2011年3月10日木曜日

財政出動論16 構造改革は日本の停滞を解決しない

関連:財政出動論15《財政赤字の基礎=貯蓄》 拙著「重不況の経済学」
            その他1〜9目次                       ・・・《このブログ全体の目次》

    いまでも、日本の構造改革を主張する人たちがいるので、念のために少し整理してみよう。

1 構造改革の中核的な理論家たちは既に退出した

▲構造改革の根拠 となっていた諸仮説はほぼ実証されなかったからだ

    1990年代末にhayashi & Prescot によって(RBC理論に基づいて)日本の1990年代の長期停滞・成長率低下の原因が生産性上昇率の低下(+労働時間の短縮)にあるという仮説が提出され、それは当時の日本の停滞をよく説明するように見えた。
    そして、その生産性上昇率の低下を説明する仮説として、労働市場の歪み(で、成長分野に人材が移動できないという)仮説や金融市場の歪み(で、ゾンビ企業が人材と資金を吸収して成長分野に人材や資金が移動しないという(ゾンビ企業仮説を含む))仮説が提唱された。

    それらは当時の日本の停滞をよく説明するように見えたため、そうした市場の歪みを是正する「構造改革」が必要だとされ、小泉内閣で構造改革が実施された。

    ところが、その後、これらの仮説は、仮説提案者達自身を含む客観的な実証研究によって、ほとんど説明力がないことが証明されたし、それに替わる新たな仮説の提示もされなかった。

    また、経済面でも小泉政権期の「構造改革」期間中に日本の成長率がまったく上昇せず、一人当たりGDPの順位にいたっては、小泉政権6年の間に、OECD諸国中で3位から19位まで一直線に低下した。理論面でも政策面でも、構造改革は実証されなかったのである。

    (以上は、拙著「重不況の経済学」第1章で紹介した。このうち諸仮説の実証結果については、林文夫編[2007]『経済停滞の原因と制度』〈経済制度の実証分析と設計 第1巻〉,勁草書房 を中心に紹介している)

2 今構造改革を主張している人は事情を知らない追随者たち?
    したがって、日本のマクロ経済学者で、当初、構造改革の必要性についての理論的基礎を提示していた理論経済学者たちのほとんどは、この問題からはすでに実質的に撤退している。成果が出なかったのだから、そのことを大々的に宣伝して撤退するわけもない。

   見識のある経済学者たちはひっそり退出したので、構造改革の追随者たちには、それを知らない人が多い。いつのまにか「はしご」が外されているのに知らないままなのである。・・・いま構造改革を主張している人たちは、理論的根拠がなくなっていることを知らないまま主張している・・・と思うのだが。

   なお、これは、「日本の長期停滞の原因、解決策」に関する限りにおいてである。供給に問題を抱える米国、ギリシャ、開発途上国などでは、供給側の問題を解決するために、構造改革は有効だろう。これは《構造改革論13(構造改革が必要なのは米国だ)》で論じた。

3 成長率の低下は断層的に急激に生じている

    付け足しだが、日本の停滞が構造的な問題ではないことを簡単に別の側面から見てみよう。

▲日本の成長率低下は連続的に徐々に生じたのではなく断層的に急激に生じている

   下のグラフ(図1)を見れば一目瞭然だが、日本の長期停滞つまり成長率の低下は徐々に連続的に生じたのではない。急激に断層的に生じている。変化は急激なのだ。

▲市場の歪みがこんなに急速に変化するはずがない

    こうした急速な変化が、構造的な市場の歪みによっては生じ得ないことは明らかだ。生じるとすれば、市場の歪みが短期間に急速に大きくなったことになるが、それはあり得ないことだろう。
    仮に、「歪みが急速に起きたとする」なら、その急速な歪みの原因を明らかにすべきだ。仮にそうした原因が存在するとしても、それは歪み論の外にあるだろう。当然、それは構造的な問題ではあり得ない。

    ちなみに、この急速な変動の原因は、1991〜92年頃のバブルの崩壊だと見るのが自然だろう。
                 注》ついでながら、1970年代前半の成長率の急低下は、1971年のニクソンショックないしは1974年の第
                      1次オイルショックと関連があると考えるのが自然だ。

   要するに、実証以前に、常識さえあれば、日本の成長率の低下(長期停滞)が構造的な問題によるものでないことは一見して明らかだったように思える。
図1
出所: 社会実情データ図録 http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/4400.htmlÅ   (矢印を加筆)

    ちなみに、1998年の落ち込みは、橋本財政改革による財政出動削減によるものと考えられるし、2001年の落ち込みは、小泉構造改革当初の財政出動削減(方針の提示)に係わるものと考えられる・・・・。

   …もっとも、1990年代末で見ると下のグラフ(図2)のように、2000年以降の変化が見えなかったわけだから、成長率は「赤のトレンド線」のように変化しているように見えたかもしれない。とすれば「常識があれば」という上記の表現は少し言い過ぎかもしれない。しかし、この赤線の傾きも急激に過ぎることには変わりはない。
図2


2011年3月6日日曜日

財政出動論15 財政赤字問題の基礎=貯蓄問題

関連:財出16《構造改革》  12《リカード中立命題》 7《財政赤字の持続可能性》
 拙著「重不況の経済学」 その他1〜9目次                        《このブログ全体の目次》


    政府の財政赤字に対する議論は多いが、「財政赤字がなぜ生じるか」について、初歩的なことがわかっていない議論が多い。辛坊治郎氏の一連の本は、そのように見えるし、《財政出動論7(財政赤字・累積債務の持続可能性)》で取り上げた相沢幸悦・中沢浩志両氏の本でもそうだ。また、同じく財政出動論7でふれた榊原英資氏もひょっとしてそうかもしれない。大前研一氏の見方もそのようにみえる(『大前研一の新しい資本主義の論点』の「はじめに」を読む限り)。・・・と書くとまさに蟷螂の斧だけど・・・。

■不況とは「貯蓄」が十分に使われない状況のことだ
    いまさらという気もするのだが・・・整理してみよう。

   これは「誰かが収入の一部を消費せず貯蓄するなら、別の誰かが、その全額を借り入れて、その全額を使わないと経済は正常に回らない。」という問題に関わる。

1 簡単なセイ法則の理解
    セイ法則については、すでに財政出動論7や同12《リカード中立命題》などで書いてきた。ここでも、この問題に必要な範囲で簡単におさらいをしよう。

