。
    まず第一は「資本不足」問題である。
    資本収支が黒字(=他国からの借り入れ超過)なのだから、当然、国内経済は資金不足なのである。つまり米国は資本不足、資本制約のある経済だから、金融政策に効果がある経済ということになる。フリードマンのマネタリズムが一時勢力を得たのも当然であろう。
    また、政府財政も赤字を続けてきた。したがって、政府赤字のファイナンスのために発行される国債で金利上昇などのクラウディングアウトを生じさせないためには、資本の流入が不可欠であり、そのためには国内の高金利政策、ドル高政策が必要になる。このようにして、米国は資本の導入、つまり資本収支の継続的黒字《注》を続けてきている。

    注》もっとも、経常収支が赤字であるなら、自動的に資本収支は黒字に
        ならざるを得ないのである・・・・。しかし、資本収支が黒字になる
        ためには(=資本収支が黒字になり、経常収支が赤字を続けられるに
        は)、その国の経済、あるいは通貨が『信用』されていなければなら
        ない。米国の通貨はドルである。これは基軸通貨であり、広範囲の国
        々に通用し安全性が高い。これがギリシャや開発途上国などとは違う
        ところである。

    第二は、「労働力」に関しては移民の受け入れである。メキシコなどからの不法移民も多い。

    第三は、「生産性上昇率」である。米国は、一般に高いと思われている。しかし、生産性が高いなら、国際競争力が高いはずだが、貿易収支、経常収支とも赤字が大きい。これは、実体経済に競争力がないことを意味する !
    日本の「国際競争力」が低く、米国よりも低いことは、しばしば問題になっている。だが、この『国際競争力』がその国の経済界の主観的・情緒的な雰囲気に影響されるものであり、必ずしも信頼できないことは、国際競争力のための調査に回答した経験を述べた 現 双日総研副所長の吉崎達彦氏の「溜池通信」vol.156「特集:日本の国際競争力を考える」を見ればわかるだろう。
    客観的に見れば、米国の実体経済に競争力がなく、生産性上昇率が十分でないことは明らかだ。

(■米国の選択肢 =構造改革?)
   では、リーマンショック後の状況を見て明らかなように、これらに持続性がない場合にどうすべきかである。方向は2つある。

    第一は、ドル切り下げである。国全体の国際競争力などというものは、本質的には為替レートの変化で簡単に変わってしまうものである。

    なぜ、これまで米国の貿易収支がコンスタントに赤字だったかといえば、ドルが常に高かったからだ。特に1990年代後半にはゴールドマン・サックスのCEOから財務長官となったR.ルービンが、ドル高政策で米国製造業に最終的な止めをさすと同時に、米国を帝国とも言われる金融立国に導いている。
    ここで採用された政策は、資本収支の黒字を維持するために、積極的にドル高すなわち経常収支の赤字を許容する政策を意味する。これによって、経常収支の赤字と資本収支の黒字が強化されたのである。そして、この結果、中国などの開発途上国は、米国に貿易摩擦の不安なく輸出を拡大できるようになった2000年代の日本もその恩恵を受けたのである。
   当然、米国内の製造業はさらに価格競争力を失った。そのかわりに、米国金融業界は流入する資金によって活況を呈し,金融立国が実現したのである。
    しかし、それが今回のバブルを生み、世界同時不況を生んだのであるが・・・。

    仮にドル切り下げによって安いドルが実現すると、経常収支の赤字は縮小し、その裏返しで資本収支の黒字も縮小する。開発途上国から米国への輸出は減少し、米国への資金の流入は縮小し、米国内では低金利が実現するから、金融業界はしぼむが、競争力を回復した製造業は拡大し、グローバル・インバランスは縮小する。

    だが、米国の金融業界は政治力が強い。彼らが、これを許容するかどうかである。

   第二は、構造改革である。ドルの切り下げを許容できない、あるいはそれが実現しないとしたら、供給力に問題がある経済の対策は、『構造改革』しかない。日本ではなく、米国こそ構造改革が必要なのであるその必要性は、貿易収支の巨額の赤字が示している。

(■米国の第3次産業生産性が高いのは理由がある)
    米国は生産性が高いと思われがちだが、それは軍需産業など政府の巨額の赤字によって支えられている部分がある。政府活動の効率性も決して高いようには見えない。

    米国は第3次産業の生産性も生産性上昇率も高い。日本は第2次産業は高いのに第3次産業が低い。こうしたことから、日本の第3次産業は(「ボーモルの病」の観点から)生産性向上が不可欠だと主張される。
    しかし、第2次産業と第3次産業の生産性(上昇率)はトレードオフの関係にある可能性が強い。
    米国の第3次産業の高生産性(上昇率)は、第1に、米金融業界の巨額の報酬や利益を許すような独占性とドル高政策によって支えられている部分がある。

    第2に、商業分野を見ると、米国の国内流通業は、開発途上国の安い製品を輸入することで、輸入価格と国内価格との差額から高い付加価値を得ている部分がある。いわば、米国ではユニクロが普通なのだ。これは、労働力の安い製品を海外で生産させ、メーカーとして自社ブランドで販売している『製造業』についても同様だ。

   これらは、いずれも「ドル高」政策に依存している。一方で、ドル高政策で、安いアジア製品の国内への流入で製造業は打撃を受けている。つまり、米国第3次産業の高生産性(上昇率)はドル高に依存しているのであり、第2次産業の犠牲の上に成り立っていると言える。この意味で2次産業の不振と3次産業の高生産性はトレードオフの関係にある。

