2011年1月17日月曜日

財政出動論4 橋本財政改革が生み出した恒常的な財政赤字


《北陸は雪です(2011.1.17)。財政出動の持続可能性問題(少なくとも累積債務が個人金融資産を超えると破綻という説はナンセンス)を「財政出動論7」に書きました(1/25)》

    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。
《主な修正》
《橋本財政改革後の財政赤字に関して、税制改正の影響の考察を末尾5に追加(3/20)》《中段に、グラフ2つで90年代末の金融危機の影響の検討を挿入(6/17)》《表の整理など字句の修正(8/31)》《家計消費の影響に関して項目「4」を追加挿入(10/21)、修正(10/24)
《景気対策としての公共事業から減税や給付金等へのシフトが景気対策の効果を弱め財政赤字を招来した点について、末尾に第「6」項を追加修正(10/26)

《この4の概要》橋本財政改革が財政赤字の水準をかえって拡大したこと。また、それから逆に財政出動の影響の大きさを付言しています・・・・・

1 アメリカの1930年代大恐慌期中のルーズベルトによる財政再建路線への転換
  財政出動論3の図4(下図、ここでは図1とする)を見ると、1930年からの落ち込みの底は1933年である。その底から1936年にかけて、ニューディール政策(あるいは金融緩和)の実施などの結果、GNPは一応回復の道筋をたどった。ところが、それを見たルーズベルトは、1937年には財政再建政策に転換し財政出動等を絞ってしまった財政再建路線への転換である。しかし、それによって米経済は再度大不況となり、ルーズベルト政権は、再び財政出動路線への転換を余儀なくされることになった。
   この流れからみると、財政出動と金融緩和(のセット)を継続すべき期間は、こうした大恐慌レベルの不況《注》に関する限り「3年では短すぎる」のではないだろうか。

拙著「重不況の経済学」では、こうした(流動性の罠が生じうるような)レベルの不況を『重不況』と定義し、日本の90年代冒頭のバブル崩壊後の長期停滞もこれに含めている。

図1

2 日本の平成大不況期の橋本財政改革による財政再建路線への転換の影響
   これを日本の90年代の平成大不況で見てみよう。日本の90年代初頭のバブル崩壊後の回復過程で、1997年には、橋本政権下で(消費税増税などの)財政再建路線への転換が行われた。つまり、大恐慌期のルーズベルトと同様に、日本の平成大不況でも同じ財政再建路線への政策転換が行われたのである。

  ただし、日本の 90年代冒頭のバブル崩壊では、米国の大恐慌(図1)のようにはGDPが落ち込まなかったために、恐慌のが見えない。これは、当時の自民党政権による大規模な財政出動の効果でGDPの落ち込みがほとんどなかったためである。
   そこで、次のグラフ(図2)で「財政赤字が最大となった年」を見ると1995年である。財政赤字は、短期的には、通常①税収の減少と、②景気対策のための財政出動によって生じるから、赤字額の大きさは「おおむね」不況の大きさに比例する。これから、アバウトに財政赤字最大年の1995年をとみると、大不況の底から橋本財政再建路線への転換は2年目で行われことになる。これは、明らかに過早な財政再建路線への政策転換だったと考えられる。
図2
注)なお、筆者の主張は必ずしも原田さんの主張とは一致していないかもしれません。図を引用(・加筆)しただけの関係です。

   その結果、日本はあらためて大不況に突入し、1998年には、税収の落ち込みと、大規模な景気対策が必要になり、それまでの赤字水準を遙かに上回る巨額の財政赤字となった。
   それだけでなく、それ以後、日本の財政は継続的に1990年代の水準を上回る巨額の赤字を続けざるを得なくなったのである(図2の赤点線に見るような赤字水準の変化)
   その後、小泉政権が成立してからも、2001年の「骨太の方針」などで赤字国債30兆円枠を目標に歳出の抑制に努めたはずが、橋本改革以前の水準を遙かに上回る財政赤字が続いたのである。…注)
            注)その後、米国等の住宅バブルを背景とした「過剰消費」に向けて中国をはじめ東アジア各国の対米
                    輸出が急増し、これに応じて日本からの東アジア各国への輸出が増加して景気が回復した2005、2006
                    年にはじめて財政赤字の水準が改善されている。

   橋本政権による財政再建政策によって、それ以後の政府の財政赤字「水準」は明らかに拡大したのである(まったく逆説的なことだが)

    また、2011年には、日本だけでなく、英国をはじめとするヨーロッパを中心に財政再建路線への転換が本格的にスタートしている。これは、まさに橋本改革を契機とした「日本型の長期不況を世界に定着させる可能性が強いと考えている(います)。
・・・正直、今の民主党政権の財政再建路線指向は心配です。

3 90年代末の金融危機の影響について     23.6.17追加修正

   なお、この時期には、政策金利は低水準で変動はほとんどなかったし、為替レートは円安方向へ動いていて海外的要因も考えられない(実質GDP成長率への寄与度で見る限り、97〜2000年の間、外需(純輸出)の寄与はプラスを維持していた)。
        注)成長率に対する外需等の寄与度は、下のページの「図1」参照
    また、当時、ちょうど東アジア経済危機があった。しかし、同様のメキシコなど中南米危機やロシアなどの危機に際して、(それら新興国に融資していた欧米の金融機関を通じて)欧米各国経済が、日本ほどの大不況に見舞われてはいないことを見ると、東アジア危機の日本経済への影響は(少なくとも)小さかったはずだ。

    次に、1997年後半以降に顕在化した国内金融危機の影響を見てみよう。この時期、BIS規制の一環として保有有価証券などの相場変動リスクの組み入れが1998年3月末から適用になったことなども背景に金融機関が不良債権の処理に追われ、金融機関側の貸し渋りが発生したと言われている。実際、この時期には、短期間ではあるが、日銀短観の貸出態度DIが急低下している(99年には回復)。実際に、そうした影響を受けた企業は中小企業を中心に少なくなかったかもしれない。
    しかし、日本経済全体として現実の企業の銀行借入の状況を見ると、貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(2005)の次のグラフのように、この時期に企業の銀行借入が急減したという事実はまったく見られない。にもかかわらず企業の設備投資は急減している。つまり、この時期の設備投資の急減の原因が、金融危機に伴う銀行の貸し渋りにあったようには見えない。
            注)この時期だけでなく「バブル崩壊後は」全般に、銀行借入の伸び率と設備投資の伸び率の間には
                       相関がほとんどない。素直に読めば、むしろ、銀行借入の伸びは設備投資の伸びに遅行しているよ
                       うに見える。
出所:貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(2005)122ページ(一部加筆)
    しかも、次の部門別資金過不足のグラフを見ると、非金融法人企業(=一般企業のこと)は、97年までの「資金不足」(これが正常)状態から一転して、98年には「資金余剰」に(劇的に)転換している。この転換のタイミングは、上のグラフの設備投資急減の時期とぴたり一致している。企業は、潤沢な資金を持ちながら、設備投資を抑制したのである。その結果として、一般企業部門は資金余剰に転換したわけである。
    このことから、この時期の設備投資減少の原因は、資金上の問題(したがって概ね「金融危機問題」)でないことは明らかであるようにに見える。
出所:2009年版経済財政白書
  以上のような各点を踏まえると、1998年の急激な大不況の原因が財政政策の財政再建路線への急速な転換(つまり「財政出動の急激な抑制」)にあったことは明らかに思える。………これも逆説的にだが、財政出動の重要性をある程度証明したことになる。

