2011年8月10日水曜日

財政出動論19 流動性の罠と資金需給、国債金利

 ここでは、『流動性の罠』と資金需給の関係を考え、それに基づいて、流動性の罠の下(あるいはそれに準ずる重不況下)での国債消化資金の問題を考える。
    23.8.26字句修正              ・・・《このブログ全体の目次》

1 流動性の罠

(1)流動性の罠とは
    近年の景気対策は、財政政策の有効性を否定する立場や政府の累積債務を心配する立場から、金融政策が重視されている。これは、金融緩和によって利子率を下げ(つまり投資する際の資金コストを引き下げ)、設備投資や住宅投資を刺激するという政策だ。

    しかし、利子率引き下げの効果が十分でないまま金利を政策的に下げ続けると、(名目金利はゼロ以下にはならないので)ついには金利引き下げの限界に達する。となると、金融政策は有効性を失う。これが「流動性の罠」である。

    このとき、債券保有で受け取る名目利子率はほぼゼロであるから、債券保有と貨幣保有の差がほとんどなくなり「投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する。(すると)マネーサプライをいくら増やしても、もはや金利は引き下がらず、民間投資や消費を刺激することが出来なくなるため、将来への期待に対する働きかけを除いて通常の金融政策は効力を喪失する反面、クラウディングアウトは発生せず、財政政策の有効性は高まる」というwikipedia)。

(2)流動性の罠の理解
 「投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する」とは、貨幣供給の増加によって利子率がわずかに低下するだけで貨幣需要が大きく(無限に)増大することを意味する。
 しかし、これは状況を説明はしているが、メカニズムの説明には不十分に見えるかもしれない。少しわかりにくいので、もう少し考えてみよう。資金の供給サイドと資金の需要側の2つの視点から考えよう。

 ① (通常の)資金の供給サイドから
 利子率が低下し続け、ある限度を超えて低くなる場合を考えよう。そもそも、お金を貸出・投資する側は、2つのマイナスを負担する必要がある。第1は、お金が必要なときにいつでも使えない不便である。第2は、貸したり投資したりしたお金が返ってこないかもしれないというリスク(貸倒れリスク)である。

 利子は、こうした2つ(不便やリスク)を引き受ける代償・代価として受け取れるのだと考えよう。お金を運用する経済主体は、このように、第1と第2の大きさ利子率の高さを比較考量して、投資・貸出を決定する。・・・利子率が十分高ければ、お金を積極的に貸したり投資したりするインセンティブが強まるが、低ければ、それは低下する。
 そこで、お金が「返ってこないリスク」と利子率の大きさを比較する(つまり)と、利子率の低下にしたがって、利子率よりも「貸倒れリスク」等に耐えなければならない負担の方が大きいと考える人(経済主体)が増加していくだろう。

 この結果、債券を持つリスクの方が高いと感じる経済主体が増えると、そうした人たちは他の経済主体に貸して(債券として保有し)利子を受け取るよりも、貨幣のまま保有しようとするようになり、いくら貨幣供給を増やしても、お金は貨幣のまま退蔵され(貨幣需要の増大である)、貸出は増えないことになる。

 以上から、流動性の罠の原因は次の2つだと考えることができるだろう。

《利子率の低下》
 第一は、「利子率の低下である。それによって得られる利子が低くなり、貸し手は、その利子率は貸倒れリスク等に見合わないと考えるために、貨幣のままでの保有が増える。

《リスク要因》
 第二は、「リスクの増大という環境変化である。経済が不況となり、お金を貸す相手の売上が平均的に不振となったり、売上の回収リスクが高まったり、さらにはそれに伴って倒産の確率が高まったりで、不況下では貸倒れリスクが全般的に(平均的に)上昇する。このときには、利子率がゼロ近傍というほど低くなくても、貨幣選好が上昇する。この結果、投資の利子弾力性が低下し(利子率が下がっても以前ほど投資が増えないようになり)、金融緩和政策の景気刺激効果は(小さく)なってしまう。

 なお、ここで第一の原因と第二の原因の関係を見ると、(第二の原因の)リスク増大の認識が、国債などの安全資産(元々金利が低い)に対する需要を増やし、それはますます安全資産の利子率を引き下げる(これは利子率《=魅力》が低くなっても買ってもらえるということだから、安全資産側の価値・価格が高くなるということ)という関係があることがわかる。そして、その結果として(第一の原因に係わる)長期金利の低下が生じるという因果関係が見られる。
 貸倒れリスクが増大すると(利子を下げてもなかなか投資が増えない・・・つまり投資の利子弾力性が低下するから)、金利を引下げる政策をとっても、投資は盛り上がらなくなる。そして、利子率引下げによる投資促進効果は順次低下して、利子率の引下げに投資が反応しなくなり、ついには、引き下げの限度に達してしまう(これが、流動性の罠というわけである)。
 以上のように「第二(リスク増大)→第一(金利低下)」という因果関係があるのに対して、逆の方向の「(第一の)長期金利の低下が(第二の)リスク増大の認識を引き起こす」という因果関係は通常は考えにくい

 このように考えると(資金の供給側から見れば)、流動性の罠の本質的な原因は、リスクの増大」にあるのであり、名目利子率の低下やその非負制約といった問題は2次的要因ないしは技術的な要因なのである。したがって、非負制約を解消するための負の名目利子率や税などの対策論は、流動性の罠という状況の根本的な解決策ではあり得ないもっとも、効果はないとも言えない。ただし、その効果は流動性の罠にかかる人々のリスク認識の強さに依存する。不況の程度が大きいときや、長期にわたって停滞が続いている場合のように、企業や家計のリスク重視の姿勢が強いときには、そうした政策はよほど徹底的な者でない限り効かないだろう。

 ② 資金の需要サイドから
 ①は、貸出側だけをみていて、流動性の罠の説明は通常はこれで終わりだ。というのは、経済学では、基本的に、金融機関以外の一般企業は常に収益最大化を追究する存在であると仮定されているからだ(収益最大化原理)。この収益最大化のために、「企業には常に強い投資意欲があり、資金需要も常に高い」と考えられている。だから、企業の投資の変動を規定するのは資金を貸し出したり投資したりする側の金融機関や投資家側の考え方・態度だと考えられている。しかし、これは仮定である。
 この、企業が収益最大化を常に追究する存在だとの仮定は、経済学者には当然のことだと考えられ、仮定にすぎないということさえ忘れられている

