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<以下は、アマゾンの三橋貴明氏の『いつまでも経済がわからない日本人』書評欄の『間違っています。』という書評に対するコメントについて、さらに私がコメントした内容に若干加筆したものです。>
この疑問は、すごくまっとうです。
<以下は、アマゾンの三橋貴明氏の『いつまでも経済がわからない日本人』書評欄の『間違っています。』という書評に対するコメントについて、さらに私がコメントした内容に若干加筆したものです。>
この疑問は、すごくまっとうです。
この疑問は、まさに1990年代末の日本の経済学者たちの頭を支配した疑問でした。たしかに効果がないように見えたのです。その結果、日本経済ではサプライサイド(供給側)に「構造的な問題がある」という考えを持つ新古典派、中でも、「新しい古典派」の「実物的景気循環理論」の立場が、政治やマスコミに大きな影響力を与えるようになりました。
資産価格の下落で失われた価値は土地と株だけで約1500兆円。これは日本のGDPの3 年分にあたりますが、1930年代の米国の大恐慌で失われた価値が当時の米国のGDPの 1年分にすぎなかったことと比較すれば、その規模の大きさがわかります。
・・・というのが(日本では無視に近い状態でしたが)今年、米国で出版した本に、複数の ノーベル経済学賞受賞者が推薦文を書いたり、書評を書いたりで、いまや日本より海外で脚 光を浴びているリチャード・クー氏の「バランスシート不況論」です。
ところが、日本では、実際は需要不足が原因なのに、これだけ不況が長引くのは「構造的問題」があるからだと考えて、構造改革というサプライサイドの政策がとられました。しかし 、もちろん、残念ながら、これには効果はありませんでした。
このことは、例えば、日本の一人当たりGDP順位が、まさに小泉構造改革期間中(2001-2006年)の5年間にOECD諸国内で3位から18位まで急落したことでもわかり ます。
サプライサイドの対策に効果があるのは、需要不足を脱出してからのことです。2000年 以降ずっと、需要対策という短期の対策よりもサプライサイドという長期対策が大事だと言 い続けられてきましたが、10年経っても、一向に需要不足から脱出できていません。つま り、サプライサイドの対策が効果を現す場面は来ていません。
その結果として、2001年に成立した小泉政権下で行われたのが『構造改革』でした。
しかし、この『疑問(断定)』は多分誤りです。・・・公共事業に効果がないように 見えたのには、別の理由があります。
公共事業に効果がないように見えた理由は、90年代初頭のバブル崩壊で資産価格が大幅に下落し、企業はそれに関わる借入金 を返済するために、利益や設備投資を削って借入金返済に資金を投入し続け、その結果、設 備投資需要の縮小で日本経済には大幅な需要不足が生じたからです。
資産価格の下落で失われた価値は土地と株だけで約1500兆円。これは日本のGDPの3
したがって、この不良資産の処理には長い時間がかかりましたから、日本経済は長期にわた って巨額の需要不足状態が続いたのです。
財政出動による公共事業は、その需要不足をある程度カバーし、大恐慌化する事態は防げま したが、常に少しずつ小さすぎたのです。
・・・というのが(日本では無視に近い状態でしたが)今年、米国で出版した本に、複数の
ところが、日本では、実際は需要不足が原因なのに、これだけ不況が長引くのは「構造的問題」があるからだと考えて、構造改革というサプライサイドの政策がとられました。しかし
このことは、例えば、日本の一人当たりGDP順位が、まさに小泉構造改革期間中(2001-2006年)の5年間にOECD諸国内で3位から18位まで急落したことでもわかり
この日本の人口一人当たりGDP(=ほぼ日本全体の生産性です)順位の低下状況は、内閣府経済社会総合研究所のページをごらんください。
これを見ると、OECD30か国の中で、1991年以降2000年まで、橋本改革時の1 998年の6位を除いて、ずっと日本は2位~4位でした。それが2000年の3位を最後 に、2001年から2006年の小泉政権期には、毎年順位を1~3位ずつ下げ、2007 年には19位になっています。
上下変動しながら、たまたまそうなったというのではなく、毎年一貫した低下のト レンドを描き続けてこうなったのです。
これを見ると、OECD30か国の中で、1991年以降2000年まで、橋本改革時の1
上下変動しながら、たまたまそうなったというのではなく、毎年一貫した低下のト
一人当たりGDPとはほぼ「日本全体の生産性」を表しています。それが相対的にせよ下落 を続けたのですから、構造改革に、他国並みに経済成長させたり生産性を向上させたりする 効果がなかったことは明らかです。
たしかに、リストラなどで、一見企業の競争力は向上しましたが、それは、元々売上げ不足 で企業内で有効活用されていなかった人材を、「企業外の」失業者に置き換えただけで、人 材が有効に活用されないことは変わらなかったのです。リストラで「企業だけでみた生産性 」は上昇しましたが、企業の外の失業者も含めた「日本全体の生産性」は(他の国に比べて )むしろ低下したのです。
つまり、1990年代、2000年代に、製造業の労働生産性が高い伸びを示したのにその雇 用が減少し、逆に生産性がほとんど伸びなかったサービス業が雇用を伸ばしたため、全体と して日本の生産性の伸びが低くなっています。
これは、厚生労働省の『労働経済白書(平成20年版)』(第3章3節の215~ 218ページあたりで指摘されています。特に「第 3 -(3)- 2 図 就業者数と労働生産性の推移」)をご覧ください(リンク先は第3章第3節全体のpdfです)。
これは、厚生労働省の『労働経済白書(平成20年版)』(第3章3節の215~
需要不足下では、経済成長を制約しているのは需要であって、サプライサイドの要因、つま り資本不足でも、労働力不足でも、生産性上昇率の低下でもありませんから、生産性上昇率 を高めるなどのサプライサイドの対策に効果がないのは当然でしょう。
サプライサイドの対策に効果があるのは、需要不足を脱出してからのことです。2000年
サプライサイドの対策に効果があるのは、供給不足の経済状況下だけです。まさに日本はマ ゾ的な政策を続けてきたと思います。