4 橋本財政改革時の消費税の影響に関するCashin and Unayama(2010)論文等の評価について
   ・・・・・・・・・・ 23.10.21追加挿入、23.10.24修正
    平成23年10月18日付け日本経済新聞「経済教室」の宇南山先生の論説は、1997年4月の消費税引き上げの影響が軽微だったというCashin and Unayama(2010)論文を元に今後の消費税等増税の経済への影響を低く見積もるものとなっている。また、この論文は内閣府レポートの立論でも重要な役割を果たしている。以下では、これを踏まえて、増税が経済に与える影響が小さいかどうかという観点から改めて検討してみよう。

    注)以下では、「Cashin and Unayama(2010)」と「内閣府レポート」は次を指すものとします。
Cashin and Unayama(2010)・・Cashin,D. and Unayama,T.(2010)"The Intertemporal Substitution and Income Effects of a VAT Rate Increase: Evidence from Japan" RIETI Discussion Paper Series 11-E-045 (April 2011)
内閣府レポート・・・内閣府(20111)『社会保障・税一体改革の論点に関する研究報告書』(平成23年5月30日)


(1)増税の家計消費への影響は増税の影響のすべてではない
     Cashin and Unayama(2010)論文では、家計調査を元に1世帯当たりの家計消費への影響を算定し、それに全国の世帯数を乗じて、影響が極めて小さいという結論を導いている。しかし、増税の影響の経路が他にもいくつもあるなら、この家計消費のルートが小さいことを証明しても、増税の影響が小さいことを証明したことにはならない。

    まず、ここでの立場を明らかにすると、私は「増税した額」と同額を同時に政府が支出するなら、マクロでは影響はないと考えている。増税そのものに問題があるのではなく、増税の一方で、その全額を政府が使わないときに経済にマイナスの影響があると考える。もっとも、ミクロには増税の対象となる税目などによって経済には別途影響があるが、ここではマクロ的な影響だけを考える。

 さて、経済には、経済全体としてみると、生産額、分配額、支出額の三面が等しいという三面等価の原則がある。つまり、生産額  分配額=支出額だ。このうち支出をみると、
  支出 消費+貯蓄=消費+投資+政府(政府支出ー税)+純輸出(輸出ー輸入)
が成り立っている。ここで、左辺の「支出」(総額)は「生産」(総額)と一致するから、右辺の各項目は、生産側から見た需要でもある


    右辺の消費、投資、政府、純輸出の変動は、それぞれ総需要への影響の観点からみれば、等価である(もっとも、ミクロでみれば、影響は異なる)。政府支出の変動は、総需要に消費の変動と同様の影響を与える。政府の資金吸収が超過すれば、総需要も減少する。

 ここで、仮に純輸出に変動がないなら、政府支出の増加が小さい一方で税の増加が大きいときには(これは97年当時にほぼ適合する)、当然ながら政府セクターの需要が縮小することになる。(中央政府だけだが)96年度比で政府歳出の増加0.8兆円弱に対して、内閣府レポートでは家計負担(≒実質的な税)の増加は8.6兆円なので、政府セクターの需要の縮小への寄与分は、7.8兆円(=0.8―8.6)ということになる。また、さらに、国民経済計算ベースで見ると、97年度は96年度比で政府最終消費は0.6兆円の増加となったものの、公的固定資本形成は2.5兆円の減少であり、差引で1.9兆円の減少である。合計すると9.7兆円ということになる。
    なお、97年分の消費税の企業から国への納付の時期は98年春である。

◎    このとき、三面等価が成り立つには、(上式では省略している)在庫投資の増加が必要ということになる。ここで在庫投資の増加=売れ残り=需要の減少である。
 つまり、政府による資金の吸収超過の程度、純支出の減にしたがって需要全体が減少するわけである。それはさらに投資などの判断に影響を与え、翌期に設備投資の減少などとして現れることになる。

    このように、増税や負担の増加あるいは政府歳出の抑制といった影響が具体化するには、半年程度の変動をみるだけでは不十分である。金融危機等が生じた97年末以降の経済の悪化の原因を金融危機や東アジア経済危機のみに求め、実質的に消費税増税を含む国民負担の増加や公共事業の縮小などの影響から除外するのはおかしい。

 実際、97年度当時、企業は、政府セクターによる資金の吸収超過や公共投資の削減で右辺全体(総需要)が(10兆円弱)縮小することを予測し、それまで予想していた成長経路に基づく生産量や設備投資の調整を行うことになったと考えられる。
    95、96年当時の経済界は、この不況が今日我々が見てきたような長期の停滞につながるという予想はしていなかったと考えられる。たしかに91年あたりから94年までの(当時のそれまでの経験からは)異常に長い不況が続いたが、95年に入ってようやく景気が回復し、以前の高い成長に戻るという強い期待があったのである。それが一挙に崩れたと考えられる。高い成長を前提に計画された設備投資が縮小するのは当然だったろう。

    以上のようなマクロ的なプロセスで生じる影響は、Cashin and Unayama(2010)論文のようなミクロ的観点では捉えきれない経路で増税が経済に影響を与える部分があるという重要な例である。

◎ 例えば、Cashin and Unayama(2010)や内閣府のレポートでは、政府支出減少(1.9兆円)からの経路の影響はまったく考慮の外である。また、Cashin and Unayama(2010)論文は、家計の最終消費支出のみを扱っており、民間住宅投資の変動を考慮していない。たしかに96年度には駆け込み需要があったと考えられるが、97年度は実質で▲18.9%、98年度は▲10.6%と駆け込み需要の増加を大きく上回る率で住宅投資が縮小している。簡単に言えば、増税の影響を見るという視点では、視野がせまいということになる。