    しかし、(当面、意図的なドル切り下げができなくても)今後は中期的にはドル安は避けられないから、こうした枠組みは次第に変質・是正を迫られるだろう。そうなれば、本当に『構造改革』が必要になる
           注)この後、もう一つ米国の第3次産業の生産性が高い理由に気づいた。それは、
                米国では、医療・保健分野がGDPに占める比率が異常に高い点(日本の2倍)
                である。これについては《財政出動論20(米国の消費需要と医療制度)
                で触れた。

《ギリシャ》
   では、ギリシャはどうだろうか。この国も近年は経常収支が赤字、政府財政も赤字だった。これは、景気対策のために安易に政府の支出を増やしてきたためだ。財政出動は短期の対策としてはあり得る。しかし、それを、(必要に応じて縮小可能な)公共事業ではなく、経常的な支出で増やしてきたのである。その結果、経済全体が「大きい政府」に依存する構造になったのである
    一方で、産業の生産性は上昇率が低くなり、国内供給は国内需要をまかなうことができず、輸入に依存するようになり、経常収支は赤字が続いてきた。そして、その赤字をファイナンスするため、資本収支は自動的に黒字になる。つまり、海外からの借入金が増加してきたのである。
    この構造は米国と基本的には同じである。しかし、米国が意図的なドル高政策をとってきたために製造業の競争力が低下し、その結果、供給側に問題が生じたのに対して、ギリシャのケースは少し異なる。
    ギリシャでは、政府が経常支出の赤字を続けたことで目先の経済が維持されたこと、それに満足して、ユーロ圏加入という国内産業の競争力に重大なインパクトを与える選択をしながら、国内産業の競争力強化対策を十分に行わなかったことで、実体経済の供給側の問題が放置された点に問題がある。

    最後に、ギリシャと米国の違いは、米国のドルが世界の基軸通貨となっているのに対し、ギリシャは独自の通貨を持たない点にある。したがって、ギリシャの選択肢は、供給側の競争力と供給力を高める『構造改革』しかない

《開発途上国》
    開発途上国の国民は、先進国の豊かな生活に憧れ、先進国の高度の製品を強く欲している。したがって、こうした国々では、(供給とは無関係の)「需要不足問題」が発生することはない。つまり、こうした国々の需要不足は、供給側の要因で発生することになる。まさに、理想的なセイ法則の成立があり、新古典派経済学がよく当てはまる
    新古典派経済学系の理論を「実証」する研究結果が出たときは、ほぼ、その研究対象に開発途上国(あるいは米国)が多く含まれている場合が多い
    以下、供給側の成長要因別に見てみよう。

(■資本)
    まず、開発途上国では、資本の蓄積が不十分である。このため、ボトルネック対策としての「資本の蓄積」または「海外資本の導入」の可否が成長を左右することになる。こうした国では、貧富の差の拡大は、資本の蓄積のためには有効なのである(しかし、政治体制は不安定化する。だから「独裁体制」が必要なのかもしれない)。一方、今日の開発途上国では、成長のための「海外資本」導入が広く行われるようになった。このためには、まず為替レートの安定が不可欠である。

       注》なお、日本が開発途上国だった頃(高度成長時代)は、日本は、
           海外投資を受け入れず、国内資本で成長をまかなおうとしたため、
           成長率が高くなっても、経常収支の赤字が一定水準を超えると、
           それを『景気過熱』と捉え、引き締め政策への転換が行われるの
           がパターンだった(当時、これを「国際収支の天井」と言った)。
           その結果、当然、不景気になるということが繰り返えされた
               ちなみに、日本の高度成長は、貿易黒字で実現したように思わ
           れがちだが、高度成長時代は、貿易黒字と赤字が交互に発生して
           おり、平均すると貿易収支はある程度バランスしていた。貿易黒
           字が恒常化、巨額化したのは、1980年代以降、つまり低成長時代
           になってからである。

    また、世界的に資本が過剰傾向にあるために、そうした資金が、成長の可能性のある開発途上国に過剰に流入して、開発途上国のバブルの原因となり、その崩壊によって、開発途上国経済が打撃を受けるという事態が、1970年代以降頻発するようになった(メキシコ危機、中南米危機、東アジア危機、ロシア危機など)。
    現在も世界同時不況下にある先進国で行き場を失った過剰資本が、運用先を求めて開発途上国に流入しており、近い将来に、どこかの開発途上国で同様の危機が生じる可能性が高い。・・・東アジア危機などに懲りて、短期資本の流入規制など、各国とも対策を強めているが・・・。

(■労働)
    開発途上国では、かつては、適切な教育を受けた労働力が不足していた。しかし、今日では、教育が改善されている。この結果、今では、労働力は成長のネックにはならない場合が多い。中国に見られるように、大量の労働力の供給が高い輸出競争力を支える国が多い。

(■生産性上昇率)
   開発途上国で、仮に海外資本の流入が十分であり、労働力の供給も十分なら、開発途上国は、まずは低コストのこれらの資源を使って成長するのが合理的だ。何も常に生産性上昇に頼る必要はないのだ。安く調達できるものを使うのが経営的には合理的なのだ。それらが利用され尽くされれば、そこではじめて生産性上昇率が重要になる。
    しかも、この生産性上昇は、今日、開発途上国にとってそれほど難しい問題ではなくなっている。先進国の資本と既存の生産システムを導入するだけで生産性は上昇していくからだ。

