2011年8月10日水曜日

財政出動論19 流動性の罠と資金需給、国債金利

 ここでは、『流動性の罠』と資金需給の関係を考え、それに基づいて、流動性の罠の下(あるいはそれに準ずる重不況下)での国債消化資金の問題を考える。
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1 流動性の罠

(1)流動性の罠とは
    近年の景気対策は、財政政策の有効性を否定する立場や政府の累積債務を心配する立場から、金融政策が重視されている。これは、金融緩和によって利子率を下げ(つまり投資する際の資金コストを引き下げ)、設備投資や住宅投資を刺激するという政策だ。

    しかし、利子率引き下げの効果が十分でないまま金利を政策的に下げ続けると、(名目金利はゼロ以下にはならないので)ついには金利引き下げの限界に達する。となると、金融政策は有効性を失う。これが「流動性の罠」である。

    このとき、債券保有で受け取る名目利子率はほぼゼロであるから、債券保有と貨幣保有の差がほとんどなくなり「投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する。(すると)マネーサプライをいくら増やしても、もはや金利は引き下がらず、民間投資や消費を刺激することが出来なくなるため、将来への期待に対する働きかけを除いて通常の金融政策は効力を喪失する反面、クラウディングアウトは発生せず、財政政策の有効性は高まる」というwikipedia)。

(2)流動性の罠の理解
 「投機的動機に基づく貨幣需要が貨幣供給に応じて無限に増大する」とは、貨幣供給の増加によって利子率がわずかに低下するだけで貨幣需要が大きく(無限に)増大することを意味する。
 しかし、これは状況を説明はしているが、メカニズムの説明には不十分に見えるかもしれない。少しわかりにくいので、もう少し考えてみよう。資金の供給サイドと資金の需要側の2つの視点から考えよう。

 ① (通常の)資金の供給サイドから
 利子率が低下し続け、ある限度を超えて低くなる場合を考えよう。そもそも、お金を貸出・投資する側は、2つのマイナスを負担する必要がある。第1は、お金が必要なときにいつでも使えない不便である。第2は、貸したり投資したりしたお金が返ってこないかもしれないというリスク(貸倒れリスク)である。

 利子は、こうした2つ(不便やリスク)を引き受ける代償・代価として受け取れるのだと考えよう。お金を運用する経済主体は、このように、第1と第2の大きさ利子率の高さを比較考量して、投資・貸出を決定する。・・・利子率が十分高ければ、お金を積極的に貸したり投資したりするインセンティブが強まるが、低ければ、それは低下する。
 そこで、お金が「返ってこないリスク」と利子率の大きさを比較する(つまり)と、利子率の低下にしたがって、利子率よりも「貸倒れリスク」等に耐えなければならない負担の方が大きいと考える人(経済主体)が増加していくだろう。

 この結果、債券を持つリスクの方が高いと感じる経済主体が増えると、そうした人たちは他の経済主体に貸して(債券として保有し)利子を受け取るよりも、貨幣のまま保有しようとするようになり、いくら貨幣供給を増やしても、お金は貨幣のまま退蔵され(貨幣需要の増大である)、貸出は増えないことになる。

 以上から、流動性の罠の原因は次の2つだと考えることができるだろう。

《利子率の低下》
 第一は、「利子率の低下である。それによって得られる利子が低くなり、貸し手は、その利子率は貸倒れリスク等に見合わないと考えるために、貨幣のままでの保有が増える。

《リスク要因》
 第二は、「リスクの増大という環境変化である。経済が不況となり、お金を貸す相手の売上が平均的に不振となったり、売上の回収リスクが高まったり、さらにはそれに伴って倒産の確率が高まったりで、不況下では貸倒れリスクが全般的に(平均的に)上昇する。このときには、利子率がゼロ近傍というほど低くなくても、貨幣選好が上昇する。この結果、投資の利子弾力性が低下し(利子率が下がっても以前ほど投資が増えないようになり)、金融緩和政策の景気刺激効果は(小さく)なってしまう。