 なお、景気拡張期では、消費と投資が増加し続けているので(資金は銀行の信用創造がカバーする)右辺の落ち込みはある程度消費や投資の増加でカバーされる(純輸出が増えても良い)。このため、増税の影響は小さい。
    また、89年の消費税導入時は景気拡張期だったし、増税分を上回る政府歳出の増があった(決算ベースで3.3兆円の消費税増に対して、物品税の減税が2兆円余あり、歳出は4.5兆円の増加だった。したがって政府セクターだけで兆円以上の需要増があった)。

補)世界同時不況という大きい例での話ではあるが、ロバート・ルーカスですら、「景気後退期に世間 にお金を流し込み、支出が落ち込み過ぎるのを防ぐのは不適切なことではなく、我々はまさにそれを実施したのです。」《注》とオバマ政権の大規模な財政出動を擁護している。これは明らかに財政出動と需要の関係を意識したものだろう。

注)2003.9.24付けウォールストリート・ジャーナルのインタビュー記事)
     訳は、次の「himaginaryの日記」2011927日からです。
 なお、ウォールストリート・ジャーナルの記事の原文は次のところにあります。

(2)その他

① Cashin and Unayama(2010)論文では、内閣府レポートにふれられている「携帯電話の普及」によるサービス消費の(恒久的)押し上げが控除されていないようにみえる。

② 内閣府レポートでは、2000年代の増税や海外の例が挙げられているが、景気後退期と景気上昇期の区別がされていない。これは、上記(1)で論じた点にも係わるが、増税の影響はかなり違うと考える。

5 1997〜1998の税収落ち込みの原因について   23.3.23追加修正

    この時期の税収の落ち込みの原因として、「税制改正の影響」を見てみよう。
    このために、政府の当初予算の税収見積もり(租税及び印紙税収入)と決算額(同)を比較してみる(下の表1参照)。それは、これが、橋本財政改革による消費税増税その他の税制改革やその他の国民負担変化の影響、公共事業の圧縮などの影響の政府の見積もりと、その改革が実際に経済に与えた影響の大きさの差を反映していると考えられるからだ。
    ただし、当初予算の成立後も、政府の「見積もり」の修正は前年度の税収やその後の税収実績、経済動向をみながら年度中も随時行われ、その額は歳入の補正予算の形で随時修正されていくことになる。これを後で振り返ると、『歳入予算』は、その数回にわたる補正を累計した最終補正後の『予算』になっている。だから、この最終「予算」の数字と決算の数字を比較しても意味はない。あくまでも「当初予算」の税収見積もり「決算」の税収を比較することで、はじめて、税制改正の影響の(当初の)予測値と実績値が比較できることになる。・・・注)
 表1
24.5.29修正
    以下23.4.2暫定修正後。
    このうち平成11年度の税制改正は、『総合経済対策』の一環として行われたようだ。また、平成10年度には、当初予算後に、景気の落ち込みをみて『緊急経済対策』として4兆円程度の追加減税が行われたようだ。その結果としての▲9.1兆円だったということになる。

    しかし、これらの減税の大半が、橋本財政改革後の景気の落ち込み対策として行われたのであれば、橋本財政改革の負の影響は、不況による税収の減少に加えて、これらの不況の景気対策としての減税による税収の減少を加えて考えるべきことになる。

        注》予算関係の統計では、「予算」は、年度末の最終補正後の予算が計上されていること
           が多い。予算補正は、その年度内の税収の動向を踏まえて順次行われるので、当初予算
           の見積もりとは大きく乖離することが少なくない。このため、当初予算の見積もりは、
           例えば、各年度当初予算に係わる「税制改正の要綱 租税及び収入予算の説明」などを
           見る必要がある。これは次のページから(23.6.18リンク修正)
       また、決算は、次から(23.6.18リンク修正)
       なお、ここには「予算」の表もあるが、これは毎年度末に行われる「最終補正後の予
    算」のため、ここでの比較には使えない。

6 景気対策としての公共投資の縮減減税が日本の長期停滞と財政悪化に与えた影響
                                    まだ、書き散らし状態、とりあえず、暫定的に追加・・・23.10.26

 公共事業には、少し汚れたイメージもあるが、それを除いて、純経済的な効果という点だけをみれば、明らかに公共事業は景気対策として有効性が高いように思える。

(1)減税、給付金などソフトな景気対策

 同じ景気対策として「減税」がある。しかし、これを景気対策としての効果という観点で見ると、減税で増えた可処分所得を国民や企業が消費や設備投資にどの程度使うかで景気対策としての効果が決まる。たとえば、仮に減税があったとしても、景気が停滞を続け市場が成長する見通しがなく、売上増加の見通しがないのに設備投資する企業経営者は失格である。また、景気停滞下で雇用不安のために将来の収入に不安があるときには、家計が消費を抑え貯蓄を増やすのは当然のことである。景気がよければ企業がそれを借りて設備投資を増やすが、すでに述べたように景気停滞下ではそうはならない。

 減税では、お金は増えるが、それによって、企業の設備の稼働率が直ちに上昇するわけではない。稼働率が上がって忙しくなったわけではないから従業員の雇用不安が低下するわけもない。可処分所得が多少増えても、将来の見通しは不確定で不安なままである。だから、減税による可処分所得の増加分のかなりは消費を抑えることで貯蓄に回され、景気回復の効果は小さいと考えられる。

 このように、景気対策として減税を行う場合、まさに景気が悪いほど、減税が消費を拡大したり、設備投資の拡大に貢献する程度は小さくなる。減税されて増えた可処分所得の半分とか3分の2が預金されて金融機関に集まるが、その多くは設備投資のために企業が借りてくれないまま金融機関に滞留し、貨幣の流通速度も低下する。もちろん、減税はやらないよりははるかにましである。しかし、効果は低い

(2)政府の直接消費公共事業による景気対策

 これに対して、政府の「直接消費」や「公共事業」では、政府が企業に支払ったお金のほとんど100%が、従業員の給与、仕入れや原材料の代価として他の企業に支払われる。受け取った企業も、それをさらに自社の従業員給与や仕入れなどの費用として支払うという循環が生じる。つまり、政府支出の全額が、そのまま経済の中に分解され循環していく。
 しかも、政府からの受注で各企業では生産設備等の稼働率が上昇し、従業員も具体的に仕事があることを実感するそうした実感が、企業に設備投資を促し、家計の雇用不安を払拭し、消費を拡大させる