    問題は、企業が製品を生産する場合に、家計などがその製品を買うためのお金はどこから来るのかという点にかかわる。

(1)単純なモデルで
    簡単にするために、この消費のために貯蓄は使えないとしよう。同様に簡単にするために、政府も貿易もないとしよう。

    すると、家計が企業の生産物を買うには収入が必要だが、その収入は企業から得るしかないことがわかるだろう。企業と家計の関係をみると、まず家計は企業に生産のための労働力を提供して賃金を得る。また、家計は企業への出資に対して、その株主として配当を受け取る。また、企業が生産するために資金を(銀行を通じて)貸して利息を受け取る。

   家計は、こうして受け取った賃金、配当、利息の合計所得を限度として、企業から生産物を購入できる。逆に(当然ながら)受け取った額(=所得)以上を企業に支払うことはできない。

   つまり、企業の売上げ総額は、企業が家計に支払った額と一致する。これがセイ法則である(あるいは、その一側面である)。

   だから、企業の生産という「供給」活動が「需要」を決定するとも言えるわけだ。

(2)家計が全部を使わず貯蓄する場合
   しかし、現実には、家計は、その全額を消費せず、一部を貯蓄することが多い。こうした貯蓄という要素を入れる場合に、設備投資という要素を入れて考えるのが現実的だ。

   貯蓄された分は消費に使われないから、その分家計が買う生産物は少ない。しかし、そもそも、企業は消費財を生産するために、設備を増設したり、効率化するための設備投資を行う必要がある。企業は、競争力を維持するために、あるいはもっと儲けるために、資金さえあれば常に設備投資をしたい、そのためにはお金を借りたいと考えているとする。すると、結局、企業は、家計が貯蓄したお金を全額借りて設備投資を行うことになる。
   設備投資では、消費財ではないが、やはり別の企業が生産する生産物(生産のための機械などの生産財)が調達される。したがって、各企業は,家計の消費ニーズと企業の設備投資ニーズにちょうど合うような比率で消費財と生産財を生産すれば、各企業が生産した各生産物はすべて売れるわけだ。

    このように、やはり、セイ法則が成り立つ場合が考えられる。

(3)セイ法則が部分的に成り立たない場合
    しかし、一般に、経済学者の多くは、現実の経済ではセイ法則が常に成り立つとは考えていない。少なくとも短期では成り立たないと考えられている。

   では仮にセイ法則が成り立たないとどうなるだろうか。
   生産物の購入にまわる資金が少なければ、生産物は売れなくなり企業は窮する。不況である。
   逆に、生産物の購入に回る資金が増えれば景気過熱である。資金が増えるとは、例えば過去の貯蓄を取り崩すことでもよいし、海外から借りても良いし《=資本収支黒字=経常収支赤字》、政府・日銀が紙幣を少し余計に発行しても良いし、銀行から借りても良い。銀行には信用創造機能があって銀行の預金残高以上に貸すことも出来る。信用創造とは要するに二重貸しである。

        注》銀行がいくらでも信用創造できるのであれば、政府・日銀が銀
            行さえコントロールすれば、貸出を増やして景気調節ができる?と
            考えられるかもしれない。
                たしかに仮に、企業の設備資金需要が常に高いなら、銀行が貸出
            の蛇口を緩めれば、いくらでも貸出は増えて設備投資が増加し、そ
            れが生産財需要を作り総需要が拡大する。
                 だが、現実には、借り手側の「企業が借りたくない」場合があり
             うる。例えば、売上げの将来見通しが低い場合、設備投資のリスク
             が高いと企業が考える場合などだ。こうした場合には、設備投資を
             決定するのは金融側の事情ではなく、実体経済企業の側である。
                 しかし、実は、現代経済学では、「企業には常に旺盛な資金需要
              がある」という前提で理論が組み立てられていることが多い(そう
              した前提で組み立てられた理論が現在の状況を適切に説明できない
              のも当然だろう)。
                 一つの側面を図1で見てみよう。これは、金融機関の預金残高と
             貸出残高の比率を示す「預貸率」の長期推移を示したグラフである。
                 ここでは、預金と貸出の推移を見て欲しい。1990年代初頭までは、
             預金と貸出はほぼ連動して変化していた。現代の標準的経済学は、
             こうした関係を前提に構築されている。実証が、こうした状況を対
             象に行われていれば、それが「正しい」という結論が出るのも当然
             だろう。ここでは、金融政策は有効だ。
                 ところがバブル崩壊後の日本では、それ以後、預金と貸出の連動
             が失われたのである。預金残高が増えているのに、貸出は伸びず、
             むしろ減っている。負の相関といってもいいだろう。拙著『重不
             況の経済学』では、こうした状況を『重不況』といっている。そこ
             では、1990年までのように軽い景気循環では生じない現象が生じる。
       図1
                                                                               (資料出所:内閣府『日本経済2007-2008』に赤矢印を加筆)

   さて、ニューケインジアン的な見方で言えば、セイ法則が破れる原因として考えられているのは、摩擦のようなものだ。例えば需要減少や増加などの認識に時間がかかって企業の対応が遅れたり、価格が硬直的で市場による調整に時間がかかりすぎたりというものだ。・・・これらは、実は、「供給側の問題」であることに注意しよう。(だから、ニューケインジアンも市場の改革などの構造改革を支持する傾向がある。)
    これらは、軽い不況では機能している。しかし、大恐慌のような「激しい」不況あるいは日本の長期停滞のような「長期」にわたる重い不況(重不況と定義)では、(これに加えて)「多数の」企業の将来の需要見通しが斉一的に低くなったり、リスク回避マインドが斉一的に高まるということがセイ法則の破れのより大きな原因になると考える。これらは、資金市場においては、資金の「需要側」の問題であることに注意して欲しい。(しかし、金融政策を重視する立場の人々は、資金を「供給する側」の金融機関を(常に)問題にする傾向がある。)

   こうなると、貯蓄された資金を企業は十分に借りて使わないため、生産財の需要は減少し、企業は生産物の売れ残りに直面する。この結果、企業が、設備投資を抑制し(貯蓄された資金の全額を借りてくれなければ)、総需要は不足することになる。

   以上を踏まえて、政府の財政赤字を考えよう。

2 需要不足をなくすためには、貯蓄全額が借出され、消費・投資に使われる必要あり
   上記からわかることは、「需要不足がないようにするには、貯蓄全額が借り出され消費又は設備投資に使われなければならない」ことだ。

   一部でも使われないとき、生産物は売れ残り、経済は縮小スパイラルに陥る。そうならないためには、誰かが借りて使うしかない。

    経済主体は、大きくは家計、企業、政府、海外の4つがある。ある年度の「収入」(左辺)に対する使い道(右辺)を見ると、つぎのように書ける。
  「家計」収入 = 家計の消費・住宅投資への支出 + 家計の貯蓄増
  「企業」収入 = 企業の消費・設備投資への支出 + 企業の貯蓄増
  「政府」収入 = 政府の消費・政府投資への支出 + 政府貯蓄増(=▲国債)
  「海外」純収入= 海外純消費(純輸出)への支出 + 海外純貯蓄増(=▲海外債権)