   以上のように、今日では、開発途上国の成長に必要な生産要素である(労働力は自前で創出するにしても)「資本と(生産性上昇に必要な)生産設備やノウハウ」は海外から導入することになる。したがって、経済成長を優先する開発途上国では、海外からの投資先として選ばれる国になることが大事になる。
    具体的には、投資の安全性、投資受け入れのための法制度などの整備が重要になる。そのためには、「グローバル・スタンダード」の受け入れが必要だ。つまり、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」に従う政策が選択されることになる。

注》なお、こうしたグローバル・スタンダードへの対応が必要なのは、資本
        の流入を必要としている開発途上国であって、日本のような資本過剰
         ではない

(2)需要に問題のある国 =構造改革などは最悪の選択
    需要に問題のある国は、長期停滞下の日本世界同時不況下の各国(米国も含む)先進国などだ。先進国は一般に需要不足になりやすいのである。

    こうした需要に問題のある国では、供給側の資本、労働、生産性上昇はボトルネックとはなっていないから、供給側を重視する経済学では、経済を有効に説明できないし、有効な対策も出てこない。
   また、供給が過剰なのに供給側を強化する政策は、 当然、需要不足を促進することになってしまう。構造改革などは最悪の選択である。対策としての優先順位も当然低くなる。

    先進国が需要不足になりやすい理由は、国民に欲しい物が行き渡っていて需要の大きな伸びが余り期待できず、そのために供給能力を増やすための設備投資が減少する傾向があるからだ。設備投資が少ない分総需要は減少する。

   先進国で需要不足になっていない国は、それを補償する仕組みを持っている場合が多い。例えば、北欧のように福祉カネをかける国々がある。また、米国は、住宅投資を促進することで消費需要を生み出す仕組みを持っている(もっとも、今回はそれが住宅バブルを引き起こし、その崩壊が世界同時不況の原因となった)。また米国では、「軍事費」への巨額財政支出や、連邦政府による「研究開発」資金の大規模な支出も需要を下支えしている。

    これに対して、日本では、政府予算中の研究費の抑制を始め、ピント外れの政策が一部マスコミなどの賞賛を浴びている。自分で自分の首を絞めているのである・・・。救いがたいとはこのことだと思うのだが・・・。

2011年2月15日火曜日

財政出動論12 財政出動とリカードの公債中立命題

関連:財政出動論1〜9までの目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次
            財政出動論13《構造改革と米国》    財政出動論11《需要項目から大恐慌

    財政出動に効果がないという理論的な根拠としては、マンデル=フレミング効果リカードの公債中立命題がある。ここでは(「重不況の経済学」327—329頁あたりでふれたのだが)、改めてリカードの中立命題について「財政出動論の立場」から整理してみよう。

改訂 H23.3.2若干追加。H23.4.21再修正。H23.6.7、H23.7.28若干補足、H24.2.23補足
         なお、財政出動論25(リカード中立命題と負担の次世代先送論)】の中段で、さらに本質的な
    「別の」観点からの「リカードの公債中立命題」の解釈を書いています。25.10.23
        さらにその後、これらの頁に関連して、次の頁を追加
      New Economic Thinking 13 世代会計と等価定理 
      New Economic Thinking3 リカード中立命題とマクロ的中立命題
     28.10.7 元に戻って、ここの頁の前段部分に注釈的にクルーグマンの中立命題の解釈を追加。

1 リカードの公債中立命題(等価定理)の既存の評価
    リカードの公債中立命題について、小林慶一郎氏キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)は、「第二回 財政出動論の根拠はどこにあったか」(2009.09.15)の中で、
ニューケインジアンの理論のなかでは「財政出動は無意味だ」というのが暗黙の共通認識になっている のである。
    そのおもな理由は、現在の経済理論の枠組みのなかでは、財政出動の無効を主張する「リカードの中立性」命題に 対し有効に反駁できないからである。財政出動で政府がお金を使って国民の所得を増やしても、政府が使ったお金 は、将来、増税によって国民から取り上げられる。国民はそのことを見越しているので、財政出動をしても、国民 は将来の増税に備えて貯蓄を増やすため、消費や投資を減らしてしまう。結果として、財政政策が需要を拡大する効果は得られない。これが「リカードの中立性」である。
    この議論は非常に強力であるため、世界中のほとんどのマクロ経済学者は、(少なくともリーマンショックの前までは)財政出動を学術研究のテーマとして論じることはなかった。
と述べている。

    これに対して、スティグリッツ1943〜。2001ノーベル経済学賞)は、「世情にうとい経済学者がよく持ち出し」…「全米の大学院で教えている”リカードの等価定理”…」については「まったくのナンセンス(sheer nonsense)と評している(J.E.スティグリッツ2010]『フリーフォール』徳間書店。115116頁)

     そもそもリカードの公債中立命題自体は、直ちに財政出動の無効を意味するものではない。それは、「財政出動の財源を、直接の増税によって調達する場と国債発行によって調達する場合の(財政出動の)効果にほぼ違いがないということを示すのみである。この定義に止まる限り、この命題は「非常に強力」である。実は、筆者もこれは支持する(拙著「重不況の経済学」の中心的議論はこれと整合的なのである)・・・・・・このレベルの命題の帰結に関しては、下の2の③で小野善康氏の議論を紹介する中で取り上げている。