 このように政府の直接消費や公共事業(ハードな施策)と、減税や給付金のような可処分所得を直接増やすようなソフトな政策には、景気対策の効果に大きな差がある。

(3)90年代後半以降の「ハードからソフトへ」政策

 ところが、1990年代後半以降、公共事業の見直しの機運の高まりが生じたのである。すなわち「コンクリートから人へ」「ハードからソフトへ」という変化である。
    公共事業悪玉論談合、癒着その他公共事業のマイナスの側面が大きな注目を浴び、さらに日本の公共事業費が先進国では突出して高いことなども公共事業の縮減の流れを後押しした。また、加えて、バブル崩壊後の財政出動に効果がないように見えたこともあって、日本では公共事業を絞る流れが大きく台頭してきた(・・・効果がなかった理由は、「バランスシート不況」などの影響が大きかった点にあると私は思っています)。

 こうした変化の中で、政府は公共事業を縮減する方向に進み、そのかわりの景気対策としては、「減税」や「給付金」のような事業のウエイトを増やしてきた(また金融政策への依存が進んだ)

 次のグラフは、etsuyoshiさんが作成されたグラフで、「赤字国債」の推移を表している。


 これを見ると、バブル崩壊後の1991〜93年度は赤字国債の発行がゼロになっている。一方で、この時期はバブル崩壊対策として大規模な財政出動が行われた時期に当たる。つまり、この時期の財政出動の内容は、公共事業であり、その資金は償還年限の長い(60年)「建設国債」でまかなわれたことがわかる。このために、赤字国債の発行は必要なかったのである。このときの景気対策は専ら公共事業だったわけである。
    なお、公共事業は、一旦建設されるとそれを数十年にわたって使い続けることができることから、その建設費は、建設された道路などの公共施設が使われている期間で均等に分担することが適当である。ということで、「建設国債」の償還起源は60年とされている。・・・もっとも、今日では、建設国債と赤字国債の差はほとんどなくなっている。しかし、対象には差があるし、償還年限の長さには合理的な根拠がある。

(4)公共事業のかわりに減税政策が景気対策として行われたことが財政赤字拡大の原因

 ところが、橋本デフレの対策としてとられた景気対策は、上記(3)のような公共事業縮減の考え方の下に、大規模な減税のウエイトが高くなったと考えられる。ところが、(1)でみたように、大規模な減税を行っても、景気対策の効果は小さく景気の回復が不十分である。その一方で、減税による(さらに、減税の景気対策としての効果が弱かったことで景気回復が不十分となり、税収が増えなかった)税収の減少によってその後の財政赤字を拡大させてしまったように思える。そして、それは赤字国債の発行の激増を招いたように思う。

 今からみればこれは不可避だったようにも思えるのですが・・・。

2011年1月14日金曜日

財政出動論3 大恐慌期の金融政策の有効性

関連: 4橋本改革 2なぜ財政出動 1財政有効性 「重不況の経済学 公共事業
               財政出動論目次                                                         このブログ全体の目次
                                                                                                 23.8.31末尾で若干補足
                                                                                                 24.2.11日本のバブル崩壊の事例を3に挿入
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。なお、この本では、日本の昭和恐慌についても、以下で見る米国の大恐慌と同様、マネーストック(サプライ)の増加は、主として政府向け投資(国債投資)の増加によるものであり、民間向け貸出や社債投資の増加がほとんどなかったことを確認しています。
《概要》大恐慌期の金融緩和政策と恐慌からの回復との間に因果関係が見られないことを、金融機関の資金運用先から明らかにしています・・・・

   財政出動論2では財政出動と景気回復(具体的には物価上昇)との関係を見た。財政出動についてはもう少し材料はあるのだが、ここでは、その前に、大恐慌期の金融関連指標と景気回復の関係を見てみよう。

1   1930年代大恐慌の回復原因に関する「通説」の変遷

  ①  1930年代〜1980年代:ケインズ経済学が隆盛だった頃は、
                                        財政出動の成果と考えられていた。
  ②  1980年代〜2000年代:マネタリズム、新古典派経済学の隆盛とともに、
                                        財政政策の効果は否定され、
                                        FRBによる金融緩和の効果だったとするのが通説となった。

  ②の根拠は、第一にはマネタリズムである。 第二は(オバマ政権の2009年1月に経済財政諮問委員長に就任し2010年9月に退任した)クリスティーナ・ローマーらの大恐慌期の研究で、財政政策の有効性が小さいと結論づけられたことがある。

  これに対して、リチャード・クー氏は陰と陽の経済学」(2007)の150ページ図表3-6(あるいは「世界同時バランスシート不況」(2009)の114ページ図14)で《金融政策が有効だという根拠だった》1933年(最悪期)から1936年へのマネーサプライ増加は、ほぼ100%が政府債への投資の増加(財政出動のファイナンス分)に見合うもので、「民間貸出し」は全く回復していないことを明らかにした。 
   また、「重不況の経済学」でも紹介したように、上記の大恐慌研究の権威ローマーも、大統領経済財政諮問委員長就任直後の2009年3月の講演では、大恐慌の教訓として、「自分の研究が財政政策の効果がないと受け取られたのなら、それは違う。ただニューディール政策での財政出動の規模が小さかっただけ」であり、「財政政策については規模が小さいならば効果も小さい」と整理している。これは、財政出動の規模が大きいなら効果も大きいという主張を意味する。 実際、ローマーは、ローレンス・サマーズとともに、世界同時不況対策として、米国の大規模な財政出動を主導した(・・・もちろん、これは大恐慌期には財政出動の規模は小さすぎてその効果は小さかったと主張しているのではあるが)。

   なお、このほかに、理論的には変動相場制下の小国に関するマンデル・フレミング効果の問題があるが、これについては拙著重不況の経済学」でふれているので、後に回そう。

2 通説に反して金融緩和政策と大恐慌からの回復の間の因果関係はほとんど見えない

   クー氏は、上記著書の中で当時の米国銀行の資産運用先を、大恐慌前の1929年、大恐慌の底の1933年と回復後の1936年を比較することで、金融緩和政策には効果がなかったと考えられることを示している。
   ここでは、それをわかりやすく見るために、毎年の推移をグラフで見てみよう。図1は、米国の銀行(連邦準備制度加盟銀行全行)の資産運用先の推移である。

   まず総額の推移を見ると、金融政策が大恐慌脱出に効果があったとする通説に対応して、たしかに1933年を底に銀行資産は増加し1936年には大恐慌前の1929年の水準にまで回復している。通説は、金融政策によるマネーサプライの増加を反映した(この)変化が米経済の1933年から1936年の拡大過程と連動していると見られることから、恐慌からの脱出にはFRBによる金融緩和政策が有効だったと考えたのである。