    左辺、右辺それぞれ合計すると
      {「家計」収入+「企業」収入+「政府」収入+「海外」純収入}
           = GDP + {家計の貯蓄増+企業の貯蓄増+政府貯蓄増+海外純貯蓄増}

        注》なお、「家計の消費・住宅投資への支出+企業の・・・・=GDP」 である。

     ここで、左辺の収入の合計とは(裏返してみると)生産者(企業等)が(広い意味のコストの対価として)家計(などの経済主体)に支払った額の合計と等しく、右辺のうちのGDPとは生産者が生産物販売の対価として受け取る額に等しい。
     需要不足がない状態とは、左辺の収入の合計とGDPが一致することだから(そうでないと、生産者の支払額と受取額に差が生じる。GDP側が少ないと生産者は赤字だ)、右辺第2項の{ }内の合計はゼロでなければならない。 つまり、
         {家計の貯蓄増+企業の貯蓄増+政府貯蓄増+海外純貯蓄増}=0 ・・(ア)式
である。

    この(ア)式を、日本の現状に合わせてわかりやすく書き直せば
    家計貯蓄の増加 + 企業貯蓄の増加 ー 政府財政赤字 ー 経常収支黒字 =0 つまり
    家計貯蓄の増加 + 企業貯蓄の増加 = 政府財政赤字 + 経常収支黒字 ・・・(イ)式

となる。これが、セイ法則が完全に成立する条件、つまり景気が順調であるための条件である。

    つまり、日本は現在、
    ① 家計貯蓄=プラス(増加)
    ② 企業貯蓄=プラス(増加)
    ③ 海外貯蓄=マイナス(資本収支赤字=経常収支黒字)
    ④ 政府貯蓄=マイナス(財政赤字)
である。

ア    これらのうち①②は、それぞれ簡単には縮小できないし、仮に方法があっても時間がかかる。これにもっとも効果が高いのは、実際に企業の売上げが改善し、将来の売上げ見通しが高くなったり、現実に失業率が低下し雇用不安が解消することである。

    いわゆるリフレ政策は、こうしたマインドの改善を誘導するために金融緩和政策を用いるべきとする。しかし、それがどのように働いてマインドを改善できるのかは不明である。たとえば、リフレ政策の結果、デフレからインフレになったとして、物価上昇分だけは計算上の売上げが増加するが、「売上げ数量は増えていないから」、企業は増産のための「設備投資」の必要を認めないし、雇用の増加の必要も感じない。つまりインフレ自体は(多分、インフレ期待の上昇も)、(イ)式を改善しない。必要なのは実質成長で数量が増えることだ。ここでは、価格上昇は、それが数量増加につながってはじめて意味がある。リフレ政策では、今のところ、そのルートがよく見えない。
    結局、それに効果がある政策として有力なのは、下記の「輸出立国政策」か「財政出動」のどれかではないかと思える。

  注)(リフレ政策の効果に係わる)金融政策の効果を、90年代から00年代前半
         の企業の銀行借入と設備投資の関係で見てみよう。すると、下の図のように、
        両者はほぼ無関係であるというしかない(例えば93年の銀行借入の山と97年
        の設備投資の山は、関係があるようにみえなくもないが、余りにも時期(4年
        近い)が離れすぎている(一般に、金融政策が実体経済に効果を現すラグは
        1年〜 1年半とされている)。また、98年には設備投資が大きく落ち込んだに
        もかかわらず銀行借入にはそれにかかわる変動が見えない。つまり無関係と
        いうしかない)。
      しかも、むしろ、91-92年や01-04年あたりを見ると銀行借入は設備投資の変
  化に遅れて生じているように見える。素直に解釈すれば、銀行借入の増加が設
        備投資の変化を引き起こしたのではなく、設備投資を増やしはじめた後、必要
        に応じて銀行借入が行われているのだ。
                   貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』2005から又引き
           一方、(例えば)企業の「経常利益」との関係を下のグラフで見ると、「銀
        行借入」との関係とは異なって、相関が高い。しかも、まず経常利益が変化し、
  その後に設備投資が増加するという前後関係が明らかである。これは、企業が、
  現実に利益が出始めてから設備投資に着手していることを示している。
      この間、特に物価が大きく上昇した訳ではないから、経常利益上昇の原因は、
  販売数量が増えて生産が増加したために、遊休化していた生産設備や労働力の稼
  働率が上昇し、設備や労働力の効率性が上昇したことによると考えられる。稼働
        率が上昇すれば、既存の生産能力の限界に達しつつあるのが見えるから、将来的
        に不足する生産能力を増強するために、設備投資が追加されるのである。(重い
        長期不況でリスクを重視するようになった状況下の)企業は、基本的には、既存
        の生産能力では生産が間に合わなくなる見通しが生じてから(そうした状況は経
        常利益の増加に反映される)、生産能力の増強(つまり設備投資や雇用の拡大)
        に転じるのである。単に金融緩和で手元資金が潤沢になれば自動的に設備投資を
        増やすというものではない(ちなみに、資金がありさえすれば、無条件に、売上
  見通しに無関係に設備投資をしてしまうような経営者は失格である。金融政策の
        過度の信奉者は、このような失格経営者を典型的経営者として想定していること
        になる(しかもそれが「合理的な経済人」だと考えられていることになる))。
                     出所:貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』2005

(再び本論に戻ると)
イ    一方、③を大きくして①と②の合計とバランスさせれば、政府赤字はゼロになる。これが、輸出立国政策である。ただし、少なくとも、日本の現状ではこれは不十分である。日本では東アジアへの輸出の伸びが期待されているし、重要なことだ。しかし、国際的には、こうした政策が「グローバル・インバランス」を生み、今回の世界同時不況を生んだとされる。したがって、将来的には、こうした政策は縮小されざるを得ないとも考えられる。

ウ それで足りない場合は、政府の財政出動が必要になる。つまり、
    ④ 政府の貯蓄=マイナス(政府財政の赤字)
である。

    これを踏まえて、拙著「重不況の経済学」や財政出動7でも取り上げた次の図2をみてほしい。この図で、資金余剰とは簡単に言えば貯蓄増、資金不足とは借入増と考えればよい(なお、おおむね上下のプラス分とマイナス分を足せばゼロになるように作られている。また、これはストック(蓄積量)ではなく毎年の増加量または減少量(フロー)を表している点に注意)。