    それは、財政出動に「効果があるかどうか」に関しては中立である。税と国債発行の効果には違いがないと言っているだけだからだ。政出動仮に果があっても、この意味での中立命題と矛盾しないし、効果がなくても矛盾しない。つまり、リカードの中立命題のコア部分自体は、直ちに財政出動の無を意味するわけではない

    ところが、一般には、上記の小林氏のように「政府が使ったお金 は、将来、増税によって国民から取り上げられる。国民はそのことを見越しているので、財政出動をしても、国民 は将来の増税に備えて貯蓄を増やすため、消費や投資を減らしてしまう。」という論理がリカードの公債中立命題の帰結として主張されている。
    これこそ、スティグリッツがナンセンスとする議論だと考える。
===
2016年10月7日追加
    また、2016年9月2日付けの『himaginaryの日記のエントリ「リカーディアンとリカーディアンもどきとFTPL」 の中で、次のように、Nick Roweクルーグマンの考えとして前者を(「リカーディアン」の観点として)、また後者の観点をクルーグマンが「リカーディアンもどき」と評していることを紹介している。

    「・・・これに反発したのがクルーグマンで、・・・それはリカードの中立命題の誤解釈によるものだ、と批判している。
    以前のエントリ*1で小生(=himarinary氏
引用者注)は、巷間良く見られるリカードの中立命題の定義
        『財政支出をすれば民間が将来の増税を予想して消費をその分だけ減らし、総需要
        変化しない
    (また)Nick Roweクルーグマンの考えるリカードの中立命題の定義

        『税金で賄われる財政支出と、借り入れで賄われる財政支出とは、等価である
と対比させたことがあったが、
・・
・・クルーグマンは、ロバート・ルーカスなども唱える前者のような議論を、リカーディアン(Ricardian)ではなくリカーディアノイド/リカー ディアンもどき(Ricardianoid)だ、と揶揄している。」
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    ちなみに、「財政出動論3大恐慌期の金融政策の有効性」の中段より下の「3」で、バブル崩壊後の90年代の日本の金融政策に関して引用したアハーン(A. Ahearne)ら(2002)論文《注》p.35でも、日本のバブル崩壊後の財政出動の効果に関して次のように整理している。
「公債の増加に関する懸念から消費が抑えられているとするリカード中立命題論者の議論は、日本の家計貯蓄率が90年代に低下していることで誤りであることが示された・・・実際に・・・初期90年代には収入の成長が低下しているにもかかわらず、消費支出は驚くほど維持されていた。」としている。
    また、続けて「90年代前半の長期金利の相当な下落を考えると・・・民間投資をクラウド・アウトしたと見ることも困難」であり、同様の理由で「円高に寄与したということもありそうもない」としている。
        注》いわゆるFed viewの有効性に関連して、バブル崩壊後の日本の金融政策に
             ついてしばしばバーナンキらFRB首脳に言及された論文:
Alan Ahearne, Joseph Gagnon, Jane Haltmaier, and Steve Kamin "Preventing Deflation: Lessons from Japan’s Experience in the 1990s" Board of Governors of the Federal Reserve System International Finance Discussion Papers Number 729 June 2002



2 現実には、なぜリカードの中立命題による財政出動無効論が成り立たないと考えるか
   そもそも、こうした財政出動の『理論的』無効の主張にもかかわらず、「財政出動に効果がある」ことは広く知られている。まさにスティグリッツが「世情にうとい経済学者がよく持ち出し」と言っているように、この主張が現実の経済で「完全には」成り立たないことは事実が証明している(ただし、部分的に成り立つかもしれないことまでは否定しない)。
 以下、いくつかの仮定条件の下での思考実験としてではなく、財政出動の無効が現実に成立していると主張する立場に関して疑問点をいくつかあげてみよう。

(1)成り立たない理由として従来からあるもの
    現実に「リカードの中立命題による財政出動無効論」(以下『中立命題論B』ということにする)が成り立たない理由として、簡単な理由を2、3挙げよう

    第1に、国民は経済学者が考えるほど賢くないので、《錯誤のため》財政出動で増えた所得を使ってしまうというのがある。

    第2に、金持ちにはこれが当てはまるが、一般大衆には当てはまらないという議論がありうる。つまり、増税に備えて貯蓄しておかないと払えないほどの(巨額の税金を払わなければならないレベルの)金持ちには当てはまるが、一般大衆は、日々の生活に追われているから、将来の増税の心配まではできないということがあるだろう(特に、貧しいために消費性向が高く、収入を消費に使い切ってしまう、いわゆる「流動性制約家計」は日本でも2割前後を占める)。
           注》これは、意外に重要かもしれない。極端に貧富の差が大きいとき、貧しい層の所得が生存可能なぎりぎり
                の水準であったり下回ったりする場合、例えば、そうした人びとが予算制約の中で行う行動は、経済学が想
                定する合理的行動とは、異なったものになる可能性がある。例えば、暴動、略奪などだ。あるいは、そこま
                でではなくても、経済学的に合理的とは言えない行動が取られる可能性が高い。そうした人びとの割合が高
               い社会は、経済的に非合理な行動、非経済的行動が選択される確率が高いように思える。


