2011年3月21日月曜日

危急の問題対応のためのマネジメントからみた組織論

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    23年3月11日(金)の大震災と津波災害を見ていて感じたこと。
    画面を見ていると壮絶です。そして、個々の人たちに目を移すと若い頃の数年間の仙台暮らしで知った朗らかな東北の人たちが、つらい現実に向き合っています。
    今は、一刻も早く東北の皆さんの元気が回復されることを祈ります。

    ここでは、この大事件に係わるマネジメントの問題を取り上げます。多少なりとも、今回の震災対応のお役に立つかもしれないと思うからです。仮に役に立たないとしても、一般的なせっぱつまった問題の解決に多少の参考になるかと思うからです。・・・ならないかもしれませんが。

1 問題状況=短時間で効果的かつ最善のマネジメントを行う必要がある状況
  複雑で大きな問題があり、しかもそれが生命の危険に係わるなどで、問題を短期間で解決せざるを得ないような危急のケースがある。今回の大震災の救援や、福島第一原発の震災・津波による問題などである。

    こうした危急の場合、その対応は、目の前の問題に集中されがちである。そしてその結果、それ以外の問題に対する認識や取り組みが視野の外になりがちである。それに気づかない状態が続くとそのうちのいくつかの問題が視野の外で大きくなって、突如問題が顕在化し、対応が後手に回ることが多い

   今回の大震災対応は全体として、適切に最善が尽くされていると考えるが、一部については、こうした問題が生じた可能性がある。

例1
    例えば、福島第一原発では、当初、対応にあたる各組織は当面の問題だった圧力容器内の温度上昇対策に専ら注力していたが、その一方ではその視野の外では使用済み燃料プールの温度上昇が起きていた。このため、後者のための対策、たとえば高所用消防車その他注水のための機器の手配、動員が多少後手になった可能性がある。
    注》もちろん、問題が認知され、対応が開始されれば、そのためのチームが作られ、
        対応がなされているはずである。

例2
    また、東北方面への主要道路に関して、大震災対応のための緊急車両のために、一般車両の高速道路利用を規制したことは適切なことだったと考えるが、燃料の輸送車も一般車両として規制されたため、燃料不足などの問題が生じた。

   こうしたとき、重要なのは、視野を外に広げる仕組みを持つことである
    もちろん、高い能力を持った視野の広い人材がいればよいと思うかもしれない。しかし、高い能力と視野があっても、眼前の危急の問題にとらわれてしまうことは避けられない。能力の高い人材も、その評価基準や価値観自体が眼前の問題が基準になってしまい、それ以外の問題は小さく評価されてしまう

    こうした問題への対応は、個人の能力に頼るのではなく組織・体制・制度で対応すべきだ(個人の能力に頼る対応はリスクが高すぎる)。こうした観点から第一次湾岸戦争の兵站・後方支援を担当したウィリアム・パゴニス中将の体験談を見てみよう。

2 ウィリアム・G・パゴニス『山・動く』1992
    この本は、1990年8月〜1991年にかけて行われた第一次湾岸戦争の後方支援司令部の活動を、その司令官だったパゴニス中将自身が描いたもので、危機管理、経営管理参考になるとして、当時高い評価を得た本である。私がこれまで読んできた本の中では、ベストテンに入るほど強い印象のあった書でもある(でもあります)。
    パゴニス,W.G.『山・動く』同文書院インターナショナル、1992・・・絶版ですが

    今回の大震災のプロセスを見ていて、この本のこと、その中で私が印象に強く残った点を思い出されたので、ここで紹介しよう(アマゾンの書評などには書かれていないことを書くことになると思います)。

(1)第一次湾岸戦争とは
    1990年8月2日に、サダム・フセイン治下のイラクが、突如クウェートに侵攻し、8月8日にはクウェートの併合を宣言した。このため、これを認めず、さらにイラクのサウジアラビアへの侵攻に対応するため、米国を中心とする多国籍軍が編成され、55万人の兵員、700万トンの物資、13万台の車両がサウジアラビアなどに急速に送り込まれ、1991年2月23日には、多国籍軍がクウェートの奪回に向けてイラクに侵攻し、イラク軍を圧倒した。
   注》世界は、サダム・フセイン政権が打倒されるものと考えたが、当時の米国の
       ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(いわゆるパパ・ブッシュ)は、イラクの
      クウェート侵攻前の状態を回復後(開戦から100時間後)に一方的に停戦を宣言
      して戦争は終了した。
          専制的なサダム・フセイン政権は、この敗北で内部から倒れるとも思われた
       が、持ちこたえ、息子のジョージ・W・ブッシュ大統領が2003年3月にイラク
       侵攻(これをイラク戦争又は第二次湾岸戦争という)を行うまで存続すること
       になった。

