2017年11月23日木曜日

New Economic Thinking15 『家計』の寓話

30.2.12 効用最大化原理とリスク等の関係に関する記述(Ⅰの2の(2)の注以後)を少し丁寧に加筆しました。30.2.10 「『家計』の寓話」をⅡにし、その前に長い「Ⅰ前置き(解説編)」を挿入追加しました。

    追加した  Ⅰ は、「前置き(解説補足)編」Ⅱは本題の「『家計』の寓話」 。前置きが不要なら、後半のⅡへ直接進んで下さい《ページ内で「『家計』の寓話」」で検索すれば・・・、あるいはこのページ全体の半分よりさらに下の部分》。

Ⅰ 前置き(解説補足編)

    本題の「Ⅱ『家計』の寓話は、緊縮財政国債・増税に関する「寓話」なので、この「Ⅱ 前置き(解説補足編)」では、緊縮財政が経済に影響を及ぼすかどうかについて、簡単に整理する。

 1 緊縮財政の事例
    まず、緊縮財政政策の影響の事例を見てみよう。 

 (1)リーマンショック後のユーロ圏の緊縮財政
    リーマンショック後の大不況契機に、政府の財政出動が行われ、その後多くの政府が支出を減らしたとき経済が収縮することが改めて実証された。その経過をたどってみると、リーマンショック直後には、先進各国を中心に一斉に大不況対策として財政拡張政策が採用されたが、それによ財政赤字拡大、この大不況税収減少して財政赤字が急拡大したことから、強力な財政拡張期は、おおむね年ほどしか続かなかった 
        注)なお中国では、主に各級の地方政府が外郭企業関係団体等借入金で
            資金調それによって規模の大きな投資行われた。これはほとんど財
            出動といってよいが、かなり長く続いた。
     特にユーロ圏では、ギリシャ危機を契機に、「拡張的緊縮論」が勢力を増し、各国で財政の緊縮が進んだ。その結果は、政府支出の削減と失業率に関するつぎのグラフで明らかだ。拡張的緊縮論は、政府が財政赤字を改善すれば、将来の増税の不安がなくなるため民間は安心して消費を増やすので経済は拡大すると主張ている。だが、それは無惨に失敗した。
   上のグラフを元に、その経過をもう少し詳しく見てみよう。2007年に米国の住宅バブルが崩壊し2007年8月にはフランスのBNPパリバの3つのファンドが凍結され(パリバ・ショック)、翌2008年9月にはリーマンショックが起きてそれが世界経済に波及し、主要国は、大不況対策として一斉に金融・財政拡張政策を採用していった。しかし、2009年10月に政権交代があったギリシャで財政赤字の隠匿が明るみに出たことを契機にギリシャ危機が発生し、ギリシャだけでなく、ユーロ圏内各国を中心にEU圏で次々に強い財政緊縮政策採用されていった。
   当時は、景気回復が進まない原因は、財政赤字拡大将来の増税を予想させ、その不安から、家計が消費を抑制している点にあるいう
拡張的緊縮論がユーロ圏内の政策エリート達の心を捉えた。この仮説にれば財政赤字を減ら政府の累積債務を縮小すれば、政府の信認が高ま、家計は安心して消費を拡大し、企業は設備投資を増やすので景気が拡大するというのである。これを論拠の一つとして、2010年から11年にかけてEU圏各国次々に緊縮財政政策を実行していった。
   しかし、それらの国々では、一旦回復をはじめていた景気は、再び急速に悪化して失業率は急上昇していった。グラフは、拙著『日本国債のパラドックスと財政出動の経済学』2013(第4章、116ページ)で引用したユーロ圏全体等の失業率の推移グラフに、政策の転換時期などを加筆したものである。
   一見して明らかなように、
EU圏・ユーロ圏では、リーマンショック直後の金融・財政の拡大政策(金融緩和と財政出動)によって失業率が改善し始めたが、2010~11年各国一斉財政緊縮政策転換したことを契機に、失業率が再び急上昇をはじめ。これは、明確な財政緊縮が行われなかった米国が失業率を持続的に低下させ続けたのとは対照的(グラフ参照)である。その後、財政緊縮による景気への明確な負の効果認識がされ、2013年頃から緊縮政策は緩められるようになった。これにより、失業率は再び徐々に低下しつつある。

    〜再確認された財政出動(〜緊縮政策)の効果(〜負の悪影響)〜
   こうしたリーマンショック後の「大不況→金融緩和・財政支出拡大財政赤字→金融・財政引締め政策→金融・財政再拡大」という経過を通じて、金融財政の効果とその関係についても、多くの知見が得られた。その結果としては、従来考えられていたよりも、財政の影響が大きいことが再確認された
    例えば、IMFは、 2012年10月のWEO(World Economic Outlook:「世界経済見通し」)で、従来の各国への勧告の前提として使ってき た財政乗数が過小であったことを公式に報告し、これまでは財政乗数を2分の1から3分の1程 度に過少評価していた(つまり、それまでIMF自身が各国に推奨してきたた財政緊縮政策は、負の効果が予想以上に大きかったことを認めた)ことを明らかにした。