   しかし、その内訳を見ると、こうした解釈は誤っているように見える。資産の運用先を具体的に見ると、1933年の底に比べると、1936年の貸付」と「民間向投資」(社債などの購入)はほとんど増えていない。逆に、政府向投資(米国債や財務省短期証券)と準備金(連邦準備制度への準備金積み増し)が増加しているのである。

   つまり、第一に、この間の全米の銀行の資産増加の大半は、政府財政出動による政府財政赤字のファイナンスに当てられていることがわかる(次いで準備金の増加)。
   また、第二に、貸付と民間向け投資が伸びていないというこの状況は、2000年代の日本の超金融緩和政策の効果と同じにみえる。同じことが大恐慌でも生じていたことになる。
図1なお、このグラフは「積上グラフ」:つまり 資産残高総額=茶部分+薄緑部分)

(図1及び図2のデータの出所は、"BANKING AND MONETARY STATISTICS 1914 -1941"THE BOARD OF GOVERNORS OF THE FEDERAL RESERVE SYSTEM,1943)

   参考までに、これをさらに詳しく分解したのが下のグラフ(図2)である。1933年から1936年間で停滞している項目は、貸付と民間向投資であり、伸びているのは政府向投資と準備金とその他であり、中でも政府向け投資の伸びが高いことがわかる。

   ただし、貸付は1936年にわずかながら伸びている。これがすべて金融緩和政策の効果(とてもそうは思えないが)だとしても、わずかな効果が出るまでには3年近く必要だとということになる。だが、この貸付の伸びは、当時のGNPの伸びを遙かに下回っている(下の下の図3参照)。

   なお、ルーズベルトは1936年までの景気回復を見て、1936-37年には財政出動の縮小、金融政策の引き締めを行った。この結果、米経済は再度の大不況に突入している。つまり、3年ですら引き締めには早すぎたのである。
   また、このグラフを見ると、1936年以降、「準備金」が変わらず伸びている一方で「政府向投資」が先行して減少している。「貸付」の減少は、『政府向投資」の減少から1年ほど遅れて発生している。したがって、1937-1938にかけての大不況発生の因果関係は、素直に見れば、財政出動の減少→実体経済の活動の減少→設備資金需要の減少→貸付の減少と考えるべきである。つまり、金融的原因ではなく政府の財政出動の縮小が再度の大不況の原因だったことは明らかである。
図2 



  もう一つ参考に、 次のグラフ(図3)はGNPの変化とマネーサプライ、銀行貸出の変化を示している。1930ー1933年の下降期では、マネーサプライはGNPの縮小に遅行している。また、1933年以降の拡大過程では、マネーサプライは概ね一致ないしは先行しているようにも見えるが、その実体は上記図2やこのグラフでわかるように、貸付が伸びていないのであるから、これは、銀行による政府活動のファイナンスに伴う、政府支出の増加を反映しているに過ぎなかったのである。 (24.5.23修正)
図3

   次のグラフ(図4)は、GNPの変化とマネーサプライや物価の変化を見たものである。これをみると,1930ー1933の経済の落ち込み局面では、WPI(卸売物価)が先行し、それに応じてGNPが落ち込んでいる。つまり、実体経済の落ち込みが先行し、金融経済を反映するマネーサプライ(M2)、それにCPI(消費者物価)の落ち込みは遅行している。
図4

3 日本のバブル崩壊後90年代における金融政策の有効性・・・(補足)

    さて、1930年代の大恐慌については、通説は金融政策の重要性と財政出動の効果を低く評価するものとなっている。これに対する疑問が、この頁のテーマであり「財政出動論」全体のテーマの一つである。
    そこで、次に、一つの傍証として日本の90年代のバブル崩壊後の金融政策の有効性がどうかをみてみよう。90年代初頭のバブル崩壊は、その後の日本の長期停滞の引き金となり、長期にわたるマイナスの物価変動など大恐慌に準ずるような大きな影響を日本経済に与えた。

    さて、この問題に関しては、バブル崩壊後に日本銀行が十分な金融緩和政策を取れば、物価変動のマイナスをはじめ経済に大きな影響を与える事態は避けられたという主張が、特に米国の金融専門家によって行われた。
    米国FRB(連邦準備制度理事会)は、グリーンスパン前議長時代からバーナンキ現議長時代に至るまで、資産価格の上昇は、それがバブルか正常な上昇なのかの判別が困難であること、またそれを適切に抑制することは困難であること、そして仮にバブルが発生したとしても、バブル崩壊後に十分な金融緩和政策をとれば経済への影響を小さくできると主張していた。つまり、「バブル対策は、バブル崩壊後にとればよい」と考えるのである。これがいわゆる Fed View である(これに対して、バブルについて事前の予防的対策を主張したのが欧州の中央銀行関係者で BIS View といわれる(BISはスイス/バーゼルに本部を置く国際決済銀行のこと)・・・(世界同時不況後は、当然、Fed Viewの旗色が悪くなっている)。

    Fed View のような金融政策運営方針が成り立つには、バブル崩壊後に必要十分な金融緩和政策をとれるかどうかが重要だが、それが可能だというのが Fed View の立場である。そして、その典型的な失敗例として、日本の90年代初頭のバブル崩壊から90年代を通じた日本銀行の金融緩和政策が不十分だったという点(主張)が取り上げられた。つまり、当時の日本銀行のように金融緩和政策が不十分でさえなければ、その後の日本のような長期の物価停滞・下落や成長率低下は避けられるというわけである。

    その論拠として、バーナンキらFRB首脳などにしばしば引用された研究が、以下で取り上げる(連邦準備制度のスタッフである)アハーン(A. Ahearne)ら(2002)の研究《注》である。彼らは、FRBのFRB/Global model という標準的なニューケインジアンモデルを使用し、政策(名目)金利を3つの時点で(実際の日銀よりも)2.5%分ずつ余分に引き下げたシミュレーションを行っている。その結果は次の図5の上のグラフのように、消費者物価上昇率を最大2%程度押し上げる効果があった。
    しかし、ここで注目すべきは、それがGDP成長率に与える影響である。図5の下のグラフのように、1994年に最大2%ポイント前後GDP成長率を押し上げられているが、それ以外の年次では、成長率の押し上げ効果はほとんど見えない。つまり、94年の効果も1、2年で消滅してしまう。・・・なお、1994年についても、このシミュレーションでは、バランスシート不況のメカニズム等が考慮されていないため、それを考慮すれば、同様の結果が出るかどうか疑問の余地がある。

