2013年10月23日水曜日

財出28 新著『日本国債のパラドックス・・』紹介Ver.2

                                                                                                      → 紹介ver.1 アマゾン
修正:25.12.27 前書き部分の内容を増補修正。25.10.28 「4」に「(2)理論が現実を説明できないとき」を挿入。

    新拙著日本国債のパラドックスと財政出動の経済学(新評論、2013年10月10日刊)は、以下のような点を目指しています。
    ノーベル経済学賞受賞者ポール・クルーグマンは「日本国債の空売りは『未亡人製造機(これをやったために破産して自殺に追い込まれる人を多数出したということ)といわれるほどで、かずかずのヘッジファンドが犠牲になってきた。(クルーグマン(2013)『そして日本経済が世界の希望になる』63ページ)と述べていますが、ヘッジファンドや経済学者、エコノミストの常識からすれば、日本国債(発行残高が極めて巨額に達し、しかもそれが毎年急速に増加しています)は極めて不安定で、ちょっとした投機で暴落するはずだと考えられてきました。・・・国債暴落を煽る本も毎年のように出版されているようです。また、今は大丈夫だが、発行残高が個人金融資産総額を超えると財政破綻するという説については財政赤字・政府累積債務の持続可能性参照

   
しかし、それにもかかわらず、長期にわたって発行金利が世界的に見て極めて低いなど、日本国債の発行は極めて安定しており、投機的な攻撃に対しても安定しているように見えます(もちろん、これについては、政府や日銀の必死の対策があってかろうじて維持されているのだという見方もあります。しかし、本当に不安定なら、政府や中央銀行の力だけでは抑えられないと考えます)
    本書では、これを「日本国債のパラドックス」と捉え、原因を検討していきます。本書のタイトルは、こうした日本国債が安定している条件を解明しようとする当初の意図を反映しています。
    検討の結果として本書では、日本国債安定の原因が、日銀の金融緩和政策等だけではなく、重い不況下の経済の本質的メカニズム(ワルラス法則)に係わることを示します。   

    そして、こうした検討から同時に(そうした観点と問題意識から出発して)、下記に示すような「様々な問題」が、現代マクロ経済学でこれまで軽視されてきた、単純な一つの観点(ワルラス法則を市場間の資金移動(資金循環)で見るという観点)に基づいた、たった一つの単純なメカニズム(注)で整合的に説明できること、また、そのメカニズムはワルラス法則を満たすことを示します。
    リーマンショックを受けて、従来の経済学には何らかの問題があったという見方が生じましたが、本書の結果は、こうした意味で、経済学に新しい視点と枠組みを追加するものになる可能性があると考えています。

    本の概略:グラフ36枚、表5枚で、数式はあっても加減乗除しか使っていません。したがって、特別な予備知識は不要です。

    注)たった一つの単純なメカニズム(=本書の基本メカニズム)
             財・サービス市場で需要不足が存在するときは、その需要(有効需要)として
         使われなかった資金が、債券市場等に流入し、債券市場等では(財・サービス市
         場の需要不足と同規模の)超過需要が生ずるという極めて常識的なメカニズムで
         す(これは、ワルラス法則を市場間の資金移動で捉えたものです)。
             このとき、財・サービス市場の需要不足を受けて企業は設備投資を抑制するた
         め、貨幣・債券市場では(特に重不況下では金利が低下しても)社債の発行や民
         間貸出は低迷します。したがって、このとき、資金は余剰化して金融市場に滞留
         します(【財政出動論22】(貨幣流通速度と不況期資金余剰)参照)。
             社債の発行も銀行の融資も低迷しますから、残る国債の需要が上昇することに
         なります。この状況は、不況が続く限り継続します。この結果、市場の利は
         額の国債発行にもかかわらず低位で安定します
             これは、ワルラス法則を市場間の資金循環で整理することで容易に導くことが
         できます。
             そして、このメカニズムは、既存経済学のマンデル=フレミング・モデル、財
         政出動によるクラウディング・アウト、「日本国 債のパラドックス」、リカード
        の公債中立命非ケインズ効果・拡張的緊縮論等々の数々のissueを破壊します
         (ある条件下(つまり重い不況下)でですが)。
            また、このメカニズムは、財・サービス市場の需要不足と超過需要を連続的に
        取り扱う(つまり、需要の経済学と供給の経済学を統合した)「新しい経済学」
        のベースとなる可能性があるものと考えています。