 だが、一般企業も金融機関や投資家と同様に独自の経営判断を行い、自ら投資を抑制することは当然あり得ることだ。巨額の投資を行ったにもかかわらず、売上が予想を下回れば倒産の危機に直面する。企業の経営判断が慎重であるのは当然だろう。そして、実際問題として、それは判断時点での景気の見通しに大きく左右される。

 《利子率は投資判断メカニズムの一要素にすぎない》
 具体的には、企業は、どのように投資判断を行うだろうか。それは(企業が合理的に判断を行うなら)、その投資に基づいて生じる一定期間内の総収入から、その投資に係わる総コストを差し引いたものがプラスかどうかが基準となるだろう。つまり、企業の設備投資の決定は、当該投資によって得られる「総収入ー総コスト」を見て、「総収入ー総コスト>0」の場合に投資が決定されると考えられる。
 ここで、総収入は、想定する一定期間内の収入見通しの合計である。しかし、これは、未来の収入なので、確定値ではない。既存の様々な情報を組み合わせて予測される期待値である。一方、総コストは、初期投資に加えて、想定する期間内に使われる運営費(ランニングコスト)を含む。
 こうした観点からすれば、利子率は、その総コストの一部である資金調達コストであり、総コストの一部に過ぎない。
 しかし、総収入や利子率以外の様々なコスト要因は企業毎の個別事情によって左右されるから、多数の個別企業を集約した一国経済で見ると、通常は(特に軽微な景気変動下では)互いに相殺され全体に影響を及ぼさない。
 このために、軽微な景気変動下では、「利子率」の変動が、多様な企業の投資判断に斉一的な影響を与えるために、「利子率」があたかもすべてを決定しているように見える(しかし、それは軽微な景気変動下では他の要因が互いに相殺されているために過ぎない)。

《売上見通しの斉一的低下》
 ところが、特に、大恐慌や日本の長期停滞といった「重不況」下では、総収入の予測の重要な根拠の一つとなる売上の将来見通しが多数の企業で斉一的に低下する。それまでは企業ごとに様々だったものが斉一的に低下するために、この変化は「相殺されない」。したがって、これが突如、企業の投資決定の要因として重要になり、「利子率」の影響力は吹っ飛んでしまう。これが、利子率引下げの設備投資刺激効果を低め(つまり、投資の利子弾力性を低下させ)、その結果として、流動性の罠という状況が生じると考えられる。
 こうした観点から見れば、流動性の罠とは、利子率の影響力が低下している状態であるというだけでなく、むしろ投資変動の重要な原因が利子率から他の要因(売上の将来見通し)に変化(移行)していることを示す。

 《リスク最小化原理》
 一方、企業が売上の将来見通しを行う際の判断の基準も変化する可能性が高い。重い不況(重不況)下では、企業は、リスクをより重視するようになると考えられる。
 これは、経済学の常識である企業の収益最大化志向(「収益最大化原理」)と対立する、もう一つのメカニズムが存在することを意味する。すなわち、リスク最少化志向(『リスク最少化原理』)である。軽微な景気変動下では、この2つの原理のうち収益最大化原理が優越しているが、一旦重不況になると、企業はリスク最少化を斉一的に重視するようになり、同一の売上見通しに対しても、よりリスクの最小化を重視するようになる。その結果、重不況下にある国の企業は斉一的に投資を抑制し続けるようになる。
  注)以上は、拙著『重不況の経済学』第3章(第1節の後半)で述べていることだ。
   ただし、そこでは「流動性の罠」と絡めた説明は行っていない。

(3)「流動性の罠」下で新たに重要となる要因は「流動性の罠」の枠組みの外にある
 『流動性の罠」への対処方法を理解するには、その状況下で経済がどのような要因に支配されているかを知る必要がある。
 問題は、流動性の罠も、IS−LMモデルも十分に有効な枠組みとは言えないことだ。
ケインズの「流動性の罠」は、利子率が重要な要因だとする観点から、名目利子率を操作する金融政策が効かないという衝撃的な状況の可能性を説明しているだけである(言い換えると、それは、その状況下では単に利子率が「効かないということ」を説明しているだけである)。そして、それは、その後のケインズ経済学発展の基礎となったIS−LMモデルでも同様である。IS−LMモデルも利子率に大きく依存しているのである。

 重要な点は、『流動性の罠』の状況では、利子率が要因として影響を失う一方で、別の要因が経済変動を説明する要因として影響力を増していること。そして、流動性の罠やIS−LMモデルでは、その新たに重要となった要因について、わずかに推測する程度のことしか言えないということである。それは、その『別の要因』がそれらのモデルの枠外にあるから。・・・「流動性の罠」やIS−LMモデルは、それが利子率に多くを依存しているために、「その」状況の理解の枠組みとしては一定の限界がある

2 流動性の罠と国債金利の低下

《欧米日各国の財政不安にもかかわらず資金は国債に集中》
    平成23年8月3日付け日経の一面トップは、「長期金利、日米独で低下、財政不安でも国債に資金、世界経済の減速懸念という見出しの記事であり、記事(のリード)は「深刻な債務問題を抱えているにもかかわらず、日米独の国債が買われ、長期金利が急低下している。市場が世界経済の減速懸念を強めているためで、いずれも昨年11月の水準に下がった。株式などに投資されていたリスク資金が急速に縮小し、投資家の安全志向が強まっている。」で始まる。こうした状況は、8月5日のS&Pによる米国債格付け引下げ後も変わっていない。・・・23.8.10時点。

 この記事は『国債』がターゲットになっており、資金がリスクの低い国債に流れ込んでいるために、長期金利(国債金利)が低下しているとの解釈を伝えているわけだ。

 資金運用者からみた「リスク」の高さを、高い順に見ると(条件次第で前後するかもしれないが)、おおむね「株式>社債・融資>(預金)>国債>現金貨幣」くらいの順だろう。上記記事が伝える現象は、市場のリスク懸念の増大の結果、様々な資金が全般に(この行列の中で)左側から右側方向へ移動していることを示している。