 なお、ここで第一の原因と第二の原因の関係を見ると、(第二の原因の)リスク増大の認識が、国債などの安全資産(元々金利が低い)に対する需要を増やし、それはますます安全資産の利子率を引き下げる(これは利子率《=魅力》が低くなっても買ってもらえるということだから、安全資産側の価値・価格が高くなるということ)という関係があることがわかる。そして、その結果として(第一の原因に係わる)長期金利の低下が生じるという因果関係が見られる。
 貸倒れリスクが増大すると(利子を下げてもなかなか投資が増えない・・・つまり投資の利子弾力性が低下するから)、金利を引下げる政策をとっても、投資は盛り上がらなくなる。そして、利子率引下げによる投資促進効果は順次低下して、利子率の引下げに投資が反応しなくなり、ついには、引き下げの限度に達してしまう(これが、流動性の罠というわけである)。
 以上のように「第二(リスク増大)→第一(金利低下)」という因果関係があるのに対して、逆の方向の「(第一の)長期金利の低下が(第二の)リスク増大の認識を引き起こす」という因果関係は通常は考えにくい

 このように考えると(資金の供給側から見れば)、流動性の罠の本質的な原因は、リスクの増大」にあるのであり、名目利子率の低下やその非負制約といった問題は2次的要因ないしは技術的な要因なのである。したがって、非負制約を解消するための負の名目利子率や税などの対策論は、流動性の罠という状況の根本的な解決策ではあり得ないもっとも、効果はないとも言えない。ただし、その効果は流動性の罠にかかる人々のリスク認識の強さに依存する。不況の程度が大きいときや、長期にわたって停滞が続いている場合のように、企業や家計のリスク重視の姿勢が強いときには、そうした政策はよほど徹底的な者でない限り効かないだろう。

 ② 資金の需要サイドから
 ①は、貸出側だけをみていて、流動性の罠の説明は通常はこれで終わりだ。というのは、経済学では、基本的に、金融機関以外の一般企業は常に収益最大化を追究する存在であると仮定されているからだ(収益最大化原理)。この収益最大化のために、「企業には常に強い投資意欲があり、資金需要も常に高い」と考えられている。だから、企業の投資の変動を規定するのは資金を貸し出したり投資したりする側の金融機関や投資家側の考え方・態度だと考えられている。しかし、これは仮定である。
 この、企業が収益最大化を常に追究する存在だとの仮定は、経済学者には当然のことだと考えられ、仮定にすぎないということさえ忘れられている

 だが、一般企業も金融機関や投資家と同様に独自の経営判断を行い、自ら投資を抑制することは当然あり得ることだ。巨額の投資を行ったにもかかわらず、売上が予想を下回れば倒産の危機に直面する。企業の経営判断が慎重であるのは当然だろう。そして、実際問題として、それは判断時点での景気の見通しに大きく左右される。

 《利子率は投資判断メカニズムの一要素にすぎない》
 具体的には、企業は、どのように投資判断を行うだろうか。それは(企業が合理的に判断を行うなら)、その投資に基づいて生じる一定期間内の総収入から、その投資に係わる総コストを差し引いたものがプラスかどうかが基準となるだろう。つまり、企業の設備投資の決定は、当該投資によって得られる「総収入ー総コスト」を見て、「総収入ー総コスト>0」の場合に投資が決定されると考えられる。
 ここで、総収入は、想定する一定期間内の収入見通しの合計である。しかし、これは、未来の収入なので、確定値ではない。既存の様々な情報を組み合わせて予測される期待値である。一方、総コストは、初期投資に加えて、想定する期間内に使われる運営費(ランニングコスト)を含む。
 こうした観点からすれば、利子率は、その総コストの一部である資金調達コストであり、総コストの一部に過ぎない。
 しかし、総収入や利子率以外の様々なコスト要因は企業毎の個別事情によって左右されるから、多数の個別企業を集約した一国経済で見ると、通常は(特に軽微な景気変動下では)互いに相殺され全体に影響を及ぼさない。
 このために、軽微な景気変動下では、「利子率」の変動が、多様な企業の投資判断に斉一的な影響を与えるために、「利子率」があたかもすべてを決定しているように見える(しかし、それは軽微な景気変動下では他の要因が互いに相殺されているために過ぎない)。