    以下では、読んでいただきたい方別に 整理してみます。

1 日本や米国等の「財政の持続可能性」に関心がある方

    (具体的には)①国債の発行金利/利回りの今後の動向に関心がある方、②長期金利の今後の動向に関心のある方(①と同様ですが)、③国債に対する投機の危険性に関心がある方、④国債の格付けに係わっている方、⑤財政再建のための増税と緊縮財政に直面している国の国民(財政再建と消費税増税を控える日本、未だ強い緊縮財政下にあるヨーロッパ諸国財政の崖・連邦政府債務上限問題を抱える米国など)・・・もちろん、すべての疑問に答えるものではないです。

◎本書のタイトルから『日本国債のパラドックス』
     ポール・クルーグマンは近著で、日本国債に関して「投機的な動きを懸念する人もいるが、日本国債の空売りは「未亡人製造機」(これをやったために破産して自殺に追い込まれる人を多数出したということ)といわれるほどで、かずかずのヘッジファンドが犠牲になってきた。」(『そして日本経済が世界の希望になる』(PHP研究所、2013年10月2日刊)63ページ)と述べています。

   このように世界最高水準の巨額の累積債務を抱える日本政府が、毎年数十兆円という巨額の新発国債を発行しているにもかかわわらず、日本国債の発行金利・利回りが極めて低く、安定的に消化されています(=「日本国債のパラドックス)が、その理由としては、一般に①政府・日銀が金融政策等で人為的に抑え込んでいる②国民の個人金融資産が巨額であり、それを使って国内で消化されているため、という2点がおおむねの通説となっていると言えます(なお、このうち②については、すでに【財政出動論7】(政府累積債務の持続可能性)のページで否定的に整理しています)。
    残る ①は、一方では金融政策次第で市場はいかようにもコントロールできるという、金融政策万能論信仰の論拠ともなり、一方では極めて危ういバランスの上でかろうじて国債が消化されているのだろうから、ちょっとしたことでバランスが崩れると財政が破綻するという切迫した危機感の原因にもなっています。後者は消費税増税の重要な説得材料にもなりました。

    しかし、本書では、①、②とも誤っていることを示します。論拠は、上の「(注)」の基本メカニズムです。

2 「財政出動の有効性」に関心がある方
    (具体的には)①財政出動によるクラウディング・アウト、②マンデル=フレミング・モデル、③リカード公債中立命題(等価定理)、④ゼロ金利下の高い財政乗数などに関心がある方

(1)クラウディング・アウト、マンデル=フレミング・モデル
    上記のうち、①と②は、政府の財政出動のための国債発行で資金需要が増加することで引き起こされる変化が、財政出動の効果を相殺するとされるものです。
    ①は、国債発行が民間企業の資金調達を阻害し、それによって民間設備投資が抑制される影響が、財政出動の効果を相殺するというもの、②は、変動相場制下では、国債発行による資金需要の上昇に応じて海外から資金が流入しますが、その際に生じる自国通貨高で輸出が打撃を受け、財政出動による内需増加の効果を相殺するというものです。
    しかし、日本の長期停滞の場合、実証的には①や②の現象が生じなかったということについて幅広い合意があります。生じなかったのは何らかの別の要因が働いたためでしょうか?

    そうではありません。こうした実証結果は、上の「(注)」の基本メカニズムを考えれば、ごく当然のことです。重不況下の日本経済で財・サービス市場で使われなかった巨額の資金が金融市場(貨幣市場、債券市場)に流入して、金融市場には資金が有り余っているのですから、金利が上昇するはずもなく、海外の資金を借りるような資金需要があるはずもなく、むしろ海外へ資金を吐き出しているのです(=資本収支赤字(=経常収支黒字))。

(2)リカード公債中立命題(等価定理)
    次は③ですが、これについては【財政出動論25】(負担の次世代先送り論)の中段あたりで評価しています。本書では、そこで述べた観点を上記の「(注)」の基本メカニズムと整合的な形で位置づけ説明しています(・・・なお、財政出動論25に加えて【財政出動論12】(リカードの公債中立命題)も参照下さい。こちらは観点がすこし違いますが、同様に否定的に整理しています)。

