1 長期と短期……長期の視点で短期の財政出動を評価する愚
(1)需要不足がないと考える立場(長期派)について
財政出動論は需要不足があると考える場合である。これに対して「需要不足はない」と考える有力な経済学派がある。「実物的景気循環理論」(RBC理論)を原理的に信じる学派で、新古典派経済学の中の「新しい古典派」の中核をなす派であり、小泉政権下で行われた「構造改革」の基礎をなした。
この立場では、「需要不足はない」のだから、「使われずに余っている資金もない」。とすると、たしかに、そこで政府が国債を発行すれば、クラウディングアウトが生じて、金利が高騰する。
仮に国債発行で資金調達しても、それは本来は民間で有効に使われるべき資金だったのだから、国債を発行しての財政出動には全く効果もないことになる(国債を発行しなかったら、民間が設備投資で使ったはずだからだ)。
(拙著『重不況の経済学』101ページから)
実例をあげれば、ユージン・ファーマ(1939ー。シカゴ大学教授。効率的市場仮説の提唱者)は、景気対策の資金が「国債発行を増やすことで調達されている。…政府債務が増えれば民間の投資に使われたはずの貯蓄が吸収される。結局のところ、遊休の資源がある状況でも、救済策と景気刺激で使われる資源が増加することはない。」と述べている。
"Fama/Frenh Forum"の2009年1月13日付けエッセイ("Bailouts and Stimulus Plans")。訳はスキデルスキー/山岡洋一訳[2010]『なにがケインズを復活させたのか?』82ー91ページを使用。
これは、ファーマが「需要不足が存在しない」という前提で問題を考えているからだ。彼が考えるように、需要不足がないなら、需要不足対策を行う意味はないし、需要不足に対応して使われなかった余剰資金も存在しないから、間違いなく、国債発行はクラウディングアウトを引き起こす。行うべきは《長期の》構造改革ということになる。…(しかし、次項で述べるように、日本では、これほど巨額の国債発行を続けてきたにもかかわらず、ファーマが言うようなことは全く生じていない。)
注》ファーマは「遊休の資源がある状況でも」と言っているから、需要不足がないとは言って
いないように見えるかもしれない。ところが彼は「民間の投資に使われたはずの貯蓄が」と
言っている。消費に使われなかった資金(→貯蓄)が「民間の投資に使われる」と彼が考え
ているのであれば、消費の減少を補う投資需要の増加によって、需要不足はなかったはずだ
と彼は考えていることになる。
注》ファーマは「遊休の資源がある状況でも」と言っているから、需要不足がないとは言って
いないように見えるかもしれない。ところが彼は「民間の投資に使われたはずの貯蓄が」と
言っている。消費に使われなかった資金(→貯蓄)が「民間の投資に使われる」と彼が考え
ているのであれば、消費の減少を補う投資需要の増加によって、需要不足はなかったはずだ
と彼は考えていることになる。
(2)需要不足がないなんてあり得ない
しかし、需要不足がないということは、あり得ないように見える。そもそも、彼等の考えるとおりであるなら、とっくの昔にクラウディングアウトが生じ、金利が上昇して日本経済は今よりはるかに大変なことになっていたはずだ。
(また、繰り返しになるが、需要不足ではなく(彼等の言う)サプライサイドの原因で日本の長期停滞を説明する仮説がことごとく実証されなかったことは、拙著『重不況の経済学』第1章後段でも紹介した)。
また、クラウディングアウトについては、日本だけでなく、今回の世界同時不況で、先進各国がこぞって大規模な財政出動が行っているが、そんなことはまったく発生していない(はずだ)。 その他どのような現象を考慮しても、需要不足が存在しないという理論は否定されていると考える。
2 政府の赤字問題は2つある
ー需要不足対策としての財政赤字と財政規律としての財政赤字は異なるー
通常、政府の赤字を批判する人たちは、政府が財政規律を失ったために赤字になっていると考えている。
しかし、財政赤字の原因は3つある。
第1は、政府が国民のニーズに応えたり、政府の役割を果たすことで生じる財政赤字であり、第2は、この「財政出動論」のシリーズで考えている『需要の不足』を政府が補うという意味での財政赤字であり、第3は無駄遣いや非効率で生じる財政赤字である。