    こうした変動のメカニズムは、1の(2)で見た『流動性の罠』とリスクの関係に係わるメカニズムに強い関連があるように見える。
    すなわち、流動性の罠の下ないしはそれに準ずる状況下では、企業のリスク最少化志向の強まりと共に、投資が抑制される。すると、この投資抑制によって資金は余剰となる。余剰となった資金は、リスク最少化志向の影響により、よりリスクの小さい資産に移動する。それがリスクの低い国債金利の低下を生むと考えられるのである。

 《国債需要に対して国債の発行が少ないために国債の金利は低下する》
    このように、特に「重不況下」では、一般企業、金融機関(、家計)を問わず「収益最大化原理」の影響力が後退し、「リスク最少化原理」の影響力が優越するようになり、その結果として、資金は、(見通しの不確実な将来収入を低く見積もる結果)リスクの高い設備投資よりも、リスクの低い国債に流れると考えられるのである。そして、国債の供給(つまり国債増発額)が、国債の需要を下回るために国債価格は上昇(つまり国債金利は低下)することになる。言うまでもないことだが、国債金利の低下は、こうした状況下で、国債に対する需要が強いことを意味する。

3 不況、リスク最小化、国債消化資金の関係

 世界的に長期金利(国債金利と考えて良い)が低下しているが(日経)、これは、世界同時不況下でも、上記のメカニズムによって投資が抑制され(それは同時に総需要の不足を意味する)、そこで余った資金が、よりリスクの小さい国債等に流入しているために生じていると考えられる。
 安全資産方向へのシフトは、まずは国債に流入し、さらにリスク重視志向が強まればタンス預金(文字どおりの現金貨幣の保有)の増加に行き着くことになる。

 リスク最小化志向の視点これを見れば、それによって資金がリスク資産から安全資産に移動するということだが、他方、これを資金の過不足の視点で見れば、設備投資部門で過剰な資金(設備投資に使われない余剰資金)が流出し、それが国債部門で必要な国債消化資金になるというわけである。
 ちなみに、このような状況で、政府が財政出動の抑制を行えば、余剰資金は行き場を失い、それは貨幣流通速度の低下として現れることになると考えられる。

    では、そうした資金の安全資産つまり国債消化資金への流入は、民間経済活動にマイナスの影響を与えているのだろうか。・・・そうではない。日本の20年にわたる長期停滞下でも、クラウディングアウトの発生は報告されていない。流動性の罠ないしはそれに近い状態では、一般企業自身が設備投資を抑制しているのであるから、そもそも一般企業レベルで設備資金ニーズは低下しているのである。民間企業が資金不足になるわけではないのだ。
    注)実際、巨額の財政出動のあった時期を含む90年代から2000年代にかけて、一般に
        日本ではクラウディングアウトは観察されていない(例えば「景気循環学会・金森
        久雄編[2002]『ゼミナール 景気循環入門』東洋経済新報社」は、「90年代から
   2000年代初頭までは、「金利の上昇などのクラウディングアウト現象は起こってい
        ない」と述べている(217))。
            ちなみに、今回の世界同時不況では米国でも大規模な財政出動が行われたが、
        ウディングアウトは生じていないし、国債金利の上昇も生じていない
        (もっとも、大規模な金融緩和政策を取られていたということもあるのだが。)
            なお、本日(平成23年8月10日付け)のクルーグマンのブログ
                                                    "Dismal Thoughts" The Coscience of a Liberal でも・・・。

    こうした関係は偶然に生じていることではなくて、景気後退期(特に重不況期)には民間の資金ニーズは低下しているから、その低下の範囲で、国債発行による財政出動は常に可能なのである。
    逆に、国債で吸収した資金が政府の投資及び消費として使用され、民間設備投資の減少によって不足している総需要の維持に寄与するのであり、それは不可欠なことなのである。

  ・・・しかし、特に橋本財政改革期は、それが急激に抑制されたし(財政出動論4(橋本財政改革が生んだ恒常的な財政赤字)参照)、小泉構造改革期は、「急激な」財政出動抑制は行われなかったものの、プライマリーバランス論や国債30兆円目標などに基づいて恒常的に財政支出を抑制したため、景気の回復に伴う税収の増加は常にそのまま財政出動の削減(国債発行の縮減)に使われた。この結果、小泉構造改革期は、常に総需要の不足が続くことになったため、この時期の外需依存の景気回復は、長期にわたって「実感なき景気回復」に終わった。
                                ・・・(財政出動論17(財政出動と抑制の30年史概観)参照

2011年8月1日月曜日

財政出動論18 現代経済学と自然科学の手法比較

    この項は、「財政出動論13(構造改革が必要なのは米国だ)」(平成23年2月20日)の中に書いたものを(落ち着きが悪いこともあり)独立させたものである。
                         ・・・《このブログ全体の目次》
                                         23.8.5細々とした修正
    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。


1 導入
 こうした問題を取り上げる理由は、今回の世界同時不況が現代マクロ経済学に与えた打撃に係わる。2008年ノーベル経済学賞受賞者の P.クルーグマンは、2009年の講義で過去30年間のマクロ経済学の大部分は「良く言っても見事なまでに無益で、悪く言えば積極的に害をもたらした」」と論じた。
  ・・英エコノミスト誌の記事から("What went wrong with economics" The Economist Jul 16th 2009)
 注1)この「過去30年のマクロ経済学」とは、新古典派経済学の中の「新しい古典派」、それを引き継ぐ
   (あるいそれに含まれる)RBC理論、さらにはそのRBC論に基礎を置くニューケインジアン
    経済学を指す。

 実際、上記の注1でいう現代マクロ経済学者」たちは、この世界同時不況を理論的に予測できるモデルや枠組みを持っていなかったし、その対策を検討し有効な対策を提言するために使える理論的枠組みも持っていなかった。
 したがって、政策の現場では、これら現代マクロ経済学者たちが嘲笑の的としてきたIS−LMモデル(〜いわゆる「どマクロ」)が専ら使われたのである。

 ローレンス・サマーズ前米国家経済会議(NEC)委員長(現ハーバード大)は、2011年4月9日のコンファレンスにおいて「DSGEはホワイトハウスの危機への政策対応において何の役割も果たさなかった、と述べた。流動性の罠を取り込んだIS−LMだけが使用された。」(himaginary氏訳)と述べた。
  ・・・ブログhimaginaryの日記から(「サマーズ「DSGEモデルはまるで経済政策の役に立たなかった」」
    2011-04-10)・・・次の出典も同様。