(2)中立命題論Bの前提そのものに問題があること
    続いて、もう少し「本質的な」理由を挙げてみよう。①これが「成長のない経済」の仮定に依存していること。②「貯蓄」の扱いに問題があることの2点である。

 ① 中立命題論B自体が「成長のない経済」の仮定に依存していること。
   重要だと考える点はこの中立命題論B自体の成立は、実質的に「成長のない経済を前提としていることだ。(長期停滞下の日本のように)成長がなければ、たしかに公債で借り入れして財政出動したとしても、公債の償還時には、増税によって償還資金をまかなう必要がある。とすれば、単純にこの中立命題論Bは成立するとしてよいかもしれない(もっとも、上記の錯誤等の影響は小さくない)
   しかし、財政出動によって経済が成長し、国の経済規模が大きくなれば、税の自然増収で償還資金を得ることが出来る《例えば、財政出動論11の図5、図6参照》。

        注》なお、不況からの回復時の自然増収については、財務省が使う
            「税収弾性値」に問題があることは、「財政出動論5《交わらな
            ない短期と長期》」の中段あたりで述べた。》

    ここで「成長を持ち出すことは、一見反則的な議論にみえるかもしれない。「成長がない」という条件は、単に問題を単純化するための仮定に過ぎない・・・・・・つまり検討の枠組みの外にある問題のようにみえるからだ。
    だが、そうではない。成長」という条件は、この中立命題論B成立の根幹、本質に係わっている。それは、中立命題論B成立のメカニズムが起動するための本質的条件(仮定)になっているのである。
    そもそも、中立命題論Bは、家計が将来の国債償還をまかなうための増税を予測し、将来の(増税による)支出増を考慮して現在の消費や貯蓄行動を最適化するはずということを前提にしている。その結果、将来の増税に充てるために現在の所得を取り置く(貯蓄する)という家計の行動が生じ、家計は現在の消費を十分に増やさない(したがって、財政出動の効果はない)というのである。
    ところが、経済成長があり、それによって将来の所得が、将来の増税をまかなう以上に増えると家計が予想していれば、家計は現在の消費を削る必要はないと考えるのが自然だろう。
    成長がない場合は、確かに将来の生活費や必要経費を削って(つまり、現在よりも生活水準を低下させて)税を払うことになるが、成長で所得が増えればその必要はない。増える所得の一部を増税にあてれば済むからだ。こうした認識は、明らかに家計の行動に影響を与えるだろう。
    これに関連して、成長に伴う税の自然増収」は例えば増税」ではないかと思うかもしれない。確かにGDPに占める税負担の比率は少し上昇する場合がありうる。しかし、所得が増加し、増加した所得の一部が納税の増加に回されるに過ぎないなら、納税した後でも可処分所得は増えている。家計は、増税であるかどうかではなく、可処分所得がどうなるかで判断するはずだ。

   以上のように、成長があれば、税金を払っても納税後の所得は今より増えるのだから、今の生活費や消費を削ってまで「将来の増税への備えのために貯蓄する」理由はまったくないこれは明らかに、公債中立命題論Bが想定するメカニズムとは異なる家計(人々)の行動を生む。実際、われわれは「経済は成長するものだ」と考えている。したがって、仮にこのリカードの公債中立命題が「停滞する経済」では成立する余地があるとしても、「成長する経済」では、これは成立しないと言えるだろう。

        注》もっとも、20年不況の中で生きてきた我々は、徐々に、経済は成長しない
             ものだという考え方に慣れてきているのかもしれない。この意味で、まさに、
             日本という特殊な国では、中立命題論が成立する条件が揃いつつると言え
             るかもしれない。それが日本の長期停滞の原因を再生産しているもいえる
             だ。残念であり皮肉なことだが・・・・。

    「成長する」という条件は、合理的な経済主体の行動を変え、この中立命題論Bが機能するための本質的メカニズムを異なるものにしてしまうことになる。
    したがって、『成長がない』という仮定で仮にこの中立命題論Bが成立するとしても、それを「成長がある」経済に拡張して適用することはできない成長があるかないかは、この中立命題論Bが成立するメカニズムの根幹に係わっているからだ

    ② 「貯蓄」問題
    さて、そもそも、この中立命題に基づく財政出動無効論(中立命題論B)では、家計などが将来の増税に備えて「貯蓄」を増やすから、需要は増えないのだともいう。この「貯蓄」とはなんだろうか。この議論は、新古典派体系と整合性があるのだろうか。
    新古典派体系では、通常、貯蓄されたお金は、金融機関などの貯蓄運用機関を通じて、設備投資等に貸し出され、それが需要となって、セイ法則が成り立つと考えられているのではないだろうか。
        注)新しい古典派の代表といえるRBC理論や、そのRBC理論に基礎を置くニューケインジアン・モデル
             は、財市場の均衡条件として、生産は《民間消費+民間投資+政府投資・消費》の合計に一致すると仮
             れている(=セイ法則の完全成立)。これは、貯蓄は金融機関からの貸出や社債への投資を通じた民
             間投資(と国債購入を通じ政府投資・消費)によって使い切られると仮定されていることを意味する。
             (もっとも、ニューケインジアンモデルでは、それに「価格の硬直性」などを導入することで、均衡から
             の乖離をもたらす力が生じ、それによって経済変動が生ずると考える。)