    ここで、特に1998年以降を見ると、家計の貯蓄(の増加幅)は縮小しているが、一般企業(非金融法人企業)の資金は『不足』から『余剰』に転換している。設備投資は小さいままなのに企業は資金余剰なのだ。
    これは、上記図1の、銀行等の預金残高が増えているのに、企業への貸出が増えていないことと整合的だ(企業の資金余剰が増加しているのに、企業への貸出が増えるわけがない)。
    こうした状況下では、家計も企業もお金を使わず(→需要が減少し)貯蓄を増やしているだけだから、政府が、使われない貯蓄を国債発行で借り入れて支出し、需要を維持している。つまり、政府の財政赤字は、日本経済がなんとか存続していくための必須条件となっている。

     図2

3 以上から何が言えるか
(1)家計と企業の貯蓄が不況で増加し続ける限り国債消化資金が枯渇することはない
   これは、財政出動論7《財政赤字の持続可能性》で述べたことだ。仮に不況から回復し、設備投資が増えれば、景気対策のための政府赤字の役割は低下するから、国債発行の必要は低下する。また、回復で税収が増加するから、自動的に国債発行の必要もなくなる。

    つまり、国債を消化するための資金は、過去の貯蓄による貯蓄残高の総額《ストック》で決まるのではなく、毎年の貯蓄増加分《フロー》の中から出てくるのである。このように理解すると、冒頭でふれたような相沢幸悦・中沢浩志両氏らの議論が成り立たないことは明らかだろう。

(2)政府赤字がゼロになる条件
    政府赤字がゼロになるには(イ)式の右辺が、
   「家計貯蓄の増加+企業貯蓄の増加ー経常収支黒字」=0になる必要がある。
とすると、

① 0でないのに、直接的財政再建によって左辺の政府赤字を0にしたら、
    経済は縮小スパイラルに陥る。

    これこそまさに橋本財政改革で起こったことだ。(実際は、なりかけたので、あわてて大規模な財政出動をしたために回復した。しかし、改革以前よりも赤字幅は大幅に拡大した。→《財政出動論4(橋本財政改革)参照)

② 過去20年の財政出動(財政赤字)が十分だったかどうかは簡単にはわからない。
    しかし、20年間の日本経済の停滞は、それが常に不十分だったことを示していると考える。

③ もちろん、純輸出が増えても良い(→経常収支黒字の増)。
    2004〜2007年頃の「実感なき景気拡大」は純輸出(=輸出ー輸入)の拡大によって生じた。特に輸出企業が、輸出向け製品用の生産設備の設備投資を拡大したので、景気にはさらに「プラスの影響を与えた。

    しかし、小泉政権では、景気回復によって増加した税の増収分をほぼそのまま財政赤字の解消つまり国債発行の削減に振り向けたため、総需要は(政府財政出動の縮小で)回復前とそれほど変わらず、長期にわたり景気回復は「実感のない」ままに止まった。

④ 財政出動の中でも減税は、一般に家計貯蓄や企業貯蓄の増加をもたらすだけだ。
    上記のように、《設備投資が増えない状況では》「貯蓄の増加」=「需要の減少」を意味するのだから、「家計や企業の貯蓄が増えても」景気はまったく回復しない。それどころか貯蓄が増えると、不況が重くなるか不況の期間が延びるだけである。

    財政出動を減税に使う場合、「特に」家計に依然として強い雇用不安があり、企業の売上げの将来見通しが悲観的なままという状況下にあるなら、減税(による可処分所得の増加や税引後利益の増加)は、そっくり家計貯蓄や企業貯蓄の増加につながるだけで、(イ)式右辺の縮小にならない。
    具体的には、企業減税で企業の税引後利益が増えても、売上げが上昇したわけではないから、将来の売上げ見通しが上昇するわけではない。したがって、設備投資を増やす理由がない。利益は、設備投資にはまわらず企業の貯蓄に積み増されるだけだ。
   また、家計の減税で労働者の可処分所得が増えても、勤め先に仕事がないなら、雇用不安は変わらないから、消費を増やす理由にはならない。可処分所得の増加は家計の貯蓄を増やすだけだ。これは、いわゆるバラマキ的各種交付金についても同様の傾向がある。
    つまり減税等は、景気回復という政策目的に照らせば、財政赤字を無意味に増加させるだけである。軽不況下とは異なって、特に重不況下では効果は弱い。

    ・・・・しかし、多少は、消費や設備投資には回るだろう。ないよりはましである。

    また、家計への減税等については、低所得者層への減税や直接交付金は、消費に回る割合がかなり高い。景気対策としては、低所得者層に対する減税や交付金は意味がある。
    一方、今の状況下では、景気対策としての高所得者層への減税や交付金にはまったく意味がない。ほとんどが貯蓄に回されるだけである。
    また、企業減税で意味があるのは、国内での設備投資に対する減税のように、国内での消費や投資が直接特定できるものに対するものである。一般的な法人税率の引き下げにはほとんど意味はない。

⑤ 財政出動で政府消費や公共投資を増やせば、それは直接企業や家計を直ちに潤す。
   企業に発注があれば、生産設備の稼働率は上昇し、遊んでいた労働力が動き出す。原材料の発注が関連企業を通じて多様な分野に及んでいく。現実に企業の売上げが上昇するから、それは売上げの将来見通しに影響を与える。現実に仕事があるから、労働者の雇用不安は解消される。

2011年2月23日水曜日

財政出動論14 インタゲと国債利払い

関連:財政出動論1〜9など目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次》
                                                                 23.10.19一部更新(税収弾性値について注追加)

    経営コンサルタント小宮一慶さんの『日本経済はこのままでは預金封鎖になってしまう』を読みはじめた。通勤時間40分くらいでほぼ60〜70頁は読めるほどの内容だ(・・・これぐらいにしないと売れないものか)。

    この方とは考え方も違うし、預金封鎖になる理由があるとも思わない。(僭越にも)木を見て森が見えていない、マクロがわかっていないのではと思いつつ読んでいたのだが・・・・

   この本のインフレターゲット政策を批判する部分にぶつかり、たしかにインタゲには若干の問題があるかと思わざるを得ない部分もないではないと思った。(以下、雑な議論だが)。

1 小宮氏の主張と当初の私の試行錯誤
(1)小宮氏のインタゲ問題説
    小宮氏は、通常の国では、インタゲに効果があるかもしれないが、巨額の累積債務を抱える日本では、インタゲによる物価上昇は、利払い費が増加するために財政破綻を招く可能性が高いという。
    すなわち、仮にインタゲで物価上昇率が2%に上昇し、期待インフレ率が2%に上昇したとすると、国債の利子もその分上昇し、国債約1000兆円の利払い費は20兆円増えてしまう。これは財政破綻につながり、国債の暴落から経済は危機を迎えるという。