 また「彼のさらに厳しい評価が示されたのは、マクロ経済学に健全なミクロ経済学の基礎付けをしようとした膨大な研究は、政策当局者としての彼にとっては基本的に役に立たなかった、というコメントにおいてであろう。」(himaginary氏訳)
  ( 原文はThe EconomistのMark Thomaによるブログから
                      ("What the economists knew"Free Exchange Apr 9th 2011
 注2)DSGEモデル(「動学的確率的一般均衡モデル」)は、RBC理論を原型としたミクロ経済学的
   付けのあるモデルに、様々な仮定を導入することによって時間的な変化を考慮した動学的分析を
   行うもの。 古典派(RBC理論)も、ニューケインジアンも専らこれを用いる。

 以下、現代マクロ経済学がなぜ、こうした状況に陥ってしまったかについて考える。

2 経済学の研究手法の問題点 = 自然科学とは異なる研究態度

    第二次大戦後、供給中心の経済学が主流となってきたのは、現実の経済をよく説明できると考えられたからだ。それは、第二次大戦後の各国が、主に供給に問題のある(したがって供給不足)経済だったからだ。
 特に1970年代以後の米国ギリシャ開発途上国では、供給にボトルネックがあるから、供給中心の経済学がよく当てはまったのである。サンプルの中にこうした国々が多ければ、研究サンプルの多くが「供給に問題を抱える国」になるから、供給中心の経済学の説明力が高いことになる。

 問題は経済学の研究手法に潜在する問題(研究対象の偏りが引き起こす問題)を、経済学者が理解していないことだ。

(「例外」をどのように扱うか=自然科学との違い)
    現代経済学の研究手法、特に実証の手法は、統計的手法が中心である。ところが、統計的手法では、例外的現象は「外れ値」としてネグられてしまう。こうした統計的な手法の影響が極めて高いため、現代経済学では、頻度の高い現象だけを集めてモデルが構築されることになる。
    まずは、例外的現象を含まない頻度の高い現象から作られたモデルが構築され、それは当然、頻度の高い現象から生ずるサンプルで統計的に実証されることになる。
    大恐慌など例外的現象が重要な問題の場合、そのモデルに基づいて、例外的現象が解釈されることになるが、当然その基本モデルでは解釈できない部分が出てくる。そこで、その解釈出来ない部分を説明するために、アドホックに(極端に言えば「その場限りに」)様々な要因を追加して解釈しようと試みることになる。戦後の現代マクロ経済学の歴史は、そうした基本モデルでは解釈出来ない現象を、様々な要因を追加することで解釈する試みの歴史と言える。
    今回の世界同時不況の経験でわかったことは、結局、そうした試みは有効ではなかった(少なくとも、全く十分ではなかった)ということなのである。

    実は、こうした経済学の研究の方向は自然科学の研究の方向とはほぼまったく異なる。例えば、ノーベル物理学賞の受賞研究はすべて「例外」の研究である。最近の例では、南部陽一郎氏のノーベル物理学賞受賞理由の一つは「自発的対象性の破れ」に関するものだが、これはまさに例外的現象であるし、小林・益川両氏のノーベル賞受賞対象となった理論もCP対称性の破れという例外的現象の説明にかかわっている。自然科学は「例外」と「特殊」な問題にほとんどの資源とエネルギーを注ぎ込み続けている。そして、それが豊穣な成果を次々に人類にもたらしてきたのである。

 自然科学で、なぜ「例外と特殊」の研究が重視されるかと言えば、例外や特殊な問題を説明できない理論体系は正しくないと考えられ、それらを説明できる新たな理論が追求されなければならないと考えられているからだ(ところが、現代のマクロ経済学はそうではない。単に例外は「例外」として無視されるのである)。そして、自然科学では、例外の発見を踏まえて、例外を包含した新たな理論体系の構築が目指される。自然科学は、こうしたプロセスで理論を発展させ続けてきている。

    ところが、統計的手法が中心の学問では、こうした方向には研究が進みにくい。例外の無視こそ統計の本質とも言えるからだ。経済学は、まさにこの統計的手法に束縛されている。経済学は、数学を多用しているために一見自然科学に近いように見えるが、実は、それは、この意味では疑似自然科学というしかない。

 経済学が統計的手法を中心とする限り、例外は排除されるか、結果的に無視される。
例えば、分析の対象が米国やギリシャや、開発途上国が中心であれば、それらは、いずれも「供給側に問題を抱える国々」だから、その中に二、三、需要に問題を抱える国が混じっていても、分析結果は、供給側の説明力が高い結果が出てきてしまう。「ほら、やっぱり供給側の要因の説明力が高いじゃないか」というわけである。

    あるいは、通常発生している景気変動は、ほとんどの場合、在庫変動程度の軽い変動である。であれば、そうしたデータが大多数を占める現状の統計分析には、ちょっと利子率を操作すれば、景気刺激に効果があるといった経済モデルが当てはまりがよい。だが、30年代「大恐慌」や今回の「世界同時不況」そしておそらくは日本のバブル崩壊後の長期停滞は、こうした軽い変動とは異なるメカニズムが働いている可能性があり、それに係わる要因も軽い景気変動とは異なっている可能性が強い。ところが、それらは、数十年に一度しか発生しないために、統計的には例外現象になってしまう。つまり、統計的には抽出できない現象なのである(実際、M.フリードマンは経済学が数学的手法に頼りすぎることを危惧し、自らは歴史的手法を重視していた)。

    現代マクロ経済学は、こうした大恐慌などを、専ら軽い景気変動を説明する彼らのモデルで十分説明できる(はず)と主張してきたし、統計的に「実証してきた」はずだった。だが、それは今回の世界同時不況で、役に立つようなレベルのものではないことが改めて明らかになったのである。

    経済学が発展していくためには、例外を排除する研究態度は修正されなければならない。

3 科学の進歩とは理論体系の統合=「大統一理論」の出現の積み重ね

    今の世界同時不況や日本の長期停滞の説明は、需要を重視するケインズ系の経済理論が妥当する可能性が高い。しかし、このように状況に応じて適用すべき理論体系を取り替えることで終わりだと考えるべきではない