   仮に家計や企業は、将来の増税を想定して、増える収入を「貯蓄」の増加にまわすとしよう。すると、そのほとんどは、貯蓄運用機関に回されることになるのだ。
    ここで重要な点は、家計や企業は、たしかに『将来の増税に対する備えとして貯蓄』する動機はあるかもしれないが金融機関などの貯蓄運用機関には増税に備えた貯蓄」を行う動機はないことだ。むしろ、貯蓄運用機関は、それをできる限り有利に運用しなければ、預金者に金利を払うことが出来ないから、常に積極的に貸出や運用をしようとする。したがって、金融機関に貯蓄された資金は全額が貸出や投資に回されることになる。その結果は需要増加になってしまう。


    つまり、新古典派的には、需要は企業や家計の収入増加に応じて増加することになり、中立命題に基づく財政出動無効論(中立命題論B)は成立しないことになる(少なくとも、中立命題論Bが提示する「家計行動への影響を通じた財政出動無効論」は明らかに成立しないと言える)。
           注)実際、RBC理論やニューケインジアンのDSGEモデルに、財政出動ショックを与えると、少なくと
                も「財政出動が経済に(それがどんなものであれ)影響を与える」という結果はごくごく当たり前に導か
                れる
           注)実は、ニューケインジアンモデルには、RBC理論が経済実態に合わない点を改善するために、家計に
               一定割合の非リカード家計(流動性制約家計)を導入した研究もある。非リカード家計は、収入(増加)
               の全額を消費に使い切ってしまう家計(貯蓄=0)であるから、この場合、そもそも中立命題論Bは成立
               ない(そうした家計の割合分に関してだが)。

◎ 以上で「中立命題論B」に対する新古典派的な(+ニューケインジアン的な)観点からの疑問は終了である。次に、こうした主流派的な観点に若干「ケインズ的な」観点を加えて、もう少し考えてみよう

    ケインズは、収入のうちの一部がタンス預金になれば、その分が財の需要にはならないことを指摘した。そこで、問題は、将来の増税に備えて家計は「タンス預金」を増やすのかということになる。ところが、それは明らかに考えにくい。
    仮に貯蓄を増やすとしても、それは将来の増税への備え分なわけだから、スケジュールもある程度はっきりしている。とすれば、それまでは「金融機関に預けて」運用益を稼ごうとするのが普通だろう。それは、新古典派的には、金融機関を通じて設備投資に流れ、需要を増加させることになる。この場合は、やはり中立命題論は成立しない。

(補足:資金の供給増があっても設備投資が増加しない可能性について)
     以上のように、家計の貯蓄段階の原因では中立命題論Bは成立しないように見える。では、その先の金融機関から企業が借りて設備投資が増加するかという問題の部分ではどうだろうか。
     たしかに企業が独自に需要の見通しを行い、その見通しがいずれも低いなら、金融機関が貸すといっても、企業側が設備投資を行おうとしないから、企業は資金を借りず設備投資は増えない。しかし、家計の貯蓄増で低コストの資金(次の③参照)が供給される一方で、政府の財政出動で具体的な需要増があるなら、その需要増に向けて設備投資は増えると考えるのが自然だろう。
         注)ちなみに、お金が十分供給されれば、企業は、それを必ず全額借りて設備投資をするというのが標準的
             な経済学者の見方である。上記注のRBC理論やニューケインジアンモデルの「財市場の均衡条件」に
           「貯蓄」という項目が出てこないのは、そのこと(つまり貯蓄は必ずすべて設備投資等に使い切られると
             いうこと)を条件として仮定しているからでもある。したがって、そうした人たち(中立命題論Bの支持
             者たちも含まれる)に対しては、そもそも この足や下の「(財政出動の方法による・・・)」ような
             討の必要もない。

(財政出動の方法による効果の差について)
    ここで、例えば、政府の財政出動が減税」や「一律の定額給付金」など家計の可処分所得を直接増加させる方法で行われる場合を考えよう。当然、家計は、その一部を貯蓄するが、平時であれば、上記のように、その貯蓄全額を企業が借りて設備投資するので、需要拡大効果は減ぜられない。
    ところが、現在のような重不況下で、家計が失業不安に怯えているときには、家計は消費を拡大するよりも貯蓄を拡大する可能性が高くなる。企業が、こうしたことを予想に折り込み、家計が十分に消費を拡大させないと予想すれば、企業は(家計の貯蓄増加で資金が潤沢であるにもかかわらず)設備投資を増やさないことになる。
    これは、一般に言われている中立命題論Bのルートとは異なるが、財政出動の効果を減ずる現象と言うことになる。

    しかし、政府の財政出動を公共事業」や「政府消費」の拡大で行う場合、それは、直接、企業の収入を増加させ、その収入増加額のほぼ100%近くが、賃金、原材料費、中間財の仕入れコストなどとして他の経済主体に支払われる。その企業に原材料や中間財を供給した企業も受け取った代金を同様に、コストとして100%近く支出する。つまり、政府の財政出動の大きな割合が直接循環していくことになる。
     また、賃金を受け取る家計にとっても、仕事がないために失業の不安に怯えていたのが、仕事が現実に増加するのだから、仮に所得は増えなくても雇用不安は低下し消費支出にプラスに作用する。
(これに対して、上記のように、単なる減税や定額給付金には雇用不安を直接解消する効果はない。)