図5
    この結果について、白川方明『現代の金融政策ー理論と実際ー』(2008) では、「この時期の日本経済を特色づけた最も重要な特徴、すなわち、資産価格の下落に伴う自己資本の大幅な毀損が経済に深刻な影響を与えたルートは組み込まれていない。」(P.409)と評している。
    また、翁邦雄『ポスト・マネタリズムの金融政策』(2011) でも、「日本、そしてその後米欧で経験する金融危機は、金融市場の機能低下および金融機関の萎縮が実体経済を支える機能を失うことによる。・・・アハーンらのシミュレーションでは、金融システム問題による金融政策の波及効果の弱まりは捨象されている。日本経済の資金循環は阻害されているが、金融政策効果だけはこれと無関係に、平時同様、経済に脈々と波及していくことが想定されている」(P.161) と評している。
    (日銀スタッフである)木村ら (2007) はこうした日銀出身の経済学者ないしはエコノミストの批判とほぼ同様の観点を折り込みつつ、日本経済の大型マクロモデルである JEM (Japanese Economic Model) を用いて確率シミュレーション分析を行っている。具体的には、1993年上期から95年上期にかけて名目短期金利を実績よりも最大でさらに1%引き下げた場合のシミュレーション結果が次の図6のグラフである。・・・なお、アハーンらのシミュレーションは四半期単位だが、木村らのそれは半年単位である。
    これをみても、やはり、図6の上のグラフにみるように物価に対しては小さいながら効果があると言えるものの、図6下のグラフを見るとGDP成長率にはほとんど効果がない結果となっている。

図6
    以上の結果は、経済モデルによるシミュレーションではある。しかし、(それらの経済モデルは、シミュレーションで現実の日本経済をうまく説明できるように構築され調整されている)上記のように異なる複数のモデルのいずれを使ったシミュレーションでも、緩和的な金融政策がGDP成長率を押し上げる効果は小さいという結果が出ているとは言える。

4 必要な財政出動と金融緩和のセット

   いずれにせよ、財政出動の効果を具体化するには、金利の上昇でクラウディングアウトや、マンデル=フレミング・モデル《注》が予想するような効果が生じないよう、財政出動と金融緩和政策はセットで行う必要がある。しかし、財政出動が主であって金融緩和政策は従だと考える
    そもそも、流動性の罠が生ずるような重い不況(拙著では「重不況」という)下では、容易には金利は上昇しない可能性が強い。金利の上昇は、流動性の罠からの脱却後の回復局面の後半(?)で生ずるだろう。
             注)単純な「マンデル=フレミング・モデル」:財政出動で景気が回復すると国内金利が上昇する。すると、
                 変動相場制下では、海外から資金が流入し(それは国内金利の上昇を打ち消す)、それは、自国通貨高を
                 招くから、純輸出が縮小(つまり総需要の縮小)して財政出動の効果を打ち消す。

2011年1月9日日曜日

財政出動論2 なぜ財政出動論?

関連: 3大恐慌期金融政策 1財政の有効性 「重不況の経済学 公共事業
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《概要》大きな不況《重不況》からの回復対策としての財政出動を主張するという立場を表明するとともに、財政出動に有効性がないのではないかと私にしばらく考えさせた問題について、あらためて整理しなおします。・・・・

 「財政出動」には、様々な問題があります。こうした問題を、書く立場を明確にして(つまり「財政出動派」の立場に立つことを明らかにした上で)、これから考えていこうと思います。立場を明確にした方がわかりやすいと思うからです。

 拙著「重不況の経済学」の中でも財政出動に関する問題を扱い、財政出動の問題や意義を書いていましたが、どちらかと言えば中立的な立場で書いていますので、わかりにくいかなと思います。
 もともと私はオールドケイジアン的な財政出動派ではありました。しかし、『重不況の経済学』での体系的な検討の結論でも、あらためて財政出動の有効性に到達しました。
 それを、これから、わかりやすく整理していこうと思います。

   その前置きとして、以下では「財政出動論1」で取り上げた問題の、私にとっての意味を少し補足しておきます。

   田中秀臣・安達誠司『平成大停滞と昭和恐慌』は、(7年前当時)オールドケインジアン的な考えの私に、「やはり財政出動には効果がないのか」と感じ、宗旨替えせざるを得ないと考えさせた本でした。

   中でも、私にとって、もっとも明快な説得力があったのが、このブログの『財政出動論1』でも取り上げた、同書88ページの図4−4(米大恐慌時の財政支出とCPI上昇率の関係を示すグラフ)でした。

   この図では、物価が財政出動(ここでは欠損額の12か月累計)よりも先行して上昇していますから、これは「財政出動が原因で景気が回復したという財政出動論」の因果関係を否定するものに見えました。以来、私は、「財政出動の有効性は低く、金融政策が重要だと考えるしかない」と思ってきたのです。

   つまり、2003年刊の古い本なのですが、私が『財政出動派』に転換するためには、この本の主張の克服は避けて通れないものだったわけです。
        注)もっとも、スコット・サムナー (Scott Sumner 米ベントレー大学教授)は、第2次世
             大戦前の米国の消費者物価指数(CPI) は使い物にならない・・・まともな経済
             史家は生産者物価指数(WPI)を使うと言っています。 23.10.6追加修正
             ・・・このリンク先ページ下段のサムナーによるコメント2箇所参照

   そこで『財政出動論1』では、このグラフが「支出額ベースで財政出動を捉えている点に問題がある」との解釈を示しました。「支出」と『発注』は異なるのです。企業は、発注を受けると、その契約総額を前提に行動しますから、発注段階で、実体経済に大きなインパクトがあります。ところが「財政出動」を「支出」ベースで捉えると、それが把握できません。支出は、工事などの出来高に応じて支払われ、あるいは完成後に支払われるからです。支出は常に遅れるのです。(参照:「財政出動論1」)

  「支出」を見るだけでは、財政出動の効果を把握することはできず、契約額つまり発注額ベースでも見る必要があります。特に1933年には、ゴールデンゲートブリッジの着工をはじめ大規模な発注が重なりました(大規模な発注があっても、当初は、政府の支出は小さいのです)。

   なお、このほかに、このグラフにはデータの取り扱いに誤りがあります。正しいグラフは、下図のとおりです。この図で 赤い線が正しいグラフです。1936年6月以降の1年間については、元のグラフは誤っています
   原因は、1936年6月の欠損額が突出して高いために、(推測ですが)安達先生がおそらくそれを「データの誤り」と考え、その値をゼロと置いたためだと考えられます。(このグラフ値の計算方法は明示されていませんが、毎月過去12か月分の政府の月別欠損額の合計値をその月の値としてプロットすると、《1936年6月からの1年間を除いて》安達先生のグラフと一致します。また、1936年6月のデータをゼロと置くと安達先生のグラフと完全に一致します。)