    自然科学では、こうした例外的事象を契機に理論体系の統合が行われ、まったく新しい包括的な統一的な理論体系が出現してきたのである。それを「統一理論」という。
    例えば、ニュートン力学は、ケプラーによって発見された「惑星の軌道が太陽を中心とする円軌道ではなく楕円軌道だった」という現象を説明するために、当時はまったく別の現象と考えられていた「ガリレイの落体の法則」と、「ケプラーの惑星運動の法則」を統合することで出現した大「統一理論」なのである。
         注)落体の法則は放物線軌道であり、惑星運動の法則は楕円軌道なので、幾何学的に見るとまったく別のもの
              に見える。実際、当時は、まったく別の、異質の現象であり、異なるメカニズムと見られていた。
                  ニュートンは、これに距離の2乗に比例する「重力」概念を導入することで、まず惑星運動の楕円軌道を導
              き、次いで落体の法則の放物線軌道が、重力一定(地球表面上では、地球の中心との距離がほぼ一定)とい
              う条件下での重力法則の近似であることを明らかにした(落体の法則は正確には放物線軌道ではなく、楕円
              軌道で説明すべきで、放物線は近似にすぎない)。

    また、アインシュタインの一般相対性理論も、慣性力と重力を結びつけ統合した理論体系と言える。これも統一理論なのである。

    自然科学の発展メカニズムに従えば、経済学でも、供給不足下と需要不足下の経済を等しく扱える理論体系が生まれるべきなのである。それは、供給側だけのメカニズムで経済を捉える経済学(新古典派系)でも、需要側だけのメカニズムで経済を捉える経済学(ケインズ系?)でもなく、その双方のメカニズムを整合的に取り込んだ経済学理論になるはずだ。

    しかし、過去30年、現代マクロ経済学は、統一理論を志向するのではなく、一方の(需要側の)メカニズムを排除し、根本的にはすべてをサプライサイドで説明できるとする前提(方向)で研究が続けられ、まさに「天動説」の周転円に周転円を重ねるような研究が続けられてきた可能性があると考える。

 注)ニューケインジアンは、RBC理論に「需要不足」を導入したが、その需要不足の原因としては、主に
       「価格の硬直性」が考えられている。しかし、それは供給者側の価格設定の問題であるから、やはり結局は
       サプライサイドの問題を扱っているのである。

  (以上の議論の詳細は、拙著重不況の経済学の末尾の『補論 フリードマン対ガリレオ』参照)

2011年7月12日火曜日

財政出動論17 財政出動と抑制の30年史概観

    この頁をベースの一つとして新著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論。平成25年10月10日刊。 →→紹介ver.2紹介ver.1アマゾンを出版しました。

    これまでの「財政出動論4(橋本財政改革が生み出した恒常的な財政赤字」では、橋本財政改革の影響について整理し、「◎日本で、これまで散々公共事業をやってきたのに駄目だったのはなぜ?」でも、公共事業による財政出動にふれた。さらに「財政出動論2(なぜ財政出動論?)」「財政出動論1 デフレ脱却に対する財政出動の有効性」などで、財政出動論について述べてきた。  ・・・その他《このブログ全体の目次

    ここでは、あらためて、均衡財政主義(ないしは財政出動の縮小)が経済成長に与える影響を過去30年ほどの日本経済の動向から、簡単に見てみる。

 24.5.22国債関連修正  24.1.12(オリンパス事件追記) 23.11.21わずかに改訂(輸出関連1行) 23.9.8(バブル期関連グラフ追加等)改訂   23.7.16、7.23(プラザ合意関連)改訂 23.8.23(名目GDP関連)改訂  

   (結論をあらかじめ述べれば、バブル期を除くと、急速な財政緊縮政策が取られた時期には常に(若干遅れながら)景気後退期が現れていることが分かる。
   なお、29.6.14に今更ながら「財政出動論17 90年代の「財政出動効果低下」論の顛末」を書きました。)

 下の図1は、1981年から2008年までの各年のGDP実質成長率に対する寄与を、「公的需要」、「民間需要」、「純輸出」の3つに分解したものである(公的需要は公共投資や政府最終消費支出など。民間需要は民間最終消費支出、設備投資、住宅投資。純輸出=輸出ー輸入)。
 図1
データ出所:内閣府

1 ここでの考え方と民間需要

 まず、民間需要については、その寄与の変動の大きさが概ね好景気・不景気を表していると考えてもよいだろう。(そこで)ここでは「民間需要を受動的な存在と捉え、(それに対して)純輸出公的需要(財政出動)(能動的に)民間需要に与える影響状況を考える」という枠組みで見てみよう。
  注1)ただし、90年代初頭のバブル崩壊期は、民間需要自体の(バブル崩壊に伴って
              生じた急速な)縮小(具体的には民間設備投資の縮小)によって不景気(景気後
              退)が生じているので、 この枠組みとは少し外れる部分がある点に注意して解
              する必要がある。
  注2)もちろん、注1)のバブル期のように、民間需要は民間需要で独自の要因で動い
              ているが、ここでは純輸出と公的需要の影響を見るために、このように考える
              のである。
  注3)この視点は、言うまでもなく供給側からではなく、需要側の観点で見ることに
               なる。この需要の観点か「貯蓄」と需要の関係をセイ法則にしたがって整理
               し、気対策の効果を検討し ているのが、「財15 財政赤字問題の基
               礎=貯蓄問題」である。そこでは、景気対として現実に有効性が高いのは、
               純出を促進するための「輸出立国政策」と「政府の政出動」だと整理して
               いる(中段あたり)
       ここは、その観点を引き継いでいる。

 なお、こうした観点は現実的でもある。民間需要は直接に政策で動かすことが困難なのに対して、公的需要は財政出動の形で直接的に総需要に影響を与えることができるし、純輸出は金融政策や為替政策(また、それらを含めた「輸出立国政策」)を通じて一定程度コントロールすることができるからだ。

 つまり、こうした視点の検討は、現実の政策選択の際の参考になる。

2 純輸出

    話の中心は、次の「3 公的需要」だが、その前に「純輸出」の状況を見てみよう。純輸出(純輸出=輸出ー輸入)の増加は、国内供給者にとって市場が拡大することを意味し、縮小は市場が縮小することを意味する。いわゆる外需である。国内供給者は、それに応じて生産の拡大縮小を行うから、それに応じて雇用や原材料、中間財の需要が増減し、内需分野に波及していく。また、外需関連企業は、外需の増減の見通しにしたがって設備投資を増減する。設備投資は生産財生産企業にとっての需要であるから、それを通じて内需にも波及していく。