(3)調達資金問題
    次に、中立命題Bとは異なる問題を考えよう。これは、コアなリカードの中立命題に係わる。
    調達資金の問題は、小野善康氏が述べているもので、財政出動のための資金調達のために国債を発行すると、民間資金が吸収されるので、その分民間消費や投資が減少する。減少額は政府の財政出動額と同額なのだから、民間消費が減った分だけ財政出動が増えるに過ぎないので、財政出動の効果はないというものだ。

        注》上記(2)②までは、財政出動の結果、増えた収入を家計などがどう使う
            かに関する議論なのに対して、これは、財政出動のための資金調達に関する
            議論ということになる。

    このストーリーの問題点は、国債で吸収されなければ、その資金は元々は民間で消費や投資に使われるはずだったと考えられていることだ。これは、公債発行によるクラウディングアウトの議論にかかわっている。

    しかし、そうした資金が消費や投資に使われていないからこそ、今の長期不況が生じていると考えるべきなのだ。その資金は貯蓄に回るが、貯蓄されても金融機関が代わりに「投資」するから、結局その資金も需要を作っているのだと考えるかもしれないが、そうではない。

    『投資』には、『設備投資』と土地や株式などの証券投資等の『資産投資』がある。証券投資が新発社債や新規発行株式を対象にし、それが直ちに発行した企業の設備投資になるならよいが、単に既発社債等に投資されているだけなら、それは単なる価格上昇(変動)に吸収されるに過ぎない

    実際、新発債や新発株式の取引は、資産市場の取引のごくわずか(例えば、2007年の年間株式売買高は約750兆円だが、新規発行株式は2兆円ほどに止まる)でしかない。つまり、「設備投資」は、GDPの対象となる財の需要を作るが、「資産投資」のほとんどは、直接的には価格変動をもたらすだけで、GDPの対象となる財の需要にはならない
    つまり、資産投資にカネが流れているなら、それは、直接には需要不足を解消しない。現在のような重い不況では、企業の売上げの将来見通しが低いために設備資金需要が小さい(拙著「重不況の経済学」では、そうした状態を『重不況』と呼んでいる)。設備投資に使われない資金は資産投資に投入されるが、それは需要を形成しない
    それを政府が国債(公債)で吸収して、GDPの対象となる財の需要として支出するというのが財政出動論だ。
   小野氏の議論は、次の3の(2)項でも再度若干詳しく取り上げる。

3 彼等はなぜ財政出動で景気回復しないと考えるのか
    さて、   ここで注意したいのは、リカードの中立命題が非常に強力だ」と主張する人々(以下「彼等」ということにする)は、財政出動によって、「経済成長が実現しない、あるいは景気回復はしない」と考えていることだ。

   「彼等」がなぜ財政出動では景気回復しないと考えるかと言えば、彼等(ニューケインジアン、新しい古典派)が、基本的には需要不足が存在しないと考えているためだ

(1)彼等の基本的視点
    これは、ニュー・ケインジアンの理論が、新しい古典派の中心理論であるRBC理論(リアル・ビジネス・サイクル理論《実物的景気循環理論》)をベースにしているからだ。RBC理論は、セイ法則の成立を仮定している。つまり、需要と供給は常にバランスしていると考える。
    ニュー・ケインジアンは、このRBC理論をベースにして、それに「価格の粘着性」などを導入することでRBC理論が仮定する市場の完全性などが崩れ、一時的には需要不足が発生すると考える。
    しかし、ニューケインジアンは、そもそも基本的に新古典派経済学の系統に属し、新古典派(その中の新しい古典派、さらにその中のRBC理論)の理論を現実経済に当てはめるための「微調整」をおこなうために、最小限度の需要不足を認めるに過ぎない。その基本的な発想や思考は、供給を重視する新古典派体系、RBC理論」の考え方や基礎的仮定に強く束縛されている。

(2)彼等の思考プロセス
    彼等は需要不足がないか一時的なものと考えるから財政出動で埋めるべき需要不足は存在しないし、財政出動分は需要超過となるから、物価は上昇するし、財政出動のための公債(国債)の発行で、本来は民間の設備投資に使われるはずだった資金が国に取られて民間資金が不足し金利が上昇するクラウディングアウトから、民間活動は縮小し、大きな政府ができるだけだと考える。また、金利が上昇するから、海外から資金が流入して、自国通貨高(円高)となり輸出が減少して、財政出動の効果はないと考える(マンデル=フレミング効果)。

    この観点は、新古典派理論に(ニューケインジアンとは異なる)ケインズ的な観点を加味した「不況動学」を提唱する小野善康氏(管首相のブレーン。大阪大学教授)も同じだ。 以下は、拙著「重不況の経済学」328ー329頁のコピーである。

