2014年4月14日月曜日

日本経済:町工場の技術幻想とイノベーション

改訂:260415 イノベーションについて下段ので新古典派成長理論、内生的成長理論との関係を追加

    町工場が「匠の技」を持っているというのは幻想であり、しかも、町工場でできるのは小ロットの仕事だから、日本経済を支えることは出来ないという話があるようだ。

    これは、残念ながらおおむね正しいと思う。しかし、2点ほど考えるべき点がある。①小ロットでは手仕事の方が低コストになる問題。②先進国市場は大量生産品ではなく小ロット化した市場の集合体であるという問題である。

1 手仕事の方が低コストの仕事がある=小ロット

◎機械化には設備投資という固定費負担がかかる
    機械化には、設備投資という固定費がかかる小ロットでは、この固定費を回収できない(ロットが小さいほど、製品1つ当たりの固定費負担が大きくなる。)この結果、小ロットでは、機械よりも手作業の方が低コストになる。したがって、手作業に頼る部分は常に存在し続ける。・・・仕事の水準が匠レベルかどうかにかかわらず。

◎町工場が近代設備を導入しない理由は需要
    町工場の大多数が先進的な近代生産設備を導入できないというのは、資金力機械を使いこなす町工場の能力の問題もあるが、そうした設備を導入しても、受注=仕事を確保できない可能性が強いというのも大きい。大ロットの受注は、営業の相手も受注の仕方も変わってしまう。これに対して、従来の手作業には、細りつつも現実に受注がある。これはある意味で、ニッチなのである。ニッチにはそれなりに仕事がある。競争も激しくない。

     近代設備で作る製品は、近代生産設備さえ入れれば(ちょっと単純化し過ぎだけど)バカでも作れるから必ず過当競争になる。何を好んでリスクを冒すかということだろう。

2 「小ロットでは日本経済を支えられない」とは必ずしも言えない

◎先進国市場は無数の小さな(ニッチ的)市場の集合体
    先進国の豊かな社会は、ニーズが多様化している。豊かな社会では、個々の消費者の好みが顕在化する。これは、先進国の消費者が、自分の好みに応じた製品に多少余計に金を支払う余裕があるからだ。

    この結果、先進国の市場は、こうした多様なニーズに対応して細分化される。つまり、先進国市場は、こうした細かな、いわば準ニッチ市場、ニッチ市場の集合体になっている。

進国市場は量産品主体のマス市場
    これに対して、途上国、中進国の市場の消費者は、まだ所有している製品が少なく、欲しいものがまだまだ沢山あるから、それらをまずはワンセット揃えたい。だから、一つ一つは、できるだけ低価格であってほしいとなる。
    そこでは、価格がある程度優先されるから、彼等は量産品で我慢する。このため、個々の消費者の好み・ニーズは表に出ない。だから、一律の大量生産品で満足する。途上国、中進国市場は、相対的に少数の大量生産品で構成される市場なのだ。

◎中進国、途上国の富裕層
    中進国の消費者の中でも富裕層は、大量生産品に満足しない。だから、先進国に出かけて先進国にしかないニッチな製品(高級ブランドなど)を買い込むわけだ。

    こうして世界が豊かになるほど、ニッチな小ロット製品の市場が多数存在するようになる。・・・経済が豊かになればなるほど・・・市場は細分化され多様な市場が拡大を続ける。

豊かな先進国には、ニッチ的市場(個々にはロットが小さい)が無数に生まれている
    先進国の細かく細分化された個々の市場のロットは小さい。しかし、そうした小さなロットの市場が無数にあるのだ。途上国、中進国でニーズが高いaという製品のロットが100万個の場合に、先進国で好まれるa1のロットは1万個しかないかもしれないが、a1と少し違うa2、a3・・・が100種類ある世界である。
    先進国には、個々のa3とかa41にはそれぞれ強いこだわりを持つ客がいるわけで、それを買うために多少の高コストを我慢してくれる。・・・そうした多様な細分化された無数の細かな市場(ニッチ的市場)で構成されるのが先進国市場なのだ。

    (もっとも、今や先進国市場も疲弊しているけど、それは別の問題)

◎革新的イノベーションは先進国でしか起きない
    また、それまでにないまったく新しい製品は、当初は、小ロットから出発する。まったく新しい製品は、使い方もわからない。要するに物好きの金に余裕のある人が買う小市場で産声を上げる。価格は、小ロットでもあり、開発費も嵩むから、最初は高価だ。だから、そうした海のものとも山のものともわからない、使い方もわからない、価格も高い製品を買ってくれる市場も、先進国にしかない
    イノベーションは、技術と資金と開発力、人材という供給側の要素で説明されることが多いが、実は、初期製品を買ってくれる市場の問題が小さくない。新しもの好きのお金に余裕のある消費者がいる市場が必要なのだ。気に入ったら多少高くても買ってくれる消費者がいる市場(それは極めて小規模なニッチ的市場でよい)が必要だ。さもなければ、革新的製品は歩み始めることが出来ない。
    また、先進国市場は多種多様なわがままなニーズが顕在化している市場だ。全く新しい製品のアイディアも、そうしたニーズをヒントに生まれる。
    つまり、革新的なイノベーションは、先進国市場でしか生じない。

        注)なお、実はこうした市場との関係すなわち需要」の観は、標準的理論
            に欠けているものだ。ロバート・ソローの新古典派成長理論はイノベーショ
            ンを外生的に扱っていたし、新古典派成長理論を拡張し、イノベーションを
            内生的に説明した(ポール・ローマーやロバート・ルーカスらに始まる)
            生的成長理論も、経済成長の結果としての(設備投資の累積による)設備資
            本ストックの蓄積や、人的資本・開発人材の能力向上などによってイノベー
            ションを内生的に説明したが、これらはいずれもサプライサイドの要因でイ
            ノベーションを説明したものだ。
                しかし、上記のように、イノベーションは、市場という需要サイドの影響
            を大きく受ける。サプライサイドの要因は、たしかに改良的なイノベーショ
            ンの説明には妥当するが、「革新的イノベーション」(おおむね先進国での
            み起こっている)を説得的に説明できない。需要サイドの観点は、従来の成
            長理論を需要面で補完すると考える

◎日本経済も細分化された先進国市場にターゲットを絞るべき
    先進国では、こうした小ロットをかき集めると、トータルでは、それなりの需要になる。もっとも、日本の町工場全部を支えるニーズはないかもしれない。そうであれば、当然町工場も淘汰はされる。しかし、残るべきものは残る(現実問題として、ロボットなどの設定の容易さ・汎用性の向上、3Dプリンターなどが、手作業の領域を狭めつつあるのは事実。しかし、それでも、残っていく)。

    日本経済全体も、手作業に戻れとは言わないが、相対的には細分化された市場、いわば小ロット化の方向に目を向けるべき
    そうした多様なニーズが顕在化しているのが先進国市場なのだから、先進国に所在する企業は、追い上げる途上国に対しても競争上優位を保てる。

    大ロット市場主義は、かつて、日本が実質的に中進国だった高度成長時代の発想を引き継いでいる。それは中進国にわたすしかない。現実的にも、もうそうなっている。

    すなわち、日本企業は、細分化された先進国市場にターゲットを絞るべき。町工場がどうやって(かろうじてながら)存続しているか、そのメカニズムは多少は参考になる。

 ちなみに、拙著『「重不況」の経済学』の第5章(先進国と非価格競争戦略)は、こうした問題を取り扱っている。アマゾン(amazon)などでは、古書なら(送料を含めて)500円程度で入手できるので、参照いただければ幸い。