 プラザ合意からバブル期にかけての純輸出の寄与は、マイナスである(図1の)。これはプラザ合意を契機とした円高の進行で輸入が増加したことによる(輸出の減少は比較的小さい)。輸入の増加は、バブルによる資産効果で消費が拡大した影響もあるだろう。
 このうち特に1986年の落ち込みを見ると、輸出は前年の29.4兆円が28.2兆円(2000暦年連鎖価格)に減少し、輸入の19.3兆円が20.6兆円に増加した結果、国内産業から見た需要は、合わせて2.5兆円の縮小となった。これに対して政府(中央・地方等)の財政支出は前年比で3.3兆円の増加だった。これによって1987年の民間需要成長率は急回復している。

 また、バブル期にマイナスだった純輸出の寄与は、バブル崩壊後プラスに転じている(図1の)。これは、バブル崩壊に伴う国内需要の縮小で輸入が減少したためと考えられる。

 つぎに2000年代に入ると、純輸出の寄与が継続的に生じたことがわかる(図1の)。このうち、2001年のマイナス(図1のは主に米国のITバブルの崩壊や2001年9月11日の同時多発テロに伴う米国の深刻な景気後退の影響が考えられる(なお、当時、為替は円安の方向に動いていた)。
 全般に2000年代は、米国のバブル景気とドル高政策(=貿易赤字許容政策)によって東アジアから米国への輸出が拡大し、それに伴って日本の東アジアや米国への輸出が拡大した。
 2008年(図1のは、言うまでもなくリーマンショック後の世界同時不況の影響である。
  注)ただし、ここでは実質GDPで見ている。実は、これを名目GDPで見ると、
            2000年代の出の寄については疑問符がつく。これは、「実質」では交易
           利得のが折り込まれないためだ。交易利得の変動は常にあるのだが、特に
            2004,2005年以降、国際投機資金の原油市場への流入で原油価格が高騰し、こ
           が、原油輸入を通じて我が国の交易利得に無視し得ない大きな影響を与えたので
           ある。
               しかし、これとは別に、当時の「実感なき景気回復」が輸出とは無関係である
           という理解は、新聞報道等に見られた当時の景気回復に係わる(当時の」)認
            識とはずれがあうに見える。

    そこで、GDP成長に対する厳密な外需の寄与という観点ではなく、輸出産業
            がGDP成長に寄与しなかったのかどうかという観点で見てみよう。 
    このために、まず輸出の状況を見てみる。名目「純輸出」を出」と輸入に
            て「輸出」の推移をみると、下の図(図2)のようになる
                 目すべきは、2000年代における輸出のコスタントな成長である。2002
            年から 2007年という6年にわたり、輸出は毎年10%前後の高い成長を続けて
            る。れほど長期にわたって輸出が高い伸びを続けたのは、 1990年以降では
            はじめてる。
             (例えば5%以上の伸びの年次をみると、90年代後半が96,97の2年に過ぎないの
             に対して、2000年代では上記のように6年間)

    日本の輸出関連産業は、こうしたコンスタントな輸出の高い伸びを前提に、
            係わる生産設備の設投資を活発化させ、それ(設備投資)が需要を押上げ
            当時の長期の成長(いわゆ「実感なき景気回復」)に寄与したと考えられる。

                 実際に、これを経済産業省の「企業金融調査」(設備投資調査)の主要業種
            設備投資動」の2005年度の対前年度伸び率で見ると、非製造業の4.0%に対
            して製造業が16.7%、製造業のうち、加工組立13.2%に対して基礎素材が20.7
            %である。基礎素材では、鉄鋼35.4%、非鉄金属24.0%などである。これは、当
            時の新聞報道などで、中国などへの輸出で基礎素材型産業が息を吹き返したとさ
            れたことと整合的だ。一方、加工組立でも一般機械28.3%、自動車22.3%と、
            出関連業種が高い伸びを示している。

    つまり、需要項目としての「外需(純輸出)」が直接、経済成長に寄与したと
            言えないとしても日本の当時の経済成長は、輸出関連企の「設備投資」(
            これ自体は内需にカウントされる)が牽引したと考えられるのである(なお、主
            項目の中で、当時の名目GDP成長(2004〜2007年度)への寄与度最大項目
            は民間設備投資だった)。また、リーマンショックによる輸出の急減に応じて、
            設備投資も急減している。
               つまり、この時期に経済を牽引した「設備投資の増加」は、輸出という現実の
            上増加があってはじめて実現したのである。設備投資を増加させるには、現実
            売上が増加する必要がある可能性が強い・・・特に今の(重不況下の)日本では。
    図2

データ出所:財務省国際収支状況
3 公的需要

 次に、公的需要つまり政府財政(財政出動)の影響を見てみよう。政府の活動を、支出ベースで見ると、GDPの4分の1弱を占めている(なお、これは国際的には特段高いわけではない。政府支出の規模はOECD加盟31か国の中で5,6番目に小さい。この意味で国際的には日本は「小さな政府」の部類に入る)。しかし、純輸出がGDPのせいぜい数%であることに比べればその影響が極めて大きいことがわかる。

(1)中曽根緊縮財政
 中曽根改革期の1986年の景気後退は、通常はプラザ合意の影響(円高)と理解されているが、その前に財政緊縮期があったことが改めて再確認できる。
中曽根内閣は、当初田中派の強い影響下で成立したが(「田中曽根」内閣とも揶揄された)、徐々に自立性を強め、1984年から1985年にかけて「小さな政府」を指向し財政の緊縮化を志向したのである(図1の

 この1986年の景気後退とプラザ合意に伴う円高の影響との関連を見てみよう。そもそもプラザ合意は1985年9月22日である。また、その影響が経済に生ずるにしてもすぐにではないはずである。ところが、景気は、プラザ合意の3か月前の1985年6月(85年の第2四半期)にはすでにピークアウトし、景気後退期に入っている(内閣府景気基準日付)。したがって、景気後退期入りの原因は、プラザ合意関連ではあり得ないのである。やはり、この(景気後退期入りの)原因としては、財政緊縮政策の影響小さくなかった可能性が強い(もちろん、プラザ合意は、それ以後の景気後退に大きな影響を与えたことは間違いないだろう)。