(2)ナチスを政権につかせたブリューニング内閣の大緊縮政策
    次に、「財政緊縮策がナチスを台頭させた・補足」(himarinaryの日記 2017-12-15)から、戦前、ドイツでナチスが政権を獲得する過程で、その前々任の首相だったブリューニングが行った財政緊縮政策を見てみよう。
   次は、himaginaryさんによる、Gregori Galofré-Vilà(ボッコーニ大)の「Austerity and the rise of the Nazi party」というNBER論文の紹介記事(Vox記事「Study: austerity helped the Nazis come to power」)から。

「 大恐慌がナチスの台頭を説明するという従来の議論には穴がある。他にも多くの国も大恐慌に苦しんだが、全体主義の独裁体制に陥ることはなかった。・・・また、戦時賠償の影響‥について ・・・しかし著者たちは、ドイツの債務は大半が支払われなかった、と指摘している。・・・フーバー米大統領は1931年に支払猶予を宣言し、その後1932年のローザンヌ会議で連合国は返済を延期した。・・・著者たちは、そのことと大恐慌だけでは(ナチスの台頭を)十分に説明できない、と考えている。
    そこで緊縮策が登場する。ブリューニングか1930年から1932年まで実施した歳出削減の規模は、真に驚愕すべきものである。著者たち は、ブリューニングが1930年から1932年に掛けてドイツ政府の歳出をインフレ調整後で約 15%削減した、と推定している。・・・その経済的帰結は恐るべきものだった。GDPと政府の歳入は15%低下した。失業率は22.7% から43.8%に増加した。ブリューニングは「飢餓宰相」として知られるようになった。「ドイツは大恐慌の打撃を受けた唯一の国ではありませんでしたが、長期の大規模な緊縮策を導入した唯一の主要国でした」と著者たちは書 いている。対照的に英国は、同期間の政府支出を実際に増やした。 」
   ・・・ この研究は、ビジネスインサイダーやニューズウィークにも取り上げられた。

    このように、大不況下で行われた財政緊縮政策は、ドイツ経済に破壊的な影響を与え、それがナチスの政権獲得を後押しし、世界はナチスが引き起こした大規模な戦争(第二次世界大戦)を経なければ回復しなかった。

 大不況下で、政府支出減で経済が収縮するメカニズム(ただし、常には収縮しない)

 財政緊縮政策による経済収縮のメカニズムは、政府支出の減少で、需要の不足が生ずるためと考えられる。政府の支出が減ったときに政府支出が減った分だけ自動的に民間支出が増え、需要が増えれば問題はないが、事実はそうなっていな。以下では、そのメカニズムをあらためて提案する。


(1)効用最大化原理
 さて主流派経済学で教育を受けた経済学者達は「この事実」のようには考えない政府需要が減れば自動的に民間需要が増えるので、需要は減らないと考えるのだ

 以下、その理由を簡単に述べよう。経済学者は、経済メカニズムの基礎的な原理として、経済主体の行動が、「効用最大化原理利潤最大化原理によって規定されていると教育を受けている。

 家計の行動は「効用最大化原理」、企業の行動は「利潤最大化原理」にしたがうとされており、これらは経済学者の思考の基盤にビルトインされている。経済学の様々なモデルのベースには、常にこの原理がある。経済学者が普通経済現象を解釈する多くの場合には、まさに空気を呼吸するように、これを前提に問題を理解し解釈している。

    効用最大化原理に基づけば、家計は、お金があればあるだけ使って自分の効用つまり満足を最大化しようとすると考える。また、
企業はお金があるだけ設備投資するという前提で経済現象を解釈する。
    具体的には政府がお金を使わなければ(そのお金を政府が民間から税や国債発行で吸収する必要はないので)、そのお金は民間が使えるようになる。民間が使えるお金が増えるので、効用最大化原理に従って家計が行動すると、実際に民間の支出が増える・・・つまり民間の需要は増える・・・と考える。したがって、常に政府の支出減少分だけ民間の支出がふえるという結論しか出ない。 
(普通の経済学者はこのように考えるから→政府支出を減らせば消費が増えるとか、法人税減税とか設備投資減税をすれば設備投資が増えるという提言が経済学者から普通に出てくる訳だ。)

(2)「原理」主義 対 多数の経済主体に斉一的な影響を与える環境変化
    これらの原理は好況や不況にかかわらず常に生じる「原理」だと主流派は考えているのだ。こうした考え方の問題は、これがどのような状況下でも常に働くと考えていることだ。・・・なにしろ原理」なので。
    しかし、手に入ったお金を使って人がどの程度効用を最大化しようとするかは人を取り巻く状況によって変化すると考えるのが自然だと考える。例えば、リスクが急に高まったときに、お金を単純な満足の最大化ではなく、リスクの上昇を踏まえて当面の安心のために貯蓄して、消費に使わないということは、個々の人には当然に生じることだ。これは普通の人の判断の基本的な態度ではないだろうか。効用最大化原理は、どのようにリスクが高まっても、人間はリスクを考慮しないと主張しているわけだ。
       注)もちろん、リスクが高かろうが低かろうが、とにかく一定で変化しない」
           のであれば、効用最大化原理は多分成り立つと言えるだろう。しかし、効用最
           大化原理が人の支出決定を左右する唯一の原理ではあり得ない。おそらく、他
           の要因がある・・・例えば、リスク〜安全といったものだ。そして、それは景気、
           特に大不況や逆にバブル期には、その要因としての影響力は、かなり変動する。
           効用最大化原理を重視する経済学者は、あたかも、ヒトを低級なロボットだと
           考えているということなのだ。