(2)『山・動く』のストーリー(概要)
   開戦当初の8月8日に、パゴニス少将(その後、湾岸戦争開始直前に昇進して中将)は、後方支援(兵站あるいは補給)の専門家として、現地軍とサウジアラビア政府の間の輸送面の調整と派遣軍司令部に助言することを目的にサウジアラビアに派遣された。

   ところが、当時は、イラク軍のサウジ侵攻の危険が高まっているという危機感から戦闘部隊の輸送が優先され補給部隊や(補給部隊の調整、管理、統制を行う)後方支援司令部ユニットの輸送が後回しにされたため、戦闘部隊や戦闘車両は続々とサウジアラビアに到着し陸揚げされるにもかかわらず、それを輸送する輸送車両、輸送部隊も少なく、燃料、食料、弾薬などの物資の部隊への補給が遅れ、現地は混乱状態にあった。このため、独自の介入に乗り出したのがスタート。

   彼は(不完全に)漠然と委任された権限を元に、現地に到着する他の部隊から必要な要員を半強制的に集め(現地徴兵していると言われたそう)、実質的な後方支援司令部を編成し、輸送の混乱を調整、収拾していったというのが物語の大筋である(この結果、本来、計画上派遣されることが予定されていた正式な後方支援司令部ユニットの派遣は中止された・・・柔軟な米国らしい・・・注》)。
        注》米国では、こうしたことは比較的よく見られる。例えば、戦後、CIAは、
            米国の情報部門の中心となったが、当初は、競合する組織が外にもあった。
            CIAはその競争を勝ち抜いて現在の地位を得たのである。米国では、行政
            機関にも競争がある
               日本では、様々な組織に関して、重複の無駄を避けて効率化するという理
            由で、組織を統合したり、新たな組織を設置するとき、最初から1本に絞る
             ことが多い。
                 ところが、その結果、統合された組織には、必ずしも適任とは言えない
            トップの下に、官僚的・お役所的な組織ができる場合が少なくない。
                行政改革では、重複が非効率だと言われ、効率のために組織を統合すべき
            などとお決まりのように言われることが多い。
                 しかし、市場競争を考えればわかるように、市場の仕組みは、同じ商品を
             持つ企業が競争することが前提になっている。つまり、市場システムは組織
             の「重複」を前提にしているのである。
                効率化のために重複を廃し、同じ製品を生産する企業を絞った社会主義
             ステは、複数の企業が同じ製品を生産するという点で「無駄な」はずの市
             場システムに効率性で負けたのである。
                 行政改革も、十年一日のように「組織の統合」を唱えるのではなく、競争
             うまく導入した仕組みを考えるべきだと思うのだが。

    このように続々と増員され、サウジアラビアのイラク国境に並行に配備され展開していった多国籍軍に、短期間に物資(燃料、弾薬、車両、戦闘資材、テント、兵舎、トイレ、調理器材、居住資材、水、食料、生活資材、事務機材等々)や人員を過不足なく輸送し(多国籍軍の急速な作戦配備、展開に応じて、補給する先も大きく変動していった)また、イラク国内への侵攻時の補給のための物資の集積と輸送計画を策定し、そのための準備を行うなどのためにいくつかの工夫を行っている。

    実際、当時は、こうした55万もの大軍が米国を遠く離れた湾岸地域に送られ、必要な機材や弾薬が十分に配備され、作戦正面に急速に戦闘配備につき、さらに開戦と同時に、高速度でイラク領内に侵攻できたことには《軍事関係者にとっても》非常な驚きがあった