(2)バブル期
 その後、中曽根内閣とその後継政権は、プラザ合意(に伴って生じた円高対策)を理由に景気対策のための積極財政に舵を切る(図1の)と共に、大幅な金融緩和政策を継続したため、株式や土地などの資産市場に資金が流入し、バブル経済が作り出された。
    また、ここで、図1のにみるように、この時期には、公的需要つまり財政出動は、常にプラスが維持され続け、これもバブルの形成に寄与したと考えられる。しかし、にもかかわらず、この間税収の増加によって「財政収支は改善を続けた」のである。次の図3のように、一般政府(国+地方)のプライマリーバランスは(この時期の財政出動の継続にもかかわらず)1986〜1991の間、黒字を維持し続けた。
 図3
図の出所:平成12年経済財政白書

(3)バブル崩壊対策としての財政出動(宮沢内閣)
 バブル崩壊後は、直ちにその対策として、積極的な財政出動(図1の)が行われた。しかし、実際の出動規模を見ると、大きいと言えるのは1992、93年と95年の3か年しかない。このうち92、93年は、民間需要の落ち込みを相殺し、見事に景気を支えた。宮沢内閣の貢献は大変大きかったと考える。また、95年は95年1月に発生した阪神淡路大震災の復興予算の影響が大きい。これも日本経済にプラスの影響があった。
        注)なお、今回の東北大震災の復興のための財政出動でも同様の効果が期待される
            が、その財源を直ちにその年の増税でまかなえば、国債発行の場合と異なり、支
            出するつもりの家計等の資金も吸収されるため、その分、民間需要が縮小して、
            としての経済効果は小さくなる。財源を国債(復興債など)でまかなえば、
            裕資金が吸収されること、またGDPギャップのために需要として使われない
            金が市中に存在するため(「財政出動論22 貨幣流通速度と不況期資金余
            剰」参照)、財政出動の増加額はフルに需要増加に貢献する。
                将来の国債償還期間中、財源を増税に求める場合、元々支出予定の資金も強制
            的に徴税されるため、消費等に影響する。その分民間需要にはマイナスになる。
                したがって、償還期間をできるだけ長くして毎年の償還額を薄くすべきであ
             る。復興で形成されたインフラは、今後数十年間使い続けられるのだから、国債
             の償還期間を長くすることには十分な合理性がある。    24.5.22修正

(財政出動に関する誤解)
 大規模な財政出動は3年しかなかったが、マスコミや国民は、日本はずっと長期にわたって大規模な財政出動を続けてきたと思い込んだ
 これは、政治家は、積極的な対策をとっていることをアピールするために「大規模な財政出動を行うと宣言したいし、財務省(大蔵省)は、「すでに十分大規模な財政出動予算を組んだからこれ以上の財政出動は無理だ」と印象づけたいために、やはり「大規模な財政出動」をアピールしてきたためだ。また、そもそも、政府が大規模な対策を行うという印象を企業に植え付けることができれば、企業のマインドも多少は改善するはずで、それには景気対策としての効果もあるのだから、あながち否定もできない。

 こうした様々な意図に応じて財政出動の規模をなるべく大きく見せるために、既存の予算を「経済対策予算」に大量に潜り込ませるといったことは(日常的に)普通に行われていることだ。だから、本当の景気対策として増額された予算つまり「真水」の規模が小さい「大規模経済対策予算」は、それほど珍しくもない。これは、国、地方を問わず行政に多少なりとも係わった者は誰でも常識的に知っていることである。

 貞廣彰『戦後日本のマクロ経済分析』(2005)は、1990年代の景気対策を分析し(pp.195-201)、その中で「1992年8月から99年11月までの合計9回にわたる景気対策に盛り込まれた公共投資の合計は約56兆円に上るが、GDP統計における政府固定資本形成の92年度から99年度までの増加分はわずか5.9兆円であり、両者の乖離はきわめて大きい。景気が一時的に回復した96年と97年の前半を除くと、2000年度までは切れ目のない景気対策が発動されたにもかかわらず、実績としての公共投資の前年比は92年度、93年度、95年度の3年しかプラスになっておらず、現実の公共投資の前年からの増分は90年代後半ではマイナスになっているのである」と整理している(p.197)。

 しかし、実情を知らずに政府発表を単純に見てきたマスコミ、国民や学者には、財政出動が大規模かつ継続的に行われたにもかかわらず、それには効果がなかったという認識が共有されていった。その結果、需要側の対策には効果がなく、日本に必要なのは供給側の効率化だという「構造改革路線」が支持を集めていったのである。

(バランスシート不況)
 実際は、上記の3年の財政出動にも効果がないように見えたのは、リチャード・クーのいう「バランスシート不況」のメカニズムによると考えられる。バブル崩壊で保有資産の価値が激減した企業は、バランスシート(貸借対照表)上の資産価値の縮小に伴って、それに合った規模まで負債を早急に圧縮する必要に迫られたから、企業は得られた利益などのキャッシュフローを(設備投資ではなく)もっぱら借入金の返済に回し続けた。このめに、日本経済全体の設備投資が中期的に縮小し需要が縮小したままになったのである。
   注)リチャード・クーが長期停滞の原因論として提唱した「バランスシート不況
                論」は、当初、国内では構造改革支持が主流だった学界、マスコミからトンデ
                モ扱いされたが、特にリーマンショック対策のための大規模な財政出動の検討
               に重要な知見を提供するものとして(中国語版や英語版が出版された)
               中国で高い評価を得て(その評価が、わが国に) 逆輸入された。

 当時、企業は、大量の不良資産を保有していることを知られれば、融資を受けることが困難になり倒産の危機に直面するから、出来る限り不良資産を隠したのである。だから、不良資産を隠すために、当時は広い意味の粉飾が広範囲に行われていたと考えられる(注)。企業は、公表されたバランスシート上は何も問題がないように装いながら、裏では、必死にキャッシュフローをつぎ込んで負債の圧縮と不良資産の処分を(密かに)続けていたのである。設備投資が減少したままになるのも当然である。
            注)図らずも、2011年にオリンパスの巨額損失隠し事件が発覚したが、
                こうしたことは、90年代には広範に行われていたと考える。2012.1.12追記

 「バランスシート問題の影響はあったが、それほど大きなものではなかった」という分析もあるが(上記の貞廣彰「戦後日本のマクロ経済分析」(2005))、公表されている企業のバランスシートや税務統計を使っても、バランスシート不況メカニズムの真の影響は必ずしも把握できない。