    それに対して主流派よく使反論は、多数の人達の行動を集計して(例えば)平均を考えればリスクの影響はない、効用最大化原理は相変わらず成り立つ、批判者のいうようなことにはならないというものだ。多数の人の集合を考えればリスクを重視するように行動を変化させる人もいれば、逆にリスクを軽視するように行動を変化させる人達や現在の時点の満足(効用)最大化をより重視するように行動を変化させるもいて、全体の平均は動かないと考える。彼らは、ここがみそだと考える。
     多数の人達を集計的に考えると、そのうちの一部の人達の行動が変化しても、別の人達の行動逆方向に変化ているのが普通であり、結局、平均は変化しないはずだというわけある。大数の法則が法則の成立を保証するというわけである。だからこれら(効用最大化原理など)は固定的な原理だと考えるのだ。これは、確かに経済そのものに方向性がないときに起きることには違いない。例えば、比較的平穏な経済ではそうだろう。

    だが、経済が大きな不況(大恐慌やリーマンショック直後のような大不況)に直面すると、多数の人達のうちの大部分の人「共通して」大きなリスクに直面する。このときその大多数の人々が、平均的に、単純な効用最大化ではなく、リスクをより高く重視する判断を行うようになることは自然なことだ。つまり、集団の構成員全員が同じ大きな環境変化に直面するとき、その影響は平均値自体を動かし、社会全体の平均的な行動全体が変化してしまうと考える。このときは、効用最大化原理のような人の行動に関する固定的な仮定(原理)は成立しなくなる。
     これは、リーマンショック後の金融危機で、我々が実際に見たことだ。そのとき、すべての金融機関は、サブプライムローンに由来する金融商品のリスクを一斉に大きく評価するようになったため、(そうした金融商品を売ろうとする人々が急増する一方、その買い手は急減して)金融市場は凍りつき、機能しなくなった。そして、世界金融危機が発生したのだ。
   「 多数の人々に同じ方向の影響を幅広く斉一的に与える環境(特に経済環境)の変化」としては、不況や好況がある。これらは、多数の人の判断に同時に影響を与え、それは集団内、社会の中の人々行動を斉一的に変化させる。平穏な経済が続けば、その変化は大数の法則で吸収できる程度に留まり無視できる程度かもしれないが、大不況やバブルでは、人の行動は、平穏な経済における平均的な行動どおりにはならない。そのとき、「効用最大化原理」の影響は低下し、一方で、リスクを避け安全を求める行動判断の影響力が急上昇する。
        注)こうした、個々の個人の行動の一方向への変化があるとき、同時に、多数
            中でみると、その中には逆方向に行動が変化る人達いるから (例えば
            平均平均へ平均値で見ると)変化は生じないという反論は、環境全体が一方向
            に変化す
            と、大多数の人達の行動が一斉に一方向に変化し、平均値自体が動くために、
            成立しなくなる。
                ついでによく使われる反批判のロジックの例をもう一つここで挙げておう。
                例えばリスク重視する傾向が増大したり、あるいは逆にリスクを軽視す
            る傾向が増大するようになると、家計のお金の使途は変化するように見える。
            (前者のようにリスク対策を重視するように行動が変化したら価値が安定
            ていて減らない一方で、必要が生じたらすぐに簡単に換金して使える資産(い
            わゆる安全資産)求められる傾向が強まる(これは大不況期に強まる傾向)
                一方、(後者のようにリスクを軽視する傾向が強まれば)価値の変動が大き
            て、値上がり益が得られる資産が求められ(これはバブル期に強まる傾
            向)。
                経済学者の中には、こうしたそれぞれの傾向が強まって、そうした資産が買
            われても、それを売った個人等、その売却代金を財・サービスの購入に使う
            から、経済に影響を与えないと考える人達が少なくない
                つまり、そうした資産を購入するヒトがいれば、それを売ったヒトもいるわ
            けで、売ったヒトはその売却代金で他の資産や財・サービスを購入すると考え
            るのだ。ある一つの種類の資産が買われれば、それを売ったヒトが、その売却
            代金で財・サービスや別の種類の資産を買うので、それは資産や財・サービス
            の取引量のバランスを変えないというわけである。
                しかし、上のうにリスクを過度に重視したり、逆に過度に軽視したりする
            環境状況のどちらか一方が持続的に続けばれぞれに係わる資産市場に資金
            が流入し続けることになる。(実際そのような状況は過去に幾もあった・・・
            えば、1980年代後半〜1990年代初頭の日本の「バブル」期・・・
            財政出動論22 貨幣流通速度と不況期資金余剰」 の図5などを見ると、
             バブル期等に土地市場に持続的に資金が流入を続けたことがわかる。・・・・)、
            