《売上見通しの斉一的低下》
 ところが、特に、大恐慌や日本の長期停滞といった「重不況」下では、総収入の予測の重要な根拠の一つとなる売上の将来見通しが多数の企業で斉一的に低下する。それまでは企業ごとに様々だったものが斉一的に低下するために、この変化は「相殺されない」。したがって、これが突如、企業の投資決定の要因として重要になり、「利子率」の影響力は吹っ飛んでしまう。これが、利子率引下げの設備投資刺激効果を低め(つまり、投資の利子弾力性を低下させ)、その結果として、流動性の罠という状況が生じると考えられる。
 こうした観点から見れば、流動性の罠とは、利子率の影響力が低下している状態であるというだけでなく、むしろ投資変動の重要な原因が利子率から他の要因(売上の将来見通し)に変化(移行)していることを示す。

 《リスク最小化原理》
 一方、企業が売上の将来見通しを行う際の判断の基準も変化する可能性が高い。重い不況(重不況)下では、企業は、リスクをより重視するようになると考えられる。
 これは、経済学の常識である企業の収益最大化志向(「収益最大化原理」)と対立する、もう一つのメカニズムが存在することを意味する。すなわち、リスク最少化志向(『リスク最少化原理』)である。軽微な景気変動下では、この2つの原理のうち収益最大化原理が優越しているが、一旦重不況になると、企業はリスク最少化を斉一的に重視するようになり、同一の売上見通しに対しても、よりリスクの最小化を重視するようになる。その結果、重不況下にある国の企業は斉一的に投資を抑制し続けるようになる。
  注)以上は、拙著『重不況の経済学』第3章(第1節の後半)で述べていることだ。
   ただし、そこでは「流動性の罠」と絡めた説明は行っていない。

(3)「流動性の罠」下で新たに重要となる要因は「流動性の罠」の枠組みの外にある
 『流動性の罠」への対処方法を理解するには、その状況下で経済がどのような要因に支配されているかを知る必要がある。
 問題は、流動性の罠も、IS−LMモデルも十分に有効な枠組みとは言えないことだ。
ケインズの「流動性の罠」は、利子率が重要な要因だとする観点から、名目利子率を操作する金融政策が効かないという衝撃的な状況の可能性を説明しているだけである(言い換えると、それは、その状況下では単に利子率が「効かないということ」を説明しているだけである)。そして、それは、その後のケインズ経済学発展の基礎となったIS−LMモデルでも同様である。IS−LMモデルも利子率に大きく依存しているのである。

 重要な点は、『流動性の罠』の状況では、利子率が要因として影響を失う一方で、別の要因が経済変動を説明する要因として影響力を増していること。そして、流動性の罠やIS−LMモデルでは、その新たに重要となった要因について、わずかに推測する程度のことしか言えないということである。それは、その『別の要因』がそれらのモデルの枠外にあるから。・・・「流動性の罠」やIS−LMモデルは、それが利子率に多くを依存しているために、「その」状況の理解の枠組みとしては一定の限界がある

2 流動性の罠と国債金利の低下

《欧米日各国の財政不安にもかかわらず資金は国債に集中》
    平成23年8月3日付け日経の一面トップは、「長期金利、日米独で低下、財政不安でも国債に資金、世界経済の減速懸念という見出しの記事であり、記事(のリード)は「深刻な債務問題を抱えているにもかかわらず、日米独の国債が買われ、長期金利が急低下している。市場が世界経済の減速懸念を強めているためで、いずれも昨年11月の水準に下がった。株式などに投資されていたリスク資金が急速に縮小し、投資家の安全志向が強まっている。」で始まる。こうした状況は、8月5日のS&Pによる米国債格付け引下げ後も変わっていない。・・・23.8.10時点。

 この記事は『国債』がターゲットになっており、資金がリスクの低い国債に流れ込んでいるために、長期金利(国債金利)が低下しているとの解釈を伝えているわけだ。

 資金運用者からみた「リスク」の高さを、高い順に見ると(条件次第で前後するかもしれないが)、おおむね「株式>社債・融資>(預金)>国債>現金貨幣」くらいの順だろう。上記記事が伝える現象は、市場のリスク懸念の増大の結果、様々な資金が全般に(この行列の中で)左側から右側方向へ移動していることを示している。

    こうした変動のメカニズムは、1の(2)で見た『流動性の罠』とリスクの関係に係わるメカニズムに強い関連があるように見える。
    すなわち、流動性の罠の下ないしはそれに準ずる状況下では、企業のリスク最少化志向の強まりと共に、投資が抑制される。すると、この投資抑制によって資金は余剰となる。余剰となった資金は、リスク最少化志向の影響により、よりリスクの小さい資産に移動する。それがリスクの低い国債金利の低下を生むと考えられるのである。