(2)反論の一つとして、名目GDP成長による税収増加説
    これに対しては、いくつかの反論が考えられる。例えば、利払いの利率上昇は、借換えの際に発行する新しい国債で実現されるのだから、利払費の上昇は一挙に生じるのではなく、時間がかかるのである。その間に税収が増加するという主張がありうる。

    しかし、物価上昇率2%と同率で名目GDPも拡大する場合、(財務省の使う税収弾性値1.1ではなく)2000年代景気回復期の税収増加実績を踏まえた4.0(財政出動論5《交わらない短期と中期》の中段2の(3)参照)を使っても、現在の税収水準が仮に50兆円なら、名目GDP2%の成長では、税収は毎年4兆円(=50兆円×2(%)×4.0)しか伸びない。これで、20兆円の利払い増加をまかえる水準に達するには、5年間(5年×4兆円=20兆円)待つ必要がある。
    注》税収弾性値については、ここまで、拙著『重不況の経済学』で行ったごく「ア
        バウトな試算」結果の「4.0」を使ってきたが、23.10.17に内閣府の「経済成長
        と財政健全化に関する研究報告書」が出され((財政出動論5《交わらない短期と中期》
                  の中段2の(3)の注参照))、そこでは、2001~2009年の平均値として「3.13」が
         提示されている。したがって、ここでの4.0は、まあとりあえず3.1に置き換
         えて読んでいただきたい。


    これは結構ぎりぎりなのではないだろうか。しかも毎年の税収増加のほぼ全額が既発債分の利払費に消えてしまうのだ。

2 問題は実質成長が実現するかどうかだ=インタゲ派の考え(?)
    上記の議論では、実質GDPの成長がないとしている。しかし、これをインタゲ政策によって、例えば年率1%の実質GDP成長が実現するとしてみよう。名目成長は3%(=物価2%+実質1%)になる。すると、上記の枠組みでは毎年の税収増加は6兆円となる。
    だから、まかなえると考えるわけだ。
    しかし、(物価上昇が実質GDPの上昇につながるという仮説は必ずしも大方の承認を得ていないようにみえるのだが、仮にこの仮説が正しいとしても)物価上昇が実質GDPの成長につながるまでには明らかにタイムラグがある。これは少なくとも1年以上、多分2,3年はかかるのではないだろうか。この間利払い費は増加し続けるはずだ。このラグ分は、結構、不安にさせるものではある。

3 であるなら、当初は物価上昇無しに実質成長すればよいのだ
    たしかに日本のような巨額の累積債務がある国では、小宮氏が言うように、物価上昇だけでは問題は解決しないわけだ。巨額の累積債務がある国では、実質成長率の高さが重要になる。

  逆に、 物価上昇なしにGDP成長が行われれば(名目成長率=実質成長率だから)利払い費の増加無しで税収が増加する。
   内閣府によれば、昨年10〜12月期のGDPギャップは、年換算で20兆円だという。つまり、少なくともこの20兆円分は物価上昇無しでGDP成長が可能なのだ。20兆円は日本のGDP約500兆円の4%なので、これに税収弾性値4.0をかけると、税収は16%増加することがわかる。上記の計算と同様の枠組みでは8兆円ほどは物価上昇無しで税収増加が可能だ。これがそれ以後の「下駄」になる。
    その後は、物価上昇+実質成長による税収増加が利払い費問題を解決してくれるだろう。

4 財政出動論
    問題は、どのようにして実質成長を実現するかである。私は、(財政出動論13《構造改革が必要なのは米国》の頭の部分でふれたように)「不足するもの」が経済を規定すると考えるのが常識的で無理のない理解だと思っている。したがって、景気過熱で資金需要が強いときには(資金が不足している訳なので)金融引き締めに効果はあるが、資金が余っている今のような状況では、金融緩和政策の効果は背景に退く(つまり小さい)と考える。・・・もちろん、今のような状況では、金融緩和は不可欠だとは考えるのだが、景気を回復させるほどの力はないと考える。これは財政出動論3《大恐慌期の金融政策》などで述べたとおりだ。

    したがって、今の日本に不足しているのは需要であり、(財政出動論6、同6B《需要不足対策の評価》でも見たように)各需要項目(民間消費、民間設備投資、住宅投資、純輸出、政府消費・投資)の中で、政府が直接、確実に操作可能なのは、政府消費・投資だと考えている。
         注》財政出動の有効性については、財政出動1《有効性》、同2《なぜ》
             で述べている。同3《橋本財政改革》でも、橋本財政改革の影響から逆
             説的にその有効性がわかる点についてふれている。
                 なお、財政赤字・政府累積債務の持続可能性については、財政出動論
             7《政府累積債務の持続可能性》などで述べた。

   つまり、このブログの主張(処方箋)は、金融緩和を維持しながら、短期の大規模な財政出動が必要だと考えているわけである。もっとも、短期と言っても数年は必要である。・・・この主張は、たしかに今の世の中の世論の趨勢とはあまりにもかけ離れている・・・・。
                注》なお、景気対策に係わる「交わらない『短期』と『長期』の視点」
                    については、財政出動論5でふれた。
    しかし、今ヨーロッパでは、英国をはじめとして財政再建路線への転換で財政出動を大きく抑制しはじめている。その影響は今年後半あたりには出てくるだろう。そうなれば、この「財政出動論」が無意味な主張かどうかが明らかになるわけだ(ここでの財政出動論の主張からすると、ヨーロッパは再度の大不況に見舞われることになるはずなのだが・・・・?)。
    
補足23.7.13
 利子には課税されており、インフレで利子率が上昇すれば税収が増加することが、上記では抜けてましたね。・・・(上記の「税収弾性値」の見積もりの中に折りこまれているとも言えるが)
    以下、「経済をよくするって、どうすれば」ブログ 23.7.13から
「金融資産には課税がなされていて、金利が上昇することによって、支出と同時に、税収も増える・・・日銀の資金循環表を見ると、一般政府の純債務が560兆円なのに対し、家計の粗資産は1476兆円、民間非金融法人は 798兆円ある。したがって、20%の利子課税がなされているとすると、金利が1%上昇すれば、4.5兆円の税収増になる。 他方、一般政府の利払いは5.6兆円の増加だ。結局、ほとんどが税収増でカバーできる計算になる。もし、税率が25%に引き上げられるなら、金利上昇は、財政の好転要素にすらなる。」