                資金が流入し続けるとはどういうことかということを、売却側に注目してみ
            てみよう。売却したヒトは、その売却代金を、財・サービス市場や他の資産市
            場で使わず同じ市場に再投資し続ける人が増えるということだ。これは、
            別驚くべきことでもない。
                しかし、売られている資産の数量はそんなに増えない。資産とは、そもそも
            (その期に)「生産されたものではない」だから当然である。どうなるか
            と言えば、単純に価格が値上がりするのである。これは、財・サービス市場に
            おける「物価上昇」と同じ現象である。そこでは、本的に何も生産されてい
            ないので・・・・。

   だが、経済学者は、そうであっては困るのだ。原理が不況や好況といった環境に左右され常に成り立たないと、主流派のモデルは汎用的な理論体系ではなくなってしまう。特定の場合に成立しないことを認めてしまう、経済学のさまざまな部分で齟齬が生じるわけだ。だから、経済学者は、人間は合理的に考える存在であり、大不況やバブルに惑わされずに、冷静、客観的に考え、効用最大化原理にしたがって行動すると主張する。だが、そもそも、人の行動が合理的なら、人効用最大化原理のような盲目的な行動基準に基づいて行動することはないはずだ。当然、リスクその他の冷静、客観的な基準を加味して行動するはずである。また、そもそも、人が合理的なら、リーマンショックや大恐慌は生じなかったはずだ。
(だが、度し難いことに、主流派経済学者は、リーマンショックや大恐慌の原因を、そうした人間行動に斉一的に影響を与える環境の変化に求めずに、ある意味で末節の別の要因で説明しようとする。人の行動が、直面するリスク増大に影響されるという有力な原因を初めから除外して、リーマンショックを研究しようとするから、彼らの経済の解釈がピント外れになるのも当然だろう。そして、経済は想像以上に複雑であり、よくわからないというあきらめの結論に陥る。それは、根本的に重要な要因を除外しているから、経済を理解できなくなっているだけなのだ
 
    主流派経済学者が受けた教育はこのようなものだから、その教育に従えば、財政を緊縮しても、全体経済には影響がないと考えてしまう

         注)もちろん、これらの「原理」個別分野の必要に応じて修正を受けていて、
            費のライフサイクル仮説などで、家計は「一生の間で自分が得られる効用
            最大化しようと考えて使う」という具合に拡張されている。つまり、今あるお
            全て使てしまわずに、将来使うために一定割合を貯蓄したうえで、
            それを適切期に支出し、生涯を通じた効用の累計を最大化しようとすると
            考えるわけこれは、主流派が言う「合理的な」人間の行動の範囲で、人の
            判断基準に時点間の配分という観点を盛り込んだものだ。だが、人のリスク
            境の変化による行動基準の変化を折り込んではいない)。
               ただし、大体のところ言えば府が金を使わずに、それが民間に回る
            あるに)起きると、それまで想定していたよりも自分たちが一生
            間に使えるお金全体が増えると家計は判断する。このとき、家計は、増えた分
            全額を一時に使う訳ではいが、体が増えた割合だけ、使っても良いお金
            も同じ割合で増えるから、在のもある程度は増えると考えられる。
                だが、それは人がリスクや不安に判断を左右されないときだ。人が重不況下
             でリクを強く意識するようになるとき、「合理的」な判断基準の外で、消
             費抑制という行動が斉一的に生じることになる。
 
 確かに、軽微な不況では、家計お金を使う時期をいつにするかという「時点間でのお金の使い方の配分」は、不況という状況にはそれほど影響を受けないかもしれない。しかし、特に重い不況では、自分あるいは身近な人達の所得が減ったり、失業に直面したりというように、具体的な打撃を受ける人々が
実際に増える。そうしたときに、人々の判断基準は、そうした実例を知って変わるのではないだろうかそうした実例を見て、人はリスクが増大していると考え、それをお金の使途の配分の判断に折り込む。そうではないという『効用最大化原理』は、余りにも人をバカにしている。
    重不況で、家計が自分の将来の収入に強い不安を感じるときには、家計は、それに備えて実際に消費を減らし貯蓄を増やすことはむしろ当然の「合理的な」行動だと感じられる。
    そうした人達が社会の中である程度の割合を占めれば、仮に政府が支出を減らし増税や国債発行を減らし・停止して民間資金の吸収を少なく)て、民間がすぐに使えるお金が増えてもそれ直ちに消費を増やすことにはならないことになる。仮に家計が消費を増やさないなら最終需要が増えない。これは、実際に、日本でも、世界でも我々が実際に観察していることだ 
    また、そのような状況下で企業が設備投資を増やすと考えるのはおかしい実際、リーマンショック後の景気対策として、(設備投資減税など)設備投資を促進するための施策が取られたが、効果はほとんどなかった。当然だろう。最終需要が増えていないのに、カネがあるからというだけで設備投資を増やす経営者はほぼ無能といってよい。
 
 このような観点が正しければ、特に不況下では、政府が支出を減らして民間の使えるお金が増えても、家計や企業は支出を増やさない。このため政府支出が減少した分だけ全体需要は収縮して、大不況になる(続く)ことは当然である。経済学は、単純な効用最大化原理に
、少なくともリスク要因を加え人の行動に関する原理拡張すべきである。