(3)ゼロ金利下の高い「財政乗数」
    これについては、【財政出動論23】(リーマン後4年間の財政金融政策)の末尾で触れていますが、こうなる理由は(1)から明らかでしょう。
   これは、好況期の観点で単純に不況特に重不況を扱うことはできないということでもあります。原因は、上記の「(注)」の基本メカニズムにあります。

3 リーマン後の世界同時不況を踏まえた「新しい経済学」に関心がある方
(1)背景
    これについては、現代マクロ経済学に関する【財出27補】(『日本国債のパラ‥』 序章の冒頭部分)を参照下さい。ここでは、主にリーマン・ショック発生当初に現代マクロ経済学自体が受けた大きなショックを紹介しています(アイケングリーンの発言を除く)

    当時のショックは薄らぎつつあり、現在は一見なにごともなかったかのように時間は流れています。しかし、ショック直後に考えられていたよりも、さらに問題は大きかったことも次第に明らかになりつつあります。

    2012年のNHKのインタビューで、J.E.スティグリッツ(コロンビア大学教授、2001年ノーベル経済学賞受賞者)は「この危機が始まった時、全てのアメリカ人が『我々は日本の二の舞にはならない』と言っていた。・・・それで、我々はどうなった。日本の二の舞になっている。」と述べています。これに【財出27補】のアイケングリーンの発言も加わります。
    出所:道草  http://econdays.net/?p=7140 原文:NHK Biz 番組サイトの飯田キャスターブログ (7/31/2012 Joseph Stiglitz, Professor at Columbia University)  http://www.nhk.or.jp/bizplus-blog/100/128979.html#more

    以上は、現代マクロ経済学が、①危機を生み出した市場の歪みをコントロールできず(あるいは歪みの発生とその巨大化を認識できず)、②危機の発生とそのショックに伴う経済変動に対応できなかったというだけでなく、③危機が収束した後の経済のリカバリー局面でも十分に機能しなかったことを意味します。

(2)枠組みの問題・・・セイ法則ベースからワルラス法則ベースへの転換
                                  ・・(供給中心の経済学)から(供給と需要を等価に扱える経済学)へ
    現代マクロ経済学は、セイ法則が常時成り立つ「基本モデル」を核に構築されています。基本モデルは長期(一般均衡状態の経済)を扱います。しかし、ほとんどの経済学者は、短期的にはセイ法則が破れ一時的に需要不足が生じることを認めます。
    セイ法則が破れた状態では、基本モデルの説明力は低下しますから、そうした短期の経済と基本モデルの乖離を埋める補完モデルが次々に追加されてきました。ニューケインジアンで言えば、価格や賃金の硬直性による説明プロセスなどを入れるわけです。
    現代マクロ経済学の発展とは、こうした基本モデルと現実の経済の短期変動との乖離を説明する付加的な補完モデルを開発し付加する研究史だったと言えます(こうした付加的な補完モデルは、基本モデルから導かれたものではないという意味も含めて、基本的にはアドホックなものだと言えると思います)。
    しかし、現代マクロ経済学のこうした様々なモデルには、多くの場合、財・サービス市場での需要不足は組み込まれていますが、その需要不足が、市場間の資金移動をもたらし、それによって、その影響が市場間を波及していくというメカニズムは折り込まれていません
    それはおそらく、基本モデルが、セイ法則に破れがないことを前提にしているために、セイ法則が破れた状態について十分な検討が行われることがなかったためだと考えます。そして、この部分を十分に検討しないまま、その上に精緻な体系が組み上げられてしまったのです。

    こうして、現代マクロ経済学は、セイ法則の常時成立を前提とする「基本モデルが長期を」説明し、「短期の景気変動と基本モデルの間の乖離を、アドホックに追加される付加的補完的なサブモデルが」説明するという枠組みで発展してきたのです(しかし、その付加的な補完モデルには、財市場の需要不足に伴う市場間の資金移動という経路は組み込まれていません)。そして、こうした枠組みは今回のリーマン・ショックで、限界に達していることが明らかになったと考えます。