2011年2月20日日曜日

財政出動論13 構造改革が必要なのは米国だ

関連:財政出動論1〜9までの目次と概要 ・・・その他《このブログ全体の目次》
           財政出動論12《リカード公債中立命題》 財政出動論11《需要項目と大恐慌》
           23.9.11一部改訂(第3次産業の生産性と医療関連)

概要:供給に問題がある経済について2つの整理をしています。第1は、供給中心の新古典派経済学が、なぜ1970年代以降勢力を得たか。一つ目には、そこにはどのような米国経済の変化があったか。二つ目には経済学の研究手法の特徴の観点から整理しています。第2は、米国が実体経済では供給不足の経済であり、グローバル・インバランスを解消するためには、ドルの切り下げか(これは、まあ常識的ですが)、構造改革が必要であるということを述べました。・・・・・・・・・・・・

    構造改革論12(リカードの中立命題)の末尾近くの「注」で、ニューケインジアンの経済学やそのベースとなっているRBC理論(実物的景気循環理論)など主流派の経済学が、その本質において供給重視であることが原因で、世界同時不況を理論的に予測も理解もできないという主張をした。ここでは、それを少し敷衍してみよう。

1 不足の経済学
    最初に少しおさらいをしてみる。
(1)不足しているものが問題を左右する
    複雑で大きな問題には、それを左右する要因が多数ある。その中で影響力の大きい要因は、ボトルネックを作る要因だ。ボトルネックは、何かが不足しているために生じる。
    例えば、何か製品を作るときに、不足している材料や生産要素《労働力や資本》は、その製品の生産量や生産スピード、生産性,品質、コスト、価格などを左右する。とすると、その製品の動向はその不足している材料などの動向を見ていれば予測しやすい。
    このように、何らかの問題を説明する要因をピックアップしようとするときに、説明力の高い要因は「不足するもの」に係わっている。

(2)経済成長を左右する供給側3要因=新古典派成長理論
   次に、上記の観点を踏まえて「経済成長」を考えよう。経済成長のために不足しているのが仮に資本であれば、資本が成長を制約している程度が高いから、資本中心の仮説は、経済成長をよく説明できるだろう。
    同様に、労働力が不足していれば労働力中心の成長仮説があり得る。さらに資本も労働力も足りている一方で、生産性上昇率の低下が大きければ、生産性を重視する仮説がよく経済成長を説明するだろう。

    しかし、現実の経済成長は、これら単独では必ずしもよく説明できない。そこでこの3つの要因を組み合わせれば、経済成長をよく説明できるのではないかと考えたのがロバート・ソロー(ノーベル経済学賞受賞者)である。ここで取り上げた資本、労働、生産性上昇率は、ソローに始まる『新古典派成長理論』が考える成長要因であり、この3要因さえ考えれば経済成長は説明できると考える。ちなみに、この理論は、RBC理論のベースでもある。

   注意すべきは、これらの3要因は、いずれも供給を制約する要因であることだ。新古典派経済学では、セイ法則に基づいて「供給が需要を決定する」と考えるので、これで成長のほぼすべてを説明できると彼らは考えるのである。

(3)供給に問題を抱える経済では供給中心の経済学がよくあてはまる
    しかし、(1)を思い起こせば、供給側の要因が経済成長をよく説明できるように見えるのは、たまたまサンプルとなった経済が「それらが不足している」経済状況にあったからではないかとも考えられる。

    実際に開発途上国では、国内資本の蓄積不足のために設備投資資金が不足がちであり、また教育の不足で能力の高い労働力が不足している場合がある。
    また、米国は1970年代以降、コンスタントに経常収支が赤字であり、多くの財やサービスを輸入してきた。これは財・サービスに関して供給が不足している経済であることを意味する。また、経常収支の赤字が続くことは、資本収支の黒字が続くことであり、それは海外から資本を導入し続けていることを意味する。米国経済は資本不足の経済でもあった。
    こうした国々では、まさに供給側の要因の動向が経済成長を支配しているのである。こうした国を研究すれば、まさに供給制約に基づく経済学がその国の経済をよく説明できることになるのは当然だろう。

    つまり、1970年代以降、米国で、需要不足に着目するケインズ経済学が勢力を失い、新古典派経済学が勢力を拡大してきたのは、米国がその頃から「供給不足国」になったためである可能性が強い。

(4)需要不足の経済では、供給中心の経済学は有効性を失う
    一方、多くはないが、資本や労働力が余っている経済もある。例えば、現在の日本は、設備資金需要がないから資本過剰といえる。また、高い失業率に見るように労働力も過剰である。生産性上昇率はどうかと聞かれるかもしれない。しかし、資本も労働も余っているなら、成長するためには、生産性上昇の前に、まずは資本と労働を有効活用するのが先のはずである。

    また、1930年代の世界大恐慌や今回の世界同時不況のように明らかな需要不足下では、当然に供給力は過剰である。そこでは資本、労働力が余っている。供給力が余っているなら生産性上昇率も「余っている」のだと考えるべきだ。

    このように需要が不足し供給が過剰な経済では、供給不足を前提とする新古典派経済学や、供給に引きずられているニューケインジアンの経済学が有効性を失うのは当然だろう。

    需要が不足する状況では、需要がボトルネックとなり、需要に着目しなければ、経済の状況をよく説明することはできない。したがって、需要不足下の経済では、需要不足を中心とする経済学が重要になる。それは、まさに(ニューケインジアンではなく)「オールド」ケインジアンの経済学である。

(これまでこの位置にあった「(5)経済学の手法の問題点=自然科学とは異なる研究態度」の内容は、新しい「財政出動論18 現代経済学の手法と自然科学の比較」に移動しました。)

2 構造改革は日本ではなく、米国にこそ必要だ    1の議論は(少し本題からそれた部分もあるが)「供給に問題がある(供給が不足している)国」と「需要に問題がある(需要が不足している)国」は、分けて議論すべきという意味である。

(1)供給に問題のある国・状況=米国、ギリシャ、開発途上国
    供給に問題がある国を、単純に「国内需要に対して国内供給が不足している国や経済」と定義して考えよう。

《米国》
    まず、この問題を米国で見てみることにする。米国は、1970年代以来、長期にわたって貿易収支,経常収支が赤字である。これは、国内の需要に対して国内の供給力が不足していると考えるのが自然だ。こうした経済では、供給側を改善すれば経済は成長する。供給側を改善するとは生産性向上であり、資本の導入であり、労働力の増加である。
   つまるところ、これは新古典派成長理論の資本、労働、生産性上昇率の3要因が、経済成長をよく説明する経済であるということになるわけだ。