第3は、効率化に努めればよい。(ただし、民主党の事業仕分けで明らかになったように、その効果は限定的であるかもしれない。)そこで、ここでは、第1《長期的問題》と第2《短期的問題》を考えよう。この2つはよく認識されないまま混同されている。
第3は、効率化に努めればよい。(ただし、民主党の事業仕分けで明らかになったように、その効果は限定的であるかもしれない。)そこで、ここでは、第1《長期的問題》と第2《短期的問題》を考えよう。この2つはよく認識されないまま混同されている。
(1)政府の役割と大きな政府・小さな政府《長期の問題》
あらためて政府の役割を整理してみよう。「政府とは、そもそも市場だけでは供給が過少となってしまうサービスを供給するために置かれている」。
供給が過少となる理由としては、例えば、サービスを受ける相手を特定できないために、対価を十分に徴収できないという場合がわかりやすいだろう。そうなれば、ニーズはあるのに、サービスは十分に行われなくなる。
例えば、「生活道路」は高速道路とは異なって、道路の入り口が(家や店舗ごとに必要なために)無数にあるから、料金を徴収しようとしても徴収コストが高くなりすぎて実質的に徴収できない。つまり、市場的手法ではサービスを供給できないから、政府が個々人の受益とは無関係に税で徴収し、そのお金で生活道路というサービスを供給している。
また、国土の防衛とか治安の維持の場合、費用を負担しない人がいるからといって、その人だけを除外して防衛とか治安維持はできない。結局、ただ乗りである。だから、政府が個々人の受益とは無関係に一律に税の負担を求め、それによってサービスを供給する。
これらは公共経済学の問題であり、こうした「非排除性」や「非競合性」を持つサービスは、サービスの供給が過少になりやすいから、公共経済学では政府が提供すべきと考える。
あるいは、日々の食事に困る人がいる場合に、これらの人たちは食事代を払えないから、民間ではサービスは採算に乗らない。しかし、こうならない人たちが安心して消費や労働が出来るように、セーフティネットとして必要であれば、こうしたサービスは市場ではなく政府が提供する必要がある。
このように、民間では利用の対価を市場ベースでは徴収できないために、政府の役割として行うべきサービスがある。
しかし、そうしたサービスがたくさん必要だと考える立場と、少しでよいと考える立場の2つがあり、どちらに傾くかは政治的に決められるのである。
しかし、そうしたサービスがたくさん必要だと考える立場と、少しでよいと考える立場の2つがあり、どちらに傾くかは政治的に決められるのである。
より多くのサービスを政府に要求する立場が、一般的な認識でいえば大きな政府論である。こうした主張が強くなれば、政府財政は赤字になりやすい。逆が小さな政府論である。
大きな政府論は、一般的に放漫財政になりやすく、財政赤字になりやすい。これには、財政規律が必要だ。
大きな政府論は、一般的に放漫財政になりやすく、財政赤字になりやすい。これには、財政規律が必要だ。
(2)需要不足を補うための財政出動《短期の問題》
しかし、これとは別に、『財政出動論5や6B』で述べたように、一国経済の需要と供給のバランスからみて、①民間消費、②民間設備投資、③住宅投資、④純輸出による需要の総和が一時的に供給を大きく下回り、回復の見込みがしばらく見込めない場合に、需要を補うという政府の役割がある。広い意味では、上記(1)で整理した『政府の役割』に含まれるが、『短期的な問題』であるということで、別に整理する必要がある。
この「財政出動論」のシリーズで主張している『財政出動=財政赤字』論は、こうした需要不足対策としての『短期の』観点の主張であり、財政出動は一時的なものと考えるのである。この意味で、上記(1)のような恒常的に大きな政府を主張する立場とは異なる。(詳しくは拙著『重不況の経済学』290〜295ページ参照)
ところが、財政赤字を問題視する人たち、財政再建論者たちは、長期的な政策である大きな政府論と、短期的な需要不足解消のための財政出動を混同して批判している。
これも、日本人と日本にとって不幸な状況である。
注》長期と短期については、財政出動論5を参照
これも、日本人と日本にとって不幸な状況である。
注》長期と短期については、財政出動論5を参照