    そこで、こうした理解が、観察されている事実と整合的であるかどうかを、改めて近年の状況見てみよう。

)安達誠司氏による(主流派?に対する)反証
    安達誠司氏は2017年11月23日付け「世界景気に完全依存する日本経済、なぜ「あの教訓」に学ばないのか」『現代ビジネス』の中で現在の日本の経済状況を分析し、次のように述べている。

「・・・所得低迷が消費低迷をもたらしている訳ではないとすれば、一体、何が消費低迷をもたらしているのであろうか。筆者は、貯蓄率の上昇に注目する。
    そこで、貯蓄率の推移をみてみると(図表4(略))、消費税率引き上げをきっかけに急上昇したことがわかる。・・・所得が緩やかながらも増加に転じた局面での貯蓄率の上昇は、家計が、消費税率引き上げをきっかけに将来に備えて貯蓄を増やし始めたことを意味する。

    「将来不安」といえば、一般的には、年金・社会保障支給に関する不安であると解釈さ れ、それゆえ、増税や社会保障負担の増加などの必要性を訴える識者が多い。だが、現実の貯蓄率の動きはその見方と明らかに 矛盾する
    消費税率引き上げは、明らかに将来不安を軽減する効果を持つはずなので、所得の増加を考えあわせると逆に貯蓄率は低下して もいいはずである。ところが貯蓄率の推移をみると、2006年3月の量的緩和解除をきっかけに急上昇していることに気づく。
    これをみると、貯蓄率は年金・社会保障給付のような中長期的なタイムスパンで考えるべき「漠然とした不安」で変動するので はなく、政策転換による目先の経済変動に対する予想によって変動するのではないだろうか。


    安達先生は多少慎重に(まわりくどく)書かれているが、この論考に対する早稲田大学の若田部昌純先生の評(2017年11月23日付け「NEWS PICKS」)は、次のように明快である。

「必読。実質消費のトレンドを見るだけでも良い。それと、「将来不安」があるから消費税増税でそれを解消すれば消費が増えるという珍説について、決定的な反証を示している。「家計が、消費税率引き上げをきっかけに、将来に備えて貯蓄を増やし始めたことを意味する。「将来不安」といえば、一般的には、年金・社会保障支給に関する不安であると解釈され、それゆえ、増税や社会保障負担の増加などの必要性を訴える識者が多い。だが、現実の貯蓄率の動きはその見方と明らかに矛盾する。」」 

   これは、実は概ね、リカードの等価定理(中立命題)に関するバローらの発生メカニズムをも否定している。
 注)この「税と国債発行の等価性」については、拙ブログで、バローらのメカニズ
       ムとは異なる別のメカニズム(マクロ的中立命題(等価定理))を提案している
      ので、ご覧頂きたい。
       New Economic Thinking 13 「(リカード)等価定理」と矛盾する「世代会計」
       New Economic Thinking3 リカード中立命題とマクロ的中立命題
       財政出動論25 リカード中立命題と負担の次世代先送論
       財政出動論12 財政出動とリカードの公債中立命題

    常識的には当然だろう。ヒトは、10年後の未来に増税がるかどうかよりも 、今失業するかどうかという不安に優先して対応しようとする。今増税したり財政緊縮で政府支出を減らすので10年後に増税はありませんよと言われても、今、増税や緊縮で景気が悪化して明日、失業するかもしれないという不安が強まれば、それに備えて、消費を節約して貯蓄を増やす。
    心理学や行動経済学の実験でも、例えば「今万円もらえる年待てば万円もらえる」という選択肢を示して、どちらを選ぶかを選択させると、ヒトは、圧倒的に万円もらうことを選ぶ。当たり前だろう。
    ヒトは生存の過程で、目の前の危険を避けることを常に優先するように進化してきた。動物全体がそのように進化し、そうでない種は淘汰されてきたのだ。直前の危険よりも年先の(現実に発生するかどうかわからない)危険を優先するか、あるいはそれら同等に対応しようとする種は生き残れずに淘汰されてしまっているはずだ
 
    以上のように、政府が財政緊縮を行い政府支出を縮小、抑制すれば当然その分は政府による需要は縮小する一方で、(特に大恐慌やリーマンショッククラスの重不況下では)人々は将来のリスクを重視するようになって消費等を抑制する傾向が斉一的に強まるため、民間需要が増えることはない。重不況で自分たちの将来の所得が減少すると感じている人達は、むしろ政府支出の減少で不況が深まると認識して、消費を抑制し、貯蓄を増やす人々が増える。このため、総需要は、政府支出の分だけ(あるいはそれ以上に)減少することになる。

 
 重い不況下では、金融緩和で貨幣の供給制約を緩めて、使おうと思えば使えるお金やしても、消費や投資が余り増えないのは、同じ理由だ。




)新たな原理への拡張・・・軽微な変動の経済学」対「重不況の経済学」の統合
 既存の多くの経済モデルでは、好況と不況を区別していないという単純な理由で、経済の説明ができていない。もちろん、軽微な不況ではこうした要因は余り影響はないだろう。戦後の世界経済は、長らく、それほど重大な不況に直面しなかったので、不況と好況による経済主体の行動や選好に違いがなく、無視して良かったのだ。


