「重不況の経済学」 ・・・《このブログ全体の目次》
この頁をベースの一つとして新著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2、紹介ver.1、アマゾン))を出版しました。
大恐慌からの米経済の回復要因については、財政出動論1《財政出動の有効性》、財政出動論2《なぜ財政出動論》で財政出動の有効性について、また、財政出動論4《橋本財政改革》でその補足を、さらに、財政出動論3《大恐慌期金融政策》で金融政策の有効性に対する疑問を整理した。ここでは、それを改めて統合し整理しよう。
1 1930年代大恐慌からの米経済の回復を需要項目側から整理
(1)需要項目別の変化状況
米経済の回復を、財政出動論6B《需要不足対策の評価》の「需要項目別の需要不足対策」の観点から整理してみよう。すると、下の図1で1933年を底とする回復期の需要項目別の動向を見ると、「財政規模」の拡大がもっとも大きい。
(2)民間設備投資は?
もっとも、この図では、民間設備投資の変化が小さいように見えるが、これは1929年からの落ち込みが大きすぎるためであり、1933年から34年への変化率は10から22へと2.2倍であり、実額で17億ドルから37億ドルへと20億ドルの増加である。これに対して連邦政府の支出は23億ドルから33億ドルへと10億ドルの増加にすぎない。これは民間設備投資の伸びが重要であることを意味するのだろうか?
なお、純輸出が1933年,34年と伸びているが、実額では1億ドル(1933)から3億ドル(1934)程度であり、比較的寄与は小さいと考えられる。
(3)民間設備投資の増加に金融政策の寄与はない
だが、この民間設備投資の増加と金融政策の関係を、財政出動論3《大恐慌期金融政策》の図1,2で見てみれば、このとき、金融機関から民間企業への「貸付」等は増加していないのだから、この設備投資の増加には金融政策は直接には関係していない。
金融政策有効論者たちは、マネーサプライの増加と設備投資の増加の関係だけを見て《設備投資と金融機関の貸出に関係がないことを見落としたために》、金融緩和政策が設備投資を増加させたと見誤ったのである。
設備投資増加の要因は、むしろ政府の財政出動(下の方でもふれるが、連邦政府の公共投資は大規模であり複数年度にまたがるため、支出ベース以上に発注規模が大きい)による牽引と、その増額への将来的期待があったと考える方が自然だ。
図1
データ出所:米Bureau of Economic Analysis
図2
データ出所:米Bureau of Economic Analysis
(1)連邦政府公共投資は一貫して増加
公共投資の増加は、ルーズベルトの前のフーヴァー政権で既に計画され、起動されていた(その後の税収の急速な落ち込みに対応して、財政均衡を優先する方針が打ち出された)。1933年3月に大統領に就任したルーズベルトは、フーヴァー政権の財政均衡優先の方針を引き継がず、連邦公共投資を引き続き拡大した。
(2)大恐慌当初は、州政府・市町村による公共投資は縮小
しかし、この間、州政府と市町村政府による公共投資は、税収の減少に対応して急速に減少した。連邦政府公共投資の増加は、これを補うものとなったが、十分でなかった。
(3)回復期の1934年以降は州政府・市町村の公共投資は増加
1934年以降は、州政府・市町村の公共投資も急増しているが、これらの政府は通常、財政均衡が連邦政府以上に厳しく要求されているのであり、この急増は、連邦政府の強力な政策的支持によってはじめて可能になっていることに留意すべきである。
(4)大規模公共工事《=工期の長い工事》中心の連邦公共投資
また、州政府や市町村の公共投資は、基本的には規模の小さなものが多いのに対して、連邦政府の公共投資は規模が大きく、工期が1年を超え2,3年にわたるものが多いのであり、(財政出動論1《財政出動の有効性》でも述べたように、受注企業は着工段階で「発注」総額全体を前提に人や資機材の手当を行うため)支出ベースで見る以上の効果があったと考える。・・・財政出動については支出ベースのデータしかないが、実際の影響は発注ベースを考慮しなければならない。
図3
データ出所:米National Bureau of Economic Research : NBER Macrohistory Database
(5)フーヴァー政権とルーズベルト政権の支出水準の明らかな違い
下の図4で連邦政府の支出全体の動きを月次でみると、ルーズベルト政権となってから、財政支出の水準はあきらかに変化していることがわかる。
なお、当時の米国の会計年度は、前年7月から当年6月までであり、多くの年度で7月は年度当初のために支出が減少していることがわかる。1933年の7月から2,3か月は支出が落ちているが、これは政権移行期に伴うものと考えられる。(また、1936年6月の高い支出は、財政出動論2《なぜ財政出動論》で触れたように、当時大きな政治問題だった退役軍人年金一時金の一括支払いによるもの)。
図4
データ出所:米National Bureau of Economic Research : NBER Macrohistory Database
3 第2次大戦期の《ニューディールを色あせさせる》巨額の財政出動
このように、ルーズベルトは(本来は財政均衡論者だったこともあり)悩みつつ財政出動を行ったのである(このため、ルーズベルトは1936年には財政再建に転換し1937に歳出を削減したため再度大不況へ)が、その後の第2次世界大戦は、それまでのレベルを超える大規模な財政出動を伴い、米国経済は完全雇用を達成したのである。
今次の世界同時不況で、オバマ政権の1人目の大統領経済諮問委員長となった大恐慌研究の権威 クリスティーナ・ローマ—の「財政出動は規模が大きければ効く」という主張の理由は、以下の図(大恐慌期・ニューディール期の連邦政府の支出は、両大戦期の支出をみれば極めて小さい)を見ればよい。
また、これをみれば、「財政出動の持続可能性」の議論が、どの程度の(小ささの?)ものかが理解できるだろう。・・・下の補足、図6に続く
図5
データ出所:米National Bureau of Economic Research : NBER Macrohistory Database
もっとも、財政赤字による政府の累積債務を比較すると、実は第2次大戦後の米国の累積債務は、GDP比で今の日本ほど悪くはない。だが、これは、次の図6をみれば明らかなように、当時の米国が政府の財政出動でGDPを大きく(2.5倍程度)成長させたことによるものだ。・・・仮に今の日本のようにGDPの名目成長がゼロだったなら、政府累積債務のGDP比は現在の日本の比ではなかっただろう。だが、米国は1990年代、2000年代の日本のように中途半端な財政出動ではなく、上記図5のように、極めて大規模な財政出動を行ったのである(戦争だったからとも言えるが)。
また、この図6の第2次世界大戦期米国の名目GDPの急速な伸びが、金融政策によるものではなく、政府財政支出の急速な増加によるものであることも明らかだろう。(・・・23.8.5追記)
図6
データ出所:米Bureau of Economic Analysis