(■米国の現状 =供給不足の経済)
    米国は、これまでどのように対応してきて、その結果はどうなっているのだろうか。
    まず第一は「資本不足」問題である。
    資本収支が黒字(=他国からの借り入れ超過)なのだから、当然、国内経済は資金不足なのである。つまり米国は資本不足、資本制約のある経済だから、金融政策に効果がある経済ということになる。フリードマンのマネタリズムが一時勢力を得たのも当然であろう。
    また、政府財政も赤字を続けてきた。したがって、政府赤字のファイナンスのために発行される国債で金利上昇などのクラウディングアウトを生じさせないためには、資本の流入が不可欠であり、そのためには国内の高金利政策、ドル高政策が必要になる。このようにして、米国は資本の導入、つまり資本収支の継続的黒字《注》を続けてきている。

    注》もっとも、経常収支が赤字であるなら、自動的に資本収支は黒字に
        ならざるを得ないのである・・・・。しかし、資本収支が黒字になる
        ためには(=資本収支が黒字になり、経常収支が赤字を続けられるに
        は)、その国の経済、あるいは通貨が『信用』されていなければなら
        ない。米国の通貨はドルである。これは基軸通貨であり、広範囲の国
        々に通用し安全性が高い。これがギリシャや開発途上国などとは違う
        ところである。

    第二は、「労働力」に関しては移民の受け入れである。メキシコなどからの不法移民も多い。

    第三は、「生産性上昇率」である。米国は、一般に高いと思われている。しかし、生産性が高いなら、国際競争力が高いはずだが、貿易収支、経常収支とも赤字が大きい。これは、実体経済に競争力がないことを意味する !
    日本の「国際競争力」が低く、米国よりも低いことは、しばしば問題になっている。だが、この『国際競争力』がその国の経済界の主観的・情緒的な雰囲気に影響されるものであり、必ずしも信頼できないことは、国際競争力のための調査に回答した経験を述べた 現 双日総研副所長の吉崎達彦氏の「溜池通信」vol.156「特集:日本の国際競争力を考える」を見ればわかるだろう。
    客観的に見れば、米国の実体経済に競争力がなく、生産性上昇率が十分でないことは明らかだ。

(■米国の選択肢 =構造改革?)
   では、リーマンショック後の状況を見て明らかなように、これらに持続性がない場合にどうすべきかである。方向は2つある。

    第一は、ドル切り下げである。国全体の国際競争力などというものは、本質的には為替レートの変化で簡単に変わってしまうものである。

    なぜ、これまで米国の貿易収支がコンスタントに赤字だったかといえば、ドルが常に高かったからだ。特に、1990年代後半にはゴールドマン・サックスのCEOから財務長官となったR.ルービンが、ドル高政策で米国製造業に最終的な止めをさすと同時に、米国を帝国とも言われる金融立国に導いている。
    ここで採用された政策は、資本収支の黒字を維持するために、積極的にドル高すなわち経常収支の赤字を許容する政策を意味する。これによって、経常収支の赤字と資本収支の黒字が強化されたのである。そして、この結果、中国などの開発途上国は、米国に貿易摩擦の不安なく輸出を拡大できるようになった。2000年代の日本もその恩恵を受けたのである。
   当然、米国内の製造業はさらに価格競争力を失った。そのかわりに、米国金融業界は流入する資金によって活況を呈し,金融立国が実現したのである。
    しかし、それが今回のバブルを生み、世界同時不況を生んだのであるが・・・。

    仮にドル切り下げによって安いドルが実現すると、経常収支の赤字は縮小し、その裏返しで資本収支の黒字も縮小する。開発途上国から米国への輸出は減少し、米国への資金の流入は縮小し、米国内では低金利が実現するから、金融業界はしぼむが、競争力を回復した製造業は拡大し、グローバル・インバランスは縮小する。

    だが、米国の金融業界は政治力が強い。彼らが、これを許容するかどうかである。

   第二は、構造改革である。ドルの切り下げを許容できない、あるいはそれが実現しないとしたら、供給力に問題がある経済の対策は、『構造改革』しかない。日本ではなく、米国こそ構造改革が必要なのである。その必要性は、貿易収支の巨額の赤字が示している。

(■米国の第3次産業生産性が高いのは理由がある)
    米国は生産性が高いと思われがちだが、それは軍需産業など政府の巨額の赤字によって支えられている部分がある。政府活動の効率性も決して高いようには見えない。

    米国は第3次産業の生産性も生産性上昇率も高い。日本は第2次産業は高いのに第3次産業が低い。こうしたことから、日本の第3次産業は(「ボーモルの病」の観点から)生産性向上が不可欠だと主張される。
    しかし、第2次産業と第3次産業の生産性(上昇率)はトレードオフの関係にある可能性が強い。
    米国の第3次産業の高生産性(上昇率)は、第1に、米金融業界の巨額の報酬や利益を許すような独占性とドル高政策によって支えられている部分がある。

    第2に、商業分野を見ると、米国の国内流通業は、開発途上国の安い製品を輸入することで、輸入価格と国内価格との差額から高い付加価値を得ている部分がある。いわば、米国ではユニクロが普通なのだ。これは、労働力の安い製品を海外で生産させ、メーカーとして自社ブランドで販売している『製造業』についても同様だ。

   これらは、いずれも「ドル高」政策に依存している。一方で、ドル高政策で、安いアジア製品の国内への流入で製造業は打撃を受けている。つまり、米国第3次産業の高生産性(上昇率)はドル高に依存しているのであり、第2次産業の犠牲の上に成り立っていると言える。この意味で2次産業の不振と3次産業の高生産性はトレードオフの関係にある。

    しかし、(当面、意図的なドル切り下げができなくても)今後は中期的にはドル安は避けられないから、こうした枠組みは次第に変質・是正を迫られるだろう。そうなれば、本当に『構造改革』が必要になる。
           注)この後、もう一つ米国の第3次産業の生産性が高い理由に気づいた。それは、
                米国では、医療・保健分野がGDPに占める比率が異常に高い点(日本の2倍)
                である。これについては《財政出動論20(米国の消費需要と医療制度)》
                で触れた。