 ・・・統一的な理論(
軽微な変動の経済学」対「重不況の経済学」の統合)は、重大な不況がある状況を前提に理論化され、それが軽微な場合に、不況が与える影響が無視できることで軽微な変動の経済モデルが使える状況になるという経済学であるべきだと考える。

 こうした「新しい経済モデルでは」、好況ないしは平穏な経済下では、民間がリスクに関して大して不安を持っておらず、消費意欲、したがって投資意欲も高いときに政府が支出を縮小して、金を民間に償還すれば、民間需要拡大するという帰結が導かれる。一方重い不況下で民間がリスクに対する不安を重視するような状況では政府が支出を抑制すれば、その分だけ総需要は減少することになる。こうした異なる結果を統一的、整合的に説明出来る。




)普通の経済学者たち・・・
 ただし、普通の経済学者は、実際の経済の動きを見て、効用最大化原理だけに基づいて考えると事実を説明出来ないようだと感じているので、直ちに財政緊縮に対して公には支持を表明はしない。事実を説明出来ないモデルで考えていることを披瀝しない。


    しかし、それは自らの拠って立つ経済学体系の基盤を否定する部分があるので、そうした自分自身の態度に常にストレスを感じている。だが、主流派の枠組みでの研究で地位を得た主流派経済学者は、その理論を離れて新しい思考に移行することには強い抵抗を感じる。したがって、彼らの思考の背後には、財政緊縮は経済全体には影響はないという理論的な思考があるので、いろんな場面で、思考がそれに制約されている。

 しかも、主流派の中でも、原理主義的な人達は、彼らの理論が示すとおりに考えて、拡張的緊縮論などを前面に出して強い主張を行い、社会を暗黒の縁に放り込んでいる。


◎    以下の『家計』の寓話では、
 
以下の『家計』の寓話では、政府(この寓話では「家計」が支出を減らせば、政府(「家計」需要の減少で経済がシュリンクするというストーリーになっている。 
    ただし、その前提として、政府《家計》支出の減少の代わりに、父と母支出を増やすことを想定している。だから、この喩えは、結構、主流派的な観点(=効用最大化原理のみに従う)の人達を考慮したものになっている。
    だが、その支出の増加は家計内の供給力の範囲を超えるので、供給できず、家庭外(国に置き換えれば海外)からの移入(輸入)でまかなわれるとした。したがって、父と母の可処分所得の増加は、家庭内の供給者に循環しないという設定とし政府財政の支出減(ただし、ここでは家庭を国に喩えているので、政府財政は「家計」に相当する)による民間(父と母)の可処分所得の増加の効果は、家計外へ流出することにしている。
    ・・・少し複雑だが、『家庭』の規模の小ささから、あり得る可能性が高いものを採用した

 しかし、税(家計への拠出金)が減って父や母の手元にお金がっても、家庭の規模が小さいので、父は所得が激減することが明白予想できるので、結局、そ見通しが父の支出を抑制させることになる。これは、結局、このⅠ(上記)全体で考えてきた『民間』の消費支出の減少と同じことが、(家庭の小ささで、経済的な帰結がよりシンプルに理解できるために、父の行動が《効用最大化原理に基づく支出増ではなく、所得の減少を明確に予想し》変化することで、ここまでの上記の検討と同様な方向の行動)が導かれることになる



 Ⅱ 『家計』の寓話

 政府の借金は一世帯当たり2千万円を超えたのだそうです。やっぱサイズを小さくするとわかりやすさが突出するようで、国の借金を「家計」に喩え「大変だ感」を出す財務省のPRが半端なく強力です。そこで、反緊縮派の・・というか、もっとまともなマクロ的『家計』の喩えを考えてみました。
    この喩えは、上の「Ⅰ 前置き(解説補足編)の1緊縮財政の事例2つ(①ギリシャ危機を契機としたEU圏の緊縮財政と、②ナチスを台頭させたブリューニング内閣の緊縮財政の事例にほぼ沿っている。

1 さて、日本経済全体を一つの家計になぞらえてみよう


 この家庭の構成は、まず、長男は、学校を卒業して様々な製品を作る工場を自営している。長女 は、大学生としよう。または大学を経営しているとしよう。父の大学の学生は、簡単化のために、この家の長女だけとする。は、高齢者介護施設を自営している。祖父は、母の介護施設の唯一の入所者だ。祖母は農業をしていて、農産物の販売先は、ほぼこの家庭だけだ。
長男は、この家庭の生活用品や大学や介護施設が使う用品を製作して家計に販売・供給したり、施設の建物の建築や修繕を請け負っている。

 働いている家族(父、母、長男、祖母)は、家庭の共通的な経費(たとえば長女の学費、祖父の介護施設入所料金、食費、家の修繕、家庭の日用品の購入など)に充てるために、それぞれ収入の一部を共通の「家計」に拠出しているものとする(国になぞらえれば税金である)。残りは、例えば父は自分の趣味や小遣い、あるいは大学の運営のための費用などに充てたりしている。

2 他の家庭との関係


 この家庭も、一部、他の家庭から肥料を買ったり、材料や製品を買ったりしているが、他の家庭との売買の差額はバランスしている(プラマイゼ ロ)としよう。これを国に置き換えれば、他の国との間に貸借り無し、つまり、経常収支がバランスしていることになる。
 このとき、この家庭は他の家庭から借金する必要がないし、逆に貸付ける必要もない。