        「小野善康氏は・・・リカードの等価定理(公債の中立命題)を引いて、国債
        で資金を調達して公共事業を行っても、人々は国債償還のために将来増税され
        ると予期して消費を増やさないので、公共事業は無意味だという(小野[2007
        『不況のメカニズム』75頁)。
            しかし、実証的には、公債による財政出動の効果は、ある程度認められてき
        ている。また、そもそも、リカードは、需要不足は存在し得ないという前提で
        考えていたのである。確かに、小野氏は、第3章の「はじめに」で紹介した
        ユージン・ファーマのように、セイ法則で需要不足は存在しないと考えている。
        小野氏と辻広雅文氏の対談で見てみよう。
        『(小野)・・・公共事業や失業手当として「政府があなたに100万円渡して
        も、経済全体では100万円増えているわけではないからだ。政府は自らおカネ
        を生み出せないので、誰かから100万円調達しなければならない。100万円もら
        ったあなたは消費するだろうが、100万円取られた誰かは消費を控えてしまう
        ………再分配は起こるが、全体で見れば差し引きゼロで消費が増えるはずがな
        い。』(なお、小野[2007]にも同様の議論がある)
            ここでの小野氏の議論は、100万円取られた誰か」は、取られなければ、
        その100万円を消費していたはずだということが前提になっているそうだと
        すると、そもそも需要不足はないから、不況にはなっていないはずだとこ
        ろが、小野氏は政策的には需要不足対策を主張しているのだから、矛盾であ
        る。
            需要不足があるのは、誰かが消費していないからだ。その使われていない
        100万円を政府が税か国債で吸収して、代わりに支出することで需要不足を解
        消しようというのが財政出動の趣旨である。
            なお、小野氏の議論の背景には、「資産投資」と「設備投資」の混同があ
        るのかもしれない。貯蓄は、結局は、金融機関によって、全額が資産投資か
        設備投資のどちらかに振り向けられるため、一見、すべてが「使われている」
        ように見えるからだ。
            しかし、設備投資が機械設備などの「需要」を生むのに対して、土地や株
        式などの資産投資は、(特にその価格差分への投資は)資産価格の上昇を生
        むだけで、実体経済の需要は生まない

4 需要不足があると考えると
   しかし、こうした彼等の予測・見通しはことごとく外れている。現実の日本経済は、次のように需要不足を考えた場合の予測に一致する。

    「需要不足があるなら」、その需要に使われない資金が有効に使われないまま残っているから(財政出動論7《赤字の持続可能性》参照)、政府が国債を発行しても、一向に資金不足にはならず金利も上昇せずクラウディングアウトは発生せず)、金利が上昇しないから海外から資金が流入することはないから自国通貨高にもならず、逆に低金利で海外への流出が増え、そのために円安となって輸出が増加したのがリーマンショックまでの日本経済である。

   すなわち彼等の理論は、まったく現実の経済を説明できなかったのに対して、需要不足を認めるとシンプルに経済の実態が理解できる。それは、たった一つ「需要不足がある」と考えるかどうかに係わっている。

    RBC理論ニューケインジアンの理論(DSGE動学的確率的一般均衡)モデル)が抱える本質的問題は、それらが、供給を中心に考えることを基本とするモデルであるということである。そこでは、コペルニクス以前の天文学者が「地球」を中心とする天動説体系で惑星運動を説明しようと理屈をこねくりまわしたように、「供給」を中心とする経済学体系で現実を説明するために、理屈を「こねくり回している」だけだと考える・・・・
 注》例えば、ニューケインジアンが考える需要不足の原因すら、基本的に
       供給側の問題。例えば生産物市場では、たとえば価格の硬直性があ
       ために、市場の価格調整ができず売れ残りが生ずると考えるのだが、
       価格に硬直性があるのは売り手が値下げしないからだ。また、労働市
       では、賃金の下方硬直性が労働者の需要を減らすために失業が増加す
       と彼等は考えるのだが、賃金を下げないのは労働の供給側の労働者の
       題だと彼等は考える。これらはすべて供給側の問題だ。
           もちろん、こうしたことは事実ではある。しかし、すべてではない
       商品価格をいくら下げても消費者はいらないものは買わない場合がある。
       例えば重い不況下で多数の消費者が雇用不安に怯えているときだ。
           また、企業も、今の日本のように売上げ増加の見通しがないときには、
       いくら賃金が下がって労働者を新たには雇用しない(長期不況や大不
       況下ではそうした消費者や企業比率が高くなる・・・拙著『重不況の
       経済学』では、こうした「 比率」の変化を「斉一性』の変という
       念で捉え、不況のメカニズムとして重視している)。
           これは、すべて(商品については消費者、労働については企業という)
       「需要側独自の原因」である。これらは、市場の価格調節機能を低下さ
       せてしまう。こうした《誰でも実感できる》観点が、RBC理論を中心
       とする新しい古典ニューケインジアンの視点には抜けているのだ
       『抜けた視点で』「供側の論理だけで」現状を説明するために理屈を
       こねまわしていのである。

           こうした彼等の視点の背景には、「消費者は常に商品を欲しい存在で
       あるから、価格さえ下がれば必ず買うという定」(効用最大化原理
       や、賃金さえ下がれば「企業は売上げ(収益)を最大化させるために、
       常に労働者の雇用を増やしたいものだという仮定」(収益最大化原理
       がある。
           確かに、れらの仮定が正しいなら、問題は供給だけにあることに
       
なる新古典派経済学の体系は、こうした基礎的な仮定に基づいている。
           ところが、上記のように需要側に独自の原因が存在する」としたら
       新古典派経済学は砂上の楼閣になってしまう。(つまり、これを認める
       と、体系そのものがひっくりかえってしまう。)
           これが、RBC理論やニューケインジアン理論に基づく現代の主流派
       マクロ経済学が、軽微な景気循環はなんとか理論的に説明できても、今
       回のような重い「世界同時不況」を理論的には予測できなった理由の
       一つだと思うのだ・・。

    いずれにせよ、十分な規模の財政出動があれば、景気は回復し、経済成長

が行われるだろう。これは、財政出動論11《需要項目でみた大恐慌からの
回復》末尾の図5、図6をみても明らかだと思うのだが。