(4)橋本財政改革
 橋本財政改革は、当然財政出動の縮減(図1のを目的に行われ、それに続いて97年度、98年度と民間需要は大規模に落ち込んだのである。
    グラフから明らかなように、実質GDP成長率がマイナスになったのは、バブル崩壊直後は1993年の1年のみなのに対して、橋本改革後のマイナスは2年間で、しかもマイナスの程度が大きい。
    この原因としては、環境の違いもある可能性はあるが、少なくともグラフからは公的需要の寄与の水準がまったく異なることがわかるだろう。バブル崩壊直後は、景気対策として比較的大規模な公共事業などが行われたが、橋本改革後の不況では(政府需要の増加を伴うという意味での)財政出動は大して行われなかったのである。
    その代わりに大規模な減税が行われた。そもそも減税が景気に与える影響は公共事業には劣る。消費に使われずに貯蓄に積み増される部分が少なくないからだ。非効率とはいえ、効果はあったはずである。
    なお、このときの減税が、今日の財政赤字の重要な原因の一つになっていると考える(これ以外の重要な赤字原因は、①不況の継続、かなり落ちて②社会保障負担の増加。ほかに「政府の無駄」もあるが、それは他の国(例えばOECD諸国平均)よりもかなり少ないと思う)。減税は、景気対策としては景気刺激の効果が相対的に小さい上に、その後の財政に悪影響を与えるという点で、よい選択とは思えない。
    橋本改革については財政出動論4(橋本財政改革が生み出した恒常的な財政赤字」で論じたので、以下は省略する。

  注)ちなみに、議論の根拠にできるようなレベルの話ではないのだが、直近の「週刊ポスト」 2011年 7月22・29日合併特大号の「覆面官僚座談会『管の暴走/官の暴走』」に次のよう にある。 
司会 ・・・増税すれば税収は減り、財政危機が深まるというのが財政学の常識だ
/財務 橋本内閣後税収減はアジア通貨危機という別の事情があった
/総務C そんな説明をここでするの?僕らを新聞と一緒にしないでよ。橋本増税で税収が減ったと批判された時、財務省は省内で対策会議を開いた。そこで出てきた結論が、「アジア危機のせいにしておこう」というもの。その会議に加わっていたBさの先輩に「根拠を示してくれ」といったら、「本当は通貨危機の影響は関係ないんだ」と舌を出した。頃そんな方便を信じるのは与謝野さんくらいですよ。
/財務B 消費税は所得税、法人税といった直接に比べて景気変動による税収のブレが小さい。少子高齢化で成長が見込めない社会で、安定財源として重要度が増している。これはわが省だけの意見ではない。
/経産A あえて「Bさんが」とはいわないが、財務省では「増税は手柄」という社風があることは事実だ。
/総務C 「税収」が上がっても財務官僚の評にはならない。"景気が回復したんでしょ"といわれてしまうからね。しかし、「税率」を上れば、わりやすい業績になる。そうでしょ?
/財務B 答えません。でも、ここで費税率の引き上げが実現ば、レールを敷いてきた勝栄二郎・次官の将来は安泰になるでしょう。砂靖・主計局長と古屋一之主税局長の同期コンビも高い評価を得る。それは認めます。」
   まあ、ホントかウソか分からない話ではあり、ホントとしてもそれが妥当かどうかはまた別の話ではあるが。

(5)97,98年不況(橋本不況?)からの回復期(橋本内閣、小渕内閣)
    橋本改革時の急速な景気後退を受けて、橋本内閣では急遽経済対策として、98、99の両年度にかけて減税を含む財政出動を行った(図1の)。この結果、99、2000年と景気は回復を示した。

(6)2000、2001年(小渕内閣、森内閣、(小泉内閣))
    しかし、99年からの回復状況を見て、2000年には、財政出動額を縮小したため(図1の)、2001年には景気は再び後退した(通常、この時期の景気後退は、外需の減少に見るように米国ITバブルの崩壊が原因と考えられているが、財政出動縮小の影響も少なくなかった)。

(7)小泉構造改革
 小泉政権期(2001年4月〜2006年9月)は、橋本財政改革の経験を踏まえて、「急速な」財政均衡を目指す政策は取られなかったが、常に財政均衡を目指す政策は取られ続けた。具体的には、骨太の方針などで、赤字国債30兆円などを目標に縮小することや、プライマリーバランスの達成などが目指された。

 したがって、グラフからも明らかなように、財政出動は常に抑制的に運営された(図1の)。それを外需の拡大(純輸出の拡大(前掲の図1の))が補ったのである。純輸出の増大や、それに伴う輸出向け産業の設備投資の波及で経済が持ち直し税収が増えると、その分は常に国債発行の縮減に使われたから、グラフのように、財政出動の景気への寄与は常にマイナスのまま維持された。景気回復が「実感なき」回復に止まったのも当然ある。

4 以上から

 バブル崩壊期を除けば、景気後退期ないしは景気低迷期には、常に先行または並行して政府財政(公的需要)の寄与がマイナス(財政出動の抑制)の時期があったことがわかる。
        注)なお、バブル崩壊後のバランスシート不況の影響期(長さ?)を除けば、景気
            復期と財政出動もある程度は連動性があるとも言えるが、このレベルの検討で
            は、その回復が財政出動の効果かどうかは何とも言えない。というのは、一般に
            財政出動は不況期に行われるのが常であり、たまたま回復期に財政出動の時期が
            重なっただけかもしれないからだ(財政出動にはもちろんタイムラグがあるので
            )。もっとも、こうしたことは言うまでもなく財政出動の効果を否定する材料
           はない。

(関連)
①財政出動の意義については「財政出動論15(財政赤字問題の基礎=貯蓄問題)
と「財政出動論12(財政出動とリカードの公債中立命題)」参照
②財政出動の続可能性については
財政出動論7(財政赤字・政府累積債務の持続可能性)参照




===
◎最後に、もし、この内容に係わる何かについて(特にペーパーに)書かれる場合は、参照文献として拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』(新評論、2013)を上げていていたければ幸甚です(なお、このページだけでなく、このブログの「New Economic Thinking(新しい経済学)シリーズ」に書かれていることは、ほぼこの本に書かれています。また、「財政出動論シリーズ」に書かれていることの大半も同様です)。