 こうしたシンプルな家庭を中心に考えよう。

  国で言えば経常収支がバランスしているので、必然的に他の国への貸付 (投資)もない。国際収支の恒等式経常収支黒字≡金融収支黒字ー資本移転収支黒字ー誤差脱漏)で見ると、経常収支のバランスは、この左辺がプラスマイナスゼロということだから、右辺もゼロとなり、(誤差脱漏は統計的な把握の問題であり、資本移転収支は小さいので)残る金融収支もバランスしているとかんがえてよい。これも黒字も赤字もないということだ。 
    金融収支がプラスマイナスゼロであれば、海外の国との間に貸し借りの増減はないことになる。
 日本は、経常収支の黒字が大きいので、毎年海外の国に貸し越ししていることになる。以下では、貸し借り無しでバランスしている(プラスマイナスゼロ)ことを前提に考えるが、経常収支黒字で海外にお金を貸し越ししているなら(バランスしていないが)、バランスしているのと同様に考えてよいことを後段で再確認する。


3 家計が赤字になるため、家計の拠出を切り詰める・・・緊縮財政である

 こうした前提で、家計が赤字になる状況として、米国の共和党的な『減税』が行われる状況を考える

    ある日、父は、家計への拠出額を減らして、貯蓄を増やしたり、他の家庭が生産している財や サービスを自由に買って、生活の充実や大学運営の充実に使いたいと思い、家計に拠出しているメンバーに、拠出額を半分に減らす(いわば減税の)相談をしたところ、全員が同意したと する。
 父、母、祖母、長男は、拠出分を減らして増えた自分の自由になるお金を、貯蓄を増やしたり、他の家計が生産した財やサービスの購入に使ったとする。これで豊かな生活が出来る。

    一方、家計の予算が減ったので、大学へ行っている長女の学費か、介護施設に入っている祖父の介護料負担のいずれかを減らす必要がある。ここでは長女が大学をやめるとする。

4 父の大学の学生がいなくなって大学は廃校となり、父は家計への拠出はできなくなる

 すると、父の大学は学生がいなくなるから、大学は廃校となって父の収入はなくなり、家計への拠出金の負担も出来なくな家計の支出規模は更に縮小する。 まあ、大不況か恐慌であり、この家計は崩壊である。原因は、家計(政府)の規模縮小(教育予算の縮小)で、教育サービスの需要が低下・消滅したのだ。

5 緊縮の代わりに家族から借入れることにする


 ここで家計崩壊を防ぐ方法は、第一には拠出金の減額(減税)をしないことだが、外にも方法はある。

    父、母祖母、長男が、拠出金を減らす代わりに、減らした額と同額を家計に貸し付ければよいのである。その代わり、家計は、借用証書を発行する。父と母は、家計発行の債券(借用証書)を取得する。これは金融資産の増加である。

 だが、父らが家計に貸付けてくれるかどうかである。

    しかし、貸付けしない場合の大不況、恐慌の発生を理解しているなら、貸し付けるだろう。あるいは、例えば父は、家計の縮小で、大学の学生がいなくなると予測できていれば、拠出金の減少で浮いたお金を、大学運営の充実や施設の充実に充てることはないだろう。だから、お金は余っている。

    また、そもそも拠出金を減らしても(減税しても)他の家計等が作るものを特に買いたいと思わなければ、減税で余ったお金を使わずに貯蓄しているだろう。であれば、それを貸し付けに回しても同じである。例えば貯蓄より金利が高ければ、貸し付けに同意するだろう。

 祖母には別に資産(預金)があるので、父らは必要があれば、その借用証書を祖母に売って、得たお金で欲しい物を買うことも出来る。だから、父母らは、家計に貸し付けても、かまわないと考えるだろう。


    注)なお、ここでは、父母等が持っている金融資産(借用証書)は、一見お金とし

        て自由な用途に使えるものに見える。しかし、その借用証書を買った祖母が、他
        の用途に使えるお金は減少する。
            使えない主体は入れ替わるが、その借用書を受け取ったり買い取った家庭内の

        かは、それを好きな用途には使えない。
            この家庭全体としてみれば、常に、この借用書の金額分だけ、他の用途には使え

        ない。それは家計(政府)の用途に使われているのだ。それは拠出金(税金)と
        同じだ。     
            個々にみると(ミクロ)、借用証書は売ればお金に換えられるから、一見、お金

        と一緒に見えるが、マクロでは常に誰かが他には使えない。
            つまり、税(拠出金)と 国債(借用書)は、マクロでは使えないという意味で
        等価だ=「等価定理」の成立である。これは「将来の増税を予想」する必要もな
       く成立する

 さて、このとき、家計は、拠出金の減額以前と同様、不足する分を父らから借入れることで、家計の支出規模を維持でき、長女も大学に通える。したがって、父の大学も順調であり、父は家計に拠出金を出し、さらに貸し付けもできる。家計も順調であり、万々歳である。

6 返済は必要か

 だが、家計は、いつかはこの借入金を返済しなければならないだろうか

    さて、まず、この借用書は家庭内の誰かが持っているはずだ。仮に、その借用書が他の家庭にわたっていても、この家庭と他の家庭間には差引で貸借りが無いのだから、必ず同額の他の家庭への貸付金があり、それと交換で買戻しできる