    これ対して、本書の観点は、セイ法則ではなく、上記「注1」の基本メカニズムに係わるワルラス法則を前提として、「長期だけでなく短期をも」一つの基本モデルで説明するものです。
    これは、長期と短期を統一するだけでなく、供給中心の経済学(新古典派系)と需要中心の経済学(ケインズ系)を統合する統一理論の可能性を持つものと考えています。

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「新しい経済学」放談編
    あなたが、20年後のノーベル経済学賞(アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行賞)を狙っているなら、この本を読んでおくことをお勧めします。・・・少なくとも「異説」を知っておくことは重要です・・・異説が正しいこともありますし、異説と従来の説の中間に真理があるかもしれませんし、従来の説に準拠していくにしても異なる説を頭に持っていることがあなたの研究に新しい観点を与え、それがあなたに強力なアドバンテージを与えてくれるかもしれません。(・・・以下、文体を変えます)

(1)あなたは天動説に一生を捧げますか?
    天動説については、今日では誰もが(少なくとも日本では)荒唐無稽と考えている。現代人は、コペルニクスがはじめて地動説が唱えたとき、優劣はすでに明確だったはずで、それが受け入れられなかったのは当時の天文学者たちが古い考えにとらわれていたからだろうと思いがちだ。
    だが、ガリレオ・ガリレイが、コペルニクスの地動説を支持していることを明らかにした当時、天体運行の予測精度において、コペルニクスの地動説と天動説はほぼ差がなかった。また、地球が太陽の周りを回っていれば地球の位置の変化によって地球から見た恒星の位置に季節による変化(年周視差という)が観測されるはずだったが、当時の観測技術では観測されなかった(実際のところ、当時の人々は宇宙の大きさを著しく小さく評価していた。・・・いずれにしても)。こうした実証結果を見ても、地動説よりも天動説は「実証的に」優位にあった。また、理論的にも、コペルニクスの地動説は、天動説と同様に周転円だらけであり、天動説に比べて簡明でもシンプルでもなく、理論的に美しくもなかった。
        注)図の火星を例に天動説の導円と周転円の関係を説明すると、火星は周転円上
            を回転している。その周転円の中心は、導円に沿って地球の回りを回転してい
            ると考える。すると、地球から見た惑星の順行、逆行などが説明可能になる。

    原因は、コペルニクスの地動説では、天動説と同様に、天体の軌道として円軌道が前提とされていたからだ。そもそも天動説の説明力が十分でなかった原因は、この円軌道の仮定の誤りにあった(実際は楕円軌道だったのである)。これによる観測結果との乖離を説明するために、周転円、副周転円副々周転円、さらに導円の中心が一定のサイクルで変動するエカントというメカニズムを導入するなどといった天文学上の発展がなされていた。・・・エカントはまさに楕円軌道を近似するようなメカニズムである。・・・まあ、まさに現代マクロ経済学における(基本モデルが説明できないところを補完する)様々な付加的なサブモデルの追加と同じである(・・・もっとも、このこと自体はどのような理論体系にもあることではある)

    一方のコペルニクスの地動説も円軌道を前提としていたから、予測の精度が天動説と変わらなかったのも当然である。ガリレイの後半生には、ケプラーが惑星軌道の楕円軌道論を提示していたが、ガリレイは「悪魔の仕業」として楕円軌道を拒否している。
    しかし、結局、天動説に対する地動説の勝利は、ケプラーの楕円軌道による地動説(の観測結果との高精度の一致)によって現実化していったのである。

(2)理論が現実を説明できないとき
    理論が現実を説明できないとき、科学者の対応は2つである。一つは、理論の前提(条件、仮定)を見直すことだ。もう一つは、元の(基本)理論をそのままに、説明できない部分だけを説明するための新たなサブモデルを追加することである。

    天動説では、後者がとられ、星が地球の周りを回っている基本理論はそのままに、周転円やエカントといったサブモデルを追加することで、天文学は複雑さを深めつつ発展していると天文学者たちは信じていた。まさに高度な天文学が発展しつつあり、天文現象を必ずしも精確に説明できないのは、天文現象はさらに複雑なのだと考えられ、天文学の精度を高めて行くには、さらに周転円や副周転円、副々周転円を重ね、あるいはさらに未知のアイディアによるサブモデルを追加(複雑化)することによって可能になるだろうと予想されていた。