   しかし、この6月の大きな欠損のデータは誤りではなく正しいのです。政府の歳入、歳出のデータとも整合性があります。この年には、実は、退役軍人に対する年金が一時金として一括支給されたのです(巨額)。この退役軍人の年金一時金問題は、生活が困窮している退役軍人たちが1932年にワシントンに向けて要求のための行進を行い(Bonus Armyと呼ばれました)、それを規制しようとする政府軍が発砲して流血事件が起きたために注目を浴びました・・・ウィキペディアなどを参照ください。

   当然、これは政治問題化し、紆余曲折を経て最終的に支給案が議会を通過します。当時の大統領フランクリン・ルーズベルトは拒否権を発動しましたが、議会が1936年1月に再度、拒否権を覆す圧倒的多数の議決を行い、支給が確定しました。総額で十数億ドル(二十億ドルに近い)で、これが年度末にあたる6月(当時の連邦政府の会計年度は前年7月〜当年6月)に一括支給されたのです。

  6月の連邦政府の支出額の異常な突出分(前後の月の支出が4〜6億ドル程度なのに、6月のみ 23億ドル台)の原因はこれだったわけです。6月単月の歳入は5億ドル余りでしたので、この月は単月で 18億ドルという(月単位では)巨額の欠損月となりました。

   ルーズベルトはこうした巨額の支給に最後まで反対でしたので、これをニューディール政策とは言えませんが、財政出動の影響を見る場合には、当然除外されるべきものではありません

2010年11月30日火曜日

日本の行政システムは非効率か?

                                                                                             ・・・このブログ全体の目次
                                                                           (23.7月下旬に「参考」など若干コメントを追加

    日本では、しばしば日本の行政が非効率であることが前提に議論が行われている。しかし、その前提にはデータの根拠がない。居酒屋でよく聞く?程度の事実認識から出発して、学者や政治家がもっともらしい議論を積み上げている。
    しかし、仮に日本の行政が実際にはそこそこ効率的であるなら(最下段の参考参照)、効率的な行政を『削って』生じるのは、行政サービスの低下である。
                                                          ・・・・・・・・・・

    さて、(地方)分権の程度は、一般に「集権ー分権軸」で評価する。これは国と地方の間で国の権限の強さの程度を表す。行政学では、これに、「分離ー融合軸」の観点を加えて評価する場合がある。
  「分離」とは、国の事業の執行が地方団体に依存していない状況を表す。具体的には、国が地方に出先機関を置いて直接事業を執行する形態である。

  一方、「融合」とは、国が、事業の実施を地方団体に補助したり委託したりして執行している状況を示す。補助金行政といって、地方分権に逆行するとか、補助金申請交付手続きや要件の確認など無駄な仕事が多いともされる。

  一般に、米国や英国分権的かつ分離型の国。対して、日本やドイツは相対的に融合型の傾向が強い。

  この図は(少し古いが)、縦軸に人口千人当たり公務員数、横軸に(国+地方団体の支出総額に占める)国の直接支出の割合を示している。縦軸は低いほど効率的、横軸は左ほど融合的、右ほど分離的というか国の役割が大きい。
  公務員数は、福祉サービス等を直接公務員で行うか、民間にやらせるかでも違うので、断定はできないが、次のことが言えそうである。・・・反論がありそうだが。
(人口千人当たり公務員数が少ないほど効率性が高いと考えると)
① 日本の行政システムは効率性が高い(少なくとも低いとは言えない)。
② 国が直接サービスを提供している割合の高い国の行政の効率性は低い
②B 地方団体がサービスを提供している割合の高い国の行政の効率性は高い。
③ つまり、大きい組織が直接サービスする方が常に効率的であるわけではない。
    これは分権論に有利である。
④ 一方で、国の関与が強い「融合型」の方が効率的に見える。

  以上からは、【限定された議論に過ぎないが】アバウトに、分権型かつ融合型のシステムが効率的に見える。

   最後に、なぜ国が地方出先機関をおいて直接執行するよりも地方公共団体に執行を任せた方が効率的かと言えば、その理由は議会の存在である。議会の形骸化、形式化、無力を言う声が高いが、議会の存在は、行政に常に無言の圧力を加え続けている。首長や管理職は、議会がどうみるかを常に意識しながら(議会で取り上げられるかどうかに係わらず。そして万一取り上げられた場合にも、批判の的にならないように)政策立案や意志決定を行っている。

    こうした意味で行政の中で、「本庁」「本省」と「出先機関」の緊張感の差は極めて大きい。当然ながら、出先機関には「議会、国会がない」し、選挙で選ばれ住民やマスコミを常に意識している議会議員、首長から遠いのである。まして国の地方出先機関は、物理的な距離も、組織的な距離も極めて中枢から遠い。この結果、出先機関は、権限も責任も小さい一方で、効率性や仕事の質を高める方向の圧力が常に弱い。

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参考・・・・・・本川裕氏の「社会実情データ図録」の関連するグラフを参考に次に掲げる。

 大きな政府小さな政府(おおむね2005年データ)
      ・・・日本はOECD諸国中で、公務員数規模で最小、財政規模で5番目に小さい政府

 OECD諸国の公務員数(おおむね2005年データ)
     ・・・日本は先進国の中では最も少ない。
    これが統計的には最も信頼性が高いが、外に総務省統計局や野村総研の推計もある。
    公務員の範囲・定義、対象国が異なるためにずれがあるが、日本が少ないことは変わ
    らない。

3 OECD諸国の公務員給与水準(おおむね2005年データ)
       ・・・「この図録は2010年10月9日から11日にかけてネット上で大きな反響を呼んだ。」
     「この図は不当であるという批判の論拠となっている点について言及しておこう。」
      として、末尾に追加コメントが掲載されている。

2010年11月28日日曜日

「『重不況』の経済学」(新評論)2010年11月下旬刊


重不況の経済学」という本を新評論から出しました。

※ → アマゾンの「重不況の経済学」のページ(厳しい書評も)

     アマゾンの書評で・・・、例えば読みづらいというのは、主に、第1章第2節に原因があると思います。そこでは引用等が錯綜しているために確かに読みづらくなっています。
    ただ、経済学に一定以上の知識がある人の中には、①取り扱っている内容が広範にわたり、②着眼点が非常におもしろく、③刺激になる部分がある、④特に第3章は見たことがない説明・・・と言っていただいている方々もいます(①〜④はそれぞれ別の方のコメントですが・・・(社交辞令もあるとは思います))。