《ギリシャ》
   では、ギリシャはどうだろうか。この国も近年は経常収支が赤字、政府財政も赤字だった。これは、景気対策のために安易に政府の支出を増やしてきたためだ。財政出動は短期の対策としてはあり得る。しかし、それを、(必要に応じて縮小可能な)公共事業ではなく、経常的な支出で増やしてきたのである。その結果、経済全体が「大きい政府」に依存する構造になったのである。
    一方で、産業の生産性は上昇率が低くなり、国内供給は国内需要をまかなうことができず、輸入に依存するようになり、経常収支は赤字が続いてきた。そして、その赤字をファイナンスするため、資本収支は自動的に黒字になる。つまり、海外からの借入金が増加してきたのである。
    この構造は米国と基本的には同じである。しかし、米国が意図的なドル高政策をとってきたために製造業の競争力が低下し、その結果、供給側に問題が生じたのに対して、ギリシャのケースは少し異なる。
    ギリシャでは、政府が経常支出の赤字を続けたことで目先の経済が維持されたこと、それに満足して、ユーロ圏加入という国内産業の競争力に重大なインパクトを与える選択をしながら、国内産業の競争力強化対策を十分に行わなかったことで、実体経済の供給側の問題が放置された点に問題がある。

    最後に、ギリシャと米国の違いは、米国のドルが世界の基軸通貨となっているのに対し、ギリシャは独自の通貨を持たない点にある。したがって、ギリシャの選択肢は、供給側の競争力と供給力を高める『構造改革』しかない。

《開発途上国》
    開発途上国の国民は、先進国の豊かな生活に憧れ、先進国の高度の製品を強く欲している。したがって、こうした国々では、(供給とは無関係の)「需要不足問題」が発生することはない。つまり、こうした国々の需要不足は、供給側の要因で発生することになる。まさに、理想的なセイ法則の成立があり、新古典派経済学がよく当てはまる。
    新古典派経済学系の理論を「実証」する研究結果が出たときは、ほぼ、その研究対象に開発途上国(あるいは米国)が多く含まれている場合が多い。
    以下、供給側の成長要因別に見てみよう。

(■資本)
    まず、開発途上国では、資本の蓄積が不十分である。このため、ボトルネック対策としての「資本の蓄積」または「海外資本の導入」の可否が成長を左右することになる。こうした国では、貧富の差の拡大は、資本の蓄積のためには有効なのである(しかし、政治体制は不安定化する。だから「独裁体制」が必要なのかもしれない)。一方、今日の開発途上国では、成長のための「海外資本」導入が広く行われるようになった。このためには、まず為替レートの安定が不可欠である。

       注》なお、日本が開発途上国だった頃(高度成長時代)は、日本は、
           海外投資を受け入れず、国内資本で成長をまかなおうとしたため、
           成長率が高くなっても、経常収支の赤字が一定水準を超えると、
           それを『景気過熱』と捉え、引き締め政策への転換が行われるの
           がパターンだった(当時、これを「国際収支の天井」と言った)。
           その結果、当然、不景気になるということが繰り返えされた
               ちなみに、日本の高度成長は、貿易黒字で実現したように思わ
           れがちだが、高度成長時代は、貿易黒字と赤字が交互に発生して
           おり、平均すると貿易収支はある程度バランスしていた。貿易黒
           字が恒常化、巨額化したのは、1980年代以降、つまり低成長時代
           になってからである。

    また、世界的に資本が過剰傾向にあるために、そうした資金が、成長の可能性のある開発途上国に過剰に流入して、開発途上国のバブルの原因となり、その崩壊によって、開発途上国経済が打撃を受けるという事態が、1970年代以降頻発するようになった(メキシコ危機、中南米危機、東アジア危機、ロシア危機など)。
    現在も世界同時不況下にある先進国で行き場を失った過剰資本が、運用先を求めて開発途上国に流入しており、近い将来に、どこかの開発途上国で同様の危機が生じる可能性が高い。・・・東アジア危機などに懲りて、短期資本の流入規制など、各国とも対策を強めているが・・・。

(■労働)
    開発途上国では、かつては、適切な教育を受けた労働力が不足していた。しかし、今日では、教育が改善されている。この結果、今では、労働力は成長のネックにはならない場合が多い。中国に見られるように、大量の労働力の供給が高い輸出競争力を支える国が多い。

(■生産性上昇率)
   開発途上国で、仮に海外資本の流入が十分であり、労働力の供給も十分なら、開発途上国は、まずは低コストのこれらの資源を使って成長するのが合理的だ。何も常に生産性上昇に頼る必要はないのだ。安く調達できるものを使うのが経営的には合理的なのだ。それらが利用され尽くされれば、そこではじめて生産性上昇率が重要になる。
    しかも、この生産性上昇は、今日、開発途上国にとってそれほど難しい問題ではなくなっている。先進国の資本と既存の生産システムを導入するだけで生産性は上昇していくからだ。

   以上のように、今日では、開発途上国の成長に必要な生産要素である(労働力は自前で創出するにしても)「資本と(生産性上昇に必要な)生産設備やノウハウ」は海外から導入することになる。したがって、経済成長を優先する開発途上国では、海外からの投資先として選ばれる国になることが大事になる。
    具体的には、投資の安全性、投資受け入れのための法制度などの整備が重要になる。そのためには、「グローバル・スタンダード」の受け入れが必要だ。つまり、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」に従う政策が選択されることになる。

注》なお、こうしたグローバル・スタンダードへの対応が必要なのは、資本
        の流入を必要としている開発途上国であって、日本のような資本過剰国
         ではない。

(2)需要に問題のある国 =構造改革などは最悪の選択
    需要に問題のある国は、長期停滞下の日本、世界同時不況下の各国(米国も含む)、先進国などだ。先進国は一般に需要不足になりやすいのである。

    こうした需要に問題のある国では、供給側の資本、労働、生産性上昇はボトルネックとはなっていないから、供給側を重視する経済学では、経済を有効に説明できないし、有効な対策も出てこない。
   また、供給が過剰なのに供給側を強化する政策は、 当然、需要不足を促進することになってしまう。構造改革などは最悪の選択である。対策としての優先順位も当然低くなる。

    先進国が需要不足になりやすい理由は、国民に欲しい物が行き渡っていて需要の大きな伸びが余り期待できず、そのために供給能力を増やすための設備投資が減少する傾向があるからだ。設備投資が少ない分総需要は減少する。

   先進国で需要不足になっていない国は、それを補償する仕組みを持っている場合が多い。例えば、北欧のように福祉にカネをかける国々がある。また、米国は、住宅投資を促進することで消費需要を生み出す仕組みを持っている(もっとも、今回はそれが住宅バブルを引き起こし、その崩壊が世界同時不況の原因となった)。また米国では、「軍事費」への巨額財政支出や、連邦政府による「研究開発」資金の大規模な支出も需要を下支えしている。

    これに対して、日本では、政府予算中の研究費の抑制を始め、ピント外れの政策が一部マスコミなどの賞賛を浴びている。自分で自分の首を絞めているのである・・・。救いがたいとはこのことだと思うのだが・・・。