 したがって、返済の問題は、この家庭内で考えればよい。・・・これは、2で書いたように、他の家庭との支払いー受け取りがバランスしているという仮定による。
 さて、問題は、父母らは返済を望むかだ。仮に返済される場合、父母らの借用書という金融資産が減少して同額現金が増えるだけだ。現金の使い道は、主に他の家計 の生産物の購入になる。一方、返済以外の家計の支出は現在の分と過去の借入の返済のダブルで減らさなければならず、大幅減少になるので、長女と祖父は大学や介護施設をやめて父母の大学や介護施設は閉鎖である。これは大不況か、恐慌になる。

 父母らが賢ければ、家計から借入金が返されると、自分の大学や介護施設の利用が減って、収入が激減することを知っているから、すぐに返せとは言わない。‥父と母らが十分に賢ければ(合理的であれば)だ。
 返さなければどうなるだろうか。どうもならないこの貸借りは、家庭内だからだ。返すと家計と家庭が崩壊すると知っていれば誰も帰せとは言わないだろう。しかも、それは金融資産として、流通している。返せと言われないものを返す必要はない。

 返済が必要かどうかを決定するのは何か・・・他の家庭との貸し借りの状況だ

 だが、借入金を他の家庭から借りていれば、これとはまったく違うことになる。家庭内のメンバーから借りていれば、返済はその家庭で大不況を生み出す。しかし、他の家庭は、返済されることで自分たちの家庭が大不況になることはない。だから、遠慮無く返せというだろう。
 つまり、この家庭が他の家庭から借金をしていないということは極めて重要なのだ。他の家庭に借金をしていないということは、父母らが家計に貸付けるお金は、その家庭自身(父母ら)が自ら稼いだお金でまかなえているということだからだ。


 しかし、これが、父母らが稼いだお金で家計が必要な借入金を賄えなくなると、この家庭は他の家庭からお金を借りて家計の不足を賄うようになる。これは持続可能ではない(例えばギリシャ)。 

    日本政府は、巨額の借入をしているが、日本はこういう状態とはほど遠く、安定している。安定の条件は次の8で述べよう。

 (さて)安定しているとき、父母等が返せ(又は貸さない)と言わないかぎり、家計はどれだけでも借入金を拡大し続けることができる。その重要な要件は、この家庭が他の家庭か ら、借入をしていないこと他の家庭への貸付けがあるなら、それと他の家庭からの借入を相殺して、他の家庭への貸し付けが上回っていればOKだ)。


8 財政の持続可能性を決定する要因

 ここでは、「家計」と「家庭」を区別していることに注意しよう。「家計」を「政府財政」とすれば、「家庭」は「日本経済」である。家庭が他の家庭から借入をしてる状態を日本経済に引き延ばすと、「日本が海外に持っている資産ー海外の国が日本に持っている資産>0」という状態だ。・・・ここの符号の向きが逆だっので修正しました。
 これが、どの方向へ動いてるか、減ってるか増えているかは、経常収支でわかる。経常収支が黒字なら、国際収支の恒等式により、(おおむね)金融収支が増加しているのであり、日本の海外資産が(海外の国が日本にもっている資産よりも)差引で増加してることがわかる。この点で、過去〜現在の日本は極めて安定している。
 つまり、日本政府財政の巨額の負債が安定的で持続的であるかどうかは、日本の国際収支で経常収支が黒字かトントンであるかどうかにかかっており、それが極めて重要なのだ。

9 長期的にはどうなるか

・・・家計の負債が相続されると同時に父母が持っていた家計への債権も相続され相殺

 「日本の海外資産ー海外の他国が日本に持つ資産」がプラスである限り、政府財政の赤字は心配には及ばない。この家庭もそうである。

    時間が過ぎると、父母が老いて、亡くなる。すると、父母が家計に持っていた貸付金も次の世代に相続され、同じく次の世代が相続した家計の負債と相殺される。

(世代会計のナンセンス)

 
 いじょうのように、
一つの家庭に注目すると、世代間の問題は存在しないのである。もちろん、これは親子の相続関係があるからだ。しかし、人口を世代等によって幾つかの世代に分割し、個々の世代をひとくくりの単位として、それらの世代間でものを考えるなら、負債が遺産として次の世代に先送りされると同時に資産も遺産として次世代に贈られることは変わらない。
 世代会計について、詳しくは「世代会計と等価定理」 ‪http://bit.ly/1VGSPva「リカード中立命題と負担の次世代先送論」http://bit.ly/1czWLG9 ‬ 「リカード中立命題とマクロ的中立命題」 ‪http://bit.ly/1pEWB46 ‬ 「財政出動とリカードの公債中立命題」http://bit.ly/2j8eAUU ‬ 等を参照


・・・と書き終わってTLを見ると、日経の「国の借金は返す必要があるか(十字路)‪http://s.nikkei.com/2hUTKN3 ‬ の紹介が流れていた。「債務残高を名目国内総生産(GDP)と比べた比率」が低下していけば大丈夫とある。方向としては同じだ。経常収支の方がわかりやすいとは思うが。