1 内容の核になる視点は、次のとおり、素朴かつ単純です。
 核となる視点は、
① 従来、経済学では新古典派成長理論RBC理論をはじめとして、経済成長等を供給制約の視点から捉える傾向が根強かったと考えます。これに対して本書は、経済の体系的理解の基盤に、需要制約の観点を組み入れようと試みています。・・・おおむね第2章

② そこでは需要制約(不足)の機序が問題となりますが、これについては、まず理念的には、実体経済で生産された財・サービスが円滑に売れるには、広義の生産コストとして支払われた資金がすべて、そこで生産された財等の購入に使われる必要があります。しかし、本書では、その一部が土地購入などの資産投資の形で金融・資産経済に「漏出する一方で逆方向の「還流」が不足するために、実体経済の生産物の需要が不足する(場合がある)と考えます。こうした観点から、本書ではセイ法則の破れの変動に積極的に注目し、フロー(実体経済)ストック(金融・資産経済)の循環関係を再整理しようと試みています。・・・おおむね第3章

③ また、「実体経済」と「金融・資産経済」では、市場参加者の目的に違いがあるために効率的市場仮説の成立の程度が大きく異なると考えます(なお、従来から効率的市場の制約理由とされてきた不完全情報や経済主体の不合理な行動による説明は基本的に両経済を区別しません)。また、このことや、漏出・還流の変動に与える影響のメカニズムしたがって影響のタイミングにも違いが大きいことから、両経済を従来よりも相対的に分離したものとして捉え、より独立性の高い存在として扱うべきことを主張しています。・・・主に第4

④ 本書は、経済現象の多くの部分を、この純漏出(=漏出−還流)の変動によって単純に理解しようとします。当然、こうした理解は、金融政策や財政政策また産業政策のあり方の議論に様々な示唆を与えます。・・・おおむね第4章以後

   なお、第1章は、まえふり、導入的な部分で、日本経済の現状と、構造改革の結末を整理していますが、若干、構造改革派に対して批判的なので、抵抗感のある方もおられるかもしれません。
 ※この第1章で使用したグラフの一部を、このブログの「名目では構造改革期に世界シェアを半減させた日本経済」に掲載しています。

2 目次

第1章[日本経済]沈みゆく日本 ー構造改革と長期停滞ー
 第1節 2000年代日本経済の劇的地位低下
 第2節 構造改革派が考える日本経済の停滞論の検証

第2章[経済成長]ボーモル効果 ー生産性と経済成長ー
 第1節 生産性、景気循環と経済成長
 第2節 ボーモル効果、不均等な成長と新たな経済成長理論
 第3節 プロダクト・サイクルと付加価値成長のメカニズム

第3章[経済循環]セイ・サイクル ー漏出と貨幣の流通速度ー
 第1節 漏出のある「セイ・サイクル
 第2節 漏出からみた「貨幣の流通速度
 第3節 漏出のあるセイ・サイクルで見た経済循環

第4章[貨幣と経済]価格投資 ー金融・資産経済と実体経済+「バブル」ー
 第1節 金融・資産経済と実体経済で異なる市場のメカニズム
 第2節 過剰資本の弊害:先進国の成長、経営の短期志向化
 第3節 実体経済と金融・資産経済の関係のあり方(両者の分離)

第5章[先進国経済]非価格競争 ー先進工業国と非価格競争戦略ー
 第1節 世界経済における先進工業国の意義と直面する課題
 第2節 高付加価値と「非価格競争」
 第3節 非価格競争戦略

第6章[政府]北欧型政府論 ー需要不足と政府支出ー
 第1節 政府と一国経済
 第2節 重不況,短期の不況への対応
 第3節 長期的な需要の趨勢変動と北欧型政府論

補論[経済学理論]フリードマン対ガリレオー経済学の再構築ー
 第1節 理論・仮説の確からしさ
 第2節 「仮定」の妥当性と「仮説」の妥当性
 第3節 科学の発展と「大統一理論」

参考文献

2010年11月25日木曜日

名目では構造改革期に世界シェアを半減させた日本経済

                                                                                ・・・その他《このブログ全体の目次
  修正:グラフだけでなく、少し説明を追加しました25.1.9
関連項目:重不況の経済学 公共事業

1 世界経済に占める(ドル表示で見た)日本の名目GDPの比率は、1997年〜
 2007年の10年間に次のように半減しました。

注1)ドルベースの名目値で比較
注2)1997と2007の為替レート(円ドル)はほぼ同水準

2 原因は、次のように、この10年間にG7の他の各国が経済規模を53%から
 103%拡大させたのに対して、日本は、わずかに1%しか拡大しなかった点に
 あります。・・・これは、一人当たりなので、厳密な経済規模拡大の差はさらに大きいことになります。


3 これは、OECD諸国中の人口一人当たりGDPの日本の順位が小泉構造
 改革期間中に次のようにコンスタントに低下したことに対応しています。
(補足)
円安 なお、小泉構造改革期間中は、円安が進行していましたので(これら
 は比較のためドル表示ですから)この影響もあるわけです。たしかに円高
 が進んだ近年は順位が上昇しています(もっとも、理由は円高だけではないです)
  しかし、上昇も限定的です。その理由は、中段のグラフに見るように、
 日だけが名目GDP成長をまったくしていない点にあります。たしかに
 日本は、この期間に(相対的には)縮んだのです。

物価 もちろん、物価上昇が小さいかマイナスだった点もあります(これら
 のグラフは名目値での比較だからです)。しかし、低い物価上昇率は本来
 であれば、日本の国際競争力の強化に寄与し、日本経済の力強い成長に結
 びつき、高い実質成長が実現したはずですが、まったくそうはなっていま
 せん。・・・いまだにアップアップしてるわけですから。
  物価上昇率が低いかマイナスだったことは、何の意味もなかったし、む
 しろマイナスだったと言えるでしょう。

生産性 一人当たりGDPとは、投入産出の構造から言えば、広い意味で一
 国の「生産性」を意味します。構造改革期間中、企業の人員削減で、生き
 残った企業内の生産性は上昇したかもしれませんが、企業から吐き出され
 た失業者や遊休化した資源の増加によって、日本の国全体の生産性は低下
 しのです。

※2010年11月刊『「重不況」の経済学』(新評論)http://amzn.to/htYtN1 の導入部《第1章》のための図の一部