 《国債需要に対して国債の発行が少ないために国債の金利は低下する》
    このように、特に「重不況下」では、一般企業、金融機関(、家計)を問わず「収益最大化原理」の影響力が後退し、「リスク最少化原理」の影響力が優越するようになり、その結果として、資金は、(見通しの不確実な将来収入を低く見積もる結果)リスクの高い設備投資よりも、リスクの低い国債に流れると考えられるのである。そして、国債の供給(つまり国債増発額)が、国債の需要を下回るために国債価格は上昇(つまり国債金利は低下)することになる。言うまでもないことだが、国債金利の低下は、こうした状況下で、国債に対する需要が強いことを意味する。

3 不況、リスク最小化、国債消化資金の関係

 世界的に長期金利(国債金利と考えて良い)が低下しているが(日経)、これは、世界同時不況下でも、上記のメカニズムによって投資が抑制され(それは同時に総需要の不足を意味する)、そこで余った資金が、よりリスクの小さい国債等に流入しているために生じていると考えられる。
 安全資産方向へのシフトは、まずは国債に流入し、さらにリスク重視志向が強まればタンス預金(文字どおりの現金貨幣の保有)の増加に行き着くことになる。

 リスク最小化志向の視点これを見れば、それによって資金がリスク資産から安全資産に移動するということだが、他方、これを資金の過不足の視点で見れば、設備投資部門で過剰な資金(設備投資に使われない余剰資金)が流出し、それが国債部門で必要な国債消化資金になるというわけである。
 ちなみに、このような状況で、政府が財政出動の抑制を行えば、余剰資金は行き場を失い、それは貨幣流通速度の低下として現れることになると考えられる。

    では、そうした資金の安全資産つまり国債消化資金への流入は、民間経済活動にマイナスの影響を与えているのだろうか。・・・そうではない。日本の20年にわたる長期停滞下でも、クラウディングアウトの発生は報告されていない。流動性の罠ないしはそれに近い状態では、一般企業自身が設備投資を抑制しているのであるから、そもそも一般企業レベルで設備資金ニーズは低下しているのである。民間企業が資金不足になるわけではないのだ。
    注)実際、巨額の財政出動のあった時期を含む90年代から2000年代にかけて、一般に
        日本ではクラウディングアウトは観察されていない(例えば「景気循環学会・金森
        久雄編[2002]『ゼミナール 景気循環入門』東洋経済新報社」は、「90年代から
   2000年代初頭までは、「金利の上昇などのクラウディングアウト現象は起こってい
        ない」と述べている(217))。
            ちなみに、今回の世界同時不況では米国でも大規模な財政出動が行われたが、
        ウディングアウトは生じていないし、国債金利の上昇も生じていない
        (もっとも、大規模な金融緩和政策を取られていたということもあるのだが。)
            なお、本日(平成23年8月10日付け)のクルーグマンのブログ
                                                    "Dismal Thoughts" The Coscience of a Liberal でも・・・。

    こうした関係は偶然に生じていることではなくて、景気後退期(特に重不況期)には民間の資金ニーズは低下しているから、その低下の範囲で、国債発行による財政出動は常に可能なのである。
    逆に、国債で吸収した資金が政府の投資及び消費として使用され、民間設備投資の減少によって不足している総需要の維持に寄与するのであり、それは不可欠なことなのである。

  ・・・しかし、特に橋本財政改革期は、それが急激に抑制されたし(財政出動論4(橋本財政改革が生んだ恒常的な財政赤字)参照)、小泉構造改革期は、「急激な」財政出動抑制は行われなかったものの、プライマリーバランス論や国債30兆円目標などに基づいて恒常的に財政支出を抑制したため、景気の回復に伴う税収の増加は常にそのまま財政出動の削減(国債発行の縮減)に使われた。この結果、小泉構造改革期は、常に総需要の不足が続くことになったため、この時期の外需依存の景気回復は、長期にわたって「実感なき景気回復」に終わった。
                                ・・・(財政出動論17(財政出動と抑制の30年史概観)参照