    これに対して、コペルニクス、ガリレイは、地球の周りを星が回るという最も基礎的な仮定を太陽の周りを地球も回るという地動説の考え方を導入し、ケプラーは、それらの軌道が円軌道ではなく楕円軌道であるという解釈を導入した。
    
    こうして、①地動説の視点楕円軌道というたった2つの単純な新しい観点(事実)の導入だけで、「複雑」に見えた星の運行が単純に理解できることが示された。この結果、すべての周転円やエカントなどの天動説(及びコペルニクスの地動説)のサブモデルは無用になったしそうした理論的な発展に貢献した天文学者たちの業績の評価は霧散した

    こうした「高度に複雑な」現象は高度に複雑な理論モデルを複雑精緻化することで解明されるという科学的な信念は、科学史の上で、しばしば基礎的な仮定や前提条件を「新しい仮定や条件に」単純に置き換えた理論や観点によって覆されてきた。

    地動説、ニュートン力学、相対性理論、量子力学、大陸移動説、分子生物学などはそうした例である。

   比較的最近の例として分子生物学を取り上げれば、生物学者の、生命現象は複雑かつ高度な営みであり単純な理解は誤っているという信念は、第2次大戦までは確固としたものだったが、戦後には決定的に覆された。こうした生命現象が複雑高度な営みだという信念に対して、ワトソン=クリックDNAの構造を解明し、遺伝の仕組みがわずか4種類の塩基の組み合わせで(単純に)実現されていることを明らかにした。

    また、医薬品の開発に革命的な変化をもたらしつつある・・・DNAの構造解析を高速自動化するシーケンサーなどは、米国で開発されたことになっているが、そのアイディアを出し、基礎的技術を開発したのは日本の研究者と企業だった。ところが、当時、それに研究開発費を出していた科学技術庁(現文科省)の担当の1技官が生命現象複雑論者で、(感情的な?)行き違いもあって、今後、一切こうした『無駄な」研究に資金を出すことは一切しないと宣言するに至り、研究は頓挫してしまった。それを米国が引き継いだのである。

    こうした問題は、経済学にもあると思う。
    今年ノーベル経済学賞を受賞したハンセンは、タイム誌のインタビューで次のように語っている。・・・以下、「himaginaryの日記」(2013-10-27 「タイム誌のハンセンインタビュー」 
http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20131027/TIME_Hansen_interviewから

金融危機は我々の知識の穴を幾つか明らかにしました。金融市場の混乱がマクロ経済にどのように波及するか、あるいは逆方向の波及はどうなのか、という点について我々が理解していない基本的な事柄が幾つかあります。・・・私が聞いた議論の中には、これは複雑な問題なので、複雑な解決法が必要とされる、というものがあります私はそれとは反対の立場です。非常に複雑な問題であり、かつ、我々が分かっていない事柄が数多くあるが故に、 最善の方法は簡明さと透明性を旨に取り組むことであり・・・」

    本書の視点は、このハンセンの視点を実現するもの(その視点に基づく1つの試案)である。

(3)現象をよく説明できる仮説にも荒唐無稽のものは少なくない
    さて、(1)のエピソードは何を意味するだろうか。もっとも重要な教訓は、荒唐無稽の誤った学説でも、高い精度で現実を説明できることは珍しくないということである。
    ミルトン・フリードマンは、仮説の基礎的仮定が現実離れしていても、それに基づいて組み立てられた仮説が現実をよく説明し、仮説モデルの予測力が高ければよいと述べている。しかし、その基準で、現在も天動説が正しいと考えられていれば、人類は宇宙飛行はできなかったのである。荒唐無稽でも説明力が高い理論仮説はいくらでもあるのだ。