   通常、正面の敵を圧倒、突破し、敵のエリア後方に深く侵入しても、数十キロも進むと燃料その他の補給を待つために停止せざるを得ない。敵は、その時間を利用して態勢の立て直しを行う余裕が得られる。ところが湾岸戦争では、多国籍軍は、ほとんど停止することなくイラク領内に深く進入できたのである。この結果、イラク軍は、ほとんど有効な反撃を行えないまま敗北していった。これが多国籍軍側の損害が極めて小さかった主な理由の一つである。
  湾岸戦争の成功は、補給・輸送の成功の貢献が極めて大きかったとも言える。

    ここでは、こうした多国籍軍の展開と侵攻を支えるためにパゴニスが採った方法を重要だと考える順に2点取り上げる。

(3)その1:「当面の後方支援」司令部から「中長期を考える組織」を分離したこと
    「われわれが2つの異なった性質の課題に直面していること、またそれに対処するにはそれぞれ別の組織が必要なことがすぐに明らかになった。一方で、当面する問題を短期間で素早く解決していく必要があった。・・・・しかし、いかなる不測の事態にも対処できるように・・・前向きの計画を立てられるような、危機を一歩引いたところから眺められる組織が必要だった。」 『山・動く』152ページ
   このため、パゴニスは、『後方支援作戦本部』とは別に『後方支援支部』という小規模な組織を設置した。後者は一種のシンクタンクでもあり、将来発生することになるだろう問題について情報を収集し、不測の事態や将来の計画の立案に当たった。

   つまり、1)当面の問題に迅速に対応するための組織と、2)全体を俯瞰し中長期を検討する組織の2つである。
    なぜ、分離すべきかといえば、価値観が異なるからだ。前者では当面の問題が最優先される。そうしたところに後者の職務を果たすチームを入れて、そのチームが何がしかの提案・提言をしても評価されない。

   前者では、当面の問題を効率的に迅速に片付けることが期待されているが、後者では当面の現実から離れて長期的にあるいは高い視点から情報収集し論理的に検討して対策を考えていく。前者の視点からすれば、後者の仕事は悠長に見えるようなものになってしまう。「長期あるいは広い視野で方向を定める部門」と「当面の問題を片付けることが中心の部門」は相容れない。                            

    部門が一つだけだと、その部門は、必ず『当面の問題を片付ける部門』になってしまう。そこからは、長期的な視点や高い視点から俯瞰して組織全体の方向を見出すようなものは出てこない。
   トップは、このように明確に機能を分けた2つの部門を置いて、その双方を使いこなしていくべきなのだ。

   もちろん、前者(当面部門)が例えば数百人いるとすれば、後者(長期部門)は数人でよい。
    注》多くの企業や行政組織で、企画部門には、本来は後者の役割が期待されてい
           るのである。ところが、それを理解していないトップは、企画部門を機動的で
           便利な「当面部門」として使っているために、長期部門として機能していない
           企画部門が少なくない。

   上記の1の「例1」で、当面の「圧力容器」問題を担当する主力部隊の外に、もう一つ数人でよいから他の問題の発生の可能性とその対策を先行して考える小さな部隊多分、数人程度)を設置すればよかったのではないかというのが教訓である。結果論に近いとも言えるし、実際設置されていたのかもしれないが。

(2)その2:前線情報収集のための「ジャンプ指揮所」と前線本部の設置
   広範囲に分散する後方支援部隊の活動とその目標を調整し指導するために、移動して指導する「ジャンプ指揮所」を設置した。これは、広大な地域に分散して行われている後方支援活動の状況に対する目、耳ともなった。

   また、船からの補給受け入れ拠点の港湾都市ダーランに設置された司令部のほかに、同一の機能を持つ前進本部をイラク国境に向けて展開している多国籍軍の背後に設置している。

   これは、別の目的もあり、そのままということではないが、東北地方の太平洋側全域にまたがる広大な地域の大震災支援活動を行うための随時の情報収集にとって参考にはなるだろう。
・・・つまり、物資や各種支援サービスの過不足情報や問題点の情報を常時収集し、それによって、刻々変化する非支援者、非支援地域の状況に応じて支援の対応を変化させていくために、情報収集は不可欠である。このためには、そうした情報を各自治体から上げられる情報だけでなく、それと同時に、ある程度自ら情報を収集するために「前進本部」が必要だとも考えられる。