    コペルニクス、ガリレイらの地動説は、天体の軌道予測という分野では、天動説をしのぐことはできなかった。では、彼らの勝利は「結果オーライの偶然」の幸運に過ぎなかったのだろうか。・・・そうではない。
    ガリレイは、人類ではじめて望遠鏡を使って天体観測を行い、木星の4つの衛星(今日でもガリレオ衛星と呼ばれている)を発見している。また、金星に月と同じように満ち欠けがあり、金星の大きさが変化することを発見している。
    金星の見える大きさの変化は、地動説では、地球と金星それぞれの公転軌道上で双方の位置が(季節的に)接近したり離れたりすることで説明できるが、天動説では金星は地球の周りを円軌道で回っており、地球と金星の距離は一定だから、別の説明メカニズムが必要になる。また金星の満ち欠けも、従来の天動説では適切に説明ができなかった。
    しかし、当時の天文学者たちは、より定量的な「惑星軌道」分野の精度のみを重視して、金星などの「定性的」な変化の説明を重視しなかったため、ガリレイらの主張は、当時の天文学界を動かさなかった。
        注)天文学界を動かしたのは、ケプラーの楕円軌道による地動説である。ケプラー、
            の説は、主戦場たる惑星軌道の分野で、天動説よりもはるかに精確に予測できた
            のである。
    だが、惑星軌道の予測を「主戦場」とし、金星の満ち欠けや大きさの変化という定性的な実証観測を軽視するという観点は、科学的ではない。確かに、人は、データの蓄積もある定量的な部分で評価しがちである。それは結局、既存の仮説側の土俵での勝負になる。したがって、既存の仮説は常に有利である。これは、「経済学者は、街灯のないところで落としたコインを明るい街灯の下でだけ探している」という話と似たような話ではないだろうか。
    しかし、それでは真理に近づくのに時間がかかりすぎるし、その間、優秀な多くの人材の頭脳が無意味な研究に浪費されてしまう。

(4)「説明範囲の広さ」
    以上の話の教訓として、仮説が正しいかどうかを判定する基準として、その仮説モデルの説明力、予測能力が高いかどうかというフリードマンの基準だけでは十分ではないと考えられる。
    新しい判定基準の提案として「説明の範囲が広いか」どうかが問われるべきだと考える。天動説とコペルニクス、ガリレイの地動説は、天体軌道の予測という分野では説明力、予測能力に優劣はなかったが、地動説が金星などの観測結果を整合的に説明できたのに対して、天動説は出来なかった。これは「説明範囲が広いかどうかが重要な判断基準になり得ることを意味する。
    フリードマン自身も述べているように、ある現象を説明できる仮説は無数にある。しかし、説明対象の範囲を広くするほど、説明力を失う仮説が急速に増加し、脱落していく。逆に、説明範囲の広い仮説ほど「正しい」蓋然性が高くなる。したがって、説明力が高いかどうかに加えて、説明範囲が広いかどうかが常に問われるべきである。狭い範囲でのみ説明力が高い仮説の説明力は、ほぼ疑似相関と考えて差し支えないだろう。
    天動説は説明範囲が狭く、誤っていたのに対して、地動説は説明範囲が広く、正しかったのである。ケインズ的に言えば、ガリレイは「アバウトに正しかった」のであり、それは説明範囲の広さが保証していたと考える。

   現代マクロ経済学の仮説モデルは、リーマン・ショックによって無力さを示した。簡単に言えば、「説明範囲が狭い」ことが露呈したと考える
    【財出27補】(新著『日本国債のパラ‥』 序章の冒頭部分)から引用すると、
「カーメン・ラインハート(メリーランド大学教授)とケネス・ロゴフ(ハーバード大学教授、元IMFチーフエコノミスト)は、世界同時不況危機について、『統計的にみて「正常な」経済成長の期間を基準にした標準的なマクロ経済モデルは、本書を執筆中もアメリカと世界に影響をおよぼしている強烈なショックを分析するのには、ほとんど役に立たないと考えられる」と述べている」(ラインハート=ロゴフ[二〇一一]『国家は破綻する 金融危機の800年』日経BP社。328ページ)。
「統計的にみて『正常な』経済成長の期間を基準にした」の意味は、「・・・新たに起きた危機をごく狭い視界で捉えるという好ましからぬ傾向を示す。すなわち、限られた時期の狭い範囲から抽出した標準的なデータセットに基づいて、判断を下そうとする」(前掲書5ページ)から理解できよう。」

    では、これら既存のモデルを拡張し、データの範囲を広げていけば、真理に近づくのだろうか。そうかもしれない。
    しかし、そうではないかもしれない。説明範囲が狭いモデルは誤っている蓋然性が高い。すなわち、天動説のように行き止まりの可能性があると考えるのが本書の立場だ

    これに対して、本書の枠組みは、地動